羽柴茶々 さん プロフィール

  •  
羽柴茶々さん: 今日は何の日?徒然日記
ハンドル名羽柴茶々 さん
ブログタイトル今日は何の日?徒然日記
ブログURLhttp://indoor-mama.cocolog-nifty.com/
サイト紹介文おかげ様で2000万アクセス突破!感謝です…その日の出来事や歴史ウラ話を楽しくわかりやすく♪
自由文その日に起こった出来事を中心に、武将の勇ましさはもちろん!神の奇跡から下世話なウワサまで、歴史のあんな事こんな事書いてます。
その日の主役を飾った1000名を越える歴史人物!
2500を越える歴史エピソード!
ご一緒に歴史を楽しんでいきましょう
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供56回 / 365日(平均1.1回/週) - 参加 2007/04/01 21:24

羽柴茶々 さんのブログ記事

  • 謙信の祖父・長尾能景が討死〜般若野の戦い
  • 永正三年(1506年)9月19日、越中で起こった一向一揆の鎮圧に侵入した長尾能景が般若野の戦い(芹谷野の戦いとも)で討死しました。・・・・・・・・・・比叡山延暦寺(ひえいざんえんりゃくじ=滋賀県大津市坂本本町)の勢力から逃れて、北陸へとやって来た本願寺第8代=蓮如(れんにょ)(2月25日参照>>)が、文明三年(1471年)にその拠点となる吉崎御坊(よしざきごぼう=福井県あわら市)を建てた事で、北陸が一気に本願寺 [続きを読む]
  • 織田信長、最愛の女性〜生駒吉乃
  • 永禄九年(1566年)9月13日、織田信長・最愛の女性で、側室として二男一女をもうけた生駒の方が39歳でこの世を去りました。・・・・・・・・・・・と言っても、正史や一級資料にほとんど登場しない事から、かなり謎多き女性です。亡くなった日付も、今回は9月13日でご紹介しましたが、5月13日説もあります。(wikiは5月13日になってるので、ひょっとしたらソッチの方が一般的なのかも…)名前も、正式には生駒家宗(いこまいえむね [続きを読む]
  • 足利義昭を奉じて〜織田信長の上洛
  • 永禄十一年(1568年)9月7日、足利義昭の要請に応えて上洛する織田信長が、美濃を出立しました。・・・・・・・・・・ご存じの足利義昭(あしかがよしあき=義秋)を奉じての織田信長(おだのぶなが)の上洛ですが、これまでも、このブログ内のいろんな所でチョコチョコ出て来てますので、内容がかぶり気味になるかとは思いますが、とりあえず今回は、信長上洛の様子を、時系列的にまとめてご紹介してみたいと思います。・‥…━━ [続きを読む]
  • 秀吉VS佐々成政〜富山城の戦いin越中征伐
  • 天正十三年(1585年)8月29日、織田信長の後継者的な位置をキープした秀吉の越中征伐(富山の役)で、富山城主の佐々成政が降伏しました。・・・・・・・・・・・天正十年(1582年)6月の本能寺にて織田信長(おだのぶなが)がこの世を去った(6月2日参照>>)後、その後継者を決める清州会議(6月27日参照>>)で優位に立ち、天正十一年(1583年)に織田家家臣の筆頭だった柴田勝家(しばたかついえ)を賤ヶ岳(しずがたけ)(4 [続きを読む]
  • 天文法華の乱へ向かう〜山科本願寺の戦い
  • 天文元年(1532年)8月23日、細川晴元方の軍勢が山科本願寺を包囲しました。・・・・・・・・後の天文五年(1536年)7月、京都の町を焦土と化す事になる天文法華(てんぶんほっけ・てんもんほっけ)の乱(7月27日参照>>)へと向かう途中の、山科本願寺の戦いと呼ばれる戦いです。室町幕府管領(かんれい=将軍の補佐)として自らの意のままになる将軍を擁立して、事実上、政権を掌握した細川政元(ほそかわまさもと)(6月20日参 [続きを読む]
  • 怨みの井戸・門昌庵事件〜松前藩の怖い話
  • 真夏日の連続記録を更新せんが勢いだった暑さから、気の早い台風一過で一転、冷夏模様の今日この頃ではありますが、夏はやっぱりホラーで〜って事で、本日は、1年ぶりの真夏の夜の怪談話シリーズ!『松前の怖い伝説』です。・‥…━━━☆その昔、蝦夷(えぞ)と呼ばれていた北海道・・・その渡島国津軽郡(北海道松前郡松前町)に本拠を置く松前藩(まつまえはん)の第5代藩主=松前矩広(まつまえのりひろ)は、毎夜毎夜のランチ [続きを読む]
  • 金森長近の飛騨攻略作戦
  • 天正十三年(1585年)8月10日、秀吉から飛騨攻略の命を受けた金森長近の軍勢が、向牧戸城を陥落させました。・・・・・・・・・・織田信長(おだのぶなが)亡き後(6月27日参照>>)、織田家家臣の筆頭だった柴田勝家(しばたかついえ)(4月23日参照>>)と、信長の三男=神戸信孝(かんべのぶたか=織田信孝)(5月2日参照>>)を葬り去った羽柴秀吉(はしばひでよし=後の豊臣秀吉)は、天正十二年(1584年)には、信長の次 [続きを読む]
  • 織田の物にはさせへんで〜上杉謙信の飛騨侵攻
  • 天正四年(1576年)8月4日、飛騨地方攻略に乗り出した上杉謙信の軍が飛越国境に到着しました。・・・・・・・・・雌雄を争った川中島も一区切りを迎え(8月3日参照>>)、敵対した甲斐(かい=山梨県)武田信玄(たけだしんげん)が、今は亡き今川義元(いまがわよしもと)の領地=駿河(するが=静岡県西部)の攻略に舵を切った事で、越後(えちご=新潟県)の上杉謙信(うえすぎけんしん)の目は、これまで何度も遠征していた越 [続きを読む]
  • 公家の姫から武将の嫁に…武田信玄の奥さん〜三条殿
  • 元亀元年(1570年)7月28日、甲斐の武田信玄の正室である三条殿が、50歳でこの世を去りました。・・・・・・・・・・・・・天文二年(1533年)に、室町幕府の関東管領職を代々務める家系=扇谷上杉家(おうぎがやつうえすぎけ)の当主=上杉朝興(うえすぎともおき)の娘を正室に迎えるものの、翌年、その妻が難産のために母子ともに亡くなってしまった事で、独り身となっていた甲斐(かい=山梨県)の武田信玄(たけだしんげん= [続きを読む]
  • 信長の小谷侵攻〜山本山城の戦いと虎御前山城構築
  • 元亀三年(1572年)7月22日、翌年の浅井家の滅亡と小谷城落城につながる山本山城の戦いがありました。・・・・・・・・・・永禄十一年(1568年)、第15代室町幕府将軍=足利義昭(よしあき・義秋)を奉じて上洛(9月7日参照>>)を果たした織田信長(おだのぶなが)・・・その後、再三に渡って「新将軍に挨拶に来んかい」と呼びかけるも、上洛に応じなかった越前(えちぜん=福井県)の朝倉義景(あさくらよしかげ)に対して、元 [続きを読む]
  • 天文法華の乱〜飯盛城の戦いと大和一向一揆
  • 天文元年(1532年)7月17日、後の天文法華の乱につながっていく大和一向一揆がありました。・・・・・・・・・・・京都の市街を戦場とした事で、町中が焦土と化したと言われる応仁の乱ですが、実は、その応仁の乱よりも被害が大きかったとされるのが、天文五年(1536年)7月に起こった天文法華(てんぶんほっけ・てんもんほっけ)の乱(7月27日参照>>)です。そのページには、有名な京都の祇園祭(ぎおんまつり)の山鉾巡行で、 [続きを読む]
  • 応仁の乱が終わっても〜続く畠山義就VS政長の戦い
  • 延徳二年(1490年)7月12日、応仁の乱後も続いた畠山氏の主導権争いの中で、大きな衝突となった一乗山の戦いがありました。・・・・・・・・・・室町幕府将軍家の後継者争いに管領家の後継者争いがくっついて、その配下となる全国の大名を巻き込み、全国を東西真っ二つに分ける大乱となった応仁の乱・・・モメた原因の一つが、河内(かわち=大阪府東部)、紀伊(きい=和歌山県・三重県の一部)、大和(やまと=奈良県)などの重 [続きを読む]
  • 春日源助殿へ〜武田信玄のラブレター?
  • 天文十五年(1546年)7月5日、武田信玄が、あの有名なラブレターを送りました。・・・・・・・・・・文春砲が鳴りやまない今日この頃ですが、いつの時代も、有名人というのは大変なものです。古くは舎人(とねり)親王(11月14日参照>>)にしろ、近くは昭和の歌人=斉藤茂吉(もきち)(2月25日参照>>)にしろ、そして、今回の武田信玄(たけだしんげん)にしろ・・・まさか、自分の書いたラブレターが日本中に公開されるとは [続きを読む]
  • 上杉謙信の出家願望と大熊朝秀〜駒返の戦い
  • 弘治二年(1556年)6月28日、上杉謙信が天室光育に「出家を決意した」との手紙を送りました。・・・・・・・・・謹而言達 於今度宗心身上之儀ニ 以両使條々申展候段 定而可被聞召届候…で始まる弘治二年(1556年)6月28日付けの、この手紙・・・上記の部分の内容は「謹んで言わせてもらいますが、このたび、宗心の身の上に関して、2名の使者を派遣しましたので、おそらく願いは、お聞き届けいただいた事でしょう…」てな感じ、 [続きを読む]
  • 三好長慶が天下を取る〜江口の戦い
  • 天文十八年(1549年)6月24日、三好長慶が三好政長に勝利して事実上、戦国初の天下人となる江口の戦いが終結しました。・・・・・・・・・室町幕府管領(かんれい=将軍の補佐役)として絶大な力を持っていた細川政元(まさもと)(6月20日参照>>)亡き後、3人の養子によって行われた後継者争いで、故郷の阿波(あわ=徳島県)に退去して無念の死を遂げた父=細川澄元(すみもと)に代わって敵対勢力を倒し(2月13日参照>>)、 [続きを読む]
  • 長尾為景が上杉顕定に勝利〜長森原の戦い
  • 永正七年(1510年)6月20日、越後守護代の長尾為景が、関東管領の上杉顕定を死においやった長森原の戦いがありました。・・・・・・・・・・永正四年(1507年)、越後(えちご=新潟県)の守護(しゅご=現在の県知事みたいな)を務めていた上杉房能(ふさよし)に対し、守護代(守護の補佐役)の長尾為景(ながおためかげ=越後長尾家)が、房能の養子の上杉定実(さだざね)を次期守護に掲げて反旗をひるがえし、房能を死に追い [続きを読む]
  • 上杉謙信VS加賀越中一向一揆〜日宮城攻防戦
  • 元亀三年(1572年)6月15日、上杉配下の鰺坂長実&山本寺定長らが越中・加賀一向一揆と呉羽山にて交戦して敗れ、日宮城が開城されました。・・・・・・・・・・これまでも、何度かご紹介しています戦国期の越中(えっちゅう=富山県)争奪戦・・・射水(いみず=富山県射水市)や婦負(ねい=富山県富山市、主に神通川西部)を中心に勢力を持つ増山城(ますやまじょう=富山県砺波市)の神保長職(じんぼうながもと)、や新川(に [続きを読む]
  • 足利義輝VS三好長慶、和睦のキッカケ〜白川口(北白川)の戦い
  • 永禄元年(1558年)6月9日、京都白川口で、将軍=足利義輝&細川晴元勢が三好&松永勢と交戦した白川口の戦い(北白川の戦い)がありました。・・・・・・・・・・・これまでも、何度か書かせていただいている室町幕府管領=細川政元(まさもと)(6月20日参照>>)の息子たちによる後継者争い・・・周辺の戦国武将たちをも巻き込んで展開された一連の合戦は、永正十七年(1520年)5月の等持院表の戦い(5月5日参照>>)に勝利し [続きを読む]
  • 本能寺にて信長横死〜その日の安土城と留守居役・蒲生賢秀
  • 天正十年(1582年)6月2日、戦国最大のミステリーとも言われる『本能寺の変』がありました。・・・・・・・・・・・天正十年(1582年)6月2日未明・・・ご存じ、主君=織田信長(おだのぶなが)と、その嫡男=信忠(のぶただ)を死に追いやった明智光秀(あけちみつひで)による謀反です。★【本能寺・前夜】参照>>★【本能寺の変〜『信長公記』より】>> 未明に起こったこの出来事が、信長の本拠=安土城(あづちじょう=滋賀 [続きを読む]
  • 永正の乱〜越後守護・上杉定実VS守護代・長尾為景
  • 永正十一年(1514年)5月26日、永正の乱と呼ばれる一連の戦いの中で長尾為景が攻めていた岩手城が落城し、城主の宇佐美房忠が討死にしました。(永正の乱とは、永正年間に関東・北陸地方で発生した一連の戦乱で管領家の内紛や古河公方の内紛なども含みますが、今回は「岩手城落城」の日付に合わせ、越後における永正の乱のお話させていただきます)・・・・・・・・・・ご存じ、越後(えちご=新潟県)の王者=上杉謙信(うえすぎ [続きを読む]
  • 謀将と呼ばれた真田の祖〜真田幸隆(幸綱)
  • 天正二年(1574年)5月19日、信濃(しなの=長野県)の豪族=真田の祖として知られる真田幸隆がこの世を去りました。・・・・・・・・・・・真田幸隆(さなだゆきたか=幸綱)・・・ご存じ!昨年の大河の主役=真田信繁(のぶしげ=幸村)のお祖父ちゃんであり、草刈さんの好演が光る真田昌幸(まさゆき)のお父ちゃんです。とは言え、上記の通り、名前も複数あり、生まれた年もだいたいで、果ては、その父親すら決定打がないとい [続きを読む]
  • 信玄を越えた?武田勝頼が高天神城を奪取
  • 天正二年(1574年)5月12日、武田勝頼が徳川方の小笠原信興が守る遠江高天神城を包囲し、世に言う「高天神城の戦い」が始まりました。・・・・・・・とは言うものの、本邦戦国史上、「高天神城の戦い(たかてんじんじょうのたたかい)」と呼ばれる戦いは3度あります。1度目は元亀二年(1571年)3月から・・・もともとは、あの源平合戦の頃から、砦のような物が構築されていたらしい高天神城(たかてんじんじょう=静岡県掛川市)で [続きを読む]
  • 室町幕府管領職・争奪戦〜等持院表の戦い
  • 永正十七年(1520年)5月5日、細川高国が三好之長を破った等持院表(とうじいんおもて)の戦いがありました。・・・・・・・・・・・・室町幕府将軍を補佐する立場にある管領(かんれい)が、現将軍=第10代足利義稙(あしかがよしたね:義材・義尹)を廃して、自らの意のままになる将軍=第11代足利義澄(よしずみ)を擁立するというクーデター=明応の政変(めいおうのせいへん)をやってのけた細川政元(ほそかわまさもと)が永 [続きを読む]
  • 大坂夏の陣〜樫井の戦いに連動した紀州一揆
  • 慶長二十年=元和元年(1615年)4月28日、大坂夏の陣に連動した紀州一揆による和歌山城襲撃計画が発覚しました。・・・・・・・・・・この戦いの結果も、そして、この後の徳川家の繁栄をも知っている私たちには、どうしても、豊臣方が無謀な負け戦に挑んだ感が拭えない大坂の陣・・・特に、大坂冬の陣の講和の後、堀を埋められて裸城になってもなお、勃発した夏の陣での豊臣大坂方の皆々様は、小説や時代劇なんかでも、プライド満 [続きを読む]
  • 織田信長、清州城を乗っ取る!
  • 弘治元年(1555年)4月20日、叔父=信光の協力を得た織田信長が清州城を乗っ取りました。・・・・・・・・・これまでも何度が書かせていただおておりますが、この尾張(おわり=愛知県西部)という地は、室町幕府の管領家である斯波(しば)氏が代々守護(知事)を務めていました。とは言え、その役職の性質上、京都に滞在する事が多い守護・・・なので、その守護に代わって、居城の清州城(きよすじょう=愛知県清須市:清須城) [続きを読む]