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- 2009/09/30 07:11ブログ終ります。
- ブログ終ります。2006年08月 から始まり、三年経ちました。飽き性の自分がよく続いたものだと自身感心してます。実は、開始当初は大野のことはよく知りませんでした。しかし、多くの人に教えて頂き、このブログ続けてきました。ブログを通して、いろんな経験したり、多くの人に出会えてよかったです。ブログランキングの上下動に一喜一憂したり、コメントや拍手を頂いたことも嬉しかったです。市役所や大学やテレビ局の人からの問 [続きを読む]
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- 2009/09/27 09:12伊勢湾内での捕鯨が、日本の捕鯨業の始まり?
- 「張州雑志」(1770〜1778)より平成12年、ゴンドウクジラの群れが伊勢湾に入り込み、大騒ぎになりました。しかし、昔はよく鯨が伊勢湾に入ってきて、江戸時代には湾内での捕鯨の記録がいくつか残っています。今まで、日本の捕鯨の始まりは三河湾での捕鯨とされていました。根拠は我が国最古の捕鯨専門書である「西海鯨鯢記(さいかいげいげいき)」(1720)に「元亀年中(1570〜73)、三河国内海ノ者、船七、八艘ニテ沼崎辺ニテ突 [続きを読む]
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- 2009/09/21 20:00老舗のジャズ喫茶 ブルーノート
- 1973年開店の36年間続いている超老舗のジャズ喫茶です。ていうか今はジャズ喫茶自体絶滅の危機に瀕して、他ではなかなかない。おそらく知多半島内にあるジャズ喫茶はもうここだけではないでしょうか。レコード4500枚。クレッシャンド(アルテック604E)のスピーカーで臨場感抜群。壁にはいくつものジャズ奏者のモノクロパネルが所狭しと掛けられている。「今は一日のお客さんはせいぜい一人か二人だけ」とのこと。行けばい [続きを読む]
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- 2009/09/16 14:17寄稿「尾張大野の匂い」西まさる
- 尾張大野の匂い 西まさる知多半島をまったく知らなかった20年ほど前の私。それでも常滑市の名は知っていた。常滑は常滑焼で有名だし、あるいは常滑競艇場の宣伝などが脳裏に残っていたのかもしれない。そして、尾張大野の地名も知っていた。常滑も大野も行ったことのない土地だったが、なぜかこの二つの地名は知っていた。常滑はともかく、尾張大野をなぜ知っていたのだろう。日本最古の海水 [続きを読む]
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- 2009/09/13 07:24織田信孝の密葬先は、大野・海音寺
- 信長の三男・織田信孝は、天正11年(1583年)、賤ヶ岳の戦いで敗れると、知多半島の野間大御堂寺の持蓮坊に幽閉され、まもなくそこで自害します。信孝の家臣・太田牛一は密かに大野の海音寺で信孝の葬儀を営みました。信孝像を彫り生前の信孝を偲びましたが、信孝像は火災で焼失、現在は位牌のみが残っています。太田牛一は文才に長け、後に織田信長一代記「信長公記」を著した人物です。海音寺:常滑市大野町3ー11tel 0569-42-08 [続きを読む]
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- 2009/09/07 21:51「知多半島のふしぎ物語」セミナーを受講しよう!
- ●受講ご希望の方は、熱田の森文化センターもしくは【当会事務局】にご連絡ください。●毎月第3火曜日10時〜12時 西まさる+当会の幹事の組み合わせで「知多半島のふしぎ」を中心にお話します。●第1回は、10月20日(火)10時〜 『にっぽん音吉』=知多半島の船乗りで太平洋を14ヶ月も漂流。北米で原住民の捕虜に。以降、 日本人で初のロンドン上陸。世界初の和訳聖書の作成。日英和親条約の締結に尽力。しかし、日 [続きを読む]
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- 2009/09/03 10:16大野の「大政」を追え! 17(最終回)
- 大政が大野出身である証拠資料発見「大政は大野の廻船問屋に生まれ、名は原田熊蔵」しかし、原田という名の廻船問屋が大野には見当たらない。本当に大政は大野出身なのだろうか?ではじまったこのコーナー。ついに、大野にある原田という名の廻船問屋とみられる資料を見つけました。関係者にそれを見せ、まずまちがいないだろうということで公表します。上の資料は、大野の大庄屋である「平野家古文書」の一部です。これを現代文 [続きを読む]
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- 2009/09/01 15:59大野でドラマ撮影 youtubeより
- 前回紹介した、東海テレビの昼の帯ドラマ「嵐がくれたもの」(13:30放送)の大野町ロケ風景がyoutubeにありましたので貼っちゃいます。よく見たら、知り合いの大谷さんが作ったものでした。BGM付き写真も綺麗でカッコいい〜。私の知ってる人も結構写ってました。下の写真は大谷さんのうちで主役に取材した時の写真だそうです。前、大野に来たマナ・カナちゃんも綺麗だったけど、この人も綺麗ですね。呼んで欲しかったなあ。 [続きを読む]
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- 2009/08/28 20:05大野の「大政」を追え! 16
- 仮説・次郎長と大政との出会い 6 (最終回)お凛が急に危篤に陥ったのは、それから2日後だった。「熊蔵、私はもう永くないよ」「なにを言うんだ。おっかさん。もうすぐ医者がくる。薬を買う金もある。しっかりするんだ」「お前に言いたいことがある。心してお聞き」「・・・」「実はね。お前の本当の父親は洲岬屋の九郎右衛門さんじゃないんだよ」「えっ」あまりに唐突の話に熊蔵は動揺を隠せなかった。「お前の父親は同じ廻 [続きを読む]
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- 2009/08/22 21:40月刊「大野町ばかり行かない」 6号
- 夏休みを利用して、富士山を見に行きました。早朝、河口湖からみた富士山です。天候良く、逆さ富士を撮れて満足しました。私若い頃の趣味は登山。色んな山に登りました。富士登山は2回いきましたが、2回とも土砂降りの雨で御来光を拝めれなく悔しい思いをしました。でも今はでぶってしまって、3回目をトライする気にはなれません。富士は登るものでなく見るものなのでしょう、きっと。てことで、youtubeにあった富士山も貼っちゃ [続きを読む]
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- 2009/08/19 20:34古民家の中にある「ネイルセラピーサロン Lino」
- 『ネイルを美しく飾るだけてなく心も癒す』雰囲気のいい古民家で開業しているネイルセラピーサロンです。Linoではハワイで取得したネイルセラピーを取り入れ爪、手、足のコンプレックスを解消し笑顔のお手伝いができたらと思っています。 お客様お一人お一人しっかりとカウンセリングし心を込めて施術いたします。 ネイルサロンが始めての方やお子様連れの方などお気軽にお越しください。サロンでゆったりとした時間をお過ご [続きを読む]
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- 2009/08/16 08:22大野の「大政」を追え! 15
- 仮説・次郎長と大政との出会い 5「久しぶりだな 久六」 「これは次郎長の旦那。以前はお世話になりやした」2年前久六は博打で大負けをくらう。化粧回しも質に入れたため、明日の土俵にも立てないと困っていたところを次郎長がポンと金を貸してやったのだ。「相撲取りは博打にのめり込むんじゃねえとあれほど言ったのに。また賭場で遭うとはな」「いや、わかってるんすが、借りたお金を一日でも早くお返ししようと、ついつい・ [続きを読む]
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- 2009/08/13 01:53江戸時代の大野地図の原図
- 西之口・西用寺の堀田住職より頂きました。大野の石井善八邸からお借りしカラーコピーしたもの。大きさはA0サイズくらいあります。当ブログに何回も紹介しているゼンリンのような江戸時代の大野地図は、この原図を元に、住職が20年位前に現代の文字に書き直したものです。下の文字は、この地図を八つ折にした裏の部分に書かれたものです。「享保年中 衣ヶ浦大野古図 一枚嘉永七甲寅仲夏求之石井善八郎 控」と書かれています。味 [続きを読む]
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- 2009/08/07 07:05盆踊りコンテスト
- その昔、大野海岸で盆踊りコンテストが行なわれていました。色々趣向を凝らし仮装して、楽しそうですね。この年の優勝は「大漁唄い込み」の大野青年団。昭和35年頃の写真です。 [続きを読む]
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- 2009/08/03 04:44大野の「大政」を追え! 14
- 仮説・次郎長と大政との出会い 4その夕方、次郎長一行は芸者置屋に立ち寄る。芸者置屋とは芸者が待機しているところだ。仕事をしてない時は芸事の練習や作法の勉強をしている。当時の大野は芸者の町としても有名で、芸者置屋が10軒ほどあった。芸者を呼ぶ時は、宿屋を通して頼むか、直接芸者置屋に行って好みの芸者を指名してから一緒に宿屋に行くかどちらかだ。次郎長の場合お目当ての芸者がいたから、後者を選んだ。 「いら [続きを読む]
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- 2009/07/30 07:13大野海岸PR隊、名古屋へ行く
- これも昭和30年頃の写真です。常滑観光協会が、トラックを繰り出し、県庁まで、大野海水浴場をPRに行っていました。荷台の上に乗っているビキニ姿の男性がとてもユニークですね。 [続きを読む]
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- 2009/07/25 13:11大野の「大政」を追え! 13
- 仮説・次郎長と大政との出会い 3弘化3年(1846)夏。次郎長と子分の鶴吉は大野湊に向かう。途中、寺津の治助親分の所に世話になったお礼を言いに立ち寄る。また、剣術の指南をしてもらった吉良の武一のところにも。「ほう、これから大野に行くのかい。俺はこのかたまだ行ったことがねえな。潮湯治が身体にいいんだってな。どうだい、邪魔じゃなかったら連れてってくれねえか」と武一。「邪魔とは滅相もねえ。世話になった武一 [続きを読む]
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- 2009/07/24 13:56大草にあった山車
- 今はありませんが、以前は大草(大野の北隣・知多市)にも山車がありました。津島天王祭にでる車楽船の宵祭の飾り付けと同じ形態で大変珍しい山車です。大野権現町の「権丸」のように、巻藁提灯がついていますね。大草の祭りは夏の暑い頃に行なわれたそうです。この写真は高橋さんの記憶では昭和30年頃じゃないかとのこと。とても貴重な写真です。 [続きを読む]
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- 2009/07/19 05:48この夏、メルヘンの世界「久野晴美 絵画展」
- 「花を届けに」この夏、雰囲気のいい茶房でメルヘンの世界を見にいきませんか?久野晴美 絵画展:2009年7月23日(木)〜8月10日(月)まで 10:00〜17:00 火水休み茶房ギャラリー鬼無里(きなさ) 場所/知多市八幡字汐海道161 ?0562−36−0254 ・国道155線「知多市役所東」交差点から北東約930m・名鉄常滑線「朝倉駅」より徒歩10分 [続きを読む]
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- 2009/07/11 05:46大野でドラマ撮影
- 7月10日、伊勢湾台風を題材としたドラマのロケ撮影が大野で行われました。東海テレビの昼の帯ドラマ「嵐がくれたもの」という番組。岩崎ひろみさんが女性警察官節子役で主演。8月31日から44回シリーズで放送されるそうです。しかし、最近なぜか大野はテレビづいてますね。 [続きを読む]
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- 2009/07/10 03:53バラエティ番組が「大野海水浴場」を紹介
- 高橋さんから電話がかかってきた。「ものすごい情報がある!」いきなりの口癖。「今度は何ですか?」「君のブログを見て、東京のテレビ局が大野の取材にきたぞ。今度大野海水浴場がテレビに出るそうだ」「えー、そりゃ本当にすごい」「わしの顔を見るなり、初対面の東京から来たプロデューサーがいきなり高橋さんですよねと言いよった」当ブログに高橋さんの顔がふんだんに出ているため、最近高橋さんはかなりメジャーになっちゃ [続きを読む]
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- 2009/07/04 09:42大野に海女さん
- これ、猥褻画像じゃありません。昔はよく、大野海水浴場に、伊勢志摩から海女さんが観光PRに来られたそうです。その時の写真です。私、数年前伊勢志摩へ行って海女さんのデモンストレーション見た時はちゃんと上半身も身を纏っていましたけど、昔はそうじゃなかったみたいですね。江戸時代に描かれた『尾張名所図会』の中の潮湯治をしている女性や明治時代の頃の女相撲の写真も平気でおっぱい丸出しだったし、昔は今より性が開放 [続きを読む]
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- 2009/07/01 16:37大野海水浴場の立役者・後藤新平
- 大野海水浴場は、「世界最古の海水浴場」とも呼ばれる古い歴史を持つ。1881(明治 14)年、. 愛知県病院長だった後藤新平がこの地を訪れて現地調査を行い、日本最初の海水浴啓蒙書とい.われる『海水功用論』を著した。これをきっかけに加温海水浴場など設備も整えられ、旅館も多数建設された。いわば、後藤新平は大野海水浴場の功労者だ。上の写真は、大正9年大野町役場で撮られた貴重な写真。前列中央の白い服が、当時内務大臣だ [続きを読む]
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- 2009/06/29 15:43大野の「大政」を追え!12
- 仮説・次郎長と大政との出会い 2江戸時代の大野村は海運業で賑っていた。「寛文覚書」(1660年頃)によると村の持つ廻船の数は知多一で、半田村35に対して、大野村65にもなっている。特に「洲岬(スザキ)屋」(仮称)は大野の廻船問屋の中でも最も栄華を極めた。「大野湊に洲岬屋が荷を降ろさない日はない」とまで言われた。天明時代(1785年頃)、大飢饉より尾張藩は財政が貧窮し、藩内の豪商たちに上納金を申しつける [続きを読む]
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- 2009/06/28 18:06月刊「大野町ばかり行かない」 5号
- 「不可能を可能にする方法」「出来ないと言うことは、出来ると言うよりずっと難しい。ひとつでも可能性があれば出来ると言えるけれど、可能性を全て探らなければ出来ないとはいえないからだ 」この名言は、新幹線をつくった男・島秀雄の言葉だ。とかく、固定観念や先入観で、最初から「駄目だ」とか「無理だ」とか言ってないだろうか。勝手に不可能だと決め付けていないだろうか。私の周りにはそういう人がいる。そういう人に限っ [続きを読む]
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