ZIPANGU さん プロフィール

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ZIPANGUさん: 舞絽倶 日本文化と服・小物
ハンドル名ZIPANGU さん
ブログタイトル舞絽倶 日本文化と服・小物
ブログURLhttp://zipangu.cocolog-nifty.com/blog/
サイト紹介文みやび(雅)わび(侘)さび(寂)いき(粋)いなせ(鯔背)を受け継ぎ、お召しものを通して語る舞絽倶。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供46回 / 365日(平均0.9回/週) - 参加 2005/08/15 12:35

ZIPANGU さんのブログ記事

  • 太安万侶ドラマ創りに邁進 593
  • 持統女帝は時の経過をじりじりとじっーと?過ごし、即位から7年後、持統女帝(53歳)は待ちに待ちきれず軽皇子に譲位。ここに文武帝が即位。(697年)文武帝は御年、15歳(満14歳)。無理矢理の呈を隠せませんが彼女にとってはギリギリの選択。彼女の再構築した体制(天孫降臨)は成就したのです。この結果を受け初めて、古事記編纂者は「天孫降臨」ドラマ創りに邁進、編集し直したのです。この古事記創作編纂者は太安万(萬)侶。 [続きを読む]
  • 古事記編纂が頓挫する状況に 592
  • 遅ればせながら、「明けオメ」です。皆様におかれましては「良いお年」をお迎えの事と。今年も、何卒、宜しくお願いネ!それでは、昨年の暮れに展開しました様に「古事記編纂の目論み」は「天孫降臨」を正当化する事と判明しました。そうであるなら、どちら様が企図したのか?古事記編纂の云い出しっぺは天武帝でした。(681年)天武帝の命でお仕事に関わった方々は基本的に天武帝の御代に仕上げ・献上する段取りで勤しんだと考え [続きを読む]
  • 持統・元明女帝の力強い執念 591
  • 神倭伊波礼彦命は神武帝。彼が我が倭国(日本)を統一したお方に措定されています。古事記は推古女帝迄の記述ですが、日本書紀はだめ押しを押す如く持統女帝の文武帝への譲位迄で幕を閉じています。そして、この「天孫降臨」ドラマが現実に再び起こるのです。707年 06/15文武帝(25歳)崩御707年 06/15文武帝の母、阿閇皇女(元明女帝)(47歳)践祚707年 07/17元明女帝即位714年 06/24元明女帝のお孫さん、首王子(14歳)が皇太子 [続きを読む]
  • 海幸彦と山幸彦物語の天孫降臨隠喩 590
  • それでは、「海幸彦と山幸彦物語」を紐解いてみます。太安萬侶の深謀遠慮がとても垣間見えます。この物語の登場人物をかの時代に実存した人物に準えて見ます。綿津見神⇒ 天智帝海幸彦⇒ 大友皇子江>山幸彦⇒ 大海人皇子(天武帝)山>豊玉姫⇒ 鸕野讃良皇女(持統女帝)玉依姫⇒ 阿閇皇女(元明女帝)鵜葺草葺不合命⇒ 草壁皇子神倭伊波礼彦命⇒ 軽皇子(文武帝) 脇を固める 一尋和邇⇒ 和珥 [続きを読む]
  • 壬申の乱〜天孫降臨は海幸彦と山幸彦に 589
  • 壬申の乱を経て、天武帝即位から持統女帝即位、そして持統女帝のお孫さん文武帝即位に至るこの人間関係・模様が「『天孫降臨』のモデル」と以前お話ししました。このモデルドラマがなな何と、古事記「海幸彦(火照命)と山幸彦(火遠理命)」にて描写されていたのです。取り急ぎ、以下をご確認下さい。「海幸彦と山幸彦 古事記原文」「魚食系の海幸彦と肉食系の山幸彦」「肉食系の火遠理命=山幸彦の合理主義」「火遠理命=山幸彦 [続きを読む]
  • 持統女帝譲位 文武帝即位 588
  • 舒明帝以降の人間模様と人の性をご覧頂きました。690年 01/01持統女帝(鸕野讃良皇女)即位以降、690年 07/05高市皇子が太政大臣に694年 12/30大和の藤原宮に遷都696年 07/14高市皇子薧じる(30歳)697年 02/16軽皇子を皇太子に697年 08/01持統女帝が譲位 草壁皇子と阿閇皇女の息子さん 軽皇子(文武帝)=持統女帝のお孫さん(15歳)が即位上記の [続きを読む]
  • 持統女帝目眩く願い男子帝位継承 587
  • 壬申の乱に勝利した大海人皇子翌年即位。673年 02/27天武帝即位 鸕野讃良皇女(後の持統帝)が皇后に679年 05/06吉野の盟約 6名に皇子の序列決定 草壁 大津 高市の順681年 02/25草壁皇子(20歳)が皇太子に681年 03/17天武帝が「帝紀及上古諸事」の編纂を親王等命じるここに晴れて天武帝・鸕野讃良皇女⇒草壁皇子体制がスタート。順風満帆な日々が続く筈が好事魔多し。鸕野讃良皇后が体調不良(680年)に陥る(薬師寺建立)。鸕野 [続きを読む]
  • 壬申の乱 帝位継承争い 586
  • 人間模様を確認しましたので、お次は人の性(さが)が織りなす「諍(いさか)い」について。日本史に於いて600年代権力闘争のビッグイベントは何と云っても1 645年 乙巳の変2 672年 壬申の乱に尽きます。ここでは阿礼の誦習、太安萬侶の古事記編纂時期に近い壬申の乱を取り上げてみます。先ずは時系列から661年 07/24斉明女帝崩御により中大兄皇子が称制662年 大海人皇子と鸕野讃良皇 [続きを読む]
  • 「天孫降臨」のモデル 585
  • 先週ご紹介した「舒明帝以降の帝関連人間模様」、ご覧頂けました?未だのお方は是非お目通しを。ご覧頂けると一目瞭然。何と、天智帝のお嬢さんの内4名も天武帝に嫁いでいる事実。これには驚き。天智帝が天武帝に何かしら弱みがあったのか?天武帝が思いの外「心温かいイケメン」だったのか?又、夭折した草壁皇子は叔母様(阿閇皇女)とご夫婦に。しかし、草壁皇子の叔母様は僅か一歳年上の姉さん女房。いたって世代的には特に問 [続きを読む]
  • 舒明帝以降の帝関連人間模様 584
  • 舒明帝以降の帝に関連する人々が織りなす人間模様を整理・整頓してみると舒明帝(593〜641)皇極女帝(594〜661) 天智帝(614〜672) 間人皇女(?〜665) 天武帝(622〜686) 天智帝 (蘇我遠智娘)  大田皇女(?〜667)  鸕野讃良皇女(645〜697)  建皇子(651〜658) (蘇我姪娘)  御名部皇女  阿閇皇女(661〜722) (蘇我常陸娘)  山辺皇女(?〜668) (阿倍橘娘)(?〜681)  明日香皇女 [続きを読む]
  • 古事記編纂迄の30年間 583
  • 天武帝が阿礼に「稽古照今」、誦習を命じ、太安萬侶が古事記編纂したこの30年間の倭国、及び、日本のリーダーと文化は*稽古照今・・・古(いにしえ)を稽(かんが)え今に照らす682年 08/14 隼人の相撲を宮中にて観戦683年 05/19 銅銭を用いる684年 10/01 八色の姓を定める684年 10/01 諸国大地震 土佐の田圃陥没で海に 伊豆海中に一島685年 09/10 始めて神宝を伊勢神宮に奉る685年 09/15 諸国の風俗・政治を巡察する686年 [続きを読む]
  • 古事記編纂期間 128日 582
  • 天武帝が681年に「帝紀」及び「本辞」の修正を舎人の阿礼に命じてから年月が流れてドンブラコ。太安萬侶が元明女帝に古事記編纂依頼された日が711年 和銅四年九月十八日太安萬侶が元明女帝(661〜721 在位707〜715)に古事記謹上日が712年 和銅五年正月廿八日この間、僅か「128日」を以て太安萬侶は古事記を書き上げたのでした。「超高速!古事記編纂」ってな感じでは?しかし、先週紹介しました「姓稗田名阿禮(礼)」にて681年03 [続きを読む]
  • 姓稗田名阿禮(礼) 581
  • 天武帝が「帝紀」及び「本辞」の修正を舎人、「姓稗田名阿禮(礼)」に命じた時点での阿礼の歳は「廿八(28)」。歳は旧暦ですので数え年。681年03/17に天武帝は「帝紀及上古諸事」の編纂を親王等に命じていますのでおそらく、この年、阿礼にも「「日継及先代旧辞」の「誦習」を指示したのでは?仮にこう仮定すると阿礼は654年にこの世に生を受けた事になります。又、阿礼は女性だったとの説もあり代名詞「彼・彼女」で表現できま [続きを読む]
  • 古事記編纂迄の歴史的出来事 580
  • 古事記は712年元明女帝の命により作成・献上されましたが、本を正せば、古事記編纂は天武帝(?〜686 在位673〜686)の命。天武帝は672年に天智帝(626〜671 在位668〜671)の息子、大友皇子(648〜672)との権力(帝位継承)闘争に勝利したお方。この「壬申(672年)の乱」は皆さんご存じの通り。天智帝と天武帝はご兄弟。彼らの父は舒明帝(?〜641 在位629〜641)、母は皇極・斉明女帝(594〜661 在位642〜645 655〜661)。皇極 [続きを読む]
  • 太朝臣安萬侶 癸亥年七月六日卒 579
  • 先週紹介した「太安万侶墓誌」。刻印されていた文字は「左亰四條四坊従四位下勲五等太朝臣安萬侶以癸亥年七月六日卒之 養老七年十二月十五日乙巳」太安万侶は左亰四條四坊にお住まいあり、従四位下勲五等が亡くなる前の職階で、癸亥年七月六日にあの世に旅立たれ、養老七年十二月十五日乙巳に埋葬した。と云う事実が奈良市で茶畑を営むお爺さんのお陰で判明したのです。癸亥年七月六日卒の「癸亥年」は干支紀年法から723年に。723 [続きを読む]
  • 古事記偽書説 太安万侶墓で没 578
  • 「草木国土悉皆成仏」を唱える「梅原猛」さんの古事記の文学性を味わう為「原文の古事記に当たって読んでほしい」との、お薦めから「古事記読み」にファンである故に挑戦。服・服飾・色、及び、女性に関する事象がどの程度記述されているかの興味とたかが「日本書紀」の十分の一の3巻しかないと読み始めたものの、どっこい、思わず7年もの歳月を要す羽目になってしまったのです。はじめは2009/05/04「神話、古事記を紐解くと」で [続きを読む]
  • 古事記原文 安萬侶の序 577
  • 安萬侶が古事記謹上の際に於ける、「安萬侶の序」古事記原文です。臣安萬侶言夫混元既凝氣象未效無名無爲誰知其形然乾坤初分參神作造化之首陰陽斯開二靈爲群品之祖所以出入幽顯日月彰於洗目浮沈海水神袛呈於滌身故太素杳冥因本教而識孕土産嶋之時元始綿邈頼先聖而察生神立人之世寔知懸鏡吐珠而百王相續喫劒切蛇以萬神蕃息歟議安河而平天下論小濱而?國土是以番仁岐命初降于高千嶺神倭天皇經?于秋津嶋化熊出爪天劒獲於高倉生尾遮徑 [続きを読む]
  • 今上(平成)天皇 帝位譲位意向 576
  • 漸く、先週で古事記原文紹介が終了しました。敏達帝〜推古帝も全て係累記述ですので別段説明は要しないと。これからは暫し、古事記通読終了に当たり、わたくし共 ZIPANGUが気になったり・気付いり・気に止めたい点を展開しようと考えています。ところで、わたくし共 ZIPANGUスタッフの何年目かのお誕生日だった7月13日に「今上(平成)天皇 譲位意向」報道が駆け回りました。「天皇陛下 『生前退位』の意向示される」(NHK NEWS WE [続きを読む]
  • 敏達帝〜推古帝 古事記原文 575
  • 敏達帝〜推古帝の古事記原文です。沼名倉太玉敷命 敏達帝>坐他田宮治天下壹拾肆?也此天皇娶庶妹豐御食炊屋比賣命生御子静貝王亦名貝鮹王次竹田王亦名小貝王次小治田王次葛城王次宇毛理王次小張王次多米王次櫻井玄王(八柱)又娶伊勢大鹿首之女小熊子郎女生御子布斗比賣命次寶王亦名糠代比賣王(二柱)又娶息長眞手王之女比呂比賣命生御子忍坂日子人太子亦名麻呂古王次坂騰王次宇遲王(三柱)又娶春日中若子之女老女子郎女生御子 [続きを読む]
  • 歴史教科書登場で親近感湧く帝達 574
  • 安閑帝〜欽明帝の記述ですが皆さんの係累のみです。安閑帝は奥様もお子さんが存在してませんが宣化帝は5名のお子さん、又、 欽明帝は子沢山で何と25名も。欽明帝のお子さんから後に4名の方々が帝位にお就きです。継体帝 ⇒ 安閑帝           ⇒ 宣化帝           ⇒ 欽明帝 ⇒ 敏達帝               & [続きを読む]
  • 安閑帝〜欽明帝 古事記原文 573
  • 安閑帝〜欽明帝の古事記原文です。廣國押建金日命 安閑帝>坐勾之金箸宮治天下也此天皇無御子也御陵在河内之古市高屋村也建小廣國押楯命 宣化帝>坐檜坰之廬入野宮治天下也天皇娶意祁天皇之御子橘之中比賣命生御子石比賣命(訓石如石下效此)次小石比賣命次倉之若江王又娶川?之若子比賣生御子火穗王次惠波王此天皇之御子等?五王(男三女二)故火穗王者(志比陀君之祖)惠波王者(韋那君多治比君之祖也)天國押波流岐廣庭天皇 欽 [続きを読む]
  • 筑紫の磐井 継体帝に服す 572
  • 先週の「磐井の乱」で「古事記」と「日本書紀」との描写から竺紫(筑紫)の石井(磐井)を殺害したのは物部荒甲(麁鹿火)軍と云う事になります。「日本書紀」に依ると、戦場は「御井郡(みいぐん)」とされています。御井郡と云う地名は現在の福岡県三井郡(御井郡+御原郡+山本郡)として存在しています。又、この近くには岩戸山前方後円墳が有ります。この古墳は福岡県八女市に有り、石井(磐井)のお墓とも云われています。石井 [続きを読む]
  • 継体帝 唯一記載の竺紫君石井事件 571
  • 古事記「竺紫君石井(つくしのきみいはゐ)事件」の記述は下記に。「竺紫君 不従天皇之命而 多无礼 故遣物部荒甲之大連 大伴之金村連二人而 殺石井」日本書紀の表記では「竺紫」⇒「筑紫」、「石井」⇒「磐井」に。「筑紫君は継体帝に命に従わず、 礼「无=無」きことがはなはだ多かった。 従って、 物部荒甲之大連(もののべのあらかひのおおむらじ) 大伴之金村連(おほとものかなむらのむらじ) の二名の軍団を遣わし [続きを読む]
  • 仁賢帝〜武烈帝は係累のみ継体帝も少々 570
  • 仁賢帝〜武烈帝は係累記述のみ。意冨祁命(仁賢帝)のお子さん、小長谷若雀命(武烈帝)に男子ができず、帝位は「品太天皇(応神帝)五世之孫袁本杼命(継体帝)」がお継ぎになったとか。品太(ほむた)天皇(応神帝)の五世の孫、袁本杼(をほど)命=継体帝と記載されていますが「応神帝は10名の奥様を」のどの系列のお方が全く触れていません。触れられないのか、内緒なのか、秘密なのかさっぱり・・・・・。この問題は後に考察 [続きを読む]
  • 仁賢帝〜武烈帝〜継体帝へ 569
  • 仁賢帝〜武烈帝〜継体帝へ連なる古事記原文です。意冨祁命坐石上廣高宮治天下也天皇娶大長谷若建天皇之御子春日大郎女生御子高木郎女次財郎女次久須毘郎女次手白髪郎女次小長谷若雀命次眞若王又娶丸邇日爪臣之女糠若子郎女生御子春日山田郎女此天皇之御子并七柱此之中小長谷若雀命者治天下也小長谷若雀命坐長谷之列木宮治天下捌歳也此天皇旡太子故爲御子代定小長谷部也御陵在片岡之石坏岡也天皇既崩無可知日續之王故品太天皇五世之 [続きを読む]