ZIPANGU さん プロフィール

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ZIPANGUさん: 舞絽倶 日本文化と服・小物
ハンドル名ZIPANGU さん
ブログタイトル舞絽倶 日本文化と服・小物
ブログURLhttp://zipangu.cocolog-nifty.com/blog/
サイト紹介文みやび(雅)わび(侘)さび(寂)いき(粋)いなせ(鯔背)を受け継ぎ、お召しものを通して語る舞絽倶。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供35回 / 365日(平均0.7回/週) - 参加 2005/08/15 12:35

ZIPANGU さんのブログ記事

  • 高松塚古墳 被葬者は忍壁親王と 599
  • 第17回高松塚古墳壁画修理作業室公開が5/13〜5/19に。今年は1月に続く2回目。「高松塚古墳・キトラ古墳」(文化庁)この公開に先立ち、NHK 歴史秘話ヒストリアにて「飛鳥美人 謎の暗号を解け〜高松塚壁画のヒミツ〜」と銘打ち壁画をデジタル処理で復元。お見逃しの方はこちらでご確認を「『飛鳥美人』の謎に挑みます!」「よみがえる飛鳥美人 国宝・高松塚古墳壁画のヒミツ[前編]」「よみがえる飛鳥美人 国宝・高松塚古墳壁画の [続きを読む]
  • 古事記時代の日本人と倭言葉 598
  • 古事記時代、飛鳥を本拠とした倭国人のリーダー達は日本列島に住まう方々を「日本(やまと=ひのもと)」の国の人々としてかの時代大帝国であった「唐」のリーダへ表明。そして、それは、702年の出来事。(702年 天皇の命を受けた粟田真人、山上憶良ら唐への渡航成功)とは云うものの近現代の「国民国家」の範疇とは全く異なります。国境は曖昧、話す言葉は色々の呈。特に沖縄諸島、九州南部(隼人)、東北・北海道(蝦夷)に住ま [続きを読む]
  • アフリカの母 日本人 倭言葉 597
  • 万葉集執筆者達が編み出した云われている「万葉仮名」。倭言葉(やまとことば)はお隣中国王朝に命名された「倭」に住まう方々が意思疎通で使っていた言葉。古事記・日本紀(日本書紀)が書物として書き上げられた時代は8世紀初頭。700年 律條を撰修(翌年大宝律令として完成)701年 粟田真人(執節使)を唐へ派遣されるも嵐で失敗702年 粟田真人、山上憶良ら唐への渡航成功この際、ヤマト⇒「倭」表記に対し新たに「日本(やまと [続きを読む]
  • 万葉集⇒訓仮名漢文調 古事記⇒一字一音仮名 596
  • 前回、万葉集と古事記の表記違いを指摘しました。(「古事記曰 軽太子姧軽太郎女」)万葉集は「訓仮名漢文調」、古事記は「一字一音仮名」表記。「日本語」表記に於ける時系列は先ず歌表記を漢字を用いて「一字一音仮名」 ⇒ 「訓仮名漢文調」へと辿った事になります。古事記の歌は基本的に「一字一音仮名表記」ですが「訓仮名漢文調」表記を思わせる箇所が残っています。そこは、帝位継承が危うい中での「意冨祁命と袁祁命の登場 [続きを読む]
  • 古事記曰 軽太子姧軽太郎女 595
  • 万葉集がいつ成立したのか未確定ですが万葉集に古事記・日本紀の表記がありますので「国立国会図書館 電子図書館 万葉集 紀州本 巻第二 p11」万葉集は古事記・日本紀(日本書紀)成立以後に執筆された事に。ここの個所で万葉集が取り上げた歌は古事記。「君之行氣長久成奴山多豆乃迎乎将徃待尓者不待」君之行 (君が行き)氣長久成奴 (日長くなりぬ)山多豆乃 (山たづの)迎乎将徃 (迎へを往かむ)待尓者不待 (待つには待 [続きを読む]
  • 万葉集に古事記・日本紀の表記 594
  • ちょいと、三か月程、長旅に。日本は遅咲きの桜満開。すっかり「古事記」から遠ざかっておりました。前回までは太安万侶の「古事記」創作・執筆背景を考察しました。今回は遠く万葉集を紐解いてみます。原典はWebで確認可能な「万葉集 紀州本」です。「国立国会図書館 電子図書館 万葉集 紀州本 巻第二 表紙」こちらの11P、6行目に「古事記(曰)」と出現しているのです。  古事記曰軽太子姧軽太郎女故其太子流於  伊豫湯也此 [続きを読む]
  • 太安万侶ドラマ創りに邁進 593
  • 持統女帝は時の経過をじりじりとじっーと?過ごし、即位から7年後、持統女帝(53歳)は待ちに待ちきれず軽皇子に譲位。ここに文武帝が即位。(697年)文武帝は御年、15歳(満14歳)。無理矢理の呈を隠せませんが彼女にとってはギリギリの選択。彼女の再構築した体制(天孫降臨)は成就したのです。この結果を受け初めて、古事記編纂者は「天孫降臨」ドラマ創りに邁進、編集し直したのです。この古事記創作編纂者は太安万(萬)侶。 [続きを読む]
  • 古事記編纂が頓挫する状況に 592
  • 遅ればせながら、「明けオメ」です。皆様におかれましては「良いお年」をお迎えの事と。今年も、何卒、宜しくお願いネ!それでは、昨年の暮れに展開しました様に「古事記編纂の目論み」は「天孫降臨」を正当化する事と判明しました。そうであるなら、どちら様が企図したのか?古事記編纂の云い出しっぺは天武帝でした。(681年)天武帝の命でお仕事に関わった方々は基本的に天武帝の御代に仕上げ・献上する段取りで勤しんだと考え [続きを読む]
  • 持統・元明女帝の力強い執念 591
  • 神倭伊波礼彦命は神武帝。彼が我が倭国(日本)を統一したお方に措定されています。古事記は推古女帝迄の記述ですが、日本書紀はだめ押しを押す如く持統女帝の文武帝への譲位迄で幕を閉じています。そして、この「天孫降臨」ドラマが現実に再び起こるのです。707年 06/15文武帝(25歳)崩御707年 06/15文武帝の母、阿閇皇女(元明女帝)(47歳)践祚707年 07/17元明女帝即位714年 06/24元明女帝のお孫さん、首王子(14歳)が皇太子 [続きを読む]
  • 海幸彦と山幸彦物語の天孫降臨隠喩 590
  • それでは、「海幸彦と山幸彦物語」を紐解いてみます。太安萬侶の深謀遠慮がとても垣間見えます。この物語の登場人物をかの時代に実存した人物に準えて見ます。綿津見神⇒ 天智帝海幸彦⇒ 大友皇子江>山幸彦⇒ 大海人皇子(天武帝)山>豊玉姫⇒ 鸕野讃良皇女(持統女帝)玉依姫⇒ 阿閇皇女(元明女帝)鵜葺草葺不合命⇒ 草壁皇子神倭伊波礼彦命⇒ 軽皇子(文武帝) 脇を固める 一尋和邇⇒ 和珥 [続きを読む]
  • 壬申の乱〜天孫降臨は海幸彦と山幸彦に 589
  • 壬申の乱を経て、天武帝即位から持統女帝即位、そして持統女帝のお孫さん文武帝即位に至るこの人間関係・模様が「『天孫降臨』のモデル」と以前お話ししました。このモデルドラマがなな何と、古事記「海幸彦(火照命)と山幸彦(火遠理命)」にて描写されていたのです。取り急ぎ、以下をご確認下さい。「海幸彦と山幸彦 古事記原文」「魚食系の海幸彦と肉食系の山幸彦」「肉食系の火遠理命=山幸彦の合理主義」「火遠理命=山幸彦 [続きを読む]
  • 持統女帝譲位 文武帝即位 588
  • 舒明帝以降の人間模様と人の性をご覧頂きました。690年 01/01持統女帝(鸕野讃良皇女)即位以降、690年 07/05高市皇子が太政大臣に694年 12/30大和の藤原宮に遷都696年 07/14高市皇子薧じる(30歳)697年 02/16軽皇子を皇太子に697年 08/01持統女帝が譲位 草壁皇子と阿閇皇女の息子さん 軽皇子(文武帝)=持統女帝のお孫さん(15歳)が即位上記の [続きを読む]
  • 持統女帝目眩く願い男子帝位継承 587
  • 壬申の乱に勝利した大海人皇子翌年即位。673年 02/27天武帝即位 鸕野讃良皇女(後の持統帝)が皇后に679年 05/06吉野の盟約 6名に皇子の序列決定 草壁 大津 高市の順681年 02/25草壁皇子(20歳)が皇太子に681年 03/17天武帝が「帝紀及上古諸事」の編纂を親王等命じるここに晴れて天武帝・鸕野讃良皇女⇒草壁皇子体制がスタート。順風満帆な日々が続く筈が好事魔多し。鸕野讃良皇后が体調不良(680年)に陥る(薬師寺建立)。鸕野 [続きを読む]
  • 壬申の乱 帝位継承争い 586
  • 人間模様を確認しましたので、お次は人の性(さが)が織りなす「諍(いさか)い」について。日本史に於いて600年代権力闘争のビッグイベントは何と云っても1 645年 乙巳の変2 672年 壬申の乱に尽きます。ここでは阿礼の誦習、太安萬侶の古事記編纂時期に近い壬申の乱を取り上げてみます。先ずは時系列から661年 07/24斉明女帝崩御により中大兄皇子が称制662年 大海人皇子と鸕野讃良皇 [続きを読む]
  • 「天孫降臨」のモデル 585
  • 先週ご紹介した「舒明帝以降の帝関連人間模様」、ご覧頂けました?未だのお方は是非お目通しを。ご覧頂けると一目瞭然。何と、天智帝のお嬢さんの内4名も天武帝に嫁いでいる事実。これには驚き。天智帝が天武帝に何かしら弱みがあったのか?天武帝が思いの外「心温かいイケメン」だったのか?又、夭折した草壁皇子は叔母様(阿閇皇女)とご夫婦に。しかし、草壁皇子の叔母様は僅か一歳年上の姉さん女房。いたって世代的には特に問 [続きを読む]
  • 舒明帝以降の帝関連人間模様 584
  • 舒明帝以降の帝に関連する人々が織りなす人間模様を整理・整頓してみると舒明帝(593〜641)皇極女帝(594〜661) 天智帝(614〜672) 間人皇女(?〜665) 天武帝(622〜686) 天智帝 (蘇我遠智娘)  大田皇女(?〜667)  鸕野讃良皇女(645〜697)  建皇子(651〜658) (蘇我姪娘)  御名部皇女  阿閇皇女(661〜722) (蘇我常陸娘)  山辺皇女(?〜668) (阿倍橘娘)(?〜681)  明日香皇女 [続きを読む]
  • 古事記編纂迄の30年間 583
  • 天武帝が阿礼に「稽古照今」、誦習を命じ、太安萬侶が古事記編纂したこの30年間の倭国、及び、日本のリーダーと文化は*稽古照今・・・古(いにしえ)を稽(かんが)え今に照らす682年 08/14 隼人の相撲を宮中にて観戦683年 05/19 銅銭を用いる684年 10/01 八色の姓を定める684年 10/01 諸国大地震 土佐の田圃陥没で海に 伊豆海中に一島685年 09/10 始めて神宝を伊勢神宮に奉る685年 09/15 諸国の風俗・政治を巡察する686年 [続きを読む]
  • 古事記編纂期間 128日 582
  • 天武帝が681年に「帝紀」及び「本辞」の修正を舎人の阿礼に命じてから年月が流れてドンブラコ。太安萬侶が元明女帝に古事記編纂依頼された日が711年 和銅四年九月十八日太安萬侶が元明女帝(661〜721 在位707〜715)に古事記謹上日が712年 和銅五年正月廿八日この間、僅か「128日」を以て太安萬侶は古事記を書き上げたのでした。「超高速!古事記編纂」ってな感じでは?しかし、先週紹介しました「姓稗田名阿禮(礼)」にて681年03 [続きを読む]
  • 姓稗田名阿禮(礼) 581
  • 天武帝が「帝紀」及び「本辞」の修正を舎人、「姓稗田名阿禮(礼)」に命じた時点での阿礼の歳は「廿八(28)」。歳は旧暦ですので数え年。681年03/17に天武帝は「帝紀及上古諸事」の編纂を親王等に命じていますのでおそらく、この年、阿礼にも「「日継及先代旧辞」の「誦習」を指示したのでは?仮にこう仮定すると阿礼は654年にこの世に生を受けた事になります。又、阿礼は女性だったとの説もあり代名詞「彼・彼女」で表現できま [続きを読む]
  • 古事記編纂迄の歴史的出来事 580
  • 古事記は712年元明女帝の命により作成・献上されましたが、本を正せば、古事記編纂は天武帝(?〜686 在位673〜686)の命。天武帝は672年に天智帝(626〜671 在位668〜671)の息子、大友皇子(648〜672)との権力(帝位継承)闘争に勝利したお方。この「壬申(672年)の乱」は皆さんご存じの通り。天智帝と天武帝はご兄弟。彼らの父は舒明帝(?〜641 在位629〜641)、母は皇極・斉明女帝(594〜661 在位642〜645 655〜661)。皇極 [続きを読む]
  • 太朝臣安萬侶 癸亥年七月六日卒 579
  • 先週紹介した「太安万侶墓誌」。刻印されていた文字は「左亰四條四坊従四位下勲五等太朝臣安萬侶以癸亥年七月六日卒之 養老七年十二月十五日乙巳」太安万侶は左亰四條四坊にお住まいあり、従四位下勲五等が亡くなる前の職階で、癸亥年七月六日にあの世に旅立たれ、養老七年十二月十五日乙巳に埋葬した。と云う事実が奈良市で茶畑を営むお爺さんのお陰で判明したのです。癸亥年七月六日卒の「癸亥年」は干支紀年法から723年に。723 [続きを読む]
  • 古事記偽書説 太安万侶墓で没 578
  • 「草木国土悉皆成仏」を唱える「梅原猛」さんの古事記の文学性を味わう為「原文の古事記に当たって読んでほしい」との、お薦めから「古事記読み」にファンである故に挑戦。服・服飾・色、及び、女性に関する事象がどの程度記述されているかの興味とたかが「日本書紀」の十分の一の3巻しかないと読み始めたものの、どっこい、思わず7年もの歳月を要す羽目になってしまったのです。はじめは2009/05/04「神話、古事記を紐解くと」で [続きを読む]
  • 古事記原文 安萬侶の序 577
  • 安萬侶が古事記謹上の際に於ける、「安萬侶の序」古事記原文です。臣安萬侶言夫混元既凝氣象未效無名無爲誰知其形然乾坤初分參神作造化之首陰陽斯開二靈爲群品之祖所以出入幽顯日月彰於洗目浮沈海水神袛呈於滌身故太素杳冥因本教而識孕土産嶋之時元始綿邈頼先聖而察生神立人之世寔知懸鏡吐珠而百王相續喫劒切蛇以萬神蕃息歟議安河而平天下論小濱而?國土是以番仁岐命初降于高千嶺神倭天皇經?于秋津嶋化熊出爪天劒獲於高倉生尾遮徑 [続きを読む]
  • 今上(平成)天皇 帝位譲位意向 576
  • 漸く、先週で古事記原文紹介が終了しました。敏達帝〜推古帝も全て係累記述ですので別段説明は要しないと。これからは暫し、古事記通読終了に当たり、わたくし共 ZIPANGUが気になったり・気付いり・気に止めたい点を展開しようと考えています。ところで、わたくし共 ZIPANGUスタッフの何年目かのお誕生日だった7月13日に「今上(平成)天皇 譲位意向」報道が駆け回りました。「天皇陛下 『生前退位』の意向示される」(NHK NEWS WE [続きを読む]
  • 敏達帝〜推古帝 古事記原文 575
  • 敏達帝〜推古帝の古事記原文です。沼名倉太玉敷命 敏達帝>坐他田宮治天下壹拾肆?也此天皇娶庶妹豐御食炊屋比賣命生御子静貝王亦名貝鮹王次竹田王亦名小貝王次小治田王次葛城王次宇毛理王次小張王次多米王次櫻井玄王(八柱)又娶伊勢大鹿首之女小熊子郎女生御子布斗比賣命次寶王亦名糠代比賣王(二柱)又娶息長眞手王之女比呂比賣命生御子忍坂日子人太子亦名麻呂古王次坂騰王次宇遲王(三柱)又娶春日中若子之女老女子郎女生御子 [続きを読む]