ayetown さん プロフィール

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ayetownさん: 学校のおやぢ
ハンドル名ayetown さん
ブログタイトル学校のおやぢ
ブログURLhttp://blog.livedoor.jp/ayetown/
サイト紹介文学校・先生がんばれ! 子育てがんばれ! ドラゴンズがんばれ! ・・何にでも口を出す、学校のおやぢ!!
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供2回 / 365日(平均0.0回/週) - 参加 2005/06/13 23:35

ayetown さんのブログ記事

  • 変では変、当局の忖度
  • 過去記事からの引用です。 戦争、戦役、紛争、事変、戦い、乱、事件・・・。暗殺、変、謀殺、だまし討ち、闇討ち・・・。撤退、敗退、玉砕、転進・・・。実にいろいろな語彙が使われています。ところが・・・ 西南戦争の両軍の死者は1万5千くらい、日清戦争では3万4千人の死傷病者があったそうです。これらは戦争と呼ばれています。 一方、ノモンハン事件では2万弱の死傷者があったというのに「事件」なのです。変だと思いませ [続きを読む]
  • 世界をリード、しなくてよい
  •  最近、「短大での仕事も一段落かな」と思っていたところに、友人からの誘いがかかりました。 なにやら思うところがあって、彼の有限会社の活動の方向を変えたいとのこと。呼び出されて行ってきましたよ。 なかなか面白そうなピースがあるので、それを組み合わせると何かが出来そうです。 この件はまた今度ご報告します。 ということで久しぶりに夢日記をのぞいてみました。  読者の方、ごめんなさい。 一年以上もほったら [続きを読む]
  • 何度も問う。学校って一体なんなのだ?
  •  10月5日のロックアウトについてまた書きます。 老恩師はロックアウトではないという「名称論争」に引きずり込もうとしますが、言葉にはこだわりません。 日本語の面白いところは語彙がやたらと多いことです。特に事件や歴史的な出来事についてそれが言えます。そして、その出来事についての評価がいつのまにか語彙の使い方の議論になってしまって、話が分からなくなってしまいます。これは面白いというよりも困ったことという [続きを読む]
  • 君こそ誰よりもセクト的とパルタイが言った
  •  久しぶりの投稿です。 「とうこう」と打ったら登校が出てきたので、登校拒否という言葉を思い出してしまいました。登校拒否を不登校と言い換えて、なにか状況は変わったのでしょうか? 確かに格差拡大で貧困のために登校できない子は、拒否ではありませんがね。登校不能ですね。 しかし気持ちの根底には「拒否」という心情もあるのではないかと思われます。 ところで、今日、例の大昔の恩師から電話がありました。 本を出し [続きを読む]
  • 実習を楽しくするために
  •  実習に不安を感じている学生に送る言葉。「実習を楽しく過ごすために! 今日からの準備」 1 笑顔        2 挨拶 3 正しい言葉遣い 4 早寝早起き 5 体力と持久力 6 指導することを実践する 7 メモで観察力 8 日記と文章力 9 スマホ?ゲーム? 10 読書、実力の充実 番外 バイトの魅力と限界 番外 連絡と報告、大人の常識 番外 履き物、服装、化粧、髪と爪 というような事を書こうと思 [続きを読む]
  • もう一人のS君も執拗だった
  •  先にS君の質問の嵐について書きましたが、それを読み返しながらもう一人のS君を思い出しました。 そのS君も質問の嵐を浴びせてきました。 集会が続く日々のある昼休みに彼に呼び出され生徒会室で一対一で話し合ったというか、尋問を受けたというか、緊張の一瞬でした。 もし流血事件が起きたとしたら、1969年の11月の13日か14日かだったでしょうね。加害者が彼、被害者が僕という訳です。 彼が持っていたいかにもダサい学 [続きを読む]
  • 流れを自然に流し、対立軸を持ち込まない
  •  バッチ問題は一定の話題になったのだったかもしれません。 制服には教師たちは敏感でした。 そのこともあって、69年の日々には一挙に決議をして校則を変えてしまおうという誘惑がありました。しかし、そうはしなかったのです。 これも一種の守りの姿勢だったかもしれません。が、決議で水面下に引き上げてしまうと、いつか反動によって私服化の動きが正式に潰されるのではないかという考えがありました。せっかくじりじりと制 [続きを読む]
  • 制服問題の前にバッチ問題があった
  •  制服の自由化の問題については、それ以前に一つの問題がありました。襟章のカラーの問題です。それまで全校が海老茶色の襟章だったものがいつの間にか学年別の三色カラーに変えられたのです。それは明らかに生徒管理のしやすさを意図したものでした。 私は抗議のためというより、面倒くさいという気持ちから自分のバッチを変えることはありませんでした。 先生たちからは「お前は何年生だ」というよな言葉をかけられた覚えがあ [続きを読む]
  • 生徒はこうして排除された
  •  「あなたたちは、何から何を守るつもりなのか?」 「これはロックアウトだ」という問いかけに対して返ってきた答えに、皆さんはどう思われるのでしょう? ある先生は、言葉もなく下を見ておられました。ためらいがあったのでしょう。 しかし別の教師はこんなことを言いだしたのです。 「お前たちを仲間だと思ったことはない。それはここがエリート高校だからだ」「お前たちは今は民主主義とか革命とかほざいているかもしれん [続きを読む]
  • 反論可能性の保証こそが「財産」
  •  話がとびました。S君の疑問です。延々と続きます。当時の僕たちは多かれ少なかれ疑問をひねり出して相手に投げかけ、相手の言葉におかしなことがあったりするとそのおかしさを抉り出しといった作業を行っていました。 それは紛争の場面だったからそうしたのではなく、こうした理屈っぽい生徒たちがそこにはいたのです。一日中がこうした思考作業の山。言い換えれば批判と反批判。ですから天から降ってくるような結論を頑として [続きを読む]
  • 何から何を守るのかと、鉄格子を越えた問いかけがあった
  •  生徒と教師が鉄格子を隔てて話し合う光景は、まともな情景ではありません。それは刑務所とか鑑別所での面会場面を思い出させます。対立する国同士の国境や動物園を思い浮かべることも出来るでしょう。もっとも動物園では話し合いはありませんが。 そんな光景が1969年10月には高校の正門で繰り広げられていたのです。 裏門や通用口も見事に固められていました。格子の中に居るのが先生たち。生徒は道路から中に入れてもらえませ [続きを読む]
  • 楽で、易しくて、思い通りになるで進路選択
  •  もう一つきになったことが学生カップルの会話です。 彼が「中にするの?」と聞くと、彼女が「小にしたわ」と答えていました。 「中学校の実習で子どもがいう事を聞いてくれなかったし、仕事もきつかったから」 「きついのは嫌だよな」 「小学校なら多少は楽だと思うし、簡単でしょ教えることが。それに小さい子なら何とかなるからね」 試験対策本を前にして交わされていた言葉に先輩として何か言うべきだったでしょうか?  [続きを読む]
  • 母校の生協の書籍部で その1
  •  今日は勤務のない日だったので、思い立って母校に行ってきました。 目的は教育実習についての書籍の購入です。教育を冠する大学なのでそれらしいテキストがあるだろうと思ったわけです。以前はそうでしたから。 ところが収穫なし。というよりも書籍販売部分が大幅に縮小されて軽い小説や雑誌が大きな顔をしており、それと同じくらいの量の就職対策、教員採用試験、公務員試験対策の本が山積みになっていました。教育関係の本も [続きを読む]
  • S君の質問の嵐
  •  抽象的なスローガンが声高に叫ばれる中、妙に現実的な疑問を投げかける生徒がいました。 「封鎖? やろうじゃないのよ。やりましょう」「どこにする?職員室?」「校長室もいいじゃない」「で、水はあるの?トイレはどうする」「保健室じゃあ、なんだかカッコ悪いよね」、こうなると疑問の山で責めつけるのがS君の特技でした。 こうなると「そもそも論」とか「あるべき論」はたじたじです。演繹と分析の違いという事です。  [続きを読む]
  • 封鎖の合意が、空気として形成された
  •  ですから封鎖をするかしないかが、学生生徒の側からするととても大切なハードルだったのです。一方、封鎖をいかにさせないかが文部省県教委学校当局の側にとっての課題でした。封鎖があれば紛争校になってしまうのですからそれを防ぐのにやっきになるわけです。 地方のいわゆるエリート校であると自他ともに認められていた旭丘は「なんでもかでもリードするのが自分たちだ」という潮流というか自覚というような風潮があって、封 [続きを読む]
  • 紛争のパターン
  •  不思議なことに、それぞれの時代の「活動」はいつの間にかパターン化してアナロジカルな軌跡をたどります。 これは共鳴とか同期といったものなのでしょうか。 あるいは、活動の権威化とでもいうべきものなのでしょうか。 当時の大学高校では、特に東大安田講堂以降では、封鎖という言葉が一つのカギを握ることになりました。「封鎖をしないと学園紛争の仲間に入れない」とでもいうように。 そう考えると活動にはモードとがあ [続きを読む]
  • 時代と出来事と、書く理由
  •  昨日のこと名古屋経営短期大学のオープンキャンパスでS先生から「一連の文章はなんなのですか?」というご質問をいただきました。 時は1969年と70年、場所は全国の大学と高校、今回の場合は旭丘高校です。そこでの出来事を巡ってH先生が書かれた回想録があまりにもいい加減なので、私は怒ってしまったということです。これまで封印してきた記憶を全面開放してしまおうと企てています。 では、何のためにそんなことをしたのか [続きを読む]
  • 実は8ミリ映像があるのだ
  •  氏の文章から引用するだけではなく、他に証拠はないかと探すと、実は映像記録があるのです。証拠として十分でしょう。 それはO君が校長室の窓の外から撮影した8ミリ映画でした。彼は後に本格定期に久高島のイザイホーの記録映画をとることになるのですが、この自分はまだ8ミリ映画です。それは在学中に編集上映されました。ご覧になった方もいらっしゃるのではないかと思います。この映画についてはいつか述べることになるでし [続きを読む]
  • 微分的封鎖の作法
  •  こうした議論の中で彼は言いました。「封鎖をしなくてはならないという方針は諒解した」「しかしだ、それは時間的、空間的な規定があるのか」「そんなものはないだろう。だったら微分で行こう」 その意味は、誰かが補完しなくてはわからないものでした。 「微分ってなんだ?」 「一年でも一日でも封鎖は封鎖という事か?x軸の長さは決まってないんだろ」 「どんどん短くして、一時間でも一分でも封鎖だなあ」 「じゃあ一点 [続きを読む]
  • 100%の負け戦をどう戦いぬくのか
  •  『彼の一言で「封鎖のありよう」が決まった。それは「微分」の講義のようだった』と述べました。 クラブハウスでの連日の話し合いの中で封鎖についてが議論されていました。 やるか、やらないか。やるとしたら、いつ、どこで、いつまで。補給はどうするか。機動隊が導入された時の対応はどうする。 負け戦になることは100%分かりきった事です。しかも警察も県教委も職員会議も、封鎖への心構えは十分に出来ています。 しか [続きを読む]
  • 多士済々が議論し、団結していた
  •  当時の旭丘高校というのは多士済々。どんなことにでも専門家のような生徒がいるというおかしな学校でした。おかしなという言い方はなんだか変に思われる方もあるでしょう。 しかし、フランス語の小説を読む生徒とか、定期試験でほぼ満点をとる生徒とか、お経に詳しいが映画を撮る、不思議なコンピュータ用語(アップルⅡの発売は1977年のことに注意)を並べ立てる、漢文なら教師よりも詳しい、歴史にやたらと詳しい、毛沢東に詳 [続きを読む]
  • 目的は封鎖ではなく集会の成立だった
  •  ズバリ、言っておきましょう。当たり障りのない所で。 封鎖は、突入して封鎖宣言したとたんに自主解除というか退去するという計画だったのです。(それ故に、解除しただの排除しただのという手柄話は全くの無意味なのです。しかし、一つだけ疎漏がありました) 封鎖部隊は、魁です。いわば名誉あるアウロラ号だったのです。 同時に、封鎖実行を全校に触れ回るというグループがありました。 同時に、放送室を確保するというグ [続きを読む]
  • 今でも恐ろしい一日、ルビコンの11月11日
  •  11月11日を封鎖の日と思い込んでおられる先生方が、氏以外にも多すぎるのではないでしょうか。 あの日の主目的は、全校集会にあったのです。 もちろん全闘委の諸君にとって封鎖は避けることのできない目標ではあったのですが。 封鎖の意味と限界についてどれだけ議論を行ったか、今でもありありと思いだします。疑問を多く投げかけた私は、全闘委諸君の非難の対象でした。クラブハウスの三階では日々「ナオヤ、ナンセンス」の [続きを読む]
  • 封鎖は未遂? 既遂?
  •  ここで封鎖についての氏の捉え方の混乱を見てみましょう。 P13では「旭丘全闘委による封鎖未遂」 同、「校長室封鎖を図ったが職員の手で、突入生徒を直ちに排除…」 P25、「校長室封鎖の際も教職員の力で封鎖を解除して、未遂に終わらせた…」 同、「封鎖未遂の後、直ちに臨時の職員会議をもってアセンブリーにしたのです」 P28、「10名程度の2年生が乱入し、立てこもった。直ちに多数の教師が乗り込み、実力で排 [続きを読む]
  • ラファエロの理想と旭丘の幻滅
  •  ルネサンスの画家ラファエロの「アテナイの学堂」という絵には教えるものと教えられる者が一堂に会するように描かれています。 中世に至っても大学は学生や教授の組合みたいなもので、定まった学舎を持っていなかったところも多かったそうです。 大学によっては学生組合が実権を握っていたり、教授陣の力が強かったりといろいろなパターンがあったようですが、いずれも人が中心で、人間関係が第一にあると考えられていたことが [続きを読む]