namoamidabutsu18 さん プロフィール

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namoamidabutsu18 さん: 京都生まれの気ままな遁世僧、今様つれづれ草
ハンドル名namoamidabutsu18 さん
ブログタイトル京都生まれの気ままな遁世僧、今様つれづれ草
ブログURLhttp://blogs.yahoo.co.jp/namoamidabutsu18
サイト紹介文京都、仏教etc、拙き日暮らしを駄文に写真を添えて書き記しておく、我が備忘録。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供30回 / 365日(平均0.6回/週) - 参加 2007/04/28 03:23

namoamidabutsu18 さんのブログ記事

  • 三室戸寺早春寸景。
  • 三室戸寺は宇治市街中心部北の外れ、莵道の西の山麓に位置する古刹である。西国第十番札所で、本山修験宗に属しているという。多分、この寺へ訪れるのはかれこれ40ぶりくらいだと記憶する。小学校2〜3年の頃だったか、母親とともに来て以来だと思う。あの頃、私は『西国巡礼』という本を持っていて、表紙のカバーが河内葛井寺本尊の千手観音像の写真だった。私はその表紙の写真を大層気に入っていて、いつも手許に置いていた。も [続きを読む]
  • 西本願寺御正忌雪景。
  • 西本願寺御正忌報恩講雪景。冬に生まれた私は、雪が結構好きだったりする。私が生まれた日は雪が降りしきるすごく寒い日だったと、よく母親が言っていたのを思い出す。そんな母親も今は往生して、娑婆で見ることは叶わない。そう思うと、色んな意味で初めてのことが多かった。雪が降りしきる中の御正忌報恩講は初めてであったし、あるいは銀世界の本山を眺めるのも初めてのことだった。まさに宗祖親鸞がみまかった750余年前の旧暦1 [続きを読む]
  • 雪中御正忌報恩講。
  • 無明長夜の灯炬なり………。 9日から始まった、宗祖親鸞の忌日法要・御正忌報恩講も、明日を残すのみとなった。御正忌中、毎朝6時から始まる晨朝法要で唱えられる『往生礼讚偈』の旋律は、その文言とともに疲労する心を平安へといざなう………。 いつまでも『往生礼讚偈』が本願寺に響いてほしいと思い、共に唱和していた。大逮夜法要を迎える今朝は、昨日の夕方から降りだした雪で、思いがけず銀世界となった。こんな大雪の報恩 [続きを読む]
  • 【INDEX No.111】 アーカイブスガイド
  • ■厳寒の青森駅に到着した上野発の急行「八甲田」。青森駅にて、1986年2月3日撮影。■   ■巻頭言 『折々のことば』  …(ランダム更新)つくづく、自身をして言わしめることなのであるが、“それでも人間は生きている……”ということである。この数年、自身の身辺は激変だった。自業自得と言われればそれまでの話なのであるが、ただ一本調子には生きられぬジレンマ……………  (続きを読む↓↓)◆【2017年正月のことば [続きを読む]
  • 霧の冬至…。
  • 少々暖かい冬至だったのかも知れない……。忘れもしないが、10年前の冬至は朝から豪雪だった。夕方頃には雪は上がり、夕焼け雲が妙に印象的だったのをよく憶えている。その後のことは、さほどよく憶えていない。写真でも撮影しておれば、また記憶も甦るのだと思う。今年の冬至は、昼過ぎから霧が立ち籠め出して、日が沈む頃にはまさに「五里霧中」とばかりに視界は数メートルを割り込んでいた。午後5時すぎ、大津京駅まで歩いてみ [続きを読む]
  • 東本願寺御影堂夕照。
  • 東本願寺前を南北に貫く、烏丸通を歩いた。初冬の風が冷たかったが、よく晴れた日だった。歩くことは精神衛生に良いそうだ。歩く先の目の前に映る風景を見ていると、さまざまなことが去来する。しかし、歩くという行為そのものが頭を空っぽにしてくれるものだ。東本願寺前に差しかかった時、夕日に映える御影堂の甍が私を立ち止まらせた。雲一つない夕空に輝く、金色の飾り金具がとても美しかった………。   願共諸衆生  値遇 [続きを読む]
  • 日野の里。
  • 久しく山科の南、日野の里へ訪れた。今ではすっかりベッドタウン化しているが、まだまだ昔日の静寂は保っている。そして観光客も少ない。そして私が尊崇してやまぬ『方丈記』を著した鴨長明もまた、日野の外山に隠遁生活を送っていた。日野といえば、どうしても我が宗門人ならば日野誕生院を想起するが、私は日野家の氏寺・法界寺を思わずにはおれない。法界寺はまたの名を、「日野薬師」とも呼ばれている。平安時代後期の永承6( [続きを読む]
  • 続・東本願寺御正忌報恩講に想う…。
  • 【上】初逮夜法要にて。法要開始に先立ち、雅楽が演奏される中、第25世門首・浄如上人が内陣に出仕される。出仕の僧侶は全員低頭して、向畳への御着座を待つ。何度も書き付けたことであるが、浄如上人は稀代の苦労人である。このお方を管長に頂く真宗大谷派は、本当に幸いなことと思う………。【下】初逮夜法要の後に、御影堂広縁から阿弥陀堂を望む………。今年は報恩講に先立ち、11月20日に両堂及び山門の修復が完成されたことに [続きを読む]
  • 【INDEX No.110】 アーカイブスガイド
  • ■秋たけなわの西近江路を大阪へ急ぐ特急「雷鳥」。湖西線志賀−蓬莱間にて、1987年9月20日撮影。■   ■巻頭言 『月のことば』  …(毎月更新)母親が逝った時、私はこれで母親は「娑婆永劫の苦」から逃れることができたか……と、殊更に思い巡らせたものである。母親は無常の娑婆世界から常住の浄土へ往生したという、ある種の宗教的安息感を抱いた一方で、やはり、悲しみという無常感にも苛まれずにはおれないのである… [続きを読む]
  • 柳が崎湖畔初秋。
  • 柳が崎の湖畔に出てみるのは、もう何年ぶりのことだろうか…。立秋を過ぎて、空も高く秋の様相である。柳が崎の対岸は草津・栗東辺りであるが、背の高いビルが随分増えたものである…。変わらぬ風光は近江富士か…。以上、2016年8月10日撮影。夕空を見上げてみたら、琵琶湖畔へ出てみたくなる。実家から柳が崎の湖畔まで、歩けば10分ほどの距離である。8月も終わりに近付き、少しだけ過ごしやすくなった。夕暮れ時、湖畔を吹く風 [続きを読む]
  • 祇園御霊会・後祭宵山。
  • 祇園御霊会後祭の宵山、室町通三条下ルの黒主山にて。山鉾巡行が前祭と後祭に分離復活したことにより、2度も宵山を楽しめるようになった。夕暮れのほのかな明るさの中に、駒形提灯に灯が点る………。新町通六角下ル、北観音山。南観音山を「下り観音山」と呼ぶのに対し、「上り観音山」とも呼ばれる。山鉾巡行では大トリを務める、くじ取らずの山である。北観音山も南観音山も、共に楊柳観音を本尊とする。そして本尊の脇には、北 [続きを読む]
  • 祇園御霊会・前祭宵山。
  • 宵の夜陰に祇園御霊会の提灯を眺むるは、何年ぶりだろうか………。四条通界隈のここかしこの鉾からは、祇園囃子が聞こえて来ると、京都の本格的な夏の到来を実感する。両親に連れられて夜店を冷やかして歩いた頃が、とても懐かしく思う。路地の奥から、子供たちの護符を売る歌声が響く。 子供の頃から聞き慣れた懐かしいメロディである。 歌声に誘われて行ってみると、兵子帯に浴衣の女の子たちが得意気に唄っている。   安産の [続きを読む]
  • 【INDEX No.109】 アーカイブスガイド
  • ■五山送り火、如意ヶ嶽の大文字。京都市北区加茂街道紫明にて、2005年8月16日撮影。■   ■巻頭言 『月のことば』  …(毎月更新)いつだったか、未明に不思議な夢を見た。かいがいしく、母親を病室で介抱している夢だった。いつも夢の中で見る母親は、すっかり老いぼれた最晩年の姿ではない。未明の夢に現れた母親も、髪を後ろ手にくくった古稀を迎えた頃の母親だった……………  (続きを読む↓↓)◆【8月のことば】 [続きを読む]
  • 母の往生。
  • 4日午前6時10分、母親往生す。同じき6時37分、当直医によって臨終を確認せり。春秋77歳。法名 京音院釋尼春逝前夜の京都はひどい大雨だったが、母親が息を引き取る頃、大雨が嘘のように晴れ上がった。奇しくもその日は、父親の82歳になんなんとする誕生日なのだった。3日午後8時すぎ、父親から母危篤の報せを聞き、京都市左京区の日本バプテスト病院へ急ぐ。母親の意識は4月中旬から朦朧とした状態が続いていたが、母親が横 [続きを読む]
  • 【INDEX No.108−ブログ開設11周年−】 アーカイブスガイド
  • ■初夏、比良残照。滋賀県野洲市八ッ崎の琵琶湖岸にて、2006年5月8日撮影。■   ■巻頭言 『月のことば』  …(毎月更新)もう10年以上前だったか、三井寺の聲明を網羅したCDを購入したことがあった。『寺流聲明 ―三井流聲明集―』というタイトルが付いていて、当時の三井寺長吏・福家俊明大僧正の独唱による録音だった。天台寺門宗では、管長がそのまま宗門における聲明を伝える宗匠でもある……………  (続きを読む [続きを読む]
  • 南滋賀駅の桜。
  • 名残の桜………。 実家のある最寄り駅、京阪電鉄石坂線南滋賀駅の傍らに1本の桜の老木が植わっている。多分、ここに鉄道が敷設され、駅が開業した頃に植えられたのだろう。毎年、春が巡って来ると、見事な花を咲かせている。ちょっとこの情景を、ケータイカメラで記録しておきたいと思った…。【関連記事】■豪雪の元旦、南滋賀駅。■石坂線、名残の桜…。−三井寺駅疎水橋梁−■石坂線、三井寺の桜。 ■1994年2月12日、雪の日に [続きを読む]
  • 愚想感。
  • もう何日も母親と話していない。今月に入ってから、母親は一気に衰弱した。鎮静剤とモルヒネを投与しているからであろう、ずっと朦朧とした中で母親は病床に在る。先週だったか、私の顔を見て名前を呼んだきりである。医師の話によれば、夜に目覚めたりして意識がはっきりするようではある。私の心の中は妙に冷静な自分と、恐らくは取り乱すであろう自分が同居している。正直なところ私自身が心を病み、そしてある種の壮絶な自身の [続きを読む]
  • 三井寺春夜桜景。
  • 過日、初めて三井寺の夜桜に遇う………。近くにいながら、間近で三井寺の桜をゆっくり見たことがなかった。暮れなずむ頃の桜はとても幻想的だった。 三井寺は長等山園城寺と号し、天智・弘文・天武天皇の勅願による、7世紀に創建された古刹である。 平安時代に至って天台宗に転ずるも、第5代天台座主・智証大師円珍が比叡山を下りて三井寺に止住した。以来、比叡山延暦寺を「山門」と呼ぶのに対して、三井寺を「寺門」と呼ばれる [続きを読む]
  • 続・『中論』雑想。−聖道と他力−
  • 難解な仏教思想を理解し、体得できないのは、自身が罪悪深重の凡夫であり、煩悩から離れられぬ身であるからである。 実際に私は、自己嫌悪の塊である。正直なところ、顔ではニコニコしてはいるが、心の中は深い闇に包まれている。だからこんな駄文を、とりとめもなく書き付けているに他ならない。 心の奥底が見えぬ故に、偏見の恐怖感にも苛まれる。例えば暴力は、何も肉体的な苦痛を受けることだけではない。特に今時は、手のひら [続きを読む]
  • 『中論』雑想。−聖道と他力−
  •   諸法不自性   亦不従他生   不共不無因   是故知無生 古代インドの仏教僧、龍樹菩薩(150A.D.頃)が著した『中論』の一節。 我々が日頃聞いている仏教は、慈悲や救済が強調されている。救済思想は洋の東西を問わず、宗教の根幹をなすものである。しかし、仏教が他の世界宗教と異なるのは、信仰する者自身が救済主と同じき仏に成ることを目指す宗教なのである。成仏するとは、覚りを開くことに他ならない。 結果、成仏す [続きを読む]
  • 真如堂残照。
  • 黒谷を逍遥すれば、自然に天台の名刹、真正極楽寺こと真如堂に至る。黒谷、吉田山神楽岡界隈は、何某か乾いた心を潤してくれる風光に富んでいる。真如堂の本尊阿弥陀如来は、女人往生に霊験あらたかと言われている。往古以来、あまたの女性の願いを一身に受けてきた本尊である。 霊験あらたか………などというと、またしても浄土真宗らしからぬと批判を受けそうである。しかし、凡夫の情念を見過ごして、浄土真宗を語ることなどで [続きを読む]
  • 黒谷の五劫思惟阿弥陀仏。
  • 大谷本廟へ参詣した後、黒谷辺りを歩く。「親鸞屋敷」こと、東本願寺岡崎別院を経て、黒谷金戒光明寺へ至る。 元祖法然(← )が比叡山を下りた後、最初に草庵を結んだ旧跡と伝える。「黒谷」という地名は、元は比叡山三塔十六谷の一つ、黒谷にちなむ。元祖は比叡山時代、早くに遁世の志篤くして、黒谷別所の叡空に師事し、黒谷別所に長らく遁世したのだった。その後、元祖は比叡山を下りるも、世の人々からは “黒谷上人” [続きを読む]
  • 鳥部野逍遥。−手提げの香炉−
  •   鳥部野を 思ひやるこそあはれなれ   ゆかりの人のあとと思へば 宗祖親鸞が詠んだと伝えられる歌である。 鳥部野は、平安時代からの葬送の地である。今は祇園や三年坂といった、京都屈指の観光スポットだが、中世までは人が亡くなれば、その亡骸を遺棄しに来る場所だった。あるいは宗祖親鸞も、「鳥部野の南、延仁寺に葬したてまつる」とあるように、ここで荼毘に附されたりしていた。 今、西本願寺の大谷本廟周辺に広がる共 [続きを読む]
  • 【INDEX No.107】 アーカイブスガイド
  • ■蹴上の桜並木を背景に走る、京阪電鉄京津線の路面電車。京都市東山区にて、1997年4月2日撮影。■   ■巻頭言 『月のことば』  …(毎月更新)かれこれ、28年前になろうか。私が得度した時のことだ。研修道場の所長の訓辞が、ずっと忘れられずにいる。所長が若き日に、同じく得度した時のエピソードだった。 「毎朝、目覚めたら寝床で頭を撫でながら、“我は僧なり” と3回つぶやいて起きなさいと、老僧から言われたものだ [続きを読む]
  • 唐崎残照。
  • 唐崎残照…。2016年3月2日撮影。唐崎の松は花より朧にて 松尾芭蕉が俳諧に詠んだ、「唐崎の松」(← )唐崎の松である。昨日の夜半、また雪が降った。日が落ちる頃、比良山の山肌に差す夕照がさぞや美しかろうと、唐崎神社に遊ぶ。湖岸を渡る風は冷たいが、早春の夕暮れである。 やはり琵琶湖の風光を眺めていると、心が落ち着くというか、自身の付きまとう諸々の辛さからいささかなりとも解放されるような気がする。早春の [続きを読む]