mansaku21 さん プロフィール

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mansaku21さん: 関ヶ原ブログ
ハンドル名mansaku21 さん
ブログタイトル関ヶ原ブログ
ブログURLhttp://blog.livedoor.jp/mansaku21/
サイト紹介文関ヶ原の戦いのエピソードやデータを中心に、戦国武将の話を書いています
自由文関ヶ原の戦いのことのほか、戦国武将のエピソードや戦国時代の裏話などを知りたい方にオススメです。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供35回 / 365日(平均0.7回/週) - 参加 2005/09/29 14:28

mansaku21 さんのブログ記事

  • 【まさかの転落】大坂の陣五人衆のこれまでの経歴とは?
  • 今日の『真田丸』では大坂の陣直前の軍議の様子が描かれました。塙団右衛門も先週登場していますし、豊臣家臣としては先週大野治房が登場。あとは薄田隼人正兼相でしょうか。"役立たず"の意とされる「橙武者」のエピソードで知られていますが、未登場ですね。それはともかく、軍議の席では「5人衆」。主要メンバーは真田幸村、毛利勝永、後藤又兵衛、長宗我部盛親、明石全登の5名。又兵衛がちょっとめんどくさい感じで、先週は幸村 [続きを読む]
  • 真田親子の犬伏の別れとは何か
  • いよいよ今夜の大河『真田丸』は、真田家の名シーン犬伏の別れが描かれますね!そこで、ちょっと犬伏の別れとは何だったのか、紐解いてみました。■会議のきっかけは真田昌幸・信幸・信繁(幸村)父子といえば、関ヶ原時には居城の上田城で徳川秀忠の軍勢を翻弄したことで有名です。しかし、彼らはもともと徳川家康の会津征伐軍に加わるべく、下野国(栃木県)に向けて軍を進めていました。ところが、その途中にある犬伏宿(現・栃 [続きを読む]
  • 豊臣秀吉の遺言と辞世
  • 大河ドラマ『真田丸』では第31回「終焉」にて、ついに豊臣秀吉が死亡しました。慶長3年(1598)8月18日のことです。場所は木幡山伏見城。 それぞれ秀吉亡き後の天下に思惑のある家康、三成双方から遺言状を書かされ、幻覚に怯えながら亡くなるというなんとも寂しい最期でした。…三成は「豊臣家のため」ですが…。ドラマ中で欠かされていた遺言状は実在します(毛利家に伝わった「毛利家文書」に写しが所収されている)ので、 [続きを読む]
  • 大河ドラマ『真田丸』でさりげなく出てきた"戦国お仕事事情"を考える
  • 大河ドラマ『真田丸』ではついに朝鮮出兵が始まりました(真田家は渡海しなかったので仮装で悩んでるシーンばっかだったけど)。現代では秀吉公ご乱心の所業とも言われるこの出兵。でも劇中でも秀吉自ら信繁に言ってましたよね。「わしの頭がおかしくなったと思っているだろう。そんなことはない。」「太平の世になったと言っても人には働く場が必要だ。それゆえの出兵なのだ。」「だからって他国を攻めるというのはどうなのか」と [続きを読む]
  • 黒田長政、家臣・後藤又兵衛のある行動に激怒する
  • 黒田長政の家来に「黒田八虎」と呼ばれた勇猛な武将たちがいました。そのうちの一人であり、幼少期から黒田家に仕えた重臣が後藤又兵衛基次です。彼の働きぶりは、当初は長政も賞賛するところでしたが、長政が戒めていた他家との交流をやめようとせず、やがて主君ともめるようになり出奔してしまうことになります。この記事では、そんな豪傑・後藤又兵衛がまだ黒田家の重臣だったころの逸話を紹介します。加藤清正と同じく「虎退治 [続きを読む]
  • 大河ドラマ『真田丸』の北条氏政はなぜ降伏しないのか?
  • 大河ドラマ『真田丸』。いよいよ次の放送では関東の名門・北条家が滅びます。急に前回最後で登場した小山田茂誠の「なぜそこに?」も気になりますが、やっぱり次回のサブタイトルは「滅亡」ですから滅亡がメインなんでしょう。「再会」だったら茂誠のこれまでの話が聞けたかもしれませんがねえ。それは置いといて…北条家滅亡については、板部岡江雪斎(演:山西 惇さん)や息子・氏直(演:細田善彦さん)が何を言ってもかたくな [続きを読む]
  • 豊臣秀吉の御伽衆・曽呂利新左衛門の大いたずら!
  • 戦国大名の側近くに仕える職業の一つとして、「御伽衆」というのがあります。基本的には、戦場での士気を高めるために武辺話を語ったりする職業で、若い頃は戦場で活躍した男が、年老いて槍をふるえなくなってから、この職業に転職したとかいいます。ところが、この職業、戦国後期になるとなぜか活躍の場が広がっていきます。それこそ、戦場で武辺話を語るなどという男臭い感じのするものばかりでなく、普段から大名の暇つぶしに呼 [続きを読む]
  • 「豊臣秀吉」の読み方は「とよとみ"の"ひでよし」?
  • 大河ドラマ『真田丸』では、秀吉が公式の場で名乗る時、「関白太政大臣・豊臣の秀吉であーる」と言っていますよね。さあここでいきなりのはてなポイント!「豊臣」と「秀吉」の間に「の」!この言い方は「平の清盛」「源の頼朝」「藤原の道長」などにもあります。でも「織田の信長」「伊達の政宗」とは言いませんよね。実はこれは「氏(うじ)」か「名字」かで違っているのです。■氏と名字の違い「え?氏と名字?何が違うの?」と [続きを読む]
  • 真田昌幸の代名詞「表裏比興の者」とは?
  • 大河ドラマ『真田丸』第17回では、劇中で片桐且元(演:小林隆さん)が徳川家康(演:内野聖陽さん)のもとに使者として趣き、その書状の内容を読み上げるシーンがありましたね。その時、「表裏比興(ひょうりひきょう)」という言葉が出てきました。いまや真田昌幸の代名詞として、真田関係の本には必ずと言っていいほど取り上げられている言葉ですので、見たこと聞いたことがあるという方も多いでしょう。ところで、この「表裏比 [続きを読む]
  • 別所長治の辞世 城兵の命と引き換えに切腹した武将
  • 「いまはただ 恨みもあらじ 諸人の命に代わる わが身と思へば」■名門別所家を継ぐも織田信長の侵攻を受ける東播磨三木城主の別所長治。別所家は播磨守護赤松氏の一族で、長治の曾祖父則治のころは、東播磨三郡の守護代もつとめた名門の家柄です。しかし、天正期には中央で織田信長が台頭。中国地方もやがて織田信長の命を受けて、羽柴秀吉が派遣されてきました。冒頭の句は、秀吉と戦い、最終的に切腹して果てた長治の辞世です [続きを読む]
  • 真田家の「六文銭」の意味とは?
  • 前回放送の大河ドラマ『真田丸』第10回は、引き続き誰につくかの戦国模様。今度は上杉に再び擦り寄りましたね〜。信繁は後に三十郎と共に上杉家に名目上は人質としてしばらく滞在することになるはずですが、それはまだ少し先のお話です。さて、ところで今回は真田といえば触れないわけにはいかない、家紋についてです。■六文銭の意味真田家の家紋といえば「六文銭」(ほかに「六連銭」「六道銭」とも言う)が一番よく知られていま [続きを読む]
  • 大河ドラマ『真田丸』第9回 「策」とは何か?
  • オッス!オラ信繁!徳川に味方して北条家と対峙することに決めたと思ったら、今度は急に徳川が北条と和睦!父上の思惑が再び振り出しに…。またしても次なる策を練らなきゃいけねえ!次回「妙手」!絶対見てくれよな!…軽すぎる始まり方でごめんなさい。まだまだ平穏無事とはいかない戦国まっただ中の信濃を描く『真田丸』です。9話では、父・昌幸が上杉軍の海津城代・春日信達(演:前川泰之さん)を嵌めた策謀に納得いかない信 [続きを読む]
  • 大河ドラマ『真田丸』第6回 出浦昌相にみる戦国の忍者とは?
  • 安土から引き上げる途中で明智軍に見つかり、姉・まつを救えなかった信繁。そのことで自分を責め、「自分は兄より才があると思っていたが、そんなことはなかった」と落ち込んでしまいます。後世名将と讃えられることになろうとも、物語の時間では、信繁はまだ20歳にみたない若者。青臭さも描かれる今回の大河ドラマは、三谷さんが放送前からおっしゃっていたという「あくまで史実」といえる気がします。史料が残っているかどうかと [続きを読む]
  • 大河ドラマ『真田丸』第3回 はめられた信幸の心中は?
  • 日曜日はでかけていたので録画して、昨日見ました。大河ドラマ『真田丸』第3回。今回は真田家の領地がある信濃小県郡の国衆が初登場していましたね。 室賀正武(演:西村雅彦さん)、出浦昌相(演:寺島進さん)のほか、7〜8人の国衆が登場し、「織田家につく」という昌幸と議論していました。国衆というのは大名とは違いますから、主従関係があるわけではありません。端的にいえば相互の関係性は"同盟関係"です。ですから、 [続きを読む]
  • 大河ドラマ『真田丸』の人物像と史実の真田家人物像
  • 大河ドラマ『真田丸』。いよいよ始まりましたね〜。ご覧になられたでしょうか?今日の放送は、真田家が仕えていた武田家の落日がメインの回。武田勝頼の晩年が悲しく描かれていました。主役である真田家ももちろん武田家の命運の影響を受けるわけなのですが、今日はドラマの第1回。真田家にとっては、一つの運命の転機でもあり、まさしくサブタイトル通りの「船出」の回でした。さて、第1回ということで、まんべんなく真田家の面々 [続きを読む]
  • 戦国時代の戦場食をしらべてみた
  • 戦国時代といえば、まさに戦いの多かった時代。兵士たちは戦場で何を喰っていたのか?今日はここに注目してみたいと思います。■戦場食の主役は餅!「腹が減っては戦はできぬ」という言葉がありますね。その場しのぎにも使える実に便利な言葉ですが、戦国時代に、実際の戦場で「は、腹が減って力(りき)が出ねぇ…」(by悟空)なんてことになったら困ります。そこで、当たり前といえば当たり前ですが、総大将は部隊の食糧にも気を [続きを読む]
  • 山中鹿之介さん、アナタなぜ七難八苦にあいたいの?
  • 戦国尼子家といえば、守護代家でありながら謀略で下剋上を果たした「謀聖」こと経久が知られています。が、経久没後、跡を継いだ晴久、義久父子は、毛利元就との戦いを経てついに滅ぼされてしまいます。しかし、そんな没落した尼子家にも忠臣がいました。主家再興に命を懸けた山中鹿之介幸盛です。この人、武勇に優れ、軍略にも通じていたようで、人からは「楠木正成公に勝る」とまで称されたとか。楠木正成といえば、南北朝期に後 [続きを読む]
  • 関ヶ原の戦い直前!鳥居元忠の覚悟
  • 関ヶ原の戦いの直前、会津の上杉景勝に謀反の疑いをかけた徳川家康は、その征討に向かうため、政治の中心である近畿を留守にすることになりました。当時、石田三成など家康に敵対的な豊臣官僚は複数いたため、実力者である家康が留守にすれば、彼らが旗揚げする可能性があります。それこそ家康の狙いでもあったと言われているわけですが、何はともあれ、留守にする以上、家康が詰めていた伏見城には代わりの責任者をおかなくてはな [続きを読む]
  • 織田信長&中島可之助(なかじまべくのすけ)の奇妙な外交交渉
  • 四国の名将・長宗我部元親は、念願の四国統一達成のため、本州の大名の介入を極力抑えるべく、織田信長や、中国地方の毛利輝元、宇喜多秀家などに贈り物をして、良好な関係を築こうとしていました(信長から圧力をかけていた部分もあります)。特に信長には、嫡男・信親の烏帽子親となってもらうよう希望したりもしています。当時、織田家は近畿の制圧をかなり進めていたため、元親としても信長の四国への進出を懸念していたのでし [続きを読む]
  • 家督相続で悩む最上義光に対する徳川家康の助言とは?
  • 南出羽(山形県)の梟将として知られる最上義光は、関ヶ原の戦い時には東軍に属し、敵軍・直江兼続の長谷堂城攻めをしのいだり(部下が籠城していた)、敵が退却し始めたら執拗な追撃戦を展開するなどして、戦後33万石もの加増をされています。その後、義光は領国において、基盤を作ろうと当主として辣腕を振るいますが、どうももうすぐ30歳の息子・義康のありようについて不満があったようです。■最上義光を苦しめる家内問題とは [続きを読む]