偉人録 さん プロフィール

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偉人録さん: 偉人録 郷土の偉人を学ぶ 偉人の志を引き継ごう!
ハンドル名偉人録 さん
ブログタイトル偉人録 郷土の偉人を学ぶ 偉人の志を引き継ごう!
ブログURLhttp://blog.livedoor.jp/ijinroku/
サイト紹介文偉人の故郷、ゆかりの地の紹介。生誕地、記念館、史蹟、墓所、関連HP、関連書籍の紹介。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供235回 / 365日(平均4.5回/週) - 参加 2006/12/17 12:34

偉人録 さんのブログ記事

  • 熊楠記念館を訪問 孫文の関係者(紀伊民報・2017/4/8)
  • 熊楠記念館を訪問 孫文の関係者(紀伊民報・2017/4/8)中国の革命家・孫文に関する事業に取り組む台湾の財団法人の一行が6日、和歌山県白浜町の南方熊楠記念館を訪問。孫文と熊楠が交流していたことを示す手帳や写真、パナマ帽などを見て回った。 記念館を訪れたのは、孫文に関する書籍を出版したりセミナーを開いたりしている「中山学術文化基金会」の役員ら9人。トップに当たる董事長は許水徳(きょ・すいとく)氏で、過去には [続きを読む]
  • 浅野研真(あさの・けんしん)・愛知の偉人
  • 浅野研真(あさの・けんしん)・愛知の偉人愛知県中島郡祖父江町(愛知県稲沢市)生まれ。明治31年(1898)7月25日-昭和14年(1939)7月10日 42歳昭和時代前期の宗教社会学者、評論家。明治31年(1898)7月25日、愛知県中島郡祖父江町の真宗大谷派の寺院に生まれ、日本大学を卒業後、フランスに留学、デュルケム学派の宗教社会学を研究するかたわら、仏教の社会的研究を開拓しようと志した。昭和3年(1928)帰国し、『社会現象と [続きを読む]
  • 浅田信興(あさだ・のぶおき)・埼玉の偉人
  • 浅田信興(あさだ・のぶおき)・埼玉の偉人武蔵川越藩(埼玉県川越市)生まれ。嘉永4年(1851)10月12日-昭和2年(1927)4月27日 77歳明治・大正時代の陸軍軍人。嘉永4年(1851)10月12日武蔵川越藩に生まれた。明治5年(1872)陸軍少尉に任ぜられ以来累進し、その間、西南戦争では小隊長として出征し、その豪勇が官賊の間で鳴り渡った。日清戦争のときは、中佐で屯田兵参謀長であったが、屯田兵は臨時師団として東京まで来ただけ [続きを読む]
  • 肖像画で見る郷土の星 県教育記念館で展示会(中日新聞・2017/4/6)
  • 肖像画で見る郷土の星 県教育記念館で展示会(中日新聞・2017/4/6)明治から昭和にかけて活躍した県出身者を紹介する特別展「肖像画に見る郷土の先賢」が五日、富山市千歳町の県教育記念館で始まった。五月二十八日まで。肖像画は一九八三年の置県百年を記念し、全日本肖像美術協会の馬堀喜孝総裁が郷土の偉人百人を描き、同館が所蔵している。今回はスポーツや政治などの分野で活躍した十八人の肖像画と出身地や人生を紹介するパネ [続きを読む]
  • 安居院庄七(あぐい・しょうしち)・神奈川/静岡の偉人
  • 安居院庄七(あぐい・しょうしち)・神奈川/静岡の偉人相模国大住郡蓑毛村(現・神奈川県秦野市蓑毛)に住む大山阿夫利神社の修験者をしていた朝田家の次男として生まれる。寛政元年(1789)1月-文久3年(1863)8月13日 75歳江戸時代後期の報徳社運動の指導者。通称庄七、諱は義道。蘆扇・乾坤斎と号した。寛政元年(1789)相模国大住郡蓑毛郡(神奈川県秦野市蓑毛)大山の修験密正院に生まれ、同郡曾屋村(秦野市曾屋)の穀物商 [続きを読む]
  • 暁烏敏(あけがらす・はや)・石川の偉人
  • 暁烏敏(あけがらす・はや)・石川の偉人石川県石川郡出城村北安田(白山市)生まれ。明治10年(1877)7月12日-昭和29年8月27日 77歳明治から昭和時代にかけての仏教思想家。仏教伝道者。幼名も敏。明治10年(1877)7月12日、石川県石川郡出城村北安田(白山市)真宗大谷派明達寺で誕生。父依念、母千代野。明治24年得度。金沢共立尋常中学、京都大谷尋常中学を経て明治29年9月真宗大学本科に入学。この年、清沢満之を中心に東本願寺 [続きを読む]
  • 造船の父・肥田浜五郎紹介 案内人会が講話―伊東(伊豆新聞・2017/4/6)
  • 造船の父・肥田浜五郎紹介 案内人会が講話―伊東(伊豆新聞・2017/4/6)■「時代に求められた人」伊東自然歴史案内人会・伊東東郷記念館部会はこのほど、伊東市渚町の同館でミニ講話を開いた。幕末から明治にかけて活躍し「日本の造船の父」ともいわれる同市八幡野出身の肥田浜五郎(1830〜89年)の後半の人生について入館者に話した。講師は案内人の米村邦臣さんが務めた。米村さんは、浜五郎が所長を務めた横須賀造船所で、 [続きを読む]
  • 秋山定輔(あきやま・ていすけ)・岡山の偉人
  • 秋山定輔(あきやま・ていすけ)・岡山の偉人岡山県倉敷市生まれ。慶応4年(1868)7月7日-昭和25年(1950)1月19日 81歳明治時代のジャーナリスト。反権力大衆新聞『二六新報』の刊行主。明治元年(1868)7月7日、倉敷の商人秋山儀四郎の長男に生まれる。明治23年、帝国大学法科大学を苦労して卒業したのち、会計検査院の検査官試補となったが、一年余で退官した。明治26年大石正己・稲垣満次郎を顧問として『二六新報』を創刊。 [続きを読む]
  • 秋月種樹(あきづき・たねたつ)・宮崎の偉人
  • 秋月種樹(あきづき・たねたつ)・宮崎の偉人高鍋藩主・秋月種任の三男として生まれる。天保4年(1833)10月17日-明治37年(1904)10月17日 72歳江戸時代後期の日向国高鍋藩世子。貴族院議員、参与、明治天皇侍読。若年より英明で知られ、小笠原明山、本多静山と並んで学問界の三公子と称された。詩文にも優れ、書家としても知られた。通称政太郎、叙任して右京亮を称す。天保4年(1833)10月種任の三男に生まれ、文久3年(1863) [続きを読む]
  • 安積疎水事業と大久保利通(南日本新聞・2017/3/27)
  • 安積疎水事業と大久保利通(南日本新聞・2017/3/27)■開拓の父と尊敬される内務卿・大久保利通(一八三〇〜七八年)の最晩年、もっとも注力していたのは東北振興だった。それは戊辰戦争で疲弊、荒廃した東北地方の復興と、没落する士族層への授産対策を組み合わせた国策だった。明治九(一八七六)年六月、明治天皇の東北巡幸に先立ち、東北各地を視察した大久保は右大臣・岩倉具視に次のように書き送った(「大久保利通文書七」一 [続きを読む]
  • 秋月左都夫(あきづき・さつお)宮崎の偉人
  • 秋月左都夫(あきづき・さつお)宮崎の偉人高鍋藩家老、秋月種節(あきづき たねよ)の三男として生まれる。安政5年(1858)2月24日-昭和20年(1945)6月25日 86歳明治・大正時代の外交官。安政5年(1858)2月24日生まれ、藩校明倫堂出身、鹿児島医学校中退。明治17年(1884)司法省法律学校卒、欧州留学、24年外務省入り、釜山領事、在韓国・フランス・ロシア公使館書記官を歴任。明治25年4月三島通庸長女そのと結婚。明治37年ス [続きを読む]