偉人録 さん プロフィール

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偉人録さん: 偉人録 郷土の偉人を学ぶ 偉人の志を引き継ごう!
ハンドル名偉人録 さん
ブログタイトル偉人録 郷土の偉人を学ぶ 偉人の志を引き継ごう!
ブログURLhttp://blog.livedoor.jp/ijinroku/
サイト紹介文偉人の故郷、ゆかりの地の紹介。生誕地、記念館、史蹟、墓所、関連HP、関連書籍の紹介。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供299回 / 365日(平均5.7回/週) - 参加 2006/12/17 12:34

偉人録 さんのブログ記事

  • 歴史的建造物の活用 息づく風土と気概を未来へ(佐賀新聞・2017/5/15)
  • 歴史的建造物の活用 息づく風土と気概を未来へ(佐賀新聞・2017/5/15)この週末、唐津くんち11番曳山(やま)「酒呑童子(しゅてんどうじ)と源頼光(みなもとらいこう)の兜(かぶと)」(米屋町)が総勢300人の曳き子とともに福岡市天神のビル街を駆けた。ユネスコの無形文化遺産登録を記念した九州合同イベントだ。博多祇園山笠はおなじみとして、想像上の動物「亀蛇(きだ)」が舞い踊る「八代妙見祭」など祭りの多様性を再 [続きを読む]
  • 彦主人王(ひこうしのおう)・古代の偉人
  • 彦主人王(ひこうしのおう)・古代の偉人5世紀中頃〜後半 汙斯王 父は乎非王。母は牟義都国造伊自牟良君の女久留比売命。垂仁天皇7世孫の越前の三国の坂中井の振媛との間に継体天皇 継体天皇に至る系譜は記紀には他の天皇と異なり、単に誉田天皇(応神)五世孫として彦主人王をあげるのみだが、『釈日本紀』が引く『上宮記』逸文には「凡牟都和希王(応神)─若野毛二俣王─大郎子(意富々等王)─乎非王─汙斯王(彦主人王)─乎 [続きを読む]
  • 阿部市郎兵衛(あべ・いちろべえ)・滋賀の偉人
  • 阿部市郎兵衛(あべ・いちろべえ)・滋賀の偉人近江国能登川(滋賀県東近江市)で江戸時代以来の近江商人。近江国(滋賀県)神崎郡能登川に住み、代々市郎兵衛を名乗って、麻布商を営んでいた。初代教順(元禄15年7月没)、二代目教善(寛保2年正月没)、三代目教祐(天明元年7月没)、四代目専祐(寛政2年8月没)、五代目常省(天保6年3月没)。五代目は奥州より紅花を買い入れ、紅染に改良を加え、「紅市」の名を売った。享和末 [続きを読む]
  • 帥升(すいしょう)・古代の偉人
  • 帥升(すいしょう)・古代の偉人1世紀後期から2世紀初期 倭国王 系譜関係未詳 107年に倭国王として後漢に朝貢して奴隷を献上したことで知られる。このときのことを、『後漢書』東夷伝は「安帝の永初元年、倭国王帥升等、生口百六十人を献じ請見を願ふ」と記している。中国の歴史書では、このころの日本・日本人を倭・倭人と記しており、その様子は『山海経』などによってうかがうことができる。紀元前1世紀ころの倭は百カ国あまり [続きを読む]
  • 安部井磐根(あべい・いわね)・福島の偉人
  • 安部井磐根(あべい・いわね)・福島の偉人陸奥二本松藩(福島県二本松市)生まれ。天保3年(1832)3月17日-大正5年(1916)11月9日 85歳明治時代の政治家。天保3年(1832)3月17日、陸奥二本松藩士安部井又之丞の子として生まれる。戊辰戦争にあたって二本松藩は新政府軍と戦って敗れたが、彼は新政府に旧領回復を請願、奔走して声望をあげた。維新後若松県監査、同権少参事、同参事を歴任。明治11年(1878)福島県会議員、同議 [続きを読む]
  • 印南町へかつお節広めた漁民の顕彰碑寄贈(日高新報・2017/5/12)
  • 印南町へかつお節広めた漁民の顕彰碑寄贈(日高新報・2017/5/12)印南町の有志でつくる江戸時代・印南漁民顕彰碑建立会(坂下緋美代表)は8日、江戸時代にかつお節の製造で功績を残した印南漁民3人をたたえる顕彰碑を町に寄贈した。顕彰碑は、かつお節の製法を編み出した角屋甚太郎、その製法を伝授した森弥兵衛、印南與市の功績を後世に伝えようと、町文化協会会長の坂下さんらが建立会を立ち上げ、町民らから賛助金で平成27年 [続きを読む]
  • 姉崎正治(あねざき・まさはる)・京都の偉人
  • 姉崎正治(あねざき・まさはる)・京都の偉人京都生まれ。明治6年(1873)7月25日-昭和24年(1949)7月23日 77歳明治から昭和にかけての日本宗教学の祖。号は嘲風。明治6年(1873)7月25日京都姉崎正盛の長男として生まれる。第三高等中学を経て帝国大学文科大学哲学科を明治29年卒業、大学院にて宗教学を専攻。明治30年井上マスと結婚。『印度宗教史』著わす。明治31年母校講師就任。『比較宗教学』を刊行。明治32年『仏教聖典史 [続きを読む]
  • 高安茂(こうあんも)・古代の偉人
  • 高安茂(こうあんも)・古代の偉人6世紀初頭頃 百済から渡来した五経博士 漢高安茂 系譜関係未詳 『日本書紀』によれば516(継体10)年9月に、百済が州利即次将軍を派遣してきた時に合わせて、先に来朝していた五経博士段楊爾の代わりとして貢られた。高安茂自身はここにしか現われないが、五経博士とは『易経』『書経』『詩経』『春秋』『礼記』の儒教の五経を司るもので、儒学の教官的なものであった。中国においては、漢の武帝 [続きを読む]
  • 足立文太郎(あだち・ぶんたろう)・静岡の偉人
  • 足立文太郎(あだち・ぶんたろう)・静岡の偉人慶応元年(1865)6月15日-昭和20年(1945)4月1日 81歳明治から昭和前期にかけての解剖学および人類学者。慶応元年(1865)6月15日、伊豆国田方郡市山村(伊豆市)に足立長造の長男として生まれる。明治27年(1894)、帝国大学医科大学を卒業後、解剖学教室の助手として勤務。明治31年10月、第三高等学校教授に任ぜられた。明治32年5月、解剖学研究のためにドイツに留学し、明治37年 [続きを読む]
  • 太良未太(だらみだ)・古代の偉人
  • 太良未太(だらみだ)・古代の偉人6世紀末頃 百済から来た技術者。寺工・寺師 丈羅未大 系譜関係未詳 588(崇峻元)年に蘇我馬子が飛鳥寺建立を発願したが、同年百済から調を進めてきた首信らに伴って、僧・寺工・鑪盤博士・瓦博士・画工らが来朝。太良未太はその中の寺工の一人であり、『元興寺伽藍縁起?流記資財帳』に引く塔露盤銘から、この年に来朝した技術者たちは飛鳥寺の造営に関わっていたことがわかる。なお露盤銘には寺 [続きを読む]
  • 足立正(あだち・ただし)・鳥取の偉人
  • 足立正(あだち・ただし)・鳥取の偉人鳥取県境町(境港市朝日町)生まれ。明治16年(1883)2月28日-昭和48年(1973)3月29日 90歳大正・昭和時代の財界人。明治16年(1883)2月28日、鳥取県に生まれる。明治38年東京高等商業学校卒業、三井物産に入社。明治44年、藤原銀次郎が三井物産から王子製紙会社の再建に送りこまれたとき、足立も行動をともにし、王子製紙庶務課長に就任した。藤原の妻の生家が足立の生家の隣家であった関 [続きを読む]
  • 没後20年 司馬遼太郎回顧展を開催(産経新聞・2017/5/6)
  • 没後20年 司馬遼太郎回顧展を開催(産経新聞・2017/5/6)6月3日から横浜そごう 自筆原稿や初刊本などを展示産経新聞社と公益財団法人司馬遼太郎記念財団は、6月2日(金)〜7月9日(日)に横浜市のそごう横浜店6階「そごう美術館」で、回顧展「没後20年 司馬遼太郎展−21世紀“未来の街角”で」を開催します。国民的作家の自筆原稿などを展示し、司馬遼太郎の世界を紹介します。貴メディアで開催の告知をお願いいたします。『竜馬が [続きを読む]
  • 安達清風(あだち・せいふう)・鳥取の偉人
  • 安達清風(あだち・せいふう)・鳥取の偉人鳥取城下(鳥取市寺町)生まれ。天保6年(1835)3月23日-明治17年(1884)9月15日 50歳江戸時代後期の鳥取藩の尊攘派藩士。父は鳥取藩士安達貞恭(三百石高)。天保6年(1835)3月23日鳥取城下に貞恭の長男として誕生。はじめ和太郎、ついで清蔵・志津馬・清一郎と称し諱は忠貫、明治4年(1871)これを清風と改めた。嘉永5年(1852)江戸に出て、ついで水戸藩において勉学し、安政年間( [続きを読む]
  • 曇徴(どんちょう)・古代の偉人
  • 曇徴(どんちょう)・古代の偉人生没年未詳 高句麗の僧 系譜関係未詳610(推古18)年3月、高句麗王(嬰陽王)の命により法定とともに遣わされ、来日。曇徴は五経に精通し、良質の彩色(いわゆる絵具)や紙・墨の製作にもたけており、また碾磑(水力を利用した臼)も造ったという。『日本書紀』は「蓋し碾磑を造ること、是の時に始まるか」と記すが、日本では碾磑はほとんど普及しなかった。推古朝においては、曇徴らの他にも高句麗 [続きを読む]
  • 安達幸之助(あだち・こうのすけ)・石川の偉人
  • 安達幸之助(あだち・こうのすけ)・石川の偉人加賀国金沢藩士。文政7年(1824)−明治2年(1869) 46歳江戸時代後期の蘭学者。加賀国金沢藩士。名は寛栗。中宮某の子。のち足軽安達氏の養嗣子となる。兵学を志し安政2年(1855)江戸藩邸に在勤して蘭学を村田蔵六(大村益次郎)に学ぶ。万延元年(1860)幕府の講武所で西洋兵学を教え、翌年帰藩して藩校の壮猶館教授となり、また大砲鋳造に従事した。のち京都に出て大村に用いら [続きを読む]
  • 慧慈(えじ)・古代の偉人
  • 慧慈(えじ)・古代の偉人6〜7世紀、推古天皇31年(623)2月22日没か。高麗(高句麗)の僧。聖徳太子の師 恵慈(恵は慧の通字) 系譜関係未詳 『日本書紀』によれば、595(推古3)年に来朝し、三論宗の学匠で成実宗にも通じており(『三国仏法伝通縁起』)、同年渡来した慧聡とともに仏教を広めて三宝の棟梁と称された。聖徳太子(廏戸皇子)は慧慈を師として経論を学んだという。翌年に法興寺(元興寺)の造営が完了すると、蘇我 [続きを読む]
  • 安達憲忠(あだち・けんちゅう)・岡山の偉人
  • 安達憲忠(あだち・けんちゅう)・岡山の偉人備前国和気郡熊山村(岡山県赤磐市)生まれ。安政4年(1857)8月3日−昭和5年(1930)12月2日 74歳明治時代の社会事業開拓者。幼名林吉。安政4年(1857)8月3日、備前国和気郡熊山村(岡山県赤磐郡熊山町佐古部落)の旧家安達熊四郎の次男に生まれ、10歳のとき母与志の急死により寺に預けられ憲忠と改名。青年期に漢字者西薇山の影響で自由民権運動に関係し、集会条例違反で入獄。その [続きを読む]