ZIPANGU さん プロフィール

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ZIPANGUさん: 舞絽倶 日本文化と服・小物
ハンドル名ZIPANGU さん
ブログタイトル舞絽倶 日本文化と服・小物
ブログURLhttp://zipangu.cocolog-nifty.com/blog/
サイト紹介文みやび(雅)わび(侘)さび(寂)いき(粋)いなせ(鯔背)を受け継ぎ、お召しものを通して語る舞絽倶。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供35回 / 365日(平均0.7回/週) - 参加 2005/08/15 12:35

ZIPANGU さんのブログ記事

  • 劉邦登場 張良との邂逅 608
  • ここで、新たなこちらも超有名武将を登場させなければなりません。そのお方は劉邦(りゅうほう)(B.C.256 or 247〜B.C.195)。彼の出身地は項羽と同じ旧楚の沛県豊邑(江蘇省徐州市豊県)。位置関係を又、グーグルアースで確認。(画像 で拡大します。)劉邦は項羽とは違い元々武将の出ではありません。彼は人望があり張ったりが利く遊び人だったされています。B.C.209陳勝・呉広の乱勃発の時点で劉邦は沛県の役人。出張中 [続きを読む]
  • 項羽 鉅鹿の戦いに勝利 607
  • 陳勝他界後、反乱軍の頭目は項梁(こうりょう)に。彼は先週登場、呉広が偽称した旧楚の武将、項燕の息子。彼の甥っ子が超有名な「項羽(こうう)(B.C.232〜B.C.202)」。項梁は秦軍に対し善戦するも章邯軍には敗戦、落命。(B.C.208)項羽は叔父亡き後、楚反乱軍№2の武将に。その時点の武将№1は宋義(そうぎ)。項羽は彼の秦攻略に対する戦略・戦術が折り合わずB.C.207に彼を抹殺。質実剛健な項羽は一躍、楚反乱軍の総大将に。 [続きを読む]
  • B.C.209陳勝・呉広の乱 606
  • B.C.210 始皇帝黄泉の国へ 始皇帝12年の栄華始皇帝の息子、胡亥が帝位を継ぐのですが若干二十歳。中原黄河流域、長江流域はいかにも広すぎます。やがて、旧既得権を奪われた方々から「秦(China)」打倒を目論む反乱軍団が立ち上がる事に。発端は陳勝・呉広らが一か八かの叛旗を翻します。B.C.209陳勝・呉広の乱陳勝は始皇帝の長男で父の政策、焚書坑儒に異を唱え死に追いやらられた扶蘇(ふそ)と語り、呉広は旧楚の武将(将軍) [続きを読む]
  • 始皇帝は礼装を「黒色」に 605
  • B.C.221 秦の始皇帝が中原、及び、長江近郊の支那大陸を統一。B.C.213 焚書(書物・情報統制)B.C.212 坑儒(一部の儒者粛清・弾圧による思想統制)政治体制は封建制を廃止「郡県制」に移行、中央集権体制へ。郡県制中央政府から全国に政令を布き、郡・県などの行政区画に分け、地方官を選任してこれを執行させる、中央集権的な地方行政制度封建制天子の下に、多くの諸侯が土地を領有し、諸侯が各自領内の政治の全権を握る国家組織 [続きを読む]
  • 意思疎通不能の秦燕趙斉魏韓楚 604
  • 秦の始皇帝が「支那(China)大陸」を統一した際、現在、「中華人民共和国」に組み入れられている北方地域の「黒竜江省」「吉林省」「内モンゴル自治区」「寧夏回族自治区」「甘粛省」中程西地域の「青海省」「新疆ウイグル自治区」「チベット自治区」南方地域の「貴州省」「雲南省」「福建省」「広東省」「広西チワン族自治区」「海南省」は彼の支配下(影響下)におかれていません。ましてや、「中華人民共和国」が「一つの中国 [続きを読む]
  • B.C.221 秦の始皇帝 文字書体統一 603
  • およそ「◯◯人」という云い方は無意味なのかも知れません。その無意味さを確認する為とても無謀ですが、お隣韓半島を含むユーラシア大陸の東側地域を概観してみます。キリスト文化に感化された日本ですので時代区分は「キリスト紀元歴(西暦)」で表記します。因みに今年は2017年ですが元号で記される公文書は平成29年(2017年)と記す約束事があるとの事。それでは「China(英米語)」の語源である「秦(しん)」の始皇帝が他の [続きを読む]
  • 古事記時代の日本人と倭言葉4 602
  • 新撰姓氏録より約100年前の古事記時代に日本列島でお住いの日本人(旧表記は倭人)。この日本人は近代「国民国家」以後の日本人とは全く異なります。国民国家以降の「日本人」とは「日本国籍を有する人」。一方、倭(大和)国、飛鳥政権に日本人と命名された方々は飛鳥権力者達は当然として政権側にひれ伏した?人々。「◯◯人」という云い方はとても抽象的。例えば、「ユダヤ人」は「パレスチナ人」が暮らしていた地区に無理矢理 [続きを読む]
  • 古事記時代の日本人と倭言葉3 601
  • 古事記に記載されている渡来人。百済・新羅からお越しになった方々は克明に描かれています。「顏容麗美な日向の髪長姫」こちらの古事記原文で描写されています。「酩酊の応神帝 石動くと錯視?」「照〈肖〉古王の贈り物横刀は七支刀?」こちらで再度整理してみます。百済地区より阿知吉師 和邇吉師 卓素 西素新羅地区より堤防・灌漑池造営技師更に、「秦造之祖・漢直之祖の出自」こちらはは前出の「百済・新羅地区」より以前に来 [続きを読む]
  • 古事記時代の日本人と倭言葉2 600
  • 古事記時代の日本人と倭言葉について更に考えてみます。この時代より約100年後に嵯峨帝(786〜842)の命を受け、萬(万)多親王(788〜830 桓武帝の息子さん)、藤原園人(756〜819 藤原楓麻呂の息子で藤原房前がお爺さん)が「新撰姓氏録」を作成・献上(815年9月1日)。この時期も系図詐称をする輩が排出していた感じ。嵯峨帝は氏素性を正確にする為で「新撰姓氏録」により整理整頓させたとの事。調査エリヤは「京」、及び「五畿 [続きを読む]
  • 高松塚古墳 被葬者は忍壁親王と 599
  • 第17回高松塚古墳壁画修理作業室公開が5/13〜5/19に。今年は1月に続く2回目。「高松塚古墳・キトラ古墳」(文化庁)この公開に先立ち、NHK 歴史秘話ヒストリアにて「飛鳥美人 謎の暗号を解け〜高松塚壁画のヒミツ〜」と銘打ち壁画をデジタル処理で復元。お見逃しの方はこちらでご確認を「『飛鳥美人』の謎に挑みます!」「よみがえる飛鳥美人 国宝・高松塚古墳壁画のヒミツ[前編]」「よみがえる飛鳥美人 国宝・高松塚古墳壁画の [続きを読む]
  • 古事記時代の日本人と倭言葉 598
  • 古事記時代、飛鳥を本拠とした倭国人のリーダー達は日本列島に住まう方々を「日本(やまと=ひのもと)」の国の人々としてかの時代大帝国であった「唐」のリーダへ表明。そして、それは、702年の出来事。(702年 天皇の命を受けた粟田真人、山上憶良ら唐への渡航成功)とは云うものの近現代の「国民国家」の範疇とは全く異なります。国境は曖昧、話す言葉は色々の呈。特に沖縄諸島、九州南部(隼人)、東北・北海道(蝦夷)に住ま [続きを読む]
  • アフリカの母 日本人 倭言葉 597
  • 万葉集執筆者達が編み出した云われている「万葉仮名」。倭言葉(やまとことば)はお隣中国王朝に命名された「倭」に住まう方々が意思疎通で使っていた言葉。古事記・日本紀(日本書紀)が書物として書き上げられた時代は8世紀初頭。700年 律條を撰修(翌年大宝律令として完成)701年 粟田真人(執節使)を唐へ派遣されるも嵐で失敗702年 粟田真人、山上憶良ら唐への渡航成功この際、ヤマト⇒「倭」表記に対し新たに「日本(やまと [続きを読む]
  • 万葉集⇒訓仮名漢文調 古事記⇒一字一音仮名 596
  • 前回、万葉集と古事記の表記違いを指摘しました。(「古事記曰 軽太子姧軽太郎女」)万葉集は「訓仮名漢文調」、古事記は「一字一音仮名」表記。「日本語」表記に於ける時系列は先ず歌表記を漢字を用いて「一字一音仮名」 ⇒ 「訓仮名漢文調」へと辿った事になります。古事記の歌は基本的に「一字一音仮名表記」ですが「訓仮名漢文調」表記を思わせる箇所が残っています。そこは、帝位継承が危うい中での「意冨祁命と袁祁命の登場 [続きを読む]
  • 古事記曰 軽太子姧軽太郎女 595
  • 万葉集がいつ成立したのか未確定ですが万葉集に古事記・日本紀の表記がありますので「国立国会図書館 電子図書館 万葉集 紀州本 巻第二 p11」万葉集は古事記・日本紀(日本書紀)成立以後に執筆された事に。ここの個所で万葉集が取り上げた歌は古事記。「君之行氣長久成奴山多豆乃迎乎将徃待尓者不待」君之行 (君が行き)氣長久成奴 (日長くなりぬ)山多豆乃 (山たづの)迎乎将徃 (迎へを往かむ)待尓者不待 (待つには待 [続きを読む]
  • 万葉集に古事記・日本紀の表記 594
  • ちょいと、三か月程、長旅に。日本は遅咲きの桜満開。すっかり「古事記」から遠ざかっておりました。前回までは太安万侶の「古事記」創作・執筆背景を考察しました。今回は遠く万葉集を紐解いてみます。原典はWebで確認可能な「万葉集 紀州本」です。「国立国会図書館 電子図書館 万葉集 紀州本 巻第二 表紙」こちらの11P、6行目に「古事記(曰)」と出現しているのです。  古事記曰軽太子姧軽太郎女故其太子流於  伊豫湯也此 [続きを読む]
  • 太安万侶ドラマ創りに邁進 593
  • 持統女帝は時の経過をじりじりとじっーと?過ごし、即位から7年後、持統女帝(53歳)は待ちに待ちきれず軽皇子に譲位。ここに文武帝が即位。(697年)文武帝は御年、15歳(満14歳)。無理矢理の呈を隠せませんが彼女にとってはギリギリの選択。彼女の再構築した体制(天孫降臨)は成就したのです。この結果を受け初めて、古事記編纂者は「天孫降臨」ドラマ創りに邁進、編集し直したのです。この古事記創作編纂者は太安万(萬)侶。 [続きを読む]
  • 古事記編纂が頓挫する状況に 592
  • 遅ればせながら、「明けオメ」です。皆様におかれましては「良いお年」をお迎えの事と。今年も、何卒、宜しくお願いネ!それでは、昨年の暮れに展開しました様に「古事記編纂の目論み」は「天孫降臨」を正当化する事と判明しました。そうであるなら、どちら様が企図したのか?古事記編纂の云い出しっぺは天武帝でした。(681年)天武帝の命でお仕事に関わった方々は基本的に天武帝の御代に仕上げ・献上する段取りで勤しんだと考え [続きを読む]
  • 持統・元明女帝の力強い執念 591
  • 神倭伊波礼彦命は神武帝。彼が我が倭国(日本)を統一したお方に措定されています。古事記は推古女帝迄の記述ですが、日本書紀はだめ押しを押す如く持統女帝の文武帝への譲位迄で幕を閉じています。そして、この「天孫降臨」ドラマが現実に再び起こるのです。707年 06/15文武帝(25歳)崩御707年 06/15文武帝の母、阿閇皇女(元明女帝)(47歳)践祚707年 07/17元明女帝即位714年 06/24元明女帝のお孫さん、首王子(14歳)が皇太子 [続きを読む]
  • 海幸彦と山幸彦物語の天孫降臨隠喩 590
  • それでは、「海幸彦と山幸彦物語」を紐解いてみます。太安萬侶の深謀遠慮がとても垣間見えます。この物語の登場人物をかの時代に実存した人物に準えて見ます。綿津見神⇒ 天智帝海幸彦⇒ 大友皇子江>山幸彦⇒ 大海人皇子(天武帝)山>豊玉姫⇒ 鸕野讃良皇女(持統女帝)玉依姫⇒ 阿閇皇女(元明女帝)鵜葺草葺不合命⇒ 草壁皇子神倭伊波礼彦命⇒ 軽皇子(文武帝) 脇を固める 一尋和邇⇒ 和珥 [続きを読む]
  • 壬申の乱〜天孫降臨は海幸彦と山幸彦に 589
  • 壬申の乱を経て、天武帝即位から持統女帝即位、そして持統女帝のお孫さん文武帝即位に至るこの人間関係・模様が「『天孫降臨』のモデル」と以前お話ししました。このモデルドラマがなな何と、古事記「海幸彦(火照命)と山幸彦(火遠理命)」にて描写されていたのです。取り急ぎ、以下をご確認下さい。「海幸彦と山幸彦 古事記原文」「魚食系の海幸彦と肉食系の山幸彦」「肉食系の火遠理命=山幸彦の合理主義」「火遠理命=山幸彦 [続きを読む]
  • 持統女帝譲位 文武帝即位 588
  • 舒明帝以降の人間模様と人の性をご覧頂きました。690年 01/01持統女帝(鸕野讃良皇女)即位以降、690年 07/05高市皇子が太政大臣に694年 12/30大和の藤原宮に遷都696年 07/14高市皇子薧じる(30歳)697年 02/16軽皇子を皇太子に697年 08/01持統女帝が譲位 草壁皇子と阿閇皇女の息子さん 軽皇子(文武帝)=持統女帝のお孫さん(15歳)が即位上記の [続きを読む]
  • 持統女帝目眩く願い男子帝位継承 587
  • 壬申の乱に勝利した大海人皇子翌年即位。673年 02/27天武帝即位 鸕野讃良皇女(後の持統帝)が皇后に679年 05/06吉野の盟約 6名に皇子の序列決定 草壁 大津 高市の順681年 02/25草壁皇子(20歳)が皇太子に681年 03/17天武帝が「帝紀及上古諸事」の編纂を親王等命じるここに晴れて天武帝・鸕野讃良皇女⇒草壁皇子体制がスタート。順風満帆な日々が続く筈が好事魔多し。鸕野讃良皇后が体調不良(680年)に陥る(薬師寺建立)。鸕野 [続きを読む]
  • 壬申の乱 帝位継承争い 586
  • 人間模様を確認しましたので、お次は人の性(さが)が織りなす「諍(いさか)い」について。日本史に於いて600年代権力闘争のビッグイベントは何と云っても1 645年 乙巳の変2 672年 壬申の乱に尽きます。ここでは阿礼の誦習、太安萬侶の古事記編纂時期に近い壬申の乱を取り上げてみます。先ずは時系列から661年 07/24斉明女帝崩御により中大兄皇子が称制662年 大海人皇子と鸕野讃良皇 [続きを読む]
  • 「天孫降臨」のモデル 585
  • 先週ご紹介した「舒明帝以降の帝関連人間模様」、ご覧頂けました?未だのお方は是非お目通しを。ご覧頂けると一目瞭然。何と、天智帝のお嬢さんの内4名も天武帝に嫁いでいる事実。これには驚き。天智帝が天武帝に何かしら弱みがあったのか?天武帝が思いの外「心温かいイケメン」だったのか?又、夭折した草壁皇子は叔母様(阿閇皇女)とご夫婦に。しかし、草壁皇子の叔母様は僅か一歳年上の姉さん女房。いたって世代的には特に問 [続きを読む]
  • 舒明帝以降の帝関連人間模様 584
  • 舒明帝以降の帝に関連する人々が織りなす人間模様を整理・整頓してみると舒明帝(593〜641)皇極女帝(594〜661) 天智帝(614〜672) 間人皇女(?〜665) 天武帝(622〜686) 天智帝 (蘇我遠智娘)  大田皇女(?〜667)  鸕野讃良皇女(645〜697)  建皇子(651〜658) (蘇我姪娘)  御名部皇女  阿閇皇女(661〜722) (蘇我常陸娘)  山辺皇女(?〜668) (阿倍橘娘)(?〜681)  明日香皇女 [続きを読む]