羽柴茶々 さん プロフィール

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羽柴茶々さん: 今日は何の日?徒然日記
ハンドル名羽柴茶々 さん
ブログタイトル今日は何の日?徒然日記
ブログURLhttp://indoor-mama.cocolog-nifty.com/
サイト紹介文おかげ様で2000万アクセス突破!感謝です…その日の出来事や歴史ウラ話を楽しくわかりやすく♪
自由文その日に起こった出来事を中心に、武将の勇ましさはもちろん!神の奇跡から下世話なウワサまで、歴史のあんな事こんな事書いてます。
その日の主役を飾った1000名を越える歴史人物!
2500を越える歴史エピソード!
ご一緒に歴史を楽しんでいきましょう
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供56回 / 365日(平均1.1回/週) - 参加 2007/04/01 21:24

羽柴茶々 さんのブログ記事

  • 信長の小谷侵攻〜山本山城の戦いと虎御前山城構築
  • 元亀三年(1572年)7月22日、翌年の浅井家の滅亡と小谷城落城につながる山本山城の戦いがありました。・・・・・・・・・・永禄十一年(1568年)、第15代室町幕府将軍=足利義昭(よしあき・義秋)を奉じて上洛(10月18日参照>>)を果たした織田信長(おだのぶなが)・・・その後、再三に渡って「新将軍に挨拶に来んかい」と呼びかけるも、上洛に応じなかった越前(えちぜん=福井県)の朝倉義景(あさくらよしかげ)に対して、 [続きを読む]
  • 天文法華の乱〜飯盛城の戦いと大和一向一揆
  • 天文元年(1532年)7月17日、後の天文法華の乱につながっていく大和一向一揆がありました。・・・・・・・・・・・京都の市街を戦場とした事で、町中が焦土と化したと言われる応仁の乱ですが、実は、その応仁の乱よりも被害が大きかったとされるのが、天文五年(1536年)7月に起こった天文法華(てんぶんほっけ・てんもんほっけ)の乱(7月27日参照>>)です。そのページには、有名な京都の祇園祭(ぎおんまつり)の山鉾巡行で、 [続きを読む]
  • 応仁の乱が終わっても〜続く畠山義就VS政長の戦い
  • 延徳二年(1490年)7月12日、応仁の乱後も続いた畠山氏の主導権争いの中で、大きな衝突となった一乗山の戦いがありました。・・・・・・・・・・室町幕府将軍家の後継者争いに管領家の後継者争いがくっついて、その配下となる全国の大名を巻き込み、全国を東西真っ二つに分ける大乱となった応仁の乱・・・モメた原因の一つが、河内(かわち=大阪府東部)、紀伊(きい=和歌山県・三重県の一部)、大和(やまと=奈良県)などの重 [続きを読む]
  • 春日源助殿へ〜武田信玄のラブレター?
  • 天文十五年(1546年)7月5日、武田信玄が、あの有名なラブレターを送りました。・・・・・・・・・・文春砲が鳴りやまない今日この頃ですが、いつの時代も、有名人というのは大変なものです。古くは舎人(とねり)親王(11月14日参照>>)にしろ、近くは昭和の歌人=斉藤茂吉(もきち)(2月25日参照>>)にしろ、そして、今回の武田信玄(たけだしんげん)にしろ・・・まさか、自分の書いたラブレターが日本中に公開されるとは [続きを読む]
  • 上杉謙信の出家願望と大熊朝秀〜駒返の戦い
  • 弘治二年(1556年)6月28日、上杉謙信が天室光育に「出家を決意した」との手紙を送りました。・・・・・・・・・謹而言達 於今度宗心身上之儀ニ 以両使條々申展候段 定而可被聞召届候…で始まる弘治二年(1556年)6月28日付けの、この手紙・・・上記の部分の内容は「謹んで言わせてもらいますが、このたび、宗心の身の上に関して、2名の使者を派遣しましたので、おそらく願いは、お聞き届けいただいた事でしょう…」てな感じ、 [続きを読む]
  • 三好長慶が天下を取る〜江口の戦い
  • 天文十八年(1549年)6月24日、三好長慶が三好政長に勝利して事実上、戦国初の天下人となる江口の戦いが終結しました。・・・・・・・・・室町幕府管領(かんれい=将軍の補佐役)として絶大な力を持っていた細川政元(まさもと)(6月20日参照>>)亡き後、3人の養子によって行われた後継者争いで、故郷の阿波(あわ=徳島県)に退去して無念の死を遂げた父=細川澄元(すみもと)に代わって敵対勢力を倒し(2月13日参照>>)、 [続きを読む]
  • 長尾為景が上杉顕定に勝利〜長森原の戦い
  • 永正七年(1510年)6月20日、越後守護代の長尾為景が、関東管領の上杉顕定を死においやった長森原の戦いがありました。・・・・・・・・・・永正四年(1507年)、越後(えちご=新潟県)の守護(しゅご=現在の県知事みたいな)を務めていた上杉房能(ふさよし)に対し、守護代(守護の補佐役)の長尾為景(ながおためかげ=越後長尾家)が、房能の養子の上杉定実(さだざね)を次期守護に掲げて反旗をひるがえし、房能を死に追い [続きを読む]
  • 上杉謙信VS加賀越中一向一揆〜日宮城攻防戦
  • 元亀三年(1572年)6月15日、上杉配下の鰺坂長実&山本寺定長らが越中・加賀一向一揆と呉羽山にて交戦して敗れ、日宮城が開城されました。・・・・・・・・・・これまでも、何度かご紹介しています戦国期の越中(えっちゅう=富山県)争奪戦・・・射水(いみず=富山県射水市)や婦負(ねい=富山県富山市、主に神通川西部)を中心に勢力を持つ増山城(ますやまじょう=富山県砺波市)の神保長職(じんぼうながもと)、や新川(に [続きを読む]
  • 足利義輝VS三好長慶、和睦のキッカケ〜白川口(北白川)の戦い
  • 永禄元年(1558年)6月9日、京都白川口で、将軍=足利義輝&細川晴元勢が三好&松永勢と交戦した白川口の戦い(北白川の戦い)がありました。・・・・・・・・・・・これまでも、何度か書かせていただいている室町幕府管領=細川政元(まさもと)(6月20日参照>>)の息子たちによる後継者争い・・・周辺の戦国武将たちをも巻き込んで展開された一連の合戦は、永正十七年(1520年)5月の等持院表の戦い(5月5日参照>>)に勝利し [続きを読む]
  • 本能寺にて信長横死〜その日の安土城と留守居役・蒲生賢秀
  • 天正十年(1582年)6月2日、戦国最大のミステリーとも言われる『本能寺の変』がありました。・・・・・・・・・・・天正十年(1582年)6月2日未明・・・ご存じ、主君=織田信長(おだのぶなが)と、その嫡男=信忠(のぶただ)を死に追いやった明智光秀(あけちみつひで)による謀反です。★【本能寺・前夜】参照>>★【本能寺の変〜『信長公記』より】>> 未明に起こったこの出来事が、信長の本拠=安土城(あづちじょう=滋賀 [続きを読む]
  • 永正の乱〜越後守護・上杉定実VS守護代・長尾為景
  • 永正十一年(1514年)5月26日、永正の乱と呼ばれる一連の戦いの中で長尾為景が攻めていた岩手城が落城し、城主の宇佐美房忠が討死にしました。(永正の乱とは、永正年間に関東・北陸地方で発生した一連の戦乱で管領家の内紛や古河公方の内紛なども含みますが、今回は「岩手城落城」の日付に合わせ、越後における永正の乱のお話させていただきます)・・・・・・・・・・ご存じ、越後(えちご=新潟県)の王者=上杉謙信(うえすぎ [続きを読む]
  • 謀将と呼ばれた真田の祖〜真田幸隆(幸綱)
  • 天正二年(1574年)5月19日、信濃(しなの=長野県)の豪族=真田の祖として知られる真田幸隆がこの世を去りました。・・・・・・・・・・・真田幸隆(さなだゆきたか=幸綱)・・・ご存じ!昨年の大河の主役=真田信繁(のぶしげ=幸村)のお祖父ちゃんであり、草刈さんの好演が光る真田昌幸(まさゆき)のお父ちゃんです。とは言え、上記の通り、名前も複数あり、生まれた年もだいたいで、果ては、その父親すら決定打がないとい [続きを読む]
  • 信玄を越えた?武田勝頼が高天神城を奪取
  • 天正二年(1574年)5月12日、武田勝頼が徳川方の小笠原信興が守る遠江高天神城を包囲し、世に言う「高天神城の戦い」が始まりました。・・・・・・・とは言うものの、本邦戦国史上、「高天神城の戦い(たかてんじんじょうのたたかい)」と呼ばれる戦いは3度あります。1度目は元亀二年(1571年)3月から・・・もともとは、あの源平合戦の頃から、砦のような物が構築されていたらしい高天神城(たかてんじんじょう=静岡県掛川市)で [続きを読む]
  • 室町幕府管領職・争奪戦〜等持院表の戦い
  • 永正十七年(1520年)5月5日、細川高国が三好之長を破った等持院表(とうじいんおもて)の戦いがありました。・・・・・・・・・・・・室町幕府将軍を補佐する立場にある管領(かんれい)が、現将軍=第10代足利義稙(あしかがよしたね:義材・義尹)を廃して、自らの意のままになる将軍=第11代足利義澄(よしずみ)を擁立するというクーデター=明応の政変(めいおうのせいへん)をやってのけた細川政元(ほそかわまさもと)が永 [続きを読む]
  • 大坂夏の陣〜樫井の戦いに連動した紀州一揆
  • 慶長二十年=元和元年(1615年)4月28日、大坂夏の陣に連動した紀州一揆による和歌山城襲撃計画が発覚しました。・・・・・・・・・・この戦いの結果も、そして、この後の徳川家の繁栄をも知っている私たちには、どうしても、豊臣方が無謀な負け戦に挑んだ感が拭えない大坂の陣・・・特に、大坂冬の陣の講和の後、堀を埋められて裸城になってもなお、勃発した夏の陣での豊臣大坂方の皆々様は、小説や時代劇なんかでも、プライド満 [続きを読む]
  • 織田信長、清州城を乗っ取る!
  • 弘治元年(1555年)4月20日、叔父=信光の協力を得た織田信長が清州城を乗っ取りました。・・・・・・・・・これまでも何度が書かせていただおておりますが、この尾張(おわり=愛知県西部)という地は、室町幕府の管領家である斯波(しば)氏が代々守護(知事)を務めていました。とは言え、その役職の性質上、京都に滞在する事が多い守護・・・なので、その守護に代わって、居城の清州城(きよすじょう=愛知県清須市:清須城) [続きを読む]
  • 上杉謙信VS椎名康胤〜松倉城攻防戦
  • 永禄十一年(1568年)4月13日、それまで武田信玄についていた越中増山城主=神保長職が上杉謙信に寝返りました。・・・・・・・・・・射水(いみず=富山県射水市)や婦負(ねい=富山県富山市、主に神通川西部)を中心に勢力を持つ増山城(ますやまじょう=富山県砺波市)の神保長職(じんぼうながもと)と、新川(にいかわ=富山県富山市、主に神通川東部)に勢力を持つ松倉城(まつくらじょう=富山県魚津市)の椎名康胤(しい [続きを読む]
  • 浅井亮政VS六角定頼〜箕浦合戦
  • 享禄四年(1531年)4月6日、六角定頼と浅井亮政による箕浦合戦がありました。・・・・・・・・・・・宇多源氏(うだげんじ)・佐々木氏(ささきし)の流れを汲む南近江(みなみおうみ=滋賀県南部)の六角氏(ろっかくし)と、同じく佐々木氏の流れを汲む北近江(きたおうみ=滋賀県北部)の京極氏(きょうごくし)・・・鎌倉時代より、この二つの名門家によって統治されて来た近江の地。しかし、かの応仁の乱(5月20日参照>>) [続きを読む]
  • 上杉謙信の増山城&隠尾城の戦い
  • 永禄三年(1560年)3月30日、椎名康胤の要請を受けた上杉謙信が神保長職の越中増山城へ攻め入りました。・・・・・・・・・天文二十二年(1553年)を皮切りに始まった、甲斐(かい=山梨県)の武田信玄(たけだしんげん)と越後(えちご=新潟県)の上杉謙信(うえすぎけんしん)による信濃(しなの=長野県)北東方面の争奪戦=川中島の戦い(9月10日参照>>)・・・(くわしくは【武田信玄と勝頼の年表】参照>>)この時、謙信 [続きを読む]
  • 源平争乱・壇ノ浦の戦い〜平知盛の最期
  • 寿永四年(文治元年・1185年)3月24日、ご存じ源平争乱のクライマックス壇ノ浦の戦いがあり、平家方の総司令官である平知盛が入水自殺しました。・・・・・・・・・・・・養和元年(1181年)2月の、大黒柱の平清盛(たいらのきよもり)(2月4日参照>>)の死後、相次いで挙兵した伊豆(いず)の源頼朝(みなもとのよりとも=源義朝の3男嫡子)(8月17日参照>>)と北陸の木曽義仲(きそよしなか=源義仲=頼朝の従兄弟)( [続きを読む]
  • 信長の動きを受けて〜いよいよ謙信が富山へ侵攻
  • 天正四年(1576年)3月17日、織田信長と手を切った上杉謙信が越中富山へと侵攻を開始しました。・・・・・・・・・・・・・天文二十二年(1553年)を皮切りに度々衝突した有名な川中島の戦い(9月10日参照>>)でご存じのように、甲斐(かい=山梨県)の武田信玄(たけだしんげん)と、越後(えちご=新潟県)の上杉謙信(うえすぎけんしん)は、信濃(しなの=長野県)北東方面の国境線を巡って、長きにわたるライバル関係 [続きを読む]
  • 大河ドラマ「おんな城主 直虎」〜信長役に海老蔵さん
  • NHKの大河ドラマ「おんな城主 直虎」に、歌舞伎俳優の市川海老蔵さんが織田信長役で出演! 本日=3月2日のお昼前・・・こんなニュースが飛び込んできました〜不詳わたくし・・・この1日・2日、大河ドラマに関して少々言いたい事があり、感想を書こうか書くまいか、少し悩んでいたんですが・・・あぁ、待ってて良かった〜〜ヽ(´▽`)/そう、実は、その言いたいことは、この織田信長がドラマに出るのか?出ないのか?に関 [続きを読む]
  • 将軍義輝が朽木へ〜三好VS六角の志賀の戦い
  • 天文二十年(1551年)2月26日、7日から始まっていた三好VS六角による志賀の戦いが、ほぼ終結しました。・・・・・・・・・・・戦国の幕を開けた男とも言われる室町幕府管領(かんれい)=細川政元(まさもと)の死後、後継者の座を巡って3人の養子たちが争ったお話は、これまでも何度か書かせていただいておりますが、●【細川政元の暗殺】>>●【船岡山の戦い】>>●【等持院表の戦い】>>●【神尾山城の戦い】>>● [続きを読む]
  • 源平・屋島の戦い〜弓流し
  • 文治元年(寿永四年・1185年)2月19日は、源平合戦の屈指の名場面=扇の的で有名な『屋島の戦い』のあった日です。・・・・・・・・・・ご存じ、平安末期の源平の戦い・・・治承四年(1180年)、驕る平家に一矢を報うべく立ち上がった以仁王(もちひとおう=後白河法皇の第3皇子)が散った(5月26日参照>>)後、その令旨(りょうじ=天皇家の人の命令書)(4月9日参照>>)を受け取った伊豆(いず)の源頼朝(みなもとの [続きを読む]