アツ さん プロフィール

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アツさん: いつでも夢を日記
ハンドル名アツ さん
ブログタイトルいつでも夢を日記
ブログURLhttp://blogs.yahoo.co.jp/artsdainohara
サイト紹介文小説とエッセーを中心に書いています。現在、小説『徳川家康』を連載中です。
自由文旅行、ドライヴ大好き。ビール・そば・餃子ほかB級グルメが大好きな人間です。路面電車ファンでもあります。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供196回 / 365日(平均3.8回/週) - 参加 2007/06/17 20:39

アツ さんのブログ記事

  • お疲れモード
  •  昨日は用事で休みましたが今日から連続で往復2時間以上の長距離通勤で現場作業に向かいます。さいわいにも季節の割に天候が穏やかなのが救いです。 下の写真は現場にいたセグロセキレイです。 小説『徳川家康』第4章の執筆は進んでませんので連載再開はもう少しお待ち下さい。−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−1日1回、村ポチ歓迎です。 http://novel.blogmura.com/nove [続きを読む]
  • 小説『徳川家康』目次(第3章)
  • 第3章 元信(もとのぶ)     (1)http://blogs.yahoo.co.jp/artsdainohara/69833016.html     (2)http://blogs.yahoo.co.jp/artsdainohara/69838025.html     (3)http://blogs.yahoo.co.jp/artsdainohara/69840884.html     (4)http://blogs.yahoo.co.jp/artsdainohara/69844145.html     (5)http://blogs.yahoo.co.jp/artsdainohara/69847628.html−−−−−−−−−−−−−−−−−− [続きを読む]
  • 小説『徳川家康』第19回
  • 3.元信(5) 今川館には、竹千代が駿府に来る前から二人の乙女が出入りしていた。一人は吉良義昭(よしあき)の娘・椿であり、通称「お亀」と呼ばれていた。もう一人は関口親永(ちかなが)の娘・瀬名姫であった。瀬名姫は通称「お鶴」と呼ばれていた。 瀬名義広改め関口親永は瀬名氏貞の子で、関口氏縁の養子となって用宗城(もちむねじょう)の城主として二万五千石を知行していた。その妻は井伊直平の娘であったが今川義元 [続きを読む]
  • 小説『徳川家康』第18回
  • 3.元信(4) 父・松平広忠の命日から3か月遅れの六月六日、元信は松平家の菩提寺である大樹寺において墓参と法事を行ない、冥福を祈った。もう涙は枯れており、元信はある種の決意とともに法事を終えたのであった。もう一つ、元信にとって自分の母が魂を込めた、ゆかりの寺があった。 大仙寺は元信の生母であるお大が、竹千代を生んだ翌年(天文十二年)に創建した寺で、開山は俊恵蔵主である。お大が竹千代を懐妊した際に、 [続きを読む]
  • 小説『徳川家康』第17回
  • 3.元信(3) 当時、今川義元の指示で松平家の御家人阿部大蔵安吉と松平次郎右衛門某の二人が岡崎の留守居役となり、鳥居伊賀守忠吉と松平次郎右衛門重吉の二人に領地内の事を奉行させ、賦税は全て今川義元が押領していた。 鳥居伊賀守忠吉(とりいいがのかみただよし)は竹千代の父・広忠(ひろただ)の代から仕えている者で、既に齢(よわい)八十を過ぎた老人であった。ある日元信への目通りを乞い、人目を忍んで元信を土蔵に案 [続きを読む]
  • 小説『徳川家康』第16回
  • 3.元信(2) 竹千代が元服して元信(もとのぶ)となった翌年の弘治2年(1556)2月、今川義元は尾張勢の領地となっていた三河国の日近城(ひぢかじょう)を攻めた。これにあたっては元信の名代として一族の松平義春を差し向けた。しかし、城将の奥平貞直が良く守り、義春は討死にしてしまうのである。 これを受け元信は、尾張国からの侵略を防ぐため、福釜(ふかま)に新しい砦を構え、酒井・大久保をはじめとする松平勢で守っ [続きを読む]
  • 小説『徳川家康』第15回
  • 3.元信(1) 前の年に今川の軍師で総領であった太原雪斎がこの世を去り、今川家には何とも云えぬ喪失感が漂っていた。そうしてあわただしく新たな年を迎えることとなった。 弘治2年(1556)正月15日。今川館はまた別のあわただしさに包まれていた。十五歳となった竹千代が元服の儀に臨む日となったのである。付きの者が竹千代の衣服を改め、関口親永が理髪を担当して竹千代の前髪を剃り落とし、今川義元が加冠の儀を執 [続きを読む]
  • 連載再開予告
  •  小説を実際に書き始めてから6年を過ぎた。何年か前、新人賞に2作応募したがどちらも落選した。かなりエネルギーを注(つ)ぎ込んだので正直、失望も大きかった。 思えば自分はずっと前から、肉体も頭脳も低調気味であった。子供時代に何の訓練もなかった自分は、成人に近づいてからそのハンデを思い知った。スタミナは足りなかった。でも、やれることはやり尽くした。自分の性に合う仕事もあったが、紆余曲折の道程だった。  [続きを読む]
  • 謹賀新年
  •   あけましておめでとうございます。           平成29年(2017)元旦−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−1日1回、村ポチ歓迎です。 http://novel.blogmura.com/novel_literary/ranking.html ←にほんブログ村 小説ブログ 純文学小説http://poem.blogmura.com/heartpoem/ ←ポエムブログ 心の詩 [続きを読む]
  • 小説『徳川家康』目次(第1章・第2章)
  • 小説『徳川家康』目次(第1章・第2章) お陰様をもちまして、小説『徳川家康』は14回の連載を終えることができました。ここに第1章と第2章の目次を掲載します。 皆様におかれましても良い年をお迎え下さい。   ****************      第1章 三河の国    (1)http://blogs.yahoo.co.jp/artsdainohara/69630502.html    (2)http://blogs.yahoo.co.jp/artsdainohara/69633759.html  [続きを読む]
  • 小説『徳川家康』第14回
  • 2.竹千代(11) 天文二十一年(1552)、駿府館にて義元の嫡男、十五歳になった龍王丸が元服し、今川彦五郎氏真(うじざね)となった。氏真の元服の儀には、今川家の武官文官、京から駿河に避難していた多くの貴族、更には同盟国の武田や属国の松平からも人が集まり、今川家の強大さを印象づける場にもなった。竹千代より四ツ年上の氏真はとくに緊張した様子も見せず、つつがなく元服の儀を終えた。 これから程なくして、 [続きを読む]
  • 小説『徳川家康』第13回 
  • 2.竹千代(10) ある年、夏も近づいた頃、竹千代は付きの者に伴われて、駿府郊外にある増善寺に出かけた。そこは義元の父の菩提寺であった。その折りに、「鷹狩りがしたい」と申し出たが、住職から受け入れられず戻る帰り道、水面(みなも)がきらきら光る安倍川(あべかわ)の河原に、流れをはさんで子どもたちが対峙(たいじ)しているのが見えた。 竹千代は言った。「あれは何をしておるのじゃ」家来が言った。「あれは石合 [続きを読む]
  • 小説『徳川家康』第12回
  • 2.竹千代(9) 竹千代が雪斎からの手習いを始めてから三ヶ月余りが経った。安倍川の岸辺では桜がちらほらと花を開きかけていたが、賤機山(しずはたやま)から吹き下ろす風はまだ冷たかった。そんな時節、尾張の織田信秀が亡くなったとの報が舞い込んだ。人質とはいえ竹千代を丁重に育ててくれた信秀にも悪い印象はなかった。信秀の死去により、竹千代より八歳年長の信長が家督を継いだという。竹千代にとっては信長も活発な兄貴 [続きを読む]
  • 小説『徳川家康』第11回
  • 2.竹千代(8) 雪斎が言った。「孔子様の弟子がある時、こう訊(たず)ねた。“政治とは何でしょうか”と。孔子様は次のように答えられた。よいか、“およそ国家には食と兵と信がなければならぬ”とな。」「食と兵と信…?」「食は食べ物、兵は軍、信は人と人との信じ合い、ということじゃ。すると弟子がまた訊いた。“国家がそれを備えられない場合にはどれを捨てたらよいでしょうか”と。さあて、御許(おもと)であったら何 [続きを読む]
  • 小説『徳川家康』第10回
  • 2.竹千代(7) 翌二日。竹千代は源応尼に伴われて駿府の町の北の外れにある臨済寺を訊ねた。この日から臨済寺の住職である雪斎に手習いを受けることになっていたのである。歩み往く前方にはすっかり雪をかぶった富士山がこちらを見守っていた。 臨済寺に着いた。雪斎から竹千代への第一声は前日の宴(うたげ)でのことだった。「手習いを始める前に訊(き)きたいことがある。おぬしは昨日の御所の宴でしょんべんしていたの」 [続きを読む]
  • 小説『徳川家康』第9回
  • 2.竹千代(6) 天文二十年元旦。竹千代は十歳、駿府に来て二年目の正月を迎えていた。駿府御所では年始の宴が催されており、竹千代も呼ばれていた。重臣たちの中にはまだ竹千代を知らない人もいて、「あれはが竹千代か? いや、そうであるまい」等と竹千代の姿を見るなりひそひそ話が聞こえてきます。 間もなく義元が上座に現れて述べた。「あ、そうそう、岡崎の竹千代がまいっていたの」 竹千代はすぐに「はい」と返事をし [続きを読む]
  • 小説『徳川家康』第8回
  • 2.竹千代(5) もうすぐ年も変わろうとしているお香の席──義元は関口親永(ちかなが)の娘・瀬名を「鶴」と呼び、吉良義昭(よしあき)の娘・椿を「亀姫」と呼んで瀬名の父とともにこの席に呼んでいた。ひとしきり茶をいただいた義元は亀姫に脇息(きょうそく)を持ってこさせ親永に言った。「竹千代はどんな子じゃと言われておる?」「は。岡崎衆は、清康の生まれ変わりと申している由、利発な子であるとの評判でござりまする [続きを読む]
  • 改訂記事「2.竹千代(2)」
  •  12月も半ばに入りましたね。体調崩しがちですが乗り切りたいですね。私は今日の夕方から早めの忘年会に参加します。月に一回集まる仲間です。〈十二月になると、夫人は、信徒たちがクリスマスや新年を理由に、自分を「放っておく」のではないかと考えて、病気になりそうなくらい思い悩む。〉(マルセル・プルースト『失われた時を求めて〈2〉』 第一編スワン家のほうへⅡ、高遠弘美訳,bp.14) さて、小説『徳川家康』の第5 [続きを読む]
  • 改訂記事「2.竹千代(1)」
  •  寒さが身に沁みる今日この頃ですね。皆様いかがお過ごしでしょうか。 小説『徳川家康』の連載もおかげさまをもちまして第7回まで連載を終えました。 ここで連絡があります。連載済みの記事に於いて、どうしても改訂したい事由が発生しましたので、記事を改訂し、再度掲載させて頂きます。第4回2.竹千代(1)http://blogs.yahoo.co.jp/artsdainohara/69772660.html 次回は「2.竹千代(2)」の訂正記事を掲載させていた [続きを読む]
  • 小説『徳川家康』第7回
  • 2.竹千代(4) 源応尼(げんおうに)──竹千代の母方の祖母である。水野忠政の妻、のちに竹千代の祖父・松平清康の後妻となった。美貌の人である。清康の死後、三河の諸豪族に次々に嫁いだけれど、それぞれ夫に先立たれている。今川義元の呼びかけに応じて駿府に入り、出家して、源応尼と名乗るのである。 竹千代から遅れること数日後、源応尼は駿府に到着した。竹千代と同様、小梳(おぐし)神社に立ち寄った。そして病弱だ [続きを読む]
  • 小説『徳川家康』第6回
  • 2.竹千代(3) 今川義元全盛時代の駿府──京都は廃れており、義元の母・寿桂尼(じゅけいに)は、京都中御門大納言宜胤(のぶたね)の娘であったことからも、義元の支配する駿府城下町は、「東海の小京都」として注目されていた。そのため公家衆は、今川家を頼って今川義元の世話になっていた者が多かった。そのためか義元は公家風の生活におぼれ、日々遊興にふけり大切な軍事を義元の師匠である臨済寺住職の太原雪斎(たいげんせ [続きを読む]
  • 小説『徳川家康』第5回
  • 2.竹千代(2) 天文十八年(1549年)の晩秋。尾張の国・笠寺。今川氏はこの地の近くまで勢力を伸ばしていた。笠寺周辺は乱世の緩衝地帯であった。この笠寺に於いて、七歳の竹千代と織田信広との人質交換が行われた。 この時に至るまでの二年間、竹千代は粗放な扱いを受けず、むしろ丁重に扱われた。父・広忠は既に亡く、幼少のうちに人質に出された竹千代の脳裡に父の記憶はなく、離縁された母の記憶もほとんど残ってはい [続きを読む]
  • 小説『徳川家康』第4回
  • 第4回2.竹千代(1) 竹千代が生まれた翌年の天文12年(1543)、お大の父・水野忠政が死去し、お大の兄・信元が後継者となった。水野家も松平家同様、織田信秀方に付くか、今川方に付くかの選択を迫られていたのは松平家と同様であった。 忠政が死去した翌年、水野信元は織田方に属したのであった。今川方に属していた松平広忠は、やむなく信元の妹であるお大を離縁するのである。お大の方が松平家を去った後、竹 [続きを読む]
  • 小説『徳川家康』第3回
  • 小説『徳川家康』第3回 本小説は9月19日以来、諸事情により連載を中断していました。2ヶ月以上のブランクを経てここに連載を再開するはこびとなりました。 まだ読んでいない方のために、2回までの連載を再掲したいと思います。 第1回=「1.三河の国(1)」http://blogs.yahoo.co.jp/artsdainohara/69630502.html 第2回=「1.三河の国(2)」http://blogs.yahoo.co.jp/artsdainohara/69633759.html では第3回の [続きを読む]
  • 初鍋
  •  一昨日から今シーズン初の鍋物を二日連続やってみた。いずれも鶏鍋である。一日目の具材は若鶏もも肉、チンゲンサイ、白菜、調味は味噌仕立て。 二日目の昨日の具材は若鶏もも肉、大根、春菊、白菜、ぶなしめじ。調味は昆布だしと醤油。 鍋物は身体が温まるし、消化も良い。今年は鍋物がおおくなりそうだ。 11月も今日で終わり・・・。さて、明日12月1日から小説『徳川家康』の連載を再開します。お楽しみに。−−−−− [続きを読む]