にゃおすけ さん プロフィール

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にゃおすけさん: ボラボラわーるど 〜旅と街道歩きブログ〜
ハンドル名にゃおすけ さん
ブログタイトルボラボラわーるど 〜旅と街道歩きブログ〜
ブログURLhttp://borabora.seesaa.net/
サイト紹介文五街道、地方の街道歩き情報、ルート、テクニック、裏技など。おすすめ観光地や100kmウォーク情報もあり。
自由文東海道などの旧街道での長距離ウォーキング。ルートの調べ方や装備、道中案内も載せています。街道については中山道や甲州街道、日光街道、北国街道、西国街道の他、大阪の街道、高野山、伊勢への道、熊野古道が強い分野です。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供33回 / 365日(平均0.6回/週) - 参加 2005/08/10 13:36

にゃおすけ さんのブログ記事

  • 五街道を踏破しての雑感など
  • ついに五街道を踏破しました!五街道とは・・・東海道 、中山道 、甲州道中、日光道中、奥州道中(一部)は、幕府の道中奉行が管理し良く整備されていた道のこと。街道名を見るとそうそうたる名前が並んでいますが五街道踏破は街道ウォーカーの中には目標や夢とする人がいます。最初の街道歩きは2009年の東海道でした。かれこれ8年近くも前の話です。当時の意気込みを振り返ると誰かに触発されてというものではありませんでした。 [続きを読む]
  • 奥州街道十次その4・芦野宿→女石追分→根田宿
  • 奥州街道の五街道区間ラストの行程です。↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。芦野宿を出ると目の前に立派な木が現れます。「遊行柳」西行法師が休んだといわれ松尾芭蕉も唱を詠んだという有名な場所です。『田一枚植て立ち去る柳かな』柳というと近代の日本ではお化けが出るイメージがありますが昔は風流なイメージがあったそうです。ここからは緩やかな勾配が県境まで続いていきます。国道沿いを進んで [続きを読む]
  • 奥州街道十次その3・大田原宿→芦野宿
  • 五街道踏破まであと一歩。ここで改めて五街道のことを書いてみますと江戸幕府道中奉行の直轄下の特に重要な道筋のことで東海道、中山道、甲州街道、日光街道、奥州街道。これら5つの街道を総称して呼ばれています。奥州街道については白河から先は別管轄になるので五街道としては白河で一区切りするのが一般的です。↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。大田原宿を出ると長閑な道筋が続きます。那須らし [続きを読む]
  • 奥州街道十次その2・氏家宿→大田原宿
  • ひさびさの関東での街道歩き。今回の遠征で五街道踏破となりました。↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。氏家宿は江戸時代は鬼怒川の水運で発展した宿場でした。特産物の集積地だったので旅籠も大変な活況だったのですが現在の中心部は交通体系の変化でひっそりしてます。これはこれで昭和の雰囲気があって良いですね。この立派な門は江戸時代の絵図にも描かれているものです。氏家周辺は水害が多く常に [続きを読む]
  • 奥州街道十次その1・宇都宮宿→氏家宿
  • 長い長い奥州街道のはじまりです。まずは宇都宮宿から氏家宿まで歩きました。↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。日光街道との追分。左が日光。まっすぐが奥州街道です。本陣を含めた宿場の中心部はこの先にあるのですが日光街道はその手前で分かれてしまいます。これは宇都宮宿が出来た経緯が関係しているようです。元々は二荒山神社の門前町で中心に街道が通っていたのですが宇都宮城が築城されると城 [続きを読む]
  • 『街道プレゼン』熊野古道と街道マップのこと。
  • 今回は先日の街道シンポジウムで発表しました熊野古道と街道マップについてをテーマに話していきます。熊野古道は平安時代がピークの信仰の道です。その後は時代とともに衰退していくわけですが世界遺産登録を機に再び脚光を浴びています。和歌山県の街道概要(わかやま観光情報のページより)いわゆる「熊野古道」と名前が付いてる道筋は出発地点や目的の違いから幾重ものルートがあります。江戸や伊勢神宮方面からの「伊勢路」高 [続きを読む]
  • 【街道シンポジウム】 信楽道・信楽→水口宿
  • 街道シンポジウムの一環で歩いてきました。↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。信楽というとタヌキの焼き物で有名ですよね。駅では巨大な信楽焼が愛嬌を振りまいていました。タヌキの置物ばかりのイメージが強いですが、実は信楽焼全体の一割ぐらいなんだそうです。信楽の場所は奈良や東海地方との交通路上にあって、紫香楽宮が設置されたほどの歴史的な場所でこのような場所を通る信楽道は人と物流の重 [続きを読む]
  • 熊野古道中辺路その6・那智大社→速玉大社
  • 大門坂を下って海沿いへ。中辺路歩きラストの区間です。↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。大門坂は綺麗に整備されています。石畳には苔が少なく大雲取越と大違いです。那智大社へと向かう逆方向は観光客が多めです。気軽に歩ける熊野古道ということで坂の下にある駐車場に車を置いてから大門坂を上って、バスで駐車場に戻るパターンが人気のようです。多富気王子跡。大阪から点在していた九十九王子の [続きを読む]
  • 100キロウォーク攻略まとめ(新)
  • 2年ぶりに大阪YHが主催する大会に参加してきました。→一発チャレンジ!100キロ24時間ウォークhttp://osaka-yha.or.jp/2017/04/21/2176.html他の大会と比べると高低差はほとんどなく、100kmといえど難易度は低い部類になります。ただし途中で点呼を行う足止めがあるので自分のペース配分で歩きたい人にとっては辛いところでそれが逆にキツイという歩きの達人の声もあります。以下に今回や過去の経験を踏まえながらのテクニ [続きを読む]
  • 熊野古道中辺路その5・小雲取越えと大雲取越え
  • いよいよ那智大社へ。人気のコースをたどっていきます。↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。熊野古道中辺路を本宮大社に着いた後は川の参詣道で速玉大社を目指すのが一般的でしたが現在は残念ながら船便がないので叶わぬ夢です。そこで今回は先に那智大社に向かうことにしました。元々の小雲取越の入口。新しい小雲取越の入口。まずは小雲取越です。スタート地点は国道の横から登る形ですが本来の登り口 [続きを読む]
  • 熊野古道中辺路その4・赤木越えと大日越え
  • 今回の中辺路は湯の峰温泉を経由するルートになります。↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。熊野古道の歴史は古いことから時代によってルート変更はよくあることで本宮大社近くの赤木越えもその一つになります。大阪から始発電車に乗って紀伊田辺でバスに乗り換えたのですがここは外国か!というぐらいの外国人の集団。さすがは世界遺産というだけはありますね。赤木越えは中辺路の三越峠が本来の起点に [続きを読む]
  • 熊野古道中辺路その3・近露王子→熊野本宮大社
  • 峠が続きます。↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。元は宿場だったという近露王子付近。広々とした平地が広がっています。ずっと山道が続いていたので新鮮な気分です。集落の出口にある楠山坂は地道でした。ぐんぐん登っていくと尾根に出ます。遠くを眺めると通称「乙女の寝顔」が見えてきます。古道からは上を向いてる顔の部分しか確認できないのですが場所によっては女性が横たわるように見えるそうで [続きを読む]
  • 熊野古道中辺路その2・鮎川王子→近露王子
  • 中辺路のハイライトの一つ。牛馬童子と出会える区間です。↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。鮎川新橋で富田川の右岸へ渡ります。山裾に沿うようにウネウネと旧道が通っているわけですが近年はショートカットするように道筋を改良してる場所を多くみかけます。たとえばこういうところ。山では水が流れるところに谷を形成していきます。そういう谷は昔は谷底に降りるか山沿いに迂回していたのですが谷底 [続きを読む]
  • 熊野古道紀伊路その9&中辺路その1・南部→鮎川王子
  • いよいよ中辺路へ。↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。暑い時期は朝のうちに距離を稼ぎます。海の眺めが綺麗な堺漁港。漁港の先からの海岸線は護岸整備されてないので昔ながらの岩がむき出しの海岸になっています。コンクリ壁には郡界石が埋まっていました。ここが南部と田辺の境目にあたります。芳養(はや)王子跡は今の芳養大神社。秋に5〜7歳くらいの子どもを着飾って大人が肩車をする「美女万歳」 [続きを読む]
  • 熊野古道紀伊路その8・御坊→南部
  • 育児で5月から休んでいた街道歩きですが3か月半たった8月に再開できました。↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。朝から降り注ぐ真夏の日差し。スタートの御坊駅は特急が止まる主要駅ですが市の中心部はというと紀州鉄道の西御坊駅付近で本願寺日高別院の寺内町として発展しています。穏やかな流れの日高川。河口に現在の市の中心部があります。本願寺日高別院は1500年代の創建なので平安時代の中心は熊 [続きを読む]
  • 西国三十三箇所めぐり。葛井寺と壺阪寺。
  • 西国三十三箇所めぐり5番札所は大阪府は藤井寺市にある「葛井寺」です。藤の寺としても有名です。”藤まつり”が4月中旬から始まっていて白や紫の藤の花が咲き誇っていました。山号は”紫雲山”といいますし、藤の季節に訪れるのがベストでしょうか。葛井寺の前には東高野街道が通っています。京都から高野山へ行く道でもあるのですが4番の槇尾山からの利用者も多く利用したと思われます。門前には立派な道標がありました。道標に [続きを読む]
  • 大文字山からの京都の絶景と明治の香り
  • 如意ヶ嶽の支峰である大文字山は、毎年8月16日の「五山の送り火の大文字」で有名で山上や火床からは京都市内を一望することができます。大文字山へは幾つか登山道があるのですが一般的なのは銀閣寺から登るものです。急登ですが最短距離で登ることができます。今回は三条から東海道を進み、蹴上、南禅寺を経て、山頂、火床、銀閣寺を経由して吉田山、京大に至るルートです。ルートを先に明かしちゃいましたが今回はミステリーツア [続きを読む]
  • 熊野古道紀伊路その7・湯浅→御坊
  • 熊野古道で現存している最長の石畳を楽しめる区間です。↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。湯浅駅近くのJR線をくぐると昭和の雰囲気が残っていました。「すぐ勝楽寺」の道標。指差しがいい感じ。湯浅は古い町だけあって寺が多いですね。紀伊國屋文左衛門の碑。紀州みかんや塩鮭で富を築いた話で有名なのですが不明な点が多くて架空の人物とする説があるそうです。久米崎王子跡を過ぎると広川沿いを進み [続きを読む]
  • 熊野古道紀伊路その6・海南→湯浅
  • 峠が3か所あるダイナミックな区間です。↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。熊野一の鳥居跡。今は何も残っていませんがかつては巨大な鳥居が立っていました。いわば熊野の玄関口にあたる場所で中にはこの先にある藤白神社でお参りして満足すると引き返して帰った人も少なくなかったといいます。藤白は全国の鈴木性のルーツともいえる場所です。熊野の神職で神聖な「すすき」というのがあるのですがこれ [続きを読む]
  • 熊野古道紀伊路その5・紀伊駅→海南
  • 大坂から続く紀伊路。和歌山県からは主に平安時代の道筋を辿っていきます。↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。大阪府との境で紀州街道と分かれます。曲がり角の墓地の中にあった道標はすっかり墓と同化してしまってました。左 和歌山 及 紀三井寺右 加太淡島神社大阪府内では熊野街道と案内されていた道筋ですが和歌山県内では熊野古道と熊野街道と名称が分かれています。この名称の違いは一般的には [続きを読む]
  • 淡路街道・和歌山市西ノ庄→粉河
  • 淡路と名前が付いていますが淡路島、四国と関係のある和歌山県北部の街道です。↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。和歌山市は西ノ庄。放射冷却の影響でかなり寒い朝でした。淡路街道は大和、紀伊北部から紀ノ川沿いに四国と淡路島の拠点である加太港とを結んでいます。このルートは古代の南海道の道筋にもあたり地方街道ながら重要な役割を担う街道でもありました。加太〜西ノ庄の間は前に淡嶋道として [続きを読む]
  • 北信貴街道と信貴山旧参道・八尾→信貴山→平群
  • 八尾から高安山越えを寒い時期に歩いてきました。 ↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。信貴山は人気のあるお寺で特に寅年には大勢の人が訪れます。河内平野から信貴山へ向かう街道は幾重にありますが北信貴街道は遠く伊勢にも続く道筋です。八尾の中心部よりスタートします。市街地の中にも関わらずこの旧道のクネクネ具合。たまりませんね。やがて街道は桜の名所の玉串川にぶつかります。南北5キロもの [続きを読む]
  • 北国街道を完歩しての感想とか
  • 北国街道をようやく踏破できました。北陸というと日本海側の雪深い土地柄なので東海道とは違った風情を楽しむことができました。まず、北国街道という名前ですが資料や地域によって呼び方が様々なのでどの名前で統一して歩いていこうか悩みました。現在、北国街道として一番脚光をあびているのは中山道追分から長野市を経て新潟県高田までの区間でしょう。海野宿、上田、善光寺、妙高高原と見どころが豊富ですし道中にはあちこちで [続きを読む]
  • 北国街道その19・田中宿→追分宿
  • 長かった北国街道歩きは今回がラスト。↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。田中宿は千曲川氾濫や大火などを乗り越えてきたのですが昔の面影は近年の道路改修によって少なくなっています。この本陣の門は唯一と言ってもいい遺構です。電線が地中化されているのはいいですね。上の写真の行灯も風情があっていいものです。一見は普通の町並みなのでこういう宿場だったよ!的なものがないと宿場だった過去を [続きを読む]
  • 北国街道その18・矢代宿→田中宿
  • 春うららな道中。難所が2つもある大変な区間です。↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。放射冷却で極寒だった屋代駅前。大阪からの夜行バスで長野入りしました。ちょうど桜が満開でした。元禄年間に作られた寂蒔(じゃくまく)の土手。千曲川の水害から守るためのものです。しばらく千曲川と平行していきますがこのような水害対策を随所で見かけることができます。戸倉宿は下戸倉宿と上戸倉宿と分かれて [続きを読む]