namoamidabutsu18 さん プロフィール

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namoamidabutsu18 さん: 京都生まれの気ままな遁世僧、今様つれづれ草
ハンドル名namoamidabutsu18 さん
ブログタイトル京都生まれの気ままな遁世僧、今様つれづれ草
ブログURLhttp://blogs.yahoo.co.jp/namoamidabutsu18
サイト紹介文京都、仏教etc、拙き日暮らしを駄文に写真を添えて書き記しておく、我が備忘録。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供42回 / 365日(平均0.8回/週) - 参加 2007/04/28 03:23

namoamidabutsu18 さんのブログ記事

  • 【INDEX No.112】 アーカイブスガイド
  • ■鴨川沿いの桜並木の中を走る、在りし日の京阪3000系特急。1986年4月14日撮影。■   ■巻頭言 『折々のことば』  …(ランダム更新)ようやく春らしくなってきた。「春眠、暁を覚えず」とはいうけれども、どうも私は慢性的に寝付きが悪い……………  (続きを読む↓↓)◆−TOP INDEX 巻頭言−◆ ←←← ■『仏教の小箱』より■◆月影の・・・・・・。◆親鸞の休暇。−帰洛後異聞−◆酒はこれ忘憂の名あり。◆無碍難思 [続きを読む]
  • 【INDEX No.112】 アーカイブスガイド
  • ■鴨川沿いの桜並木の中を走る、在りし日の京阪3000系特急。1986年4月14日撮影。■   ■巻頭言 『折々のことば』  …(ランダム更新)ようやく春らしくなってきた。「春眠、暁を覚えず」とはいうけれども、どうも私は慢性的に寝付きが悪い……………  (続きを読む↓↓)◆−TOP INDEX 巻頭言−◆ ←←← ■『仏教の小箱』より■◆月影の・・・・・・。◆親鸞の休暇。−帰洛後異聞−◆酒はこれ忘憂の名あり。◆無碍難思 [続きを読む]
  • 三室戸寺早春寸景。
  • 三室戸寺は宇治市街中心部北の外れ、莵道の西の山麓に位置する古刹である。西国第十番札所で、本山修験宗に属しているという。多分、この寺へ訪れるのはかれこれ40年ぶりくらいだと記憶する。小学校2〜3年の頃だったか、母親とともに来て以来だと思う。あの頃、私は『西国巡礼』という本を持っていて、表紙のカバーが河内葛井寺本尊の千手観音像の写真だった。私はその表紙の写真を大層気に入っていて、いつも手許に置いていた。 [続きを読む]
  • 三室戸寺早春寸景。
  • 三室戸寺は宇治市街中心部北の外れ、莵道の西の山麓に位置する古刹である。西国第十番札所で、本山修験宗に属しているという。多分、この寺へ訪れるのはかれこれ40ぶりくらいだと記憶する。小学校2〜3年の頃だったか、母親とともに来て以来だと思う。あの頃、私は『西国巡礼』という本を持っていて、表紙のカバーが河内葛井寺本尊の千手観音像の写真だった。私はその表紙の写真を大層気に入っていて、いつも手許に置いていた。も [続きを読む]
  • 愚拙五十年。
  • 人間五十年。下天の内をくらぶれば夢幻のごとくなり。一度生を得て滅せぬ者のあるべきか………謡曲『敦盛』に在る、あまりに有名な一説である。気が付けば50歳になりぬ。ただ愚昧たらしめる中の50年であったと思うばかりである。毎日はひたすらやって来るものと思っていた頃が、懐かしかったりする。今や毎日というものは、ひたすら去って行くものである。命を削って生きていることを実感している。今はただ、そのことを思うばかり [続きを読む]
  • 愚拙五十年。
  • 人間五十年。下天の内をくらぶれば夢幻のごとくなり。一度生を得て滅せぬ者のあるべきか………謡曲『敦盛』に在る、あまりに有名な一説である。気が付けば50歳になりぬ。ただ愚昧たらしめる中の50年であったと思うばかりである。毎日はひたすらやって来るものと思っていた頃が、懐かしかったりする。今や毎日というものは、ひたすら去って行くものである。命を削って生きていることを実感している。今はただ、そのことを思うばかり [続きを読む]
  • 西本願寺御正忌雪景。
  • 西本願寺御正忌報恩講雪景。冬に生まれた私は、雪が結構好きだったりする。私が生まれた日は雪が降りしきるすごく寒い日だったと、よく母親が言っていたのを思い出す。そんな母親も今は往生して、娑婆で見ることは叶わない。そう思うと、色んな意味で初めてのことが多かった。雪が降りしきる中の御正忌報恩講は初めてであったし、あるいは銀世界の本山を眺めるのも初めてのことだった。まさに宗祖親鸞がみまかった750余年前の旧暦1 [続きを読む]
  • 西本願寺御正忌雪景。
  • 西本願寺御正忌報恩講雪景。冬に生まれた私は、雪が結構好きだったりする。私が生まれた日は雪が降りしきるすごく寒い日だったと、よく母親が言っていたのを思い出す。そんな母親も今は往生して、娑婆で見ることは叶わない。そう思うと、色んな意味で初めてのことが多かった。雪が降りしきる中の御正忌報恩講は初めてであったし、あるいは銀世界の本山を眺めるのも初めてのことだった。まさに宗祖親鸞がみまかった750余年前の旧暦1 [続きを読む]
  • 雪中御正忌報恩講。
  • 無明長夜の灯炬なり………。 9日から始まった、宗祖親鸞の忌日法要・御正忌報恩講も、明日を残すのみとなった。御正忌中、毎朝6時から始まる晨朝法要で唱えられる『往生礼讚偈』の旋律は、その文言とともに疲労する心を平安へといざなう………。 いつまでも『往生礼讚偈』が本願寺に響いてほしいと思い、共に唱和していた。大逮夜法要を迎える今朝は、昨日の夕方から降りだした雪で、思いがけず銀世界となった。こんな大雪の報恩 [続きを読む]
  • 雪中御正忌報恩講。
  • 無明長夜の灯炬なり………。 9日から始まった、宗祖親鸞の忌日法要・御正忌報恩講も、明日を残すのみとなった。御正忌中、毎朝6時から始まる晨朝法要で唱えられる『往生礼讚偈』の旋律は、その文言とともに疲労する心を平安へといざなう………。 いつまでも『往生礼讚偈』が本願寺に響いてほしいと思い、共に唱和していた。大逮夜法要を迎える今朝は、昨日の夕方から降りだした雪で、思いがけず銀世界となった。こんな大雪の報恩 [続きを読む]
  • 【INDEX No.111】 アーカイブスガイド
  • ■厳寒の青森駅に到着した上野発の急行「八甲田」。青森駅にて、1986年2月3日撮影。■   ■巻頭言 『折々のことば』  …(ランダム更新)つくづく、自身をして言わしめることなのであるが、“それでも人間は生きている……”ということである。この数年、自身の身辺は激変だった。自業自得と言われればそれまでの話なのであるが、ただ一本調子には生きられぬジレンマ……………  (続きを読む↓↓)◆【2017年正月のことば [続きを読む]
  • 【INDEX No.111】 アーカイブスガイド
  • ■厳寒の青森駅に到着した上野発の急行「八甲田」。青森駅にて、1986年2月3日撮影。■   ■巻頭言 『折々のことば』  …(ランダム更新)つくづく、自身をして言わしめることなのであるが、“それでも人間は生きている……”ということである。この数年、自身の身辺は激変だった。自業自得と言われればそれまでの話なのであるが、ただ一本調子には生きられぬジレンマ……………  (続きを読む↓↓)◆【2017年正月のことば [続きを読む]
  • 霧の冬至…。
  • 少々暖かい冬至だったのかも知れない……。忘れもしないが、10年前の冬至は朝から豪雪だった。夕方頃には雪は上がり、夕焼け雲が妙に印象的だったのをよく憶えている。その後のことは、さほどよく憶えていない。写真でも撮影しておれば、また記憶も甦るのだと思う。今年の冬至は、昼過ぎから霧が立ち籠め出して、日が沈む頃にはまさに「五里霧中」とばかりに視界は数メートルを割り込んでいた。午後5時すぎ、大津京駅まで歩いてみ [続きを読む]
  • 霧の冬至…。
  • 少々暖かい冬至だったのかも知れない……。忘れもしないが、10年前の冬至は朝から豪雪だった。夕方頃には雪は上がり、夕焼け雲が妙に印象的だったのをよく憶えている。その後のことは、さほどよく憶えていない。写真でも撮影しておれば、また記憶も甦るのだと思う。今年の冬至は、昼過ぎから霧が立ち籠め出して、日が沈む頃にはまさに「五里霧中」とばかりに視界は数メートルを割り込んでいた。午後5時すぎ、大津京駅まで歩いてみ [続きを読む]
  • 東本願寺御影堂夕照。
  • 東本願寺前を南北に貫く、烏丸通を歩いた。初冬の風が冷たかったが、よく晴れた日だった。歩くことは精神衛生に良いそうだ。歩く先の目の前に映る風景を見ていると、さまざまなことが去来する。しかし、歩くという行為そのものが頭を空っぽにしてくれるものだ。東本願寺前に差しかかった時、夕日に映える御影堂の甍が私を立ち止まらせた。雲一つない夕空に輝く、金色の飾り金具がとても美しかった………。   願共諸衆生  値遇 [続きを読む]
  • 東本願寺御影堂夕照。
  • 東本願寺前を南北に貫く、烏丸通を歩いた。初冬の風が冷たかったが、よく晴れた日だった。歩くことは精神衛生に良いそうだ。歩く先の目の前に映る風景を見ていると、さまざまなことが去来する。しかし、歩くという行為そのものが頭を空っぽにしてくれるものだ。東本願寺前に差しかかった時、夕日に映える御影堂の甍が私を立ち止まらせた。雲一つない夕空に輝く、金色の飾り金具がとても美しかった………。   願共諸衆生  値遇 [続きを読む]
  • 日野の里。
  • 久しく山科の南、日野の里へ訪れた。今ではすっかりベッドタウン化しているが、まだまだ昔日の静寂は保っている。そして観光客も少ない。そして私が尊崇してやまぬ『方丈記』を著した鴨長明もまた、日野の外山に隠遁生活を送っていた。日野といえば、どうしても我が宗門人ならば日野誕生院を想起するが、私は日野家の氏寺・法界寺を思わずにはおれない。法界寺はまたの名を、「日野薬師」とも呼ばれている。平安時代後期の永承6( [続きを読む]
  • 日野の里。
  • 久しく山科の南、日野の里へ訪れた。今ではすっかりベッドタウン化しているが、まだまだ昔日の静寂は保っている。そして観光客も少ない。そして私が尊崇してやまぬ『方丈記』を著した鴨長明もまた、日野の外山に隠遁生活を送っていた。日野といえば、どうしても我が宗門人ならば日野誕生院を想起するが、私は日野家の氏寺・法界寺を思わずにはおれない。法界寺はまたの名を、「日野薬師」とも呼ばれている。平安時代後期の永承6( [続きを読む]
  • 続・東本願寺御正忌報恩講に想う…。
  • 【上】初逮夜法要にて。法要開始に先立ち、雅楽が演奏される中、第25世門首・浄如上人が内陣に出仕される。出仕の僧侶は全員低頭して、向畳への御着座を待つ。何度も書き付けたことであるが、浄如上人は稀代の苦労人である。このお方を管長に頂く真宗大谷派は、本当に幸いなことと思う………。【下】初逮夜法要の後に、御影堂広縁から阿弥陀堂を望む………。今年は報恩講に先立ち、11月20日に両堂及び山門の修復が完成されたことに [続きを読む]
  • 続・東本願寺御正忌報恩講に想う…。
  • 【上】初逮夜法要にて。法要開始に先立ち、雅楽が演奏される中、第25世門首・浄如上人が内陣に出仕される。出仕の僧侶は全員低頭して、向畳への御着座を待つ。何度も書き付けたことであるが、浄如上人は稀代の苦労人である。このお方を管長に頂く真宗大谷派は、本当に幸いなことと思う………。【下】初逮夜法要の後に、御影堂広縁から阿弥陀堂を望む………。今年は報恩講に先立ち、11月20日に両堂及び山門の修復が完成されたことに [続きを読む]
  • 【INDEX No.110】 アーカイブスガイド
  • ■秋たけなわの西近江路を大阪へ急ぐ特急「雷鳥」。湖西線志賀−蓬莱間にて、1987年9月20日撮影。■   ■巻頭言 『月のことば』  …(毎月更新)母親が逝った時、私はこれで母親は「娑婆永劫の苦」から逃れることができたか……と、殊更に思い巡らせたものである。母親は無常の娑婆世界から常住の浄土へ往生したという、ある種の宗教的安息感を抱いた一方で、やはり、悲しみという無常感にも苛まれずにはおれないのである… [続きを読む]
  • 柳が崎湖畔初秋。
  • 柳が崎の湖畔に出てみるのは、もう何年ぶりのことだろうか…。立秋を過ぎて、空も高く秋の様相である。柳が崎の対岸は草津・栗東辺りであるが、背の高いビルが随分増えたものである…。変わらぬ風光は近江富士か…。以上、2016年8月10日撮影。夕空を見上げてみたら、琵琶湖畔へ出てみたくなる。実家から柳が崎の湖畔まで、歩けば10分ほどの距離である。8月も終わりに近付き、少しだけ過ごしやすくなった。夕暮れ時、湖畔を吹く風 [続きを読む]
  • 祇園御霊会・後祭宵山。
  • 祇園御霊会後祭の宵山、室町通三条下ルの黒主山にて。山鉾巡行が前祭と後祭に分離復活したことにより、2度も宵山を楽しめるようになった。夕暮れのほのかな明るさの中に、駒形提灯に灯が点る………。新町通六角下ル、北観音山。南観音山を「下り観音山」と呼ぶのに対し、「上り観音山」とも呼ばれる。山鉾巡行では大トリを務める、くじ取らずの山である。北観音山も南観音山も、共に楊柳観音を本尊とする。そして本尊の脇には、北 [続きを読む]
  • 祇園御霊会・前祭宵山。
  • 宵の夜陰に祇園御霊会の提灯を眺むるは、何年ぶりだろうか………。四条通界隈のここかしこの鉾からは、祇園囃子が聞こえて来ると、京都の本格的な夏の到来を実感する。両親に連れられて夜店を冷やかして歩いた頃が、とても懐かしく思う。路地の奥から、子供たちの護符を売る歌声が響く。 子供の頃から聞き慣れた懐かしいメロディである。 歌声に誘われて行ってみると、兵子帯に浴衣の女の子たちが得意気に唄っている。   安産の [続きを読む]
  • 【INDEX No.109】 アーカイブスガイド
  • ■五山送り火、如意ヶ嶽の大文字。京都市北区加茂街道紫明にて、2005年8月16日撮影。■   ■巻頭言 『月のことば』  …(毎月更新)いつだったか、未明に不思議な夢を見た。かいがいしく、母親を病室で介抱している夢だった。いつも夢の中で見る母親は、すっかり老いぼれた最晩年の姿ではない。未明の夢に現れた母親も、髪を後ろ手にくくった古稀を迎えた頃の母親だった……………  (続きを読む↓↓)◆【8月のことば】 [続きを読む]