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2006/01/30

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  • 死を看取る中学二年生

    末の娘がこの夏、猫を看取った。 生まれて数ヶ月の野良猫が3匹幼稚園の物置のひさしにちょこんと現れた。娘たちが見てかわいさに声をあげ、ちょっと弱ってるので医者に連れて行きたがったが、祝日だったのでできなかった。その翌日1匹だけがぐしゃりとした姿でその場に残っていた。寺の盆ちょうちん付けで慌ただしい最中、娘が泣いて来た。前日の思いがあるので悔しさもあって号泣している。たかが出会って二日ほどの関係でもそこまでの悲しみを覚えるのだ。死んでいると思って見ているとまだ微かな息がある。娘が膝に抱える。時折びくんと体が動く。時折かーっと息が漏れる。死ぬのには時間がかかるのだ。すみやかに、でもゆっくりゆっくり死…

  • ライブ(ゼミ)のお知らせ第2回―キーワード篇―

    前回のブログでお伝えしましたゼミの1回目まで1と月もなくなり、日々準備をしています。というのは、ウソで、日々の仕事に追われてるので、こういう媒体でも使って想定しています。 興味ありそうなワードがあったら、どうぞお越しください。第1回 西谷啓治「宗教哲学 序論」『宗教とは何か』 MR.CHILDREN「マシンガンをぶっとばせ」 近代とポストモダン、「近代の超克」 ニイチェ「愉しい学問(悦ばしき学知die floerich Wissenschaft)」 「神は死んだ」ニヒリズム、世俗化、第2回 道元『正法眼蔵』、「十牛図」、まどみちお、 アイデンティティーのありか、鈴木大拙「般若即非の論理」 死の…

  • ライヴのお知らせ(ゼミ)

    先日あったシンポジウムは打ち上げ花火でそれっきり、ではなく、フォロー研修がある企画なのです。なかなか面白い企画ですよね。おかげで、もう3回、京都で話をする機会をもらいました。形式はゼミ。「とも生きゼミナール」の銘打たれております。先のシンポジウムのテーマが「ともに生きる力」だったので。 日時 第1回2017.9.15(金)19:00〜20:30 第2回2017.12.15(金)19:00〜20:30 第3回2018.2.9(金)19:00〜20:30 場所 キャンパスプラザ京都2階第1会議室 あ、主催者側の案内が出てました。 https://j-soken.jp/join/8955で、話の内容…

  • ありがとうとありがたいの差異

    「ありがとう」という言葉を説明する時、とかく(とくに坊さんは)「有ること難し」を持ち出す人がいる。 なんか違和感 存在の秩序を人情の秩序に越境ずり落ち ありがとうは誰かにいう ありがたいは無限定的なものを呼び起こされる感情あるいはそれに呼び起こされる感情

  • ライヴのおしらせ(シンポジウム)

    イベントのお知らせです。 京都であるシンポジウムに呼ばれて、久々の京都ライヴです。メインゲストはすげー人だし。たのしみ。どうぞお誘い合わせの上、ふるってご参加ください。 子育て中の親さん、教育関係者をターゲットにしたいようなのですが、まあテーマが脳科学✖仏教✖教育なので、そういったことに興味を持っている方は気軽どーぞ。 開催日 平成29年7月29日(土)14:00〜17:00(13:30開場) 内 容 第一部〈講 演〉(60分) テーマ:「脳は出会いで育つ」 講 師:小泉英明氏 第二部〈パネルディスカッション〉(90分) テーマ:「ともに生きる力とは?」 パネリスト:小泉英明氏・寺本知正氏・西…

  • 子どもの言葉ー頭が悪いと感じない

    高一娘が食卓で昔を語る。京都にいた頃の話である。2歳頃であろう。2階の部屋にテレビがあり、夜電気を消してテレビの青い光だけが灯っている状況が想定される。「トムソーヤの冒険」はファンが多いアニメであろう。ぼくも大好きだが、娘はそれ以上に好きであり、アニメの中で最高だという位置付けで、一体何度見たのだろうと思えるほど見ている。 その中の名シーンで、インジャンジョーが墓場で殺人をするけっこう怖いシーンがあるのである。そのシーンを2歳の自分が京都の家で見ていた時のことを語り出したのである。 「インジャンの、グサっていうのを一人で見てた。そん時は頭が悪かったから怖いなんて感覚がなかった。とーさんはとなり…

  • パクチー

    世はパクチーブームであると聞く。そこで、数年前に書いて日の目を見なかった記事を上げようと思う。パクチーが普通に売っているようになって、当時と状況は変わった。それどころか、「パクチーキャンディー」なるものまで出ている。確かにパクチーの味がする。でも、その味だけを楽しむものぢゃ、そもそも、ないでしょ。ブームに乗って一儲けということ以外の何物でもなく、2年後にはあるとは思えない代物ですね。ただ、この頃量産されるようになったパクチーは香りが薄い気がする。以下がその記事。 余はパクチーが好きだ。どこにでも売ってるというものではない。京都にいた頃は《明治屋》で買うのが常だった。なかなかないので、栽培しよう…

  • 悲しくてやりきれない

    妻が録画していたテレビ番組を見せてもらって久しぶりに、身動きが取れなくなって脱力する名曲に出会った。コトリンゴの「悲しくてやりきれない」。昔からある有名な曲だから耳には何度だって入ったことはある。昨夏に上映されたアニメ映画の挿入歌らしいが、昨夏のアニメ映画といえば娘たちと「聲の形」を見に行って相当良かった。「君の名は」はそれほど良くなかった。でも「世界の片隅に」という映画は知らなかった。そして今でも見ていない。コトリンゴなどという人も知らなかった。彼女が音楽を担当していたらしいが、よくあの歌を引っ張ってきたなと思う。 サトウハチロー恐るべし。あんな詩は書けない。あの詩から50年後、ああいう深さ…

  • 痛みの恵

    痛いのに私は弱い。痛いのはイヤだし、避けたいし、末期ガンになって非道く痛むようなら、痛みを抜く処置だけはして欲しいとも思っている。 で、この年末だいぶ痛みにつきまとわれている。8月にもあったのだが、寝違えのような首の痛さから始まって首から肩、背中にかけて痛みやしびれが広がる。受診すると、椎間板ヘルニアの疑い、あるいは頸椎性神経根症のようである。 今回も同様のパタンなので、またなのだろうと思い、ぢき仕事納めでもあるし、来るのは正月だし、どうせ朝から酒飲んでごろごろしてるだけなので、ま、しのぐしかないかと思って受診もせずにほっといた。すると結構痛みが強くなってきて、広がって、夜も痛みで起こされるよ…

  • 坊主が聖書を

    葬儀の後、棺に花を入れる時、亡くなった人の奥さんが外国人だったのだが、その一族が歌を歌い出した。私は読経をやめてその光景に見入った。やがて棺を囲んで輪になり、十字を切った。 遺体を焼いた後の還骨勤行の最後、法話の時に、私は聖書の話をした。あとで聞いたが喪主は入場した私の手に聖書を見いだし驚いたとのことだ。イエスの宗教者としての第一声であるマルコ1-15の一節を、浄土真宗に翻訳した。それから永遠の光が言葉になるという浄土真宗の根本生起であり且つ親鸞の根本経験であるところのものをはなす際、ヨハネ福音書の冒頭を読んだ。日本語と英語で読み「the Word was God.はバッチリ。 the Wor…

  • 人はいつ尊くなるのか

    「尊い命を大切に」ということがぼくにはよくわからない。命を惜しむということ、命が終われば私が終わり、それは「たったひとつの命だ」ということは、尊いということではない。2016/3/16のブログ《「全日本尊いいのちに感謝教」によって仏教は死んだ》のつづき。 命とは何か、命とは何を指すのか等の問いは、今は封じておいて話をする。 「無駄な命なんてない。」「生きてるだけで百点満点」。それで結構。生きてるだけなら100年満点。100点満点であり続けないのはなぜ? 行為するから? 満点の命が動くと減点になる? 尊い命が尊くない行いをしているということ、その尊くないものはどこから発生するのか。かけがえのない…

  • 「吾輩は猫」の居るところ

    「吾輩は猫である。名前はまだない。」これほど有名な書き出しをもった小説も稀であろう。 名前がないということは、「猫」一般であって、あの猫その猫であって、この猫という特異性を持たないということである。名前がはりめぐっている人間世界に居場所がないということである。個体性がないということである。 「名前はまだない」、つまり人間世界に定位置を持たないまま、持たないが故に、人間世界を出入りし通過し洞見し語ることができたのであろう。 そして、名を持たないまま死んだ。名なき猫は名なきままに、この世に意味づけられないまま、この世から消えた。そうなりそうなところ、最後の最後で究極の名を得た。この世の中での名では…

  • 食べるとき歴史がおとづれる

    夕食に妻とパスタを食べに行った。ジェノベーゼが私は大好物である。ジェノバペーストをからめたパスタで、バジル好きだった私は初めてそのパスタを食べたときは感動した。いや、ジェノベーゼを食べてバジル好きになったのかもしれない。初めて食べたときのお店のジェノベーゼは、ジャガイモとインゲン、松の実という具で見た目は物足りないような、むしろ奇異な感じさえ受けた。しかし食べたときの驚き、満足感はたいそうなものだった。 それ以来、ぼくはパスタを食べる機会があると必ずジェノバペーストのパスタを注文するようになった。しかし、ジェノバペーストが緩く、質感が今ひとつだったり、バジルの濃さがもの足りなくて水増しされた感…

  • 子どもの言葉;何とはなく抱く思い・でも根本的

    おぼうさんと ろくろくび (だまし絵・かくし絵・さかさ絵で遊ぼう! おもしろ妖怪、お化け紙芝居)作者: みやざきひろかず出版社/メーカー: 教育画劇発売日: 2015/09/01メディア: 大型本この商品を含むブログを見るみやざきひろかず作「おぼうさんとろくろくび」という紙芝居を妻が買って来て読んでくれた。それを聞いた双子の娘が、絵がみやざきさんぽくないと言う。ワニくんやレベルフォーがみやざきさんっぽいのだという。ワニくんのおおきなあし (ニッサン絵本大賞作家集)作者: みやざきひろかず出版社/メーカー: ブックローン出版発売日: 1985/12/01メディア: 大型本この商品を含むブログ (…

  • 広島平和記念資料館

    広島平和記念資料館に行った。広島へ行く予定は数ヶ月前からあったが、はからずも、今日本でもっともホットな場所となったと言ってよいだろう。 今回初めて音声ガイドの装置を借りた。展示してある解説以上の説明があり、私のような想像力の乏しい人間には大変よかった。数時間いて、疲れ切った。途中で退出しようかと思うほど、しんどかった。

  • 遠くなりにけり

    朝、洗面所で娘に「父さんは子どもみたいなもんだよ。でかくてしわがあってひげがあるくらいで。うちはもう大人だけど」などと言われた。そんなことを言う双子の娘が中学にあがった。そうなってから、気づいたことがある。小学校との距離だ。 全く意識はしてないのに、小学校の前を通るようなとき、小学校のあり方、立ち現れ方、存在感が全く違うのだ。 全く無関心なものとして立ち現れる。存在感が、物質的な建物。そこに心はかけない。逆にそうなって今気づくのは、以前はなんだかんだ気にかけていたのだということ。今何してるのかなあと、硬い箱のなかに想像をはたらかせていたのだということ。

  • あしたのための声明書

    ひとはすぐ忘れるから。 震災の影で、言論統制につながる法案を通す人がいるようだから。 報道規制が着実に強まり、清原つかまえて朝夕報道させる裏で物事を行おうとする人がいるようだから。 安保法案が通ったころにネット上で見た言葉を、今、思い出しておく。 あしたのための声明書わたしたちは、忘れない。 人びとの声に耳をふさぎ、まともに答弁もせず法案を通した首相の厚顔を。 戦争に行きたくないと叫ぶ若者を「利己的」と罵った議員の無恥を。 強行採決も連休を過ぎれば忘れると言い放った官房長官の傲慢を。 わたしたちは、忘れない。 マスコミを懲らしめる、と恫喝した議員の思い上がりを。 権力に媚び、おもねるだけの報道…

  • 友達に悩むすべての人へーー重松清「きみの友だち」を読んで!

    友達って? 「みんな」って言うけどみんなって何?誰? そんなふうに考えちゃって悩んでる人、そんな風に自覚はしてないけどそんな事態に見舞われてる人、友達関係に苦しんでる人、いじめられて苦しんでる人、こういったひとたちに手渡したい本です。すべての学校の先生にも読んでほしい。ぼくも、これらの対象者の一人として、読んでよかった。 ぼくは「みんな」を疑っている。「みんな」はこの国では神様の位置にあり、その神様をまつる日本人という宗教を「日本教」と呼んでいる(もとは『イザヤベンダサン『日本人とユダヤ人』の言葉)。その重要な教義は「赤信号みんなで渡れば怖くない」である。 幼稚園業界の書き物にも違和感を持って…

  • 「全日本尊いいのちに感謝教」によって仏教は死んだ

    創唱宗教と自然宗教という概念が今でも通用するのかどうかは、宗教学の研究状況を知らない私には分からないが、その装置を借りて話す。 自然宗教は、人が生きていると「自然に」出てくるもの、親を敬うとか先祖を崇拝するとかいうものを内容とするような宗教的な感情や社会的な儀礼などのことである。ムハンマドを知らなくても、仏陀なんて聞いたことなくても、社会の中で「自然に」身につき執り行われるものである。 今時で言うと、自分の親は二人でその親の親を20代前にさかのぼると何億もの親がいて、そのどの一人が欠けても自分の命はなくて、それを「いのちのつながり」とか「いのちのバトン」とかいって、「尊い命を大切に」ということ…

  • あきれた議員舞立昇治

    ある弁護士の歓迎会で、あいさつに自民党の舞立昇治が立った。そこで、彼は以下のようなことを言った。「私は三権分立のうちの二権、立法と行政に関わらせてもらっている。それで、司法は苦手である。最近自民党は、安保法案などでも意見だとか何とか言われている。そこで、N弁護士にはあんまり四角四面に法律にこだわるのでなく、現実に起こってることを尊重して、現場ではいろんな事が起こるのだから、それに合わせて法律を運用するような、柔軟な弁護士になってもらいたい。」 文字通りではないが、こういう趣旨のことをいったのである。唖然とした。これが今の自民党では普通の法律感覚なのかもしれない。そして恐ろしくなった。「駐車違反…

  • 初体験

    今日、生まれてはじめてフラフープができた。

  • 天使インフルエンザ

    インフルエンザにかかったおかげで、大変な時間を恵まれた。 何にもしなくていい時間。時間を気にせず、いつまでを気にせず、何時間だって何度だって寝ていい。ずっと寝てていい。娘のこじんまりした部屋に隔離されているので、人は寄りつかない。なのにご飯は運んでくれる。家事も育児も仕事も一切せず、布団の中にいられる。こんな状態は正月だってあり得ない。こんな休暇は望んだって得られない。インフルエンザの功徳と言うべきか。 実際、ほんとによく寝た。日頃の寝たい願望をここぞとばかり実現した。朝から咳が出たした日、しきりにエアコンは下半身には寒い、全く暖房向きではないとくどくど言ってたのは後から考えると悪寒という奴の…

  • 言葉がわからない電力会社

    「島根原子力発電所 低レベル放射性廃棄物のモルタル充填に用いる流量計問題に関する調査報告について」という、タイトルを見ただけでは何をするか分からない、中国電力主催の会にい行ってきた。このタイトルのわからなさは誤魔化しがあるからです。中電がそういう姿勢だってのがタイトルでわかっちゃうとは、おそまつ。操作ミスと、そのデータ捏造についての謝罪と報告の会、って言わないと何する会か分かんないでしょ。 1回目の平成19年はデータ改竄、2回目の平成22年は点検漏れ、今回は3度目だそう。「再発防止対策に取り組んでいるにも関わらず、不正事案が発覚し」と中電自身が書いてるのだから、深刻さを認めたに等しく、これは「…

  • 阿弥陀仏信仰とARBあるいは苦しいときの弥陀だのみ

    浄土真宗という宗教は親鸞を教祖と仰ぐ教団である。その宗教は修行をしない。あえて言うなら、法話を聞くことが修行である。そして法話を聞くことが一番大切なことだとする宗教である。なので、あちこちで法話を聞く機会がある。 講師は当然親鸞や阿弥陀仏についての話をするのである。布教使と呼ばれるある種のトレーニングを積んだ人が話をすることが多い。 しかし、聞いてていたたまれなくなって体をよじらせて我慢することも少なくない。小中学校のPTAの人権講演会のような「癒やし系」べったりの話に体から膿が出るかのようで発狂しそうになる、ってとこまではいかないけど、それに近いものは感じる。親鸞様ありがとうとかいいつつあた…

  • メリークリスマス

    わが家にはサンタさんは来ない。寺に住んでるから、仏教徒だから、それらは理由の一つ。キリスト教徒でもないのにクリスマスを祝わなくてもいい、とも思っている。仏教徒ぢゃなかったとしても、そしてサンタの格好がコカコーラ発のスタンダードであることが象徴するように、もはやクリスマスは宗教行事ではないということを肯うとしても、天邪鬼だから誰もがやってるクリスマスはやらないだろう。 ついでに言うと、イエスは神の一人子であり人間の罪を背負って十字架にかけられたのだとぼくは本気で思っている。宗教的に見て、クリスマスは花祭りであり、最重要な行事ではない。十字架の死によって、覚りによってこそ、イエスはキリストであり、…

  • 力に依拠しない世界を

    「力」とは別の仕方で語ることの必要を感じ初めてからもう10年以上たつが、そういう言葉世界を開くのさえはかばかしくない。たとえば、聞くことが大事だというのを幼稚園でも語り続けているが、そこでつい「聞く力を育みます」などと言ってしまう。いやだなあとどこかで思いながらも、である。だいたい、聞くというのは力なのか。否。むしろ無力である。無力において展開し転がり出す世界である。力に約して語ってしまうと、結局個人の能力に還元されてしまって関係性で物事を見る見方が絶たれる。 地域の小学校(境小学校)で、市内の先生方が集まる研究授業があり参加してきた。総合学習を地域密着型で実によくやっている。継続が積み上げに…

  • 平穏無事なんて

    佐野洋子の「死ぬ気まんまん」という本のタイトルを見て、二番目の娘いわく。「おもしろいタイトル。死ぬのもいいと思う。もし、死んで地獄とかなかったら、目が閉じて暗いまま、息もなくて、焼かれてそして何もないなら、地獄とかあった方がいい。」平穏無事な日常なんて退屈で耐えられない。悪いことであっても、何か起きてくれる方がまし、という感覚だろうか。

  • 名月のもとで思う

    名月や池をめぐりて夜もすがら 芭蕉 池をめぐるというのだから、月を見ているのではなく、月がうつっている池を見ている、さらには月の照らす世界を見ているということであろう。夜もすがらというのだから、一晩中月をながめ、眺めあかすということであろう。私も以前は月をながめあかす人であったが、今やかなり「夷狄にひとし」くなってきている。 月見とは直接月を見るのではないということを、成就院「月の庭」から教わった。その庭は「月の庭」という名を持つのに月は見えないのである。月を見るのではなく月影を見る。月に照らされた世界を見る。今でも、ボランティアで泊まった夜の月の庭を、あの灯籠を、借景の山とのなだらかな接続を…

  • 棒倒し民主主義

    民主主義という翻訳はよくない。デモクラシーは民主政治であって、「主義」などと曖昧なことを言うから野放図に広がって薄まり、本質を見失うのである。僕は大学の時の先生にこのことを学んだ。しかるべき領域の言葉であり事柄であるという制約を確認しておけば錦の御旗のなることはない。この、効率の悪いシステムは、最高ではないが不可避である。 安保法案が参議院特別委員会で「可決」されたシーンをテレビで見られた方は多いと思う。僕でさえ見た。 中継で見ていて唖然としたとともに、運動会の競技で以前は定番だった棒倒しを思い出していた。賛成、反対については、(僕は反対だが)さまざまな見方があるから、色々あって当然である。で…

  • 14歳の女子

    中学2年の娘と父親の関係というのは、一般的に言っても簡単ではない。うちの場合、二言目には「ウザ」「キモ」と言うのが常態であるが、二言目ではなく一言目であるとか、そもそも一言もないとか、それによって関係は相当違いがある。何を言われても即答の反論で、それが的を射てるのを見るにつけて、頭がいい子だと思う(学校の勉強はよくできるとはいえない)。その即答性に口の悪さが結びつくと、長所が短所になる。家族に対してだけではない。学校の先生にもその調子で、臆することなく対決しているようである。「歯に衣着せぬ」物言いの、大切さと心地よさを覚えるとともに、「口は災いの元」を痛感してる私にとっては、心配でもある。 長…

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