西播磨を南流する揖保川と、北西より合流する支流の栗栖川が形成する平野を東に臨む標高458mの亀山(きのやま)の山頂に、かつて城山城がありました。ここは、奈...
古代城と中世城が混在する城山城。 その1 <古墳群・登山道>
西播磨を南流する揖保川と、北西より合流する支流の栗栖川が形成する平野を東に臨む標高458mの亀山(きのやま)の山頂に、かつて城山城がありました。ここは、奈...
「その2」のつづきです。楯岩城本丸エリアに入りました。 ここは北西段曲輪のいちばん下の曲輪です。本丸エリアは、頂上の主郭を中心に北西南の三方に段郭が伸びて...
「その1」のつづきです。楯岩城三ノ丸エリアに入りました。本丸、二ノ丸、三ノ丸といった呼び方は豊臣時代以降のものですが、麓にあった縄張り図と鳥観図にそう書い...
今回も播磨国の赤松氏の城・楯岩城を攻めます。別名「太田城」ともいいます。播磨の山城のほとんどは、赤松氏の嫡流、庶流のどこかに関連していますが、ここは、赤松...
光る君へ 第10話「月夜の陰謀」 ~花山天皇の出家(寛和の変)~
久しぶりに大河ドラマのレビューです。第10話では花山天皇の出家事件が描かれましたね。寛和2年(968年)6月23日の丑剋(午前1時から3時)花山天皇が秘か...
播磨守護赤松氏の本城・置塩城。 その4 <Ⅲ曲輪群(三ノ丸北曲輪群)~Ⅶ曲輪群>
「その3」のつづきです。置塩城の南側と東側を攻略したので、次は西側曲輪群に向かいます。 誘導看板には「伝三ノ丸跡」とあります。 虎口っぽい切岸を登ると・・...
播磨守護赤松氏の本城・置塩城。 その3 <Ⅳ曲輪群(二ノ丸北曲輪群)~Ⅰ曲輪群(主郭)>
「その2」のつづきです。Ⅱ曲輪群(伝二ノ丸)まで攻略したので、続いてその北側のⅣ曲輪群を歩きます。 Ⅳ-3郭です。何か水たまりがあります。井戸跡でしょうか...
播磨守護赤松氏の本城・置塩城。 その2 <南西Ⅵ曲輪群~Ⅱ曲輪群(伝二ノ丸)>
「その1」のつづきです。置塩城南曲輪群を攻略しましたが、この城は東西約600m、南北約400mの範囲に70前後の曲輪があります。 次は南西曲輪群を目指しま...
播磨守護赤松氏の本城・置塩城。 その1 <登山道~南曲輪群>
姫路の北約8㎞、夢前川を遡った山間の小盆地に面した標高370mの城山山頂に、かつて播磨国守護として栄えた赤松氏の本城・置塩城があります。「おじおじょう」と...
上月城攻めの毛利方陣城・仁位山城。 その2 <③郭④郭と畝状竪堀>
「その1」のつづきです。仁位山城②郭から③郭へ向かいます。 ③郭です。ここも傾斜がついていて、自然地形って感じなんですよね。経年の堆積物でそうなってしまっ...
前稿で紹介した上月城の北東約500mという至近距離に、仁位山城跡があります。ここは、上月城の援軍として駆け付けた羽柴秀吉方が陣を布いたという説もあれば、上...
「その1」のつづきです。上月城主郭まで攻略したので、つづいて尾根伝いに西側の郭を攻めます。 主郭西側の虎口。縄張り図では桝形虎口になっていますが、微妙。。...
播磨国佐用町上月。現在の兵庫県佐用町には、かつて荒神谷川を挟んで北に大平山上月城、南に荒神山上月城がありました。城ははじめ大平山に築かれ、のちに荒神山に本...
長水城、篠ノ丸城を攻略したので、続いて聖山城を攻めます。聖山城は篠ノ丸城の出城だったともいわれ、天正8年(1580年)の羽柴秀吉による長水城、篠ノ丸城攻め...
西播磨守護代宇野氏の本城・長水城跡攻城記。 その2 <主郭・2郭>
「その1」の続きです。登山開始から約70分、長水城跡主要部に到着しました。 主郭下です。標高584mの長水山の山頂に築かれた城で、現在、主郭跡には信徳寺本...
西播磨守護代宇野氏の本城・長水城跡攻城記。 その1 <大手道>
前稿で西播磨の篠ノ丸城を攻めましたが、今回はその本城・長水城を攻めます。長水山城、広瀬城とも呼ばれます。長水城は篠ノ丸城とともに播磨国守護の赤松氏庶流の西...
紅葉が美しい篠ノ丸城跡を歩く。 その4 <三重堀切~畝状竪堀>
「その3」のつづきです。篠ノ丸城二ノ丸の西側にある三重堀切を見にいきます。 二ノ丸(主郭という説も)の西側を見下ろすと、さっそく大きな堀切が。 降りてきま...
紅葉が美しい篠ノ丸城跡を歩く。 その3 <主郭周り~二ノ丸>
「その2」のつづきです。篠ノ丸城主郭まで攻略しましたが、城域はまだまだあります。 主郭西側の横堀。南側から見ています。右側が主郭を囲う土塁です。往時はもっ...
「その1」のつづきです。麓の最上山公園(通称もみじ山)で紅葉狩りを堪能したので、最上山北の通称「一本松」山頂に築かれた篠ノ丸城跡を目指します。 登山口です...
今回は2年前の紅葉の季節に訪れた、西播磨の篠ノ丸城です。篠ノ丸城は播磨国守護の赤松氏庶流の宇野氏の城と伝わりますが、近年の研究で、その宇野氏滅亡直後、あの...
先日、神戸海軍操練所跡の発掘調査現場公開に行ってきました。神戸海軍操練所といえば、幕末、江戸幕府軍艦奉行の勝海舟の建言により幕府が神戸に設置した海軍士官養...
近江美濃境目で要塞化された寺・弥高寺 その2 <本堂跡~大門跡>
「その1」のつづきです。弥高寺大門跡の南側には、大きな横堀が東西に構えられています。 大門跡の土塁上から見下ろした横堀。 大門跡を降りてきました。横堀ウォ...
近江美濃境目で要塞化された寺・弥高寺 その1 <本堂跡~大門跡>
上平寺城から谷を隔てた西側に、かつて城郭なみに要塞化された弥高寺がありました。ここも、京極氏、浅井氏に関係の深い場所です。 写真は本堂跡。最も広い削平地で...
第1話のヘビーな出来事から6年の歳月が流れましたね。永観2年(984年)とありましたから、天禄元年(970年)生まれ説なら15歳、天元元年(978年)生...
「その1」のつづきです。上平寺城主郭まで登ってきました。 主郭は伊吹山より派生した標高699mの尾根頂部にあります。面積はざっと見たところ、50m×50m...
地域タグ:米原市
京極氏館跡からのつづきです。近江と美濃の国境にそびえる標高1377mの伊吹山の南、弥高山の「刈安尾」と呼ばれる尾根の先端に、かつて京極氏の居城・上平寺城が...
地域タグ:米原市
大河ドラマ『光る君へ』が始まりましたね。年始でバタバタしていたこともあって、昨夜ようやく観ました。毎年当ブログにて大河ドラマ解説をしてきたわたしですが、...
「紫式部」という名を知らない人は少ないでしょう。紫式部といえば、いうまでもなく『源氏物語』の作者であり、平安時代を代表する女流作家ですが、じゃあ、紫式部...
あけましておめでとうございます。皆さま健やかに新春をお迎えのこととお慶び申し上げます。と、いいたかったところでしたが、新年早々たいへんな地震が起きてしまい...
人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し 最終回の冒頭のナレーションにもあった言葉ですが、これは、神君御遺訓の冒頭の一文として今日に伝わる有名な言葉です...
「その1」のつづきです。 徳川家康がこの世を去ったのは、大坂夏の陣から1年足らずの元和2年(1616年)4月17日。同年1月、鷹狩に出た先で倒れ、その後...
大坂夏の陣の戦いの火蓋が切られたのは、慶長20年(1615年)4月26日。豊臣方の大和郡山城攻めからでした。その後、4月29日には紀州路方面での樫井の戦...
過日、インスタの城友さんよりお誘いを受け、かつて北近江を支配した京極氏遺跡めぐりのオフ会に参加させていただきました。近江と美濃の国境にそびえる標高1377...
地域タグ:米原市
徳川方の砲撃に恐れおののいた淀殿は、一転して和議の申し出に応じます。そして、徳川、豊臣両者による和議の話し合いが行われたのは、慶長19年(1614年)1...
「その3」のつづきです。田丸城本丸まで制覇しましたが、その北側にある北ノ丸に向かいます。 北ノ丸には、現在、稲荷神社が鎮座しています。 北ノ丸です。 田丸...
地域タグ:三重県
どうする家康 第46話「大坂の陣」 その2 ~真田丸の戦い~
「その1」のつづきです。 方広寺鐘銘事件で徳川との関係が急速に悪化した豊臣方は、旧豊臣恩顧の大名たちを味方に引き入れようと試みますが、そのすべてに拒否さ...
地域タグ:三重県
どうする家康 第46話「大坂の陣」 その1 ~方広寺鐘銘事件~
今回は方広寺鐘銘事件から大坂冬の陣の終結まで一気に話が進みましたね。平成28年(2016年)の大河ドラマ『真田丸』のときはこの間だけで5話ぐらい費やしてい...
「その2」のつづきです。田丸城本丸に向かいます。 本丸虎口です。右折すると・・・。 おーっ!!! いしがっきー!!!! 虎口に設置された説明板。どうやらこ...
地域タグ:三重県
慶長16年(1611年)3月28日、古希を目前にした徳川家康は、京の二条城にて19歳の豊臣秀頼と対面しました。関ヶ原の戦い以後、わずか65万石となり、実...
「その1」のつづきです。田丸城三ノ丸から西側を見上げると豪壮な石垣群が目に入ります。石垣を見て歩きましょう。 写真は本丸東下の石垣群。櫓台のような野面積石...
地域タグ:三重県
伊勢神宮を抑える要衝として築かれたという田丸城。太古の昔より、この地は伊勢神宮への参宮本街道と熊野街道の分岐点として栄えました。今回はその田丸城を歩きます...
地域タグ:三重県
どうする家康 第44話「徳川幕府誕生」 ~征夷大将軍就任と世襲~
関ヶ原の戦いに大勝利を収めた徳川家康は、慶長8年(1603年)2月12日に朝廷より征夷大将軍の職に任ぜられ、事実上、江戸を中心とした武家政権を開始しまし...
蒲生氏郷が築いた伊勢松坂城を歩く。 その6 <御城番屋敷跡>
「その5」のつづきです。「その2」で見た松阪城裏門の南側にある御城番屋敷跡にやってきました。 ここはかつて、松坂城三ノ丸でした。 御城番屋敷は、松坂城を警...
地域タグ:松阪市
「その4」のつづきです。松坂城本丸西側にある、きたい丸を歩きます。 きたい丸とは、古田重勝の子である古田重恒の幼名、「希代丸(稀代丸)」に由来するといわれ...
地域タグ:松阪市
どうする家康 第43話「関ヶ原の戦い」 その2 ~エピローグ~
「その1」のつづきです。 慶長5年(1600年)9月15日、美濃国は関が原において、東西両軍15万人余の軍勢が衝突した関が原の戦いは、わずか半日、徳川家...
地域タグ:松阪市
関が原で東西両軍が激突する4日前の慶長5年(1600年)9月11日、徳川家康は清州に到着し、翌12日もそこに逗留しました。ところが、中山道を進軍している...
「その3」のつづきです。松坂城本丸下段中御門跡に戻ってきました。 「その3」の冒頭で見た中御門は、さらに本丸上段に続いています。 まずは右折。 そして左折...
地域タグ:松阪市
蒲生氏郷が築いた伊勢松坂城を歩く。 その3 <中御門・本丸下段・助左衛門御門>
「その2」のつづきです。いよいよ松坂城本丸へ向かいます。 二ノ丸から本丸へ向かう中御門です。 ここを訪れたのは令和4年(2022年)7月2日。このとき中御...
地域タグ:松阪市
阪神タイガースが38年ぶりの日本一になりましたね。あっ、38年ぶりのAREのAREですか(笑)。前回の日本一のとき18歳だったわたしも、56歳になってしま...
どうする家康 第43話「天下分け目」 ~小山評定、伏見城の戦い~
徳川家康とともに会津の上杉景勝討伐に向かった諸将に、上方で石田三成が挙兵したとの報せが入ったのは、慶長5年(1600年)7月20日過ぎのことでした。この...
蒲生氏郷が築いた伊勢松坂城を歩く。 その2 <表門、裏門、二ノ丸、隠居丸>
「その1」のつづきです。松坂城外周を歩いて、再び表門跡に戻ってきました。 表門です。大手門ではありません。古地図の縄張り図によると、大手門はこの北西の水堀...
地域タグ:松阪市
蒲生氏郷が築いた伊勢松坂城を歩く。 その1 <三ノ丸から見た高石垣>
三重県松阪市といえば松阪牛・・・ではなく、松坂城です。松坂城は近江国日野城よりここへ移ってきた蒲生氏郷が築いた城です。 表門前の石碑には「松坂城」と刻まれ...
地域タグ:松阪市
どうする家康 第41話「逆襲の三成」 ~家康暗殺計画、直江状、内府ちがひの条々~
石田三成の失脚から約半年後の慶長4年(1599年)9月、今度は徳川家康を暗殺しようとする企てがあることが発覚します。その首謀者は金沢に帰国している前田利...
藤堂高虎が大改修した津城を歩く。 その3 <高虎像・西の丸・高山神社>
「その2」のつづきです。津城本丸跡の一角に、藤堂高虎の騎馬像があります。 藤堂高虎は、弘治2年(1556年)に、近江国犬上郡藤堂村(現在の滋賀県甲良町)に...
地域タグ:津市
「その1」のつづきです。津城内堀外周をめぐったので、本稿では本丸内を歩きます。 写真は前稿の冒頭でも紹介した本丸北東の丑寅三重櫓。藤堂高虎が築いた櫓とは似...
豊臣秀吉の喪は、ただちには発表されませんでした。その理由は、今なお朝鮮に10万の将兵が留まったままで、戦場を混乱させないための配慮でした。慶長3年(15...
前稿で藤堂高虎が築いた伊賀上野城を歩きましたが、同時進行で高虎が伊勢国に築いた城が、現在の三重県津市にある津城です。高虎は関ヶ原の戦い後の慶長13年(16...
地域タグ:津市
天下一の高石垣を誇る伊賀上野城。 その4 <城代屋敷跡(筒井古城跡)>
「その3」の続きです。伊賀上野城本丸西側を制覇したので、続いて本丸東側の城代屋敷跡を歩きます。ここは藤堂高虎が改修する以前は、筒井氏の城がありました。その...
地域タグ:伊賀市
昨日、谷村新司さんの訃報がありましたね。驚きました。今の若い人らにとっては24時間テレビの「サライ」のおっちゃんといったイメージかもしれませんが、わたしら...
どうする家康 第39話「太閤、くたばる」 ~慶長の役と秀吉の死~
鶴松の死後、自身の年齢から考えてもはや実子は見込めないと考えた豊臣秀吉は、養子となっていた甥の豊臣秀次を後継者と定め、関白職も譲ります。しかし、それから...
「その2」の続きです。伊賀上野城本丸に建つ天守を見て歩きましょう。 本丸南西から見た天守です。白亜の美しい天守ですが、残念ながらこの天守は、復元でも復興で...
地域タグ:伊賀市
「その1」の続きです。伊賀上野城表門を過ぎて、本丸に向かう坂を登ります。 表門跡をまっすく進んだところにある石碑です。 坂を登る途中の本丸南側下段の曲輪ら...
地域タグ:伊賀市
どうする家康 第38話「唐入り」 ~文禄の役と淀殿2度目の懐妊~
小田原征伐を終えて天下統一を成し遂げた翌年の天正19年(1591年)、豊臣秀吉の身の回りを立て続けに不幸が襲います。1月には最も信頼していた実弟・豊臣秀長...
忍者の里として知られる伊賀国。その街の中央にある標高184mほどの丘に、江戸時代、豪壮な高石垣に守られた平山城がありました。上野城、伊賀上野城、白鳳城とも...
地域タグ:伊賀市
どうする家康 第37話「さらば三河家臣団」 ~小田原城落城と家康の関東移封~
九州を平定した豊臣秀吉にとって、残る大敵は相模国小田原城主の北条氏のみとなりました。北条は関東一円に300石近い領地を支配する大大名で、徳川家康とも同盟...
どうする家康 第36話「於愛日記」 ~西郷局の死と鳥居元忠の側室~
徳川家康の側室のひとりである於愛の方は、天文21年(1552年)に遠江国西郷村に生まれたと伝わります。家康より9歳下となりますね(永禄4年(1561年)...
天正14年(1586年)10月14日、浜松を発って上洛の途についた徳川家康は、同月20日に岡崎で大政所の到着を見届け、同月27日に大坂城にて豊臣秀吉と対...
瀬戸内海を望む現存天守、讃岐丸亀城を歩く。 その8 <ライトアップ>
「その7」のつづきです。前稿までは令和4年(2022年)8月27日に攻略した丸亀城でしたが、その約半年後の令和5年(2023年)3月13日、たまたま仕事で...
地域タグ:丸亀市
瀬戸内海を望む現存天守、讃岐丸亀城を歩く。 その7 <三ノ丸南側・搦手道>
「その6」のつづきです。丸亀城本丸まで制覇したので、また三ノ丸まで下りてきました。「その3」で三ノ丸北側を歩いたので、次は南側に向けて歩きます。 その前に...
地域タグ:丸亀市
瀬戸内海を望む現存天守、讃岐丸亀城を歩く。 その6 <天守>
「その5」のつづきです。いよいよ丸亀城天守です。 いうまでもなく丸亀城天守は全国にある現存12天守のうちのひとつです。三重三階のこの天守は、丸亀藩初代藩主...
地域タグ:丸亀市
瀬戸内海を望む現存天守、讃岐丸亀城を歩く。 その5 <本丸>
「その4」のつづきです。いよいよ丸亀城本丸を目指します。 写真は二ノ丸から本丸への虎口下、この坂は京極坂と呼ぶそうです。おそらく、万治元年(1658年)に...
地域タグ:丸亀市
どうする家康 第34回「豊臣の花嫁」 ~天正大地震と朝日(旭)姫の輿入れ~
石川数正の調略に成功した豊臣秀吉は、対徳川家康対策をふたたび強硬姿勢に転換、東に兵を向けます。一方の徳川方も、数正出奔を機に軍制を武田流に改める改革を行...
瀬戸内海を望む現存天守、讃岐丸亀城を歩く。 その4 <二ノ丸>
「その3」のつづきです。丸亀城三ノ丸北側に戻ってきました。長崎櫓台石垣下西側から見上げた天守です。 いうまでもなく丸亀城天守は全国にある現存12天守のうち...
地域タグ:丸亀市
瀬戸内海を望む現存天守、讃岐丸亀城を歩く。 その3 <三ノ丸・二ノ丸高石垣>
「その2」のつづきです。丸亀城本丸を目指して登ります。大手門から三ノ丸を目指して坂を上ると、美しい扇の勾配の高石垣がそびえ立ちます。これは、三ノ丸の高石垣...
地域タグ:丸亀市
小牧・長久手の戦いで思わぬ敗北を喫した羽柴秀吉でしたが、ここからが秀吉の本領発揮。織田信雄をあの手この手で懐柔し、天正12年(1584年)11月11日、...
瀬戸内海を望む現存天守、讃岐丸亀城を歩く。 その2 <大手門・玄関先御門・番所長屋>
「その1」のつづきです。丸亀城内堀外周を回って、戻ってきました。大手門後方上部に、現存天守が見えます。 天守にズーム。 大手門に架かる土橋を渡りましょう。...
地域タグ:丸亀市
瀬戸内海を望む現存天守、讃岐丸亀城を歩く。 その1 <内堀外周より>
全国に残る現存12天守のうち、3分の1にあたる4天守が四国にありますが、そのなかで最北の香川県丸亀市にある丸亀城を攻めます。瀬戸内海に面する丸亀市の市街地...
地域タグ:丸亀市
どうする家康 第32話「小牧長久手の激闘」 ~小牧・長久手の戦い(後編)~
天正12年(1584年)3月17日に起きた羽黒の戦いで徳川家康・織田信雄連合軍が大勝利を収めたあと、徳川軍は小牧山城に、羽柴秀吉軍が楽田にそれぞれ陣を布...
どうする家康 第31回「史上最大の決戦」 ~小牧・長久手の戦い(前編)~
越前北ノ庄城にて柴田勝家を滅ぼした羽柴秀吉は、織田信長の後継者として日増しに勢力を強めはじめます。勝家とともに秀吉と対抗していた信長の三男・織田(神戸)...
どうする家康 第30回「新たなる覇者」 その3 ~賤ヶ岳の戦い、越前北ノ庄城の戦い~
「その2」のつづきです。清洲会議以降、決定的な対立関係となった羽柴秀吉と柴田勝家。もはや天下を視野に入れた秀吉にとって勝家は邪魔な存在であり、一方の勝家...
どうする家康 第30回「新たなる覇者」 その2 ~清須会議・柴田勝家とお市の方の結婚~
「その1」のつづきです。 山崎の戦いから半月後の、天正10年(1582年)6月27日、尾張・清洲城において織田家後継者ならびに遺領の分配を決めるための、織...
どうする家康 第30回「新たなる覇者」 その1 ~天正壬午の乱~
清須会議、柴田勝家とお市の方の結婚、天正壬午の乱、賤ヶ岳の戦い、越前北ノ庄城の戦いと、超足早に描かれましたね。これまでの戦国ものの大河作品であれば、3、...
去る令和5年(2023年)5月28日、丹波周山城跡の発掘調査現場見学登城会に参加してきました。ちょっと旬ネタを過ぎてしまった感はありますが、先日の丹後田辺...
どうする家康 第29回「伊賀を越えろ!」 ~神君伊賀越えと山崎の戦い~
本能寺の変の報せを受けた徳川家康一行は、たちまち大ピンチとなります。というのも、織田と同盟関係である徳川は、明智光秀からみれば敵といえました。もし、明智軍...
去る令和5年(2023年)7月22日、姫路城城下町跡の発掘調査現地説明会に行ってきました。今回の発掘調査は、なんと第480次とのことです。さすが、キング・...
どうする家康 第28回「本能寺の変」 ~家康の堺遊覧と信長の横死~
時は天正10年(1582年)6月2日・・・・といえば、言わずと知れた「本能寺の変」ですね。天下統一を目前にした戦国の覇王、織田信長が、最も信頼していた家...
去る令和5年(2023年)7月15日、京都府舞鶴市にある田辺城跡の第33次発掘調査説明会が開催されるという情報をいただき、急遽行ってきました。旬なものは旬...
どうする家康 第28回「安土城の決闘」 ~家康の安土入りと光秀の饗応役~
甲州征伐の論功行賞で、織田信長は徳川家康に駿河一国が与えられました。そして、その帰路、信長は富士山見物をし、家康の居城である浜松城に立ち寄った話が前話で描...
どうする家康 第26話「ぶらり富士遊覧」 ~武田滅亡と信長の駿河訪問~
息子の松平信康と正室の築山殿を失った徳川家康でしたが、落ち込んでいる間もなく、武田に奪われていた高天神城攻めを本格化します。天正3年(1575年)以降、高...
今年の大河ドラマは『どうする家康』ということで、各地にある徳川家康関連のお城は観光客で賑わっているようですね。ドラマの論評はさておき(笑)、当ブログでも乗...
前回に続いて徳川家康の前半生の最大の悲劇といえる築山事件(松平信康自刃事件)が描かれました。通説と言われる事件の流れは、第24話の稿で解説したので、ここ...
武蔵滝山城攻城を歩く。 その4 <信濃曲輪・行き止まりの曲輪>
「その3」のつづきです。滝山城本丸跡まで攻略しましたが、同城の城域はまだまだあります。 本丸下段に戻って、東側には、「その3」で見た木橋が架かっています。...
「その2」のつづきです。滝山城といえば、最も有名なのが、中ノ丸と本丸の間の深い大堀切と、そこに架かる復元木橋のロケーションですね。 これがこれ。 堀切が深...
どうする家康 第24話「築山へ集え!」 ~築山事件(松平信康自刃事件)前編~
いよいよ物語は、徳川家康の前半生の最大の悲劇といえる築山事件に入ります。松平信康自刃事件とも言いますね。諸説あって謎が多いこの事件ですが、通説とされてい...
「その1」のつづきです。滝山城跡西馬出を過ぎて二ノ丸に向かいます。 二ノ丸西側の堀切。 二ノ丸南側に設置された案内板です。 二ノ丸に上ってみましょう。 二...
武蔵滝山城攻城を歩く。 その1 <三ノ丸・小宮曲輪・千畳敷・西馬出>
八王子城跡から直線距離で北東約8kmのところに、滝山城跡があります。滝山城は、北条氏照が八王子城を築く前に居城としていた城でした。 現在、城跡は滝山城址公...
長篠・設楽原の戦いで織田・徳川連合軍が武田軍を相手に大勝利を収めた約半年後、尾張、三河にまたがって強い勢力を誇っていた水野信元が、突如、織田信長の命によ...
「その3」のつづきです。山頂の城跡を攻略したので、下山して麓の居館部を攻めます。八王子城の縄張りは、標高445 m、比高約240 mの深沢山(城山)山上に...
どうする家康 第22話「設楽原の戦い」 ~鳶ノ巣山砦奇襲と鉄砲三千挺の三段撃~
徳川方の武将・奥平信昌の守る長篠城が武田軍によって包囲され、奥平の家臣・鳥居強右衛門より援軍要請を受けた徳川家康は、援軍として駆け付けた織田信長と共に長...
どうする家康 第21話「長篠を救え!」 ~長篠の戦いと鳥居強右衛門~
前回描かれた大岡弥四郎事件と連携するかたちで、武田勝頼は足助城、野田城などの小城を落とし、その勢いで岡崎城へ向かおうとしますが、そのタイミングで大岡弥四...
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西播磨を南流する揖保川と、北西より合流する支流の栗栖川が形成する平野を東に臨む標高458mの亀山(きのやま)の山頂に、かつて城山城がありました。ここは、奈...
「その2」のつづきです。楯岩城本丸エリアに入りました。 ここは北西段曲輪のいちばん下の曲輪です。本丸エリアは、頂上の主郭を中心に北西南の三方に段郭が伸びて...
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「その2」のつづきです。Ⅱ曲輪群(伝二ノ丸)まで攻略したので、続いてその北側のⅣ曲輪群を歩きます。 Ⅳ-3郭です。何か水たまりがあります。井戸跡でしょうか...
「その1」のつづきです。置塩城南曲輪群を攻略しましたが、この城は東西約600m、南北約400mの範囲に70前後の曲輪があります。 次は南西曲輪群を目指しま...
姫路の北約8㎞、夢前川を遡った山間の小盆地に面した標高370mの城山山頂に、かつて播磨国守護として栄えた赤松氏の本城・置塩城があります。「おじおじょう」と...
「その1」のつづきです。仁位山城②郭から③郭へ向かいます。 ③郭です。ここも傾斜がついていて、自然地形って感じなんですよね。経年の堆積物でそうなってしまっ...
前稿で紹介した上月城の北東約500mという至近距離に、仁位山城跡があります。ここは、上月城の援軍として駆け付けた羽柴秀吉方が陣を布いたという説もあれば、上...
「その1」のつづきです。上月城主郭まで攻略したので、つづいて尾根伝いに西側の郭を攻めます。 主郭西側の虎口。縄張り図では桝形虎口になっていますが、微妙。。...
播磨国佐用町上月。現在の兵庫県佐用町には、かつて荒神谷川を挟んで北に大平山上月城、南に荒神山上月城がありました。城ははじめ大平山に築かれ、のちに荒神山に本...
長水城、篠ノ丸城を攻略したので、続いて聖山城を攻めます。聖山城は篠ノ丸城の出城だったともいわれ、天正8年(1580年)の羽柴秀吉による長水城、篠ノ丸城攻め...
「その1」の続きです。登山開始から約70分、長水城跡主要部に到着しました。 主郭下です。標高584mの長水山の山頂に築かれた城で、現在、主郭跡には信徳寺本...
前稿で西播磨の篠ノ丸城を攻めましたが、今回はその本城・長水城を攻めます。長水山城、広瀬城とも呼ばれます。長水城は篠ノ丸城とともに播磨国守護の赤松氏庶流の西...
「その3」のつづきです。篠ノ丸城二ノ丸の西側にある三重堀切を見にいきます。 二ノ丸(主郭という説も)の西側を見下ろすと、さっそく大きな堀切が。 降りてきま...
「その2」のつづきです。篠ノ丸城主郭まで攻略しましたが、城域はまだまだあります。 主郭西側の横堀。南側から見ています。右側が主郭を囲う土塁です。往時はもっ...
「その1」のつづきです。麓の最上山公園(通称もみじ山)で紅葉狩りを堪能したので、最上山北の通称「一本松」山頂に築かれた篠ノ丸城跡を目指します。 登山口です...
今回は2年前の紅葉の季節に訪れた、西播磨の篠ノ丸城です。篠ノ丸城は播磨国守護の赤松氏庶流の宇野氏の城と伝わりますが、近年の研究で、その宇野氏滅亡直後、あの...
今回のサブタイトルは「側室をどうする!」ですが、ひとまず側室の話は後まわしにして、少しだけ描かれた歴史のお勉強をしましょう。 三河一向一揆によって松平...
三河一向一揆の実際の戦闘の経緯については、史料によって情報が錯綜していて、月日などは明確ではありませんが、通説では、永禄6年(1563年)秋にはじまり、...
永禄6年(1563年)に起きた三河一向一揆は、徳川家康の長い人生のなかで、三方ヶ原の戦い、伊賀越えと並んで家康の三大危機とされる出来事です。その理由は、...
ヤマト、999、ハーロック、子供のころ夢中になって観たSF漫画の生みの親、漫画家の松本零士さんが逝ってしまいました。謹んで哀悼の意を表します。わたしの少年...
駿府で人質状態となっていた妻子を奪還した松平元康(のちの徳川家康)は、翌年の永禄6年(1563年)7月6日、名を「家康」に改めました。「元」の字は言うま...
前回に引き続き、駿府で人質状態となっている松平元康(のちの徳川家康)の妻子の奪還劇の回でしたね。前話はほとんどフィクションの回でしたか、今話は史実、通説...
昨日、作家の永井路子さんが亡くなられたという報道がありました。謹んで哀悼の意を表します。 永井さんといえば、やはり中世、特に鎌倉時代の作品ですよね。昨年の...
先日、映画『レジェンド&バタフライ』を観てきました。木村拓哉さんと綾瀬はるかさんという日本のトップスターの共演で、織田信長とその正室・濃姫を主人公とした物...
今回のサブタイトルは「瀬名奪還作戦」。今川を見限り、織田と手を結んだ松平元康(のちの徳川家康)でしたが、気がかりだったのは、妻の瀬名(築山殿)と長男の竹...
滋賀県蒲生郡日野町にかつてあった日野城は、古くは中野城と呼ばれていました。そこで、本稿では日野中野城と呼ぶことにします。日野中野城は、日野の領主・蒲生氏の...
今川氏真を見限った松平元康(のちの徳川家康)は、織田信長との連携に踏み切りました。通説によると、永禄5年(1562年)正月に元康が尾張の清州城に赴き、信...
今回は岡崎に帰った松平元康(のちの徳川家康)が、これまで通り今川に付いて織田と戦うか、あるいは、これを機に今川を見限って織田に与するかという、まさに「ど...
大高城に兵糧を運び込むという役目を成功させた松平元康(のちの徳川家康)でしたが、桶狭間の戦いによって今川義元が落命したという報せを受けると、その日の夜半...
どうするかは誰もが知っている徳川家康の物語が始まりました。長くて濃い家康の生涯ですから、どこを描いてどこを省くかが難しいところだと思いますが、第1話にし...
さて、今年の大河ドラマ『どうする家康』が、1月8日の日曜日から始まりますね。主人公はタイトルどおり、徳川家康。言わずと知れた戦国三英傑のひとりであり、江...
あけましておめでとうございます。皆さま健やかに新春をお迎えのこととお慶び申し上げます。 昨年も相変わらずコロナコロナの1年でしたが、さすがに3年目ともなる...
武士の時代を創ったのはだれか・・・という質問をしたとしたら、ほとんどの人が源頼朝か平清盛のどちらかの名前をあげるでしょう。わたしも、ひとりだけ名前をあげ...
さて、最終回。冒頭の徳川家康の登場には驚きましたね。たしかに、家康が『吾妻鏡』を愛読していたという話は事実です。三谷さんのアイデアかプロデューサーの企画...
遠縁ながらも源氏の血を引く摂関家の九条道家の子・三寅が次期将軍と決まり、三寅が幼少のあいだは北条政子が将軍を代行することになりましたが、三寅の4代目鎌倉...
「その2」のつづきです。水口岡山城跡伝本丸から伝二ノ丸へ向かいます。 伝本丸と伝二ノ丸の間に大きな堀切があります。 ただ、ここを訪れたのは令和3年(202...