京都夢設計 さん プロフィール

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京都夢設計さん: 風景・建築/京都夢設計
ハンドル名京都夢設計 さん
ブログタイトル風景・建築/京都夢設計
サイト紹介文建築を風景としてとらえる
自由文住宅における「一括請負」の歴史は意外と浅く、決して絶対的な方式ではありません。戦後の高度経済成長を機に一般的となりましたが、それ以前は分離発注で家を建てるのが普通でした。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供37回 / 885日(平均0.3回/週) - 参加 2007/11/27 09:13

京都夢設計 さんのブログ記事

  • 俳句へ21
  • これは俳句に限ったことではなく、たいていの創作活動について言えることなのだろうが、「何を」、「どのように」が先ず問題だ。今のところ、「何を詠むか」については、「特別なことではなく日常の些細なこと」としている。「どのように詠むか」については、「出来るだけ言葉の意味に頼らないように」ということだろうか。冬の月ばあさん峠またぐとき蝋梅のこと宇宙人の尿(しと)のこと老人の鼻孔太し松の内 [続きを読む]
  • 俳句へ20
  • 建築の設計でちょっとした冒険心をそそられることのひとつに、どこにでもある安価な材料を高貴に使ってみたい、というのがある。俳句でも同じで、と言うよりも、これこそ俳句の本領とも言えるかも知れない。 例えばレジ袋雪晴れの坂道白いレジ袋少年の年の始めのレジ袋レジ袋カサカサ冬の小人たち姫はじめ折り目正しきレジ袋れじぶくろとんでとんでろんどん冬 [続きを読む]
  • 俳句へ19
  • 田んぼの土はぎゅっと握るとそのまま固まってしまうが、砂場の砂は握った後手を開くとパラパラと崩れ落ちる。俳句の言葉にもこれに似たところがあるように思う。言葉が田んぼの土のように固まるのは言葉のもつ意味の力によるもので、それが言葉どうしを繋げているのだ。又は、繋げることによって意味が発生するとも言える。しかし砂のような言葉はそれぞれが自立していて全体としての意味を持ちにくい。例えば次の二句を比べてみれ [続きを読む]
  • 俳句へ18
  • 冬は何も無いと思っていたが、実はこの季節けっこう豊かだ。そんな風に思えるようになったのも俳句のおかげかも知れない。鶏のふりして冬へ出て行けり山眠る鶏の片足スクと浮くボジョレヌーボーずぶ濡れになっていくかラ・メールは海さざんか散りしきる [続きを読む]
  • 俳句へ17
  • 秋、最後のもがきです(明日は立冬)。秋の草花、いろいろあるけれど、ふだんの生活で出会う晩秋の頃の花の種類は意外と少ないのでは。そんな中、背高泡立草だけは格別、いやでも在る。猫消えて泡立草が輝いて翔びますか泡立草のあたりまで三手先読んだつもりが泡立草 [続きを読む]
  • 俳句へ16
  • 秋の句のつづきです。この秋は十分に生きただろうか?たぶん不十分だな。時間は遊覧船くらいの速さで流れているので問題は無いのだが。暮れの秋汽水線はこのあたり行く秋の荻窪今はどのあたり美しい「飛」の筆順や秋が行く [続きを読む]
  • 俳句へ15
  • 毎日とてもよい天気がつづいている。でも今までに作った俳句を見ると春、夏、秋、冬の内で秋がいちばん少ない。気持ちが良すぎるせいだろうか。とにかく、冬が来るまでにもっと作っておかなくてはいけない。鋸の歯のひとつが欠けて花梨の実ディオニソス秋のベンチに腰かけて秋の昼明治の人と行き合わす [続きを読む]
  • 俳句へ14
  • 私のような後発の者には何十年も俳句を続けている人達にはとても上手さでは太刀打出来ないので、他人がやらないような何かを考え出すしかない。そこで思い付いたのが記号俳句、俳句に記号を持ち込もうという訳です。▽dl/dE∝E(α〜3)秋の蛇 (記号部分にはフリードリヒ・ビィルヘルム・ニーチェとルビを振ります)名月の□に現れて (□はシカクシメンと読む)どうじゃろう [続きを読む]
  • 俳句へ13
  • ハグロトンボの雄は体色が全体的に黒く緑色の金属光沢があり、とても美しい。また他のトンボのように素早く飛翔したりホバリングしたりせず、チョウのようにひらひらと舞うように羽ばたく。(ウィキベディア)公達の夜な夜なハグロトンボかな [続きを読む]
  • 俳句へ12
  • 春が逝ったかと思えば、こんどは夏が行く。夏の間に作った残りの句をここで吐き出しておこう。黒い傘さして女来ゆすらの実黒デメキン残してあとはほかしたろ一番に電車降り来る鞍馬の蚊夏草や霊峰富士を捨ててあり工場の巨大なダクト草いきれ六月の闇ゆれている甕の中 [続きを読む]
  • 俳句へ11
  • 俳句の世界も短歌の世界にならって、少しずつ口語体に移って行っているようだ。ただ、この口語調、ややもすると散文的な、意味を主体とした、切れの弱い俳句になりがち。おもい出すまでにしばらく螻蛄の貌木下闇知ってる顔が置いてある首立てて蛇の正しく泳ぐこと [続きを読む]
  • 俳句へ10
  • 俳句業界を覗き見て驚くのは、この業界では「新しさ」と「独創性」が絶対的価値であるということだ。類想は極度に嫌われる。もちろん建築でも似たようなところはあるが、「パクリでもいいものはいいじゃないか」と、ちょっと大らかなところもあるように思う。例えば村野藤吾作品などのように。それに独創的で奇抜なデザインには過去に痛い目にあった経験もある。パクリではないが新しさがあるかどうか分からない、青嵐2句。青嵐ひ [続きを読む]
  • 俳句へ9
  • 降り続いた雨も上がり今日はとても天気が良い。山椒の葉のアゲハの幼虫も1.5?くらいまで成長している。一年中でもっとも気持ちの良い季節だ。麦の風むかしペルシアの涙壺天道虫ヤックンここで何してん [続きを読む]
  • 俳句へ8
  • 時間が高速で流れて行く。この分だと人生はあと2〜3ヶ月しか残されていないのではという気にさえなる。今日で四月も終わる。春も逝く。ひとりづつ少女が消える春夕焼そりゃないわそりゃあないわよ春の蝶おもひ寝の太祇のよだれ鳥雲に(島原吟行句) [続きを読む]
  • 俳句へ7
  • 昨日の月の出の時刻は15時18分、今日の月の出は16時29分。たった1日で71分遅れることになる。同じ調子で遅れるとすれば明日の月の出時刻は17時40分頃だ。菜の花が一面に輝いて東の空に月があり、西の空に太陽がある風景は、今日か明日しかない。昨年は見逃したが今年こそはこの目で確かめることが出来そうだ。天気も良い。 [続きを読む]
  • 俳句へ6
  • 俳句の作られ方には大きく分けて二通りある。「一物仕立て」と「取り合わせ」だ。しかし、建築の世界ではどうも一物仕立てが多いように思う。もしかしたらほとんどの建築が一物仕立てなのかも知れない。取り合わせの建築として思い付くものと言えば、大江宏の角館伝承館くらいだろうか、ちょっとキッチュに見えるこの建物も武家屋敷との取り合わせとして見ればたいへん分かりやすい。もっと取り合わせの建築があってもよいと思うの [続きを読む]
  • 俳句へ5
  • これまで建築の設計を生業として来たので、建築家らしい俳句もと思うのだが、さて、どんな俳句が建築家らしいのやら。近代建築をイメージすると蕪村のような俳句だろうか。端正で上品で知的な俳句。そこで、腸を出して洗ふや小六月冬銀河紙を通して熱きもの慎重に慎重に剥す冬の月 [続きを読む]
  • 俳句へ4
  • ユーモアはゲラゲラ笑うといったものより、クスッとする程度がよいと思う。こんな調子でどうだろう。カイツブリ潜れば浮かぶほかの顔ご用無き方にも門の紅椿蝌蚪の紐大江健三郎寝ていたり [続きを読む]
  • 俳句へ3
  • 若い頃、春はとても苦痛だった。なんと言うか、季節に取り残されている感覚がとても強く、神経はいつも尖った2Hのえんぴつのようだった。それは30歳くらいまで続いただろうか。今では、つんつるてんの4Bのえんぴつ。ボロ靴の穴よりぬける春の水 [続きを読む]
  • 俳句へ2
  • 建築を考えて来て最後にたどり着いたのが、「どうも近代建築は真面目過ぎるんじゃなかろうか、もう少しユーモアがあってもいいんじゃないだろうか」というものでした。その点、俳諧はそもそもの出発点が ”おかしみ”だから私にとってとても相性がいい。冬満月数に限りがございます寒波来るもやしと牛乳頼まれて洟啜る音も麗し春袷 [続きを読む]
  • 俳句へ
  • 気が付けば60歳を越えていた青い鳥を追い求めるように「建築」を探しつづけていた日々青い鳥は見つかったのか森の奥で別の形をした青い鳥に私は出会ったその世へは赤い椿を覗くだけ [続きを読む]
  • 風景をつくる建物99
  • 先日、中間検査の立会いで亀岡へ行ってきました。例によって車では行かずに、亀岡駅まではJR嵯峨野線で、そこから現場まではバスです。バスは1時間に1本出ています。現場は穴太寺という旧いお寺のそばで、辺りはちょうど今、田に水を引き込んで田植の準備をしているところでした。なつかしい風景がまだ残っていました。村中は水に映って桐の花 [続きを読む]
  • 風景をつくる建物98
  • 気が付けば何度も同じような写真をを撮っている、そんな場所があるものです。ちょっとした光の加減で、そのときにはまるで初めて出会ったような新鮮な感動を受けるのです。菜の花や月は東に日は西にこの現場を押えてやろうとして、先月は失敗し、今月もまた逃してしまった。午後4時ころに月が天高く見えたのでまだ数日は余裕があるなと思っていたが、もうおそかった。それでも、このような時刻が間違いなくあり得るという実感は抱 [続きを読む]
  • 風景をつくる建物97
  • 待庵を滑稽建築と見立て、もしかしたら近代を乗り越える新しい(と言っても35年前から考えていることですが)建築世界を開拓できるのではないか、というわたしのもくろみは完全にハズレてしまいました。待庵は草庵というよりも、書院のような硬さを持ち、こともあろうに近代建築と同質の禁欲性があり、屋根は桂離宮のように優美でした。どこに滑稽などありましょう。利休は冗談も通じないような堅物でした。秀吉の気持が痛いように [続きを読む]
  • 風景をつくる建物96
  • またまた、久しぶりのブログです。実は待庵を観てもいないで、あまりいいかげんなことをこれ以上は書けないなと反省しまして、先日、妙喜庵へ待庵の拝観申込のハガキを送りました。そして、今月末の31日に拝観できることになったのです。利休に会えるのです。利休さんってどんな人なんだろう? 芭蕉さんと同じように利休さんともいい友達になれるだろうか。 [続きを読む]
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