りせ さん プロフィール

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りせさん: 京都を歩くアルバム
ハンドル名りせ さん
ブログタイトル京都を歩くアルバム
ブログURLhttp://kyoto-albumwalking2.cocolog-nifty.com/
サイト紹介文季節とともに移り変わる京都の風景や行事を絵画のように切り撮っています。2006年1月から毎日更新中
自由文YouTubeの「京都の四季」も作っています。ご覧ください。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供365回 / 365日(平均7.0回/週) - 参加 2007/02/19 00:25

りせ さんのブログ記事

  • 下鴨神社 御手洗祭2017
  • ←目次  2006年1月27日から毎日更新しています。※写真は全て で拡大します。昨日、下鴨神社の御手洗(みたらし)祭にいっていきました。今年は土用の丑の日をはさんで7月22日〜7月30日の期間、5:30〜21:00の時間帯に行われています。この日は露店も出ていなく、人出はそれほど多くありませんでした。茶店「さるや」平安時代、貴族が季節の変わり目にみそぎをして、罪、けがれを祓うならわしがありました。これが [続きを読む]
  • 金戒光明寺 蓮池と西雲院
  • ←目次  2006年1月27日から毎日更新しています。※写真は全て で拡大します。金戒光明寺の西雲院を訪れました。境内に並んでいる鉢植えの蓮が目当てですが、時期が悪いのかここ何年もまともに咲いているところを見たことがありません。山門の横の道を通り文殊塔(三重塔)へ向かうと、石段の手前に蓮池(上の写真)があります。「兜之池」ともいい、一ノ谷の戦いで平敦盛を討ち取ったことで知られる熊谷次郎直実が [続きを読む]
  • 祇園祭2017 花笠巡行
  • ←目次  2006年1月27日から毎日更新しています。※写真は全て で拡大します。後祭の山笠巡行が河原町御池を通り過ぎた後、八坂神社を出発した花笠巡行がやってきました。行列の先頭は「開智童心太鼓」で後に続く神輿の音頭をとります。地元の開智小学校は洛央小学校に統合されてしまいましたが、今も旧学区が様々な活動の主体になっています。3年前に祇園祭の山鉾巡行は前祭と後祭に別れで巡行するようになりました [続きを読む]
  • 祇園祭2017 後祭山鉾巡行 
  • ←目次  2006年1月27日から毎日更新しています。※写真は全て で拡大します。昨日行われた祇園祭山鉾巡行(後祭)を見てきました。前祭と同じく河原町御池の交差点からですが、山鉾は新町御池から来て河原町四条の方に向かいます。巡行の先頭は古来から舁山(かきやま)の中で唯一「くじ取らず」の「橋弁慶山」です。謡曲「橋弁慶」より、弁慶と牛若丸が五条の大橋で戦う姿をあらわしています。舁山はかっては人が [続きを読む]
  • 祇園祭2017 後祭宵山
  • ←目次  2006年1月27日から毎日更新しています。※写真は全て で拡大します。祇園祭の後祭・宵山に行ってきました。2014年に後祭が復活してから初めてです。ほとんどの山鉾が四条通より北にあるので、烏丸御池から南の方に向かいます。烏丸通の三条近くに「鈴鹿山」があります。伊勢国鈴鹿山で悪鬼が道行く人々を苦しめていたそうです。その鬼を退治した鈴鹿権現を、金の烏帽子をかぶり手に大長刀をもつ女人の姿で [続きを読む]
  • 霊山観音 東山の巨大観音像
  • ←目次  2006年1月27日から毎日更新しています。※写真は全て で拡大します。高台寺の隣に大きな観音像があります。東山のランドマークの一つになっていますが、今回初めて訪れました。高台寺の駐車場から。近づくと「山門」があり、拝観の受付があります。「霊山(りょうぜん)観音」は、昭和30年(1955)実業家・石川博資(ひろすけ)によって第二次大戦の戦没者・戦争犠牲者を追悼、慰霊するために建立されました [続きを読む]
  • 大雲院と祇園閣 特別公開
  • ←目次  2006年1月27日から毎日更新しています。※写真は全て で拡大します。「京の夏の旅」として特別公開されている大雲院・祇園閣に行ってきました。円山公園からねねの道を南に行くといったん西に曲がりますが、その一帯が大雲院です。下は「大雲院龍池会館」。「大雲院」は山号を龍池山という浄土宗単立寺院で、貞安寺(じょうあんじ)とも呼ばれます。下はねねの道の曲がり角にある「圓山地蔵尊」。大雲院は、 [続きを読む]
  • 大将軍八神社 都の天門を護る星神
  • ←目次  2006年1月27日から毎日更新しています。※写真は全て で拡大します。一条通の西、西大路から中立売通の間に大将軍商店街があり、「一条妖怪ストリート」ともよばれます。この通りに面して大将軍八神社があります。平安遷都(794年)にあたり、桓武天皇は都を方位の災厄から護るために、陰陽道によって大内裏の北西角の天門に星神を祀る「大将軍堂」を建てたのが当神社の始まりとされます。江戸時代に編纂さ [続きを読む]
  • 浄福寺 赤門と最古の違法建築
  • ←目次  2006年1月27日から毎日更新しています。※写真は全て で拡大します。西陣の浄福寺を訪れました。この寺は浄福寺通一条にありその通りの名の起源となった大寺院です。「浄福寺」は山号を恵照山という浄土宗の寺院です。浄福寺通に面して朱塗りの東門があることから赤門寺とも呼ばれています。門は17世紀前半の再建。1788年の天明の大火では京都中が炎に包まれ、寺にも火が迫りましたがこの門の前で止まった [続きを読む]
  • 祇園祭2017 前祭山鉾巡行 後半
  • ←目次  2006年1月27日から毎日更新しています。※写真は全て で拡大します。昨日に続いて、河原町御池で見た祇園祭・山鉾巡行の後半です。13番目に到着したのは「鶏鉾」です。 昔、中国・唐堯の時代に天下がよく治まり訴訟用の太鼓(諫鼓)も用がなく苔が生え鶏が宿ったという史話を象徴したものといいます。鉾頭の三角形の中の円形は諫鼓の中に鶏卵があることを示し、真木の途中の「天王座」に航海の神・住吉明 [続きを読む]
  • 祇園祭2017 前祭山鉾巡行 前半
  • ←目次  2006年1月27日から毎日更新しています。※写真は全て で拡大します。昨日行われた祇園祭の前祭山鉾巡行を見てきました。今日はその前半です。午前9時に四条堺町を出発した行列が、ここ河原町御池に到着したのは10時15分頃です。「長刀鉾」 「くじとらず」として毎年巡行の先頭にたち、人形ではなく生稚児が乗るのも今ではこの鉾だけです。鉾先きの長刀は疫病邪悪をはらうものとして、もとは三条小鍛冶宗近 [続きを読む]
  • 祇園祭2017 鉾町南部の宵々山
  • ←目次  2006年1月27日から毎日更新しています。※写真は全て で拡大します。昨日の記事に続いて、宵々山(7月15日)の鉾町南部を歩きます。四条通から新町通を南に行き、高辻通、油小路通、綾小路通を通って、室町通まで左回りで山鉾を巡ります。新町通四条下がるに後祭に巡行する大船鉾保存会の町家があり、瀬尾神社から寄進された龍頭が展示されています。米原市の彫刻家・森哲荘氏の作品で、大船鉾の舳先(へさ [続きを読む]
  • 祇園祭2017 前祭宵々山
  • ←目次  2006年1月27日から毎日更新しています。※写真は全て で拡大します。昨晩、祇園祭の宵々山に行ってきました。今日は四条通とその北にある山鉾を紹介します。TOPの写真は歩行者天国になっている四条烏丸の交差点から西の方。下は前祭の山と鉾の位置です。今日は四条烏丸から錦小路通、西洞院通、四条通の順に歩きます。四条烏丸の交差点から東には長刀鉾が見えます。昨日の同じように、烏丸通を北に行くと、 [続きを読む]
  • 祇園祭 前祭・山鉾建つ
  • ←目次  2006年1月27日から毎日更新しています。※写真は全て で拡大します。昨日の記事の八坂神社御旅所を後に、四条通を西に鉾町を目指します(7月13日)。途中にある長刀鉾はほぼ完成しているようです。前日(12日)の午後には曳き初めがありました。烏丸通を横切って、少し北に行くと錦小路があります。その角に、「山一番 占出山」とあります。7月2日に京都市議会で行われた「くじ取り式」で占出山が一番くじ [続きを読む]
  • 祇園祭 駒形稚児社参と御旅所
  • ←目次  2006年1月27日から毎日更新しています。※写真は全て で拡大します。7月17日の祇園祭の山鉾巡行(前祭)が近づいてきましたが、祇園祭では7月の一月間にわたって様々は行事が行われます。それらは、八坂神社の主催と山鉾町の主催に区別できます。昨日の午後2時から行われた「久世駒形稚児社参」は、八坂神社の祭礼である神幸祭と還幸祭で神輿の先導役を務める、(久世)駒形稚児が行う「社参の儀」のことで [続きを読む]
  • 智恵光院 鷹司兼平と六臂地蔵尊
  • ←目次  2006年1月27日から毎日更新しています。※写真は全て で拡大します。智恵光院通は、大宮通の一筋西にあり、二条城北門から大徳寺に至る南北の通りです。今日はその通りの名の由来となった智恵光院を訪れます。「智恵光院」は正式名称を称念山平等寺という浄土宗の寺院です。(左の牡丹紋は智恵光院の寺紋、右の月影杏葉紋はは浄土宗の宗紋)鎌倉時代後期の1294年、五摂家の一つ鷹司(たかつかさ)家の始祖 [続きを読む]
  • 称念寺 猫寺 我家の猫たち 2017
  • ←目次  2006年1月27日から毎日更新しています。※写真は全て で拡大します。昨日の記事の雨宝院から北西に歩いて数分のところに称念寺があります。「称念寺」は寺号を本空山(ほんくうざん)無量寿院という、浄土宗知恩院派の寺院です。通称を「猫寺」といい、猫を始めとして動物(ペット)の霊を供養していることで知られています。江戸時代初めの慶長11年(1606)茨城県土浦城主・松平信吉(のぶよし)が師僧・ [続きを読む]
  • 雨宝院 西陣の花の寺と庶民信仰
  • ←目次  2006年1月27日から毎日更新しています。※写真は全て で拡大します。昨日の記事の本隆寺の北に雨宝院があります。下は本隆寺の北の瓦土塀、左の一角が雨宝院で、下の通りに面して南門(上の写真)があります。*最後にお知らせがあります。「雨宝院(うほういん)」は、山号を北向山という高野山真言宗の寺院で、西陣聖天宮とも呼ばれています。こちらの西門から入ります。寺伝によると、平安時代前期の821 [続きを読む]
  • 本隆寺 重要文化財指定と大改修
  • ←目次  2006年1月27日から毎日更新しています。※写真は全て で拡大します。昨日の記事の首途天満宮のすぐ北に本隆寺があります。智恵光院通に面する東門から入ると、「平成の大修理中」でした。完成するのが平成38年ということで、とても待ちきれないのでとりあえず入ってみました。「本隆寺」は、正式名称を慧光無量山本妙興隆寺という、日蓮門下京都十六本山の一つで、法華宗真門流の総本山です。この記事は作 [続きを読む]
  • 首途八幡宮 源義経旅立ちの社と桜井公園
  • ←目次  2006年1月27日から毎日更新しています。※写真は全て で拡大します。今出川通を堀川から西に行き、智恵光院通を上がるとすぐに首途(かどで)八幡宮の一の鳥居があります。この地は平安京の大内裏の北東に位置し、王城鎮護の神として鎮座してきました。平安時代の末、この地には商人・金売吉次(かねうりきちじ)の屋敷があったといわれています。1149年、吉次は宇佐八幡宮の神霊を勧請し、屋敷内に「内野 [続きを読む]
  • 一条戻橋と大峰寺跡
  • ←目次  2006年1月27日から毎日更新しています。※写真は全て で拡大します。昨日の記事の晴明神社を後に堀川通を少し南に行くと、一条戻橋があります。この橋には、安倍晴明の式神だけでなく、多くの歴史上の物語に登場します。堀川は794年の平安遷都の際に運河として整備され、平安京の北端の一条大路にかけられた「一条戻橋」は内裏と京外を分けていました。また、かつて近くに蓮台野という葬場があり、この橋は [続きを読む]
  • 晴明神社 桔梗と安倍晴明
  • ←目次  2006年1月27日から毎日更新しています。※写真は全て で拡大します。昨日の記事の白峯神宮を出て、堀川通を少し下がると晴明神社があります。「晴明神社」は、平安時代に陰陽師として活躍した安倍晴明を祀る神社です。一の鳥居の額に掲げられた金色の社紋は「晴明桔梗」といわれます。通常は神社名や祭神の名前を掲げることが多く、このように社紋が掲げられているのは全国的にも珍しいといわれます。「旧 [続きを読む]
  • 白峯神宮 御霊社と蹴鞠
  • ←目次  2006年1月27日から毎日更新しています。※写真は全て で拡大します。台風が通り過ぎて雨が止んだ昨日の午後、今出川堀川の近くにある白峯神宮を訪れました。「白峯(しらみね)神宮」は、明治天皇が崇徳、淳仁天皇の御霊を祀るために創建した神社です。幕末の風雲急を告げる中、孝明天皇は、保元の乱(1156)によって非業の死をとげた崇徳天皇の御霊を慰めて、未曾有の国難に加護を祈ろうとしました。しか [続きを読む]
  • 新熊野神社 後白河上皇と熊野信仰
  • ←目次  2006年1月27日から毎日更新しています。※写真は全て で拡大します。昨日の記事の今熊野観音寺を出て、東大路通にある新熊野神社を訪れました。「新熊野(いまくまの)神社」は、熊野信仰が盛んだった平安時代末期の永暦元年(1160年)、後白河上皇によって創建されました。後白河天皇は1155年に即位、1158年に退位した後も引き続き院政を敷き、そのときの住まいが、現在三十三間堂の東側にある法住寺です [続きを読む]
  • 今熊野観音寺 頭の観音様
  • ←目次  2006年1月27日から毎日更新しています。※写真は全て で拡大します。昨日の記事の泉涌寺を出て、今熊野観音寺を訪れました。泉涌寺の境内から直接行けるのですが、下は大門の横にある参道の入口です。「今熊野観音寺」は山号を「新那智山」という泉涌寺の塔頭の一つです。正式名は単に「観音寺」といい、西国三十三所第十五番霊場としても知られています。「宮内庁書陵部 月輪陵墓管区事務所」 昨日の記 [続きを読む]