kels さん プロフィール

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kelsさん: 札幌日和下駄
ハンドル名kels さん
ブログタイトル札幌日和下駄
ブログURLhttp://poros.exblog.jp/
サイト紹介文札幌×街撮り写真
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供93回 / 365日(平均1.8回/週) - 参加 2007/01/20 12:16

kels さんのブログ記事

  • 北海道立文学館に行って「ふみくらの奥をのぞけば」展を観てきた
  • 北海道立文学館に行って「ふみくらの奥をのぞけば」展を観てきた。展示は今日が最終日で、僕はギリギリ滑り込むことができたわけだ。僕はいつでも余裕のない暮らしをしている。「ふみくら」は、文学館の文庫・収蔵庫の名前である。だから、言ってみれば、本展示は所蔵品展に過ぎない。所蔵品展であっても、展示物は十分に見応えのあるものばかりだった。北海道に関わりを得た多くの文学者に関する資料が展示されている。直筆原稿も [続きを読む]
  • 昭和の時代、アカシアの花は歌謡曲によく登場していた
  • アカシアの白い花が見ごろを迎えている。アカシアの樹は背が高く成長するから、青空に真っ白い花がとても良く映える。この季節、札幌市内のあちこちで、アカシアの白い花が咲き誇る。もっとも、札幌の人たちは、アカシアの花ではあまり騒いだりしない。桜、ライラックと続いた花に対する情熱は、どこか一休みしている感じがする。アカシア祭りでもあれば、市民の注目度もまた違うのかもしれない。昭和の時代、アカシアの花は歌謡曲 [続きを読む]
  • 一日が始まろうとしているように、札幌の短い夏が始まろうとしている
  • 札幌の夏はさわやかである。空気が乾燥しているから、気温が三十度前後に上っても本州のように鬱陶しくはない。明るく、輝かしい夏である。首のつけ根の骨が少々目立っても、夏の軽快な服を着て、この夏も太陽に親しみたい。夏は短いのである。「健やかに」原田康子(1965年)夜明け前から目を覚まして音楽を聴いていた。少しずつ空が明るくなって、やがて美しい青空が広がった。ようやく6月の札幌らしい空だ。窓を開けると、札幌 [続きを読む]
  • 新聞は、札幌まつりの写真と一緒に「夏が来た」と書いている
  • 6月中旬とは思えない寒さが続いている。本来であれば、札幌の街がいちばん過ごしやすい季節のはずなんだけれど。まあ、こういう年もきっとあるんだろうな。街の女性たちは、ベージュ色のコートを着ている。春に買ったコートが、この季節まで着られるとは、きっと誰も考えなかっただろう。春コートにとってみれば、こんなに活躍できる年も珍しい。札幌まつりは2日間雨で、最終日の昨日だけ晴れた。天気が良かったので、多くの市民 [続きを読む]
  • 復活するなら、やはり、この季節しかないと思った
  • 昨日の土曜日からずっと天気が悪い。雨が降ったりやんだりの微妙な天候である。気温も20℃を下回ったままだ。旭ヶ丘のスタバで簡単な朝食。店を出る頃には、雨が強くなっていた。たまに写真でも撮ってみようかと思うと、この悪天候である。街をあきらめて、部屋で本を読んで過ごす。午後から「花と雑貨ひととき」。いつの間にか雨が上っているので、そのまま写真を撮りに出かけた。大通公園から南に向ってブラブラと歩く。こんなふ [続きを読む]
  • 009 サムライ部落
  • 武士部落と書いて、「サムライ部落(さむらい部落)」などと呼ばせていたようである。「サムライ部落」は昭和40年代まで現実に存在していた下層社会であるため、人々の記憶の中にはまだ残っているはずであるが、これをきちんと記録した文献は、やはりほとんど残されていない。サムライ部落とは、東橋〜豊平橋の間の河畔に自然発生的に誕生した集落であり、行き場のない人々が最後に選択する空間であったと考えられる。その発生 [続きを読む]
  • 008 豊平細民街
  • 遠友夜学校が慈愛の精神に満ちた美しい物語として歴史に名を留めているのに対して、豊平細民街の歴史は、既に闇に葬り去られようとしている。しかし、札幌の下層社会史にとって、もっとも重要な存在であるのは、実はこの豊平細民街であるのかもしれない。上の写真は、『さっぽろ文庫・別冊 札幌歴史写真集(大正編)』に収録された大正10年頃の「豊平町細民部落と細民統計調査員」であり、このときの調査は『札幌区細民調査統 [続きを読む]
  • 007 遠友夜学校
  • 「遠友夜学校」は、札幌の教育史に残る記念碑的な学校である。 札幌農学校2期生として学んだ新渡戸稲造は、明治27年にかねてより構想のあった私学を創設した。札幌遠友夜学校創立百年記念事業会による「思い出の遠友夜学校」の中で、高倉新一郎は、遠友夜学校が誕生した当時の地域の状況を次のように記している。南五条東四丁目、今でこそ札幌を東西に横断する国道に近く、中央繁華街はすでにこの付近に延びてきているが、当時 [続きを読む]
  • 006 札幌の下層社会とは
  • 札幌というと、美しい観光地で、詩の都で、アカシヤとライラックの街で、何もかもが夢のように整えられていて、みたいなイメージがあるかもしれないが、札幌の街が現在のように美しく整備されたのは札幌オリンピック直前のことで、それ以前の札幌は人間臭さが漂う、当たり前の生活空間としての街だった。 現在では忘れ去られてしまっているが、そこには経済格差が生み出した貧富の差が厳然とさらけ出されていて、当時の札幌はそれ [続きを読む]
  • 005 純子がいた時代(渡辺淳一「阿寒に果つ」より)
  • 電車通りが東端にぶつかり大きく北へと向きを変えて札幌南高校の横を静かに通り過ぎる時、僕はいつでも純子という若い画家の話を思い出さないではいられない。純子は札幌という街に静かに、けれども確かに小さな足跡を残して消えた、まるでシャボン玉のような存在だった。僕がその存在を知ったのは若き日の渡辺淳一が描いた小説「阿寒に果つ」の中であった。この小説は札幌南高校在学中に天才少女画家として名を馳せた純子という女 [続きを読む]
  • 004 スイートピーの女(石川啄木の下宿)
  • 啄木が札幌滞在中に出会った女性として良く知られる人物に、この「スイートピーの女(きみ)」がある。それは決して強烈な出会いというものでもなく、深い交際というほどのものでもなかった。けれども、啄木は晩年までこの女性を記憶の片隅に残し、ある特別の感情を抱いていたのではないかと思われる節もある。 今回は、この「スイートピーの女」について紹介しよう。 啄木が札幌に到着したのは明治40年9月14日土曜 [続きを読む]
  • 003 石川啄木の忘れ物(橘智恵子の思い出)
  • たった2週間という短い滞在の間に、石川啄木は札幌という街を生涯忘れることのできない街として記憶に残し、北国の小さな街に関わる様々なエピソードを遺した。ローマ字で書かれた短い文章、タイトルさえないその断片には、啄木が札幌に対して忘れることのできなかった熱い何を伝えているかのようだ。懐かしきちえ子さん別れて来て私のまず第一に感じたことは、私たち二人が、この二日の間、何も別段の話をしなかったにかかわらず [続きを読む]
  • 002 カバシマヤ
  • 僕が初めてカバシマヤを訪れたのは、北海道を1年に1度か2度襲うことが知られている「ドカ雪」が札幌の町に降り、やり場のない雪の処理に誰もが頭を悩まし、札幌中の道という道が雪のために渋滞していた、そんな真冬のある日のことだった。その頃、カバシマヤは現在の4プラではなく、東屯田通りと呼ばれる、その名のとおりかつて屯田兵によって開拓されたエリアの南外れに小さな店を出していた。 冬ともなると、自動車の置き場 [続きを読む]
  • 001 古物 十一月
  • 時間が止まったような空間、という言葉がある。多くの骨董屋がそんな称号を受けてきたが、僕にとって時間が止まったような空間というと、やはり「十一月」にとどめを刺すような気がする。それは、まるで田舎に済む親戚の古い家を訪ねたかのような感触で、普通に営業しているだけのはずの空間なのに、なぜかそこは温かくて懐かしかった。ドアを開けると、いつでも女性店長の爽やかな笑顔が迎えてくれた。いや、開店直後に訪れた時な [続きを読む]
  • ある日、僕は文章を書くことも写真を撮ることもできなくなっていた
  • 文章を書くことが、僕にとって生きることの一部だった。自分の書いた文章を向き合うことで、僕は自分の生き方と向き合っていた。自分の書いた文章に励まされながら、僕は生きた。同じように、写真を撮ることが、僕にとって暮らしの中の一部だった。自分の撮った写真を向き合うことで、僕は自分の暮らしと向き合っていた。自分の撮った写真に慰められながら、僕は暮らした。ある日、僕は文章を書くことも写真を撮ることもできなくな [続きを読む]