時折気分で書き換えたりします、もちろん間違ってても!書きなぐりなので、そのつもりでお願いします
読む機会も今までなかったので毎日嫌いが多いのはどうしてかと思っていたが 今回の騒動で酷さを実感できた。 しかし いつもなら大臣などの失言に ワラワラとよって来て騒ぎたてる 人権の皆さんとかジェンダーフリーの皆さんとか 何処でなにをしているんだろう? 金にならないからか? おーい、なんでー
久しぶりに更新してみた。なにせ自分のブログのタイトルさえ忘れている始末、放置甚だしく候。 こんなタイトル通りのネットの海の端へまだ人が来ているのは少々驚き 来ているといっても今年に入って70人 しかしながら 一年近く更新してない落書きみたいなこのサイトに アクセスがあるんだ! と、まぁ少々感動してしまったのである。自分のため、書きとめるために始めた日記も 幾つかブログを渡り歩いて7年目。 結構いろいろ書いたけれどほとんど消してしまったし 読むに値するものも・・・・ ここに流れついてしまった皆様 ごめんなさい。
今年は盆が近づいても全く気がづかず なんだかさびしい気分。 最近はこちらの気候にもなれたのか 大して暑くも感じず これなら日本のほうが遥かに過ごし難そう。ここにきて英語力の上達はとまってしまった むろん努力不足というのはあるのだが どうしたらよいものか・・・・ それにもましてタイ語を覚えよとの上からの指令 はぁぁ 俺はその手の才能は持ってないんだよと 心の中で毎日思っておるのです。
こっちで暮らしてみて やっぱり思うことは 日本にいるときより遥かに暑いということ まぁ、当たり前だ。 平均気温でいえば東京と2℃くらいしか違わないはずなんだが ぜんぜん違うわ 地球温暖化の原因がなんにせよ 2℃違うとバンコクの気温になってしまう そう考えると地球ってのは繊細なんだねぇ としみじみ思うのである。
すごい アクセス でも どんな人が たどり着いてるんだろう そっちも 疑問だわ
仕事から帰ってきて お気に入りのブログなんかをチェックしてたら あれ?更新してないぞ?なんでや〜と 考えてたら今日は休日なのね 日本はこっちは休日が少ない くそぉ なんか損した気分だ。
仕事がいっぱいたまってる部屋もちらかりっぱなしあー俺ってだめ人間
シンガポールのバスの前面には行き先表示がありません。数字が書いてあるだけの味気ない面構えです。「そこに行くには198番に乗るんだ」とか「乗って三番目で降りろ」とか、行き先名とか降りるバス停とか会話にはあまり出てきません。だって車内放送ないし、目で覚える他ないわけで・・・。乗る時は乗るときで、慣れるまではメンドクサイ。一応バス乗降口付近で行き先経由地表示を確認できます、でもん、手を挙げないと止まってくれないでのです。まぁ、間違えて止めても乗らなきゃいいわけですが客と運転手の目が嫌いです。つづく
長崎も網の目のようにバス路線が張り巡らされていた街だったけど、シンガポールはそれ以上。いや、ほんと、近すぎますなバス停どうしが。MRTとバスが共通のICカードになっていて利便性がいいし、料金は安い。競合するタクシーが日本と比べると格段に安いので当たり前かもしれないけど、安さは魅力です。今年から長崎でも路面電車とバスが共通のカードが使えるようになるらしいです。ちょっとした利便性の向上が、生活にゆとりを加えてくれるとこちらに来て知りました。そうそう、こっちのバスは車内放送がないので慣れるまではどきどきです。
アクセスを見たら一週間に一人。こりゃ、傑作。まさに、ネットの海に浮かぶ絶海の孤島。まともにアクセスがあったの頃が少々懐かしかったりして。まぁ、どうしようもないな 記事もなけりゃ、半年に一回の更新じゃ。日本を出るときに、たまってたドウデモいい記事を、スパスパ削除してたら、いつのまにか「はてな市民」でも無くなっていたり。ホホホ。さて、日本から離れて何かが変わるのかと思ったけど、何も変わらないもんです。なんだか隣の県に引越す感じで海外に住んでしまいましたわ。こういうのは、適不適があるんだろね、幸い、特に心労もなく過ごしています。 困るといえば、やっぱり言葉。書いてあるのは読めたとして、同じことを口頭…
シンガポールに来て3ヶ月が経った。 まさか、こっちのローカルニュースで自分の故郷のことが、こんなにも大きく取り上げられる事になろうとは。安全だと思われている日本での、政治家の暗殺はそれだけショッキングな事件だったというわけか。 この事件がきっかけで、日本の新聞をネットで読むようになった。それまでは、こちらの生活に慣れるべく極力日本語を排除していた。しかし、気になって仕方がない。現市長を打ち負かせるだけの知名度を持った人など選挙前にいなかったはずなのだ。幾ら離れた街とはいえ、気になるものである。 長崎は、公式では最後の被爆地ということもあって、平和教育に力を入れている。市長が「核廃絶」をパフォー…
「ゲド戦記」の舞台である、アースーシでは真の名前は大きな意味を持つが、本当の名前を知ることで相手を支配するという話は世界中に散らばっているようである。それは、ファンタジーの世界に限らない。ジブリ作品では、「ゲド戦記」以外でも「千と千尋の神隠し」でそのような話が語られている。古代中国や日本でも、子供に、あえて、汚い名前をつける慣習があったようだ。汚い名前にすることで、悪霊から子供の名前を呼ばれないようにするためだった。また、力を持つものの名前をみだらに口にしてはならなかったり、昔は名前には相当気を使っていたようである。また、今の世にも、天皇の名前を呼ばないという名残が日本にも残っている
公開されて大分経ったが、今さらの「ゲド戦記」を見に行ったので、思いのたけを綴ってみることにする。まず、ネット上での評判の悪さから比べれば、そうも悪くはなかった。「あぁ、よかったなぁ」と感慨はなかったが、声を荒げるほど悪くはない。まぁ、私の基準はかなり甘く、それなりに何でも楽しめてしまうので一般的な基準からは大分離れてしまう点はあるかもしれないが。 キャストはいつものごとく、声優を極力はずしたかたち。宮崎駿が、声優嫌いなのは有名な話だが、監督がかわったんだし声優を使ってもらいたいが今回も俳優さんだらけである。小林薫は好きな俳優だが、「ホワイトハウス」やナレーションなどの声だけの出演だと、ちょっと…
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