namoamidabutsu18 さん プロフィール

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namoamidabutsu18 さん: 京都生まれの気ままな遁世僧、今様つれづれ草
ハンドル名namoamidabutsu18 さん
ブログタイトル京都生まれの気ままな遁世僧、今様つれづれ草
ブログURLhttps://blogs.yahoo.co.jp/namoamidabutsu18
サイト紹介文京都、仏教etc、拙き日暮らしを駄文に写真を添えて書き記しておく、我が備忘録。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供43回 / 365日(平均0.8回/週) - 参加 2007/04/28 03:23

namoamidabutsu18 さんのブログ記事

  • そのたましゐ蝶となりて…。
  • その夢にいはく、所詮葬送の庭において、むなしきけぶりとなりし白骨のなかより三本の青蓮華出生す。その花のなかより一寸ばかりの金(こがね)ほとけひかりをはなちていづとみる。 さて、いくほどもなくして蝶となりてうせけるとみるほどに、やがて夢さめおわりぬ。これすなわち、見玉といえる名の真如法性の玉をあらわせるすがたなり。蝶となりてうせぬとみゆるは、そのたましゐ蝶となりて、法性のそら極楽世界涅槃のみやこへまひ [続きを読む]
  • 知影著『魚山余響』を読む。 −27−
  • ▲真宗興正派・『圓頓山聲明集』所収の「光明伽陀」。この聲明集には、大変多くの伽陀が収録されている。右側ページの伽陀は、『往生礼讃』「初夜偈」中にある文言を抄出したものである。唐の善導大師が詠んだ、大変麗しい文言である。 一、伽陀集には伽陀品数凡三百五十首余あり、   報恩講、彼岸講式間の伽陀もこの集に出たり、   何れの時代に墨譜出来候ことかしりがたし、   無量寿経の文、十二礼、往生論の偈頌にふ [続きを読む]
  • 知影著『魚山余響』を読む。 −26−
  • 一、江戸増上寺山内より、聲明帳のかきたるに墨譜を施したまはるべしとを観心院僧正へ乞求せしに  僧正病中の事にて余に代筆すべきよし申しこさる、  其中「国豊民安」の四句に后唄の墨譜を施したるあり、  古墨譜にてはかきがたきところあり、  又「光明遍照」の四句には墨譜なし、  あらたに伽陀のふしつけたまはるべしとのことあり、  右両様とも余かんがへ申候、  このなかに「光明遍照」の四句には新たに墨譜を [続きを読む]
  • 両極端の社会に思う…。
  • 昨秋の風邪ひきが遠因か、かれこれ半年以上も喉を痛めている。一昨年の蕁麻疹以来通院している漢方医では気管支炎と診断されて、改めて呼吸器科の診断を受けるべく紹介状を作成して貰った。さすがに喉を痛めるというのは、生業柄ゆゆしきことである。それでも発声することはできるので、咳き込みながらも声を出している。先日、実家にほど近い「コメダ珈琲」へ行った。店の入口に立って、いささか驚いた。喫煙エリアと禁煙エリアが [続きを読む]
  • 『引聲作法』管見。−備忘録−
  • ▲深達本『引聲作法』の巻頭に記されてある道場の平面配置図。我々はこれをテキストととして、『引聲作法』を学んでいる。師僧の許へ『引聲(いんぜい)阿弥陀経』の指南を受けに行くようになって、早いもので3年近くが経過している。学べば学ぶほどに、その難解さを痛感せずにはおれない音曲である。現在、私が知るところでは『引聲阿弥陀経』が修されているのは、京都神楽岡に所在する天台宗・真正極楽寺(真如堂)のみである。 [続きを読む]
  • 【INDEX No.113】 アーカイブスガイド
  • ■真夏の午後、山科築堤を大阪方面へ急ぐ、117系シティーライナー新快速。1985年8月4日撮影。■   ■巻頭言 『折々のことば』  …(ランダム更新)時間の流れの早きことをして、いつも思い出す言葉がある。それは黄檗山万福寺伽藍内の5ヶ所に吊り下げられている、「巡照板」と呼ばれる板に刻まれた文言である。「巡照板」は、起床と開枕(かいちん・消灯)の合図に打ち鳴らされる……………  (続きを読む↓↓)◆−TOP I [続きを読む]
  • 「御懺法講」総習礼。−聲明懺法呂様−
  • ▲道場全景。御導師を中央に、向かって右側の回畳に、後白河法皇の尊牌を収めた厨子が安置される。右奥に着座する式衆は、古儀には宮中の公卿に代わるものと思われる。周囲の回畳が高麗縁であるのに対して、奥の畳のみ朱無地の縁である。▲▲御導師・堀澤祖門三千院御門主。着用される七條袈裟は、遠山紋様である。5月28日、魚山三千院門跡にて、「御懺法講」総習礼(← )が行われた。習礼(しゅらい)とはごく簡単にいえ [続きを読む]
  • 日吉大社・山王礼拝講。
  • 新緑が萌える比叡山麓の鎮守、日吉大社に参詣す。延暦寺一山の僧侶が出仕しての、「山王礼拝講」が厳修された。「山王礼拝講」は、日吉大社西本宮の拝殿で勤められる論義法要である。「法華八講」と呼ばれる、『法華経』8巻中の各巻より1品ずつ抄出して問答を行う。天台宗の論義法要は、言わずもがな我が本山西本願寺の宗祖降誕会で勤められる、『無量寿会作法』たる論義法要の原形である。もっとも我が宗門の『無量寿会作法』は [続きを読む]
  • 拙ブログ開設12年目に思う…。
  •  【2017/5/16(火) 午後17:17 現在】 ■今日          全体  ■訪問者     103 706632 ■ブログリンク  0   301  ■コメント    3 32910 ■トラックバック 0 421 早いもので、拙ブログを始めるようになって、12年目に入った。12年後のことなど、全く想定などせずに書き始めた駄文の《保管庫》ではあるが、いよいよ5月という季節が、さまざまな意味でメランコリーを増幅させている。即ち、母 [続きを読む]
  • あれから1年…。 −母親の一周忌祥月命日に−
  •   安楽无量の大菩薩    一生補處にいたるなり    普賢の徳に帰してこそ    穢国にかならず化するなれ                       親鸞著『浄土和讚』あれから1年という歳月が、あっという間に過ぎ去った感がある。来年の今日も、また同じきことを思っているのだろう。母親が浄土に往生して、1年が経過した。そんな母親の祥月命日とて、今朝、本山の晨朝に出仕する。ちょうど1年前、前夜から降 [続きを読む]
  • 古桜、京阪南滋賀駅。
  • ■2017年4月13日撮影。昨年同様、京阪石坂線南滋賀駅の桜を《定点撮影》した愚作である。南滋賀駅の浜大津・石山寺方面ホームの傍らに、恐らくはこの路線が開通した頃に植えられたであろう桜の古木がある。4月になると、見事な花を咲かせてくれる。この2年ほど、毎年この桜を眺めるのが楽しみになっていた。今は亡き母親も、この桜を愛でていた。晩年の母親は、電車に乗って京都へ出るということもほととんどなかったので、何年 [続きを読む]
  • 長等山琵琶湖疏水春景。
  • 三井寺、長等山の桜。琵琶湖疏水の両側に植えられた桜と、長等山の斜面の桜が本当に見事である。去年も今年も、変わらぬ美しさである。果たして桜は、やはり咲き誇った一瞬に散るからこそ、美しいのだろう………。 '''たそがれに花は咲きなむ 長等山去年(こぞ)を思へば あはれなるかも京阪石坂線の電車が、桜が美しい琵琶湖疏水の取水口を渡って行く。桜の花びらが、ちらほらと舞い始めていた。所用の途中でここを通り掛かったの [続きを読む]
  • 山科安朱、琵琶湖疏水の桜…。
  • 山科安朱、琵琶湖疏水の桜。10年ほど前から、疏水べりの遊歩道に菜の花も植えられて、景観がとても美しくなった。今年の桜はいささか咲くのが遅かった感があるが、散るのもあっという間のような気がする。もっとも、年々同じようなことを思うので、すっかり時間の流れを速く感じているだけなのかも知れない………。琵琶湖疏水のすぐ横に、我が母校である安朱小学校がある。言わずもがな私にとって、疏水周辺は遊び場だった。今もこ [続きを読む]
  • 魚山勝林院灌仏会。
  • 去る4月9日、洛北大原・魚山勝林院の灌仏会に出仕させて頂く。魚山で聲明を師事する師匠を御導師に、天台宗・融通念仏宗・浄土真宗・浄土宗の僧侶が法要に出仕した。法要では「吉慶梵語讚」の讚頭を仰せつかる。この聲明曲は、釈尊の正覚を祝するサンスクリット語の讚である。法要中の所作として、出仕僧順次、本尊阿弥陀仏の前に設えられた花御堂に立ちます誕生仏に甘茶を注ぐ。そして参詣の人々にも、甘茶を注いで頂いた。釈尊 [続きを読む]
  • MIHO美術館。
  • 初めてMIHO美術館へ行った。湖南の山懐、信楽の山中に所在する美術館である。春期企画展の内覧会へ父親が行きたいと言うので、車で連れて行った。企画展はさることながら、常設の仏教美術もなかなか圧巻だった。特に目を引いたのは、像高2.5mはあろうかと思われるガンダーラ仏だった。2世紀頃の仏像で、大乗仏教興隆の最中、礼拝の対象として仏伝図像から単独の仏像が造られるようになった。優美なガンダーラ仏の姿に、我々が [続きを読む]
  • 『順次往生講式』管絃講を聴く。
  • 京都市右京区宇多野に所在する、真宗高田派京都別院に参詣す。京都市立芸術大学伝統音楽研究センターの主催にて、『順次(じゅんし)往生講式』管絃講が勤められた。御導師は同学のOBでもある、高田派のT師が務められた。『順次往生講式』は平安時代半ば、天台宗の真源によって編まれたと伝える。ここで我が誤解を、謹んで訂正しておきたい。『往生講式』という表題をして、私は永観の著せる『往生講式』と混同していた。永観『往 [続きを読む]
  • 【INDEX No.112】 アーカイブスガイド
  • ■鴨川沿いの桜並木の中を走る、在りし日の京阪3000系特急。1986年4月14日撮影。■   ■巻頭言 『折々のことば』  …(ランダム更新)ようやく春らしくなってきた。「春眠、暁を覚えず」とはいうけれども、どうも私は慢性的に寝付きが悪い……………  (続きを読む↓↓)◆−TOP INDEX 巻頭言−◆ ←←← ■『仏教の小箱』より■◆月影の・・・・・・。◆親鸞の休暇。−帰洛後異聞−◆酒はこれ忘憂の名あり。◆無碍難思 [続きを読む]
  • 【INDEX No.112】 アーカイブスガイド
  • ■鴨川沿いの桜並木の中を走る、在りし日の京阪3000系特急。1986年4月14日撮影。■   ■巻頭言 『折々のことば』  …(ランダム更新)ようやく春らしくなってきた。「春眠、暁を覚えず」とはいうけれども、どうも私は慢性的に寝付きが悪い……………  (続きを読む↓↓)◆−TOP INDEX 巻頭言−◆ ←←← ■『仏教の小箱』より■◆月影の・・・・・・。◆親鸞の休暇。−帰洛後異聞−◆酒はこれ忘憂の名あり。◆無碍難思 [続きを読む]
  • 三室戸寺早春寸景。
  • 三室戸寺は宇治市街中心部北の外れ、莵道の西の山麓に位置する古刹である。西国第十番札所で、本山修験宗に属しているという。多分、この寺へ訪れるのはかれこれ40ぶりくらいだと記憶する。小学校2〜3年の頃だったか、母親とともに来て以来だと思う。あの頃、私は『西国巡礼』という本を持っていて、表紙のカバーが河内葛井寺本尊の千手観音像の写真だった。私はその表紙の写真を大層気に入っていて、いつも手許に置いていた。も [続きを読む]
  • 三室戸寺早春寸景。
  • 三室戸寺は宇治市街中心部北の外れ、莵道の西の山麓に位置する古刹である。西国第十番札所で、本山修験宗に属しているという。多分、この寺へ訪れるのはかれこれ40年ぶりくらいだと記憶する。小学校2〜3年の頃だったか、母親とともに来て以来だと思う。あの頃、私は『西国巡礼』という本を持っていて、表紙のカバーが河内葛井寺本尊の千手観音像の写真だった。私はその表紙の写真を大層気に入っていて、いつも手許に置いていた。 [続きを読む]
  • 愚拙五十年。
  • 人間五十年。下天の内をくらぶれば夢幻のごとくなり。一度生を得て滅せぬ者のあるべきか………謡曲『敦盛』に在る、あまりに有名な一説である。気が付けば50歳になりぬ。ただ愚昧たらしめる中の50年であったと思うばかりである。毎日はひたすらやって来るものと思っていた頃が、懐かしかったりする。今や毎日というものは、ひたすら去って行くものである。命を削って生きていることを実感している。今はただ、そのことを思うばかり [続きを読む]
  • 愚拙五十年。
  • 人間五十年。下天の内をくらぶれば夢幻のごとくなり。一度生を得て滅せぬ者のあるべきか………謡曲『敦盛』に在る、あまりに有名な一説である。気が付けば50歳になりぬ。ただ愚昧たらしめる中の50年であったと思うばかりである。毎日はひたすらやって来るものと思っていた頃が、懐かしかったりする。今や毎日というものは、ひたすら去って行くものである。命を削って生きていることを実感している。今はただ、そのことを思うばかり [続きを読む]
  • 恵心僧都一千年御遠忌法要雑感。
  • ▲この度の法要は外陣出仕ということで、礼盤も外陣に設えられた。礼盤は本願寺のものを用い、向卓には天台宗御持参の六器が置かれている。2月14日午後、マスコミでもそれなりに騒がれた、ある意味において一座ながらも世紀の大法要が、我が本山で厳修された。即ち、「恵心僧都一千年御遠忌報恩 天台宗比叡山延暦寺法要・源信和尚千回忌 浄土真宗本願寺派龍谷山本願寺法要」である。ことに森川宏映天台座主を大導師として御親修の [続きを読む]
  • 西本願寺御正忌雪景。
  • 西本願寺御正忌報恩講雪景。冬に生まれた私は、雪が結構好きだったりする。私が生まれた日は雪が降りしきるすごく寒い日だったと、よく母親が言っていたのを思い出す。そんな母親も今は往生して、娑婆で見ることは叶わない。そう思うと、色んな意味で初めてのことが多かった。雪が降りしきる中の御正忌報恩講は初めてであったし、あるいは銀世界の本山を眺めるのも初めてのことだった。まさに宗祖親鸞がみまかった750余年前の旧暦1 [続きを読む]
  • 西本願寺御正忌雪景。
  • 西本願寺御正忌報恩講雪景。冬に生まれた私は、雪が結構好きだったりする。私が生まれた日は雪が降りしきるすごく寒い日だったと、よく母親が言っていたのを思い出す。そんな母親も今は往生して、娑婆で見ることは叶わない。そう思うと、色んな意味で初めてのことが多かった。雪が降りしきる中の御正忌報恩講は初めてであったし、あるいは銀世界の本山を眺めるのも初めてのことだった。まさに宗祖親鸞がみまかった750余年前の旧暦1 [続きを読む]