ceramist さん プロフィール

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ceramistさん: 窯ぐれ
ハンドル名ceramist さん
ブログタイトル窯ぐれ
ブログURLhttp://clayart.at.webry.info/
サイト紹介文陶芸・陶造形作家、羽鳥誠の作品とエッセイ
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供12回 / 365日(平均0.2回/週) - 参加 2005/06/16 18:44

ceramist さんのブログ記事

  • 過去の記事 …
  • 素描、今週の一枚
  • 今週の一枚はこれ、と言っても、一枚のみを提出するのは、何時もながら難しい。自分のテーマ沿ったものなのか、数ある中の出来栄えであるのか、ポーズの面白味にするか、悩むところである。この一枚は、対象がつくりあげる起伏、思わぬ処にできる弛みに芯先が誘われたと言うべきか。立ち会うものの確認作業が臨場感となって表現されているならば成功であろう。 [続きを読む]
  • 国際陶芸ビエンナーレ
  • The 8th Gyenggi International ceramic Biennale 2017, International Competition GICB 2015韓国国際陶芸展は、長たらしいが、これが正式の名称である。陶芸の世界的コンペティションは、現在4つあるとされる。わが日本もあるが、日本の常として、「伝統」の横槍が入り込み、それは根強く権威的である。得てしてそうではあるが、それはまた芸能人的軽さのフットワークに縁どられている。それが、解放された存在であるかの... [続きを読む]
  • 素描、今週の一枚
  • 今週の一枚はこれなり。対象なるものと立ち会う時間は、出来るだけ少ない方が良い。目紛しい私の立ち上がりが運筆にも反映される。即ち、それが臨場感を定着させる。今週の一枚とはならなくなるが、参考に下の作品は、やや時間をかけてある。描き込んだものはそれなりにそれなりであるが、何方かというと、破調の雅味からは遠くなるだろう。 [続きを読む]
  • 素描、今週の一枚
  • ボリューム感のない対象には、やはり興が湧かない。やり辛さがある、掴みがないということか。これは、対象をややデフォルメして全体を塊として捉えた。一瞬という数分、あるいは数秒のスクロールこそが臨場感ある痕跡を残す。陶芸における施釉の流し掛けに通ずるものがそこに存在するだろう。数秒に過ぎない - それは間違いであり、その数秒とは、これまでに背負ふてきた全行程そのものが付加されているということだ。 [続きを読む]
  • 素描、今週の一枚
  • 今週の一枚は、これなり。素描を描くとは、それぞれの造形的立場から、様々な思念がそこに存在する。クロッキーは、最もそれを端的に展開させる作業である。空間をそこに出現せしめねばならない、対象を「物体」としての塊と出来せねばならない。無数にスクロールされる線が見る者そのものであるからにして、況んや、その「もの」に彩色をし、その場の臨場感を台無しにしていないか、云々である。 [続きを読む]
  • 素描、今週の一枚
  • 週毎の描き上げた素描作品を展示し、これらの作品を公的性格を具有する批判の対象としたい。今週のアップ画像は、これ、昨日、出掛けたおりの一枚なり。まだ描写の用材が定まらない。三菱鉛筆ハイユニは滑らかであるが、描き込むおりに立ち上がる対象との対話が不満なり。 [続きを読む]
  • 太平洋美術にて、再び素描を始む
  • 既に数十年が過ぎた今、、いまも大学受験と研究所なるものに通うことは、進むべくその美術教育を受ける者にとって必須のことであろう。彫刻の学科に入学する為、浪人時代を含めて3ケ所のその筋の研究所に次々と通ってみた。中でも自分にとって一番肌身に合った所が、当時の太平洋美術学校であった。いっとき、受験デッサンから離れたことは抱える脅迫的不安からの解放でもあった。日暮里駅の西口を出て、喫茶店ルノアールを過ぎ、 [続きを読む]
  • 謹賀新年 2017
  • 既に数十年が過ぎた今、、いまも大学受験と研究所なるものに通うことは、進むべくその美術教育を受ける者にとって必須のことであろう。彫刻の学科に入学する為、浪人時代を含めて3ケ所のその筋の研究所に次々と通ってみた。中でも自分にとって一番肌身に合った所が、当時の太平洋美術学校であった。いっとき、受験デッサンから離れたことは抱える脅迫的不安からの解放でもあった。日暮里駅の西口を出て、喫茶店ルノアールを過ぎ、 [続きを読む]
  • 国際陶芸展とステートメント
  • 「非色;他者性(10-28-6)」、作品は、2017年に開催する韓国国際陶芸展に出展が決まった。さて今日、世界中に如何程の国際と称する公募展が存在するのだろうか。それは驚く程の数であることには間違いないであろう。また、近年、東欧の伝統的に工芸芸術の優れた国が、ビエンナーレ、トリエンナーレの開催を創設した。これはインターネットの発展が大いに寄与していると思われ、この様にそれは枚挙にいとまがない。私は出来る [続きを読む]
  • 既製の振る舞い
  • 最近よく、聞く言葉にエスタブリッシュメントなるものがある。既存の枠組みを語るものなのだが、既存のものに潜む権力性には、現状を維持する力が込められるし、伝統的振る舞いとしてのいわゆる品格を身にまといつつ前景化される。すなわちそこには、本音の部分が隠される状態となって現れる。現状に倦怠を覚えるものにとっては、それは耐え難い忍耐を強いることとなる。良くも悪くも場面の転換が必要となるのである。 [続きを読む]
  • ラトビア、マーチンソン賞陶芸展
  • 作品「非色:他者性(06−28−2)、133.0-40.0-9.5cm。この作品は、第1回のラトビア・マーチンソン賞陶芸展(国際)に出展が決まった。来る7月15−9月10日まで Daugavpils Mark Rothko Art Centre にて展示されるだろう。マーチンソンは、ラトビアの陶芸家の名を冠したものである。氏とは、20年前に招待をされたリトアニア国際陶芸シンポジウムで、ひと月を過ごした。何よりも、彼は、フィアンツェの国際 [続きを読む]
  • 季節の挨拶
  • は、陶芸のみならず日本の美術、芸術の社会的基盤その構造現場において、文化としてのあるべき "かたち" をもとめます。ひとがひとである為に、そこに堆積されるもの全ては、批評と評価の対象であり、自らもまた歴史の文節を担うものであります。羽鳥 誠(プロフィール) All Copyrights Reserved (c) HATORI Makoto , 2005-2015 [続きを読む]
  • 2015年、談話 -忖度としての他者性 -
  • 伝統への対峙 ー これがわたしの一貫した制作の立脚点である。伝統とはあたかも忖度を拒否するかのごとく屹立してるものの、伝統とは必要とされる歴史的、ある人々のある空気 ー「都合(知恵)」である。それがつくられしものなら、いつ如何なる時代においても、わたしたちはそれを壊すことは無論つくり変えることも可能なのである。伝統がそのように永劫不動のものでなく、それをつくる人も流れ行く三世の因縁に生きる。伝統的日 [続きを読む]
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