徳薙 零己 さん プロフィール

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徳薙 零己さん: 末法之世(平安時代叢書第十二集) 月〜金18時
ハンドル名徳薙 零己 さん
ブログタイトル末法之世(平安時代叢書第十二集) 月〜金18時
ブログURLhttp://ameblo.jp/tokunagi-reiki/
サイト紹介文SE山城京一のドラッカー講座 日曜18時 / 京子先生の平安時代講座 土曜18時
自由文<フィクション>
・わかりあえるはず
・あおひとくさ
・ほしがき
・せむかた -restart-
・ほむらみさき
・苦悶の捕虜
・ほむらみさき、そして…

<ノンフィクション>
・獅子光臨〜三原修の足跡
・朴正煕の野望
・共喰 トモグイ〜連合赤軍事件の全貌。
・蟹工船の時代
・平安時代叢書
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供367回 / 365日(平均7.0回/週) - 参加 2008/01/03 23:29

徳薙 零己 さんのブログ記事

  • 末法之世 234/260 (平安時代叢書 第十二集)
  •  それがいつ頃のことなのかはわからないが、康平年間のことであるという。 天喜六(一〇五八)年八月二九日、康平へ改元されたから、源義家がその行動を起こしたのは、もっとも早くても康平元(一〇五八)年八月以降のこととなる。 出羽国の清原光頼とその弟の清原武則、そして、清原武則の子の清原武貞のもとを源義家が訪れた。この時点での清原氏のトップは清原光頼であるが、清原氏の武を操るのは弟の清原武則であり、源義 [続きを読む]
  • 末法之世 233/260 (平安時代叢書 第十二集)
  •  天喜六(一〇五八)年二月二三日、法成寺焼亡。 天喜六(一〇五八)年二月二六日、新造内裏、中和院、大極殿など焼亡。後冷泉天皇は、内裏再建工事の完了を迎えることなく、内裏再建命令を再度出さなければならなくなった。 この短期間でいきなり大規模な火災が連続して発生し、京都はその対応に追われることとなった。 このときの火災は奥州安倍氏の送り込んだスパイによる放火であるとも、戦争に反対する者の手による放火 [続きを読む]
  • 末法之世 232/260 (平安時代叢書 第十二集)
  •  翌天喜六(一〇五八)年、東北地方の戦いにおいて、朝廷軍がもっとも苦労させられる一年が始まった。 陸奥国府の支配下にあった農村が、一つ、また一つと、奥州安倍氏側に奪われていった。その中心を担ったのが、かつては源頼義の家臣の一人であった藤原経清である。 農村に対して発令されていた陸奥国司の印のある書類は全て無効とされ、藤原経清の記した国印の無い書類が正式な書類と扱われた。その書類に記されているのは [続きを読む]
  • 末法之世 231/260 (平安時代叢書 第十二集)
  •  朝廷軍大敗の知らせが届いたのは天喜五(一〇五七)年一二月のことである。 それまで奥六郡にとどまっていた奥州安倍氏の勢力が南へと拡がり、それまで陸奥国府の統治下にあった土地が奥州安倍氏の手に落ちた。 朝廷の記録は、このあとで大量虐殺があったと記している。戦争で敗れた武士たちが殺されただけでなく、農村に住む一般人も、陸奥国府側であったというだけで殺害されたのだ。 これは、反乱軍側の人間にとっては溜 [続きを読む]
  • 末法之世 230/260 (平安時代叢書 第十二集)
  •  安倍時頼が命を落としても、安倍貞任がトップとなって軍勢を維持している。安倍貞任よりは話の通じる安倍宗任は、一刻も早く戦争を終わらせるべきだと考えてはいるが、今すぐの無条件降伏ではなく、戦争を有利な形で進めた上で朝廷軍からの譲歩を引き出しての講和を考えるようになっている。 源頼義とともに戦おうという人は続々と東北地方に押し寄せてきている。 それなのに兵糧が届かない。 源頼義は焦りを隠せなかった。 [続きを読む]
  • 末法之世 229/260 (平安時代叢書 第十二集)
  •  天喜五(一〇五七)年八月一〇日、東山道、東海道の諸国に対し、兵糧を陸奥国に運ぶようにという命令が出た。前回、兵糧不足への懸念から大軍を動かせなくなり短期決戦が不可能になったことを危惧してのものである。 ところが、朝廷からの通告と入れ違いに東北地方から届いてきたのが安倍頼時死亡の知らせである。これにより、戦争が終わり、食料運送の必要もなくなったと感じた東山道と東海道の諸国は兵糧を運ぶのを躊躇うよ [続きを読む]
  • 末法之世 228/260 (平安時代叢書 第十二集)
  •  安倍頼時が亡くなったことで、安倍頼時追討の宣旨は効力を失ったこととなる。 これは、安倍宗任も考えていたことで、父の死を告げる報告と同時に朝廷軍に対して降伏することを検討したようである。 だが、安倍宗任のこの意見に猛反発したのが安倍貞任であった。 安倍貞任は安倍頼時の次男で、安倍宗任は三男である。 この二人は兄弟ではあるが母親が違う。安倍貞任は金氏の女性を母親としているのに対し、安倍宗任は清原氏 [続きを読む]
  • 末法之世 227/260 (平安時代叢書 第十二集)
  •  北上安倍氏にとってはやっかいな申し出とするしか無い。 そもそも、同じ蝦夷だと一緒くたにされて朝廷側から反乱軍の一員にカウントされかねないのが迷惑極まりない話で、天喜五(一〇五七)年時点で朝廷軍の一員として従軍していないのは事実でも、安倍時頼追討の宣旨を受けた源頼義から従軍するよう要請されていないのに軍を動かすと、そのほうが問題になるのである。 ただでさえ慎重にならなければならないときに、自分の [続きを読む]
  • 末法之世 226/260 (平安時代叢書 第十二集)
  •  下北安部氏をいかに味方に引き入れるかをめぐる駆け引きが始まった。 この時代の陸奥国の陸路は、ほぼ現在の国道四号線に相当する道が主な道路である.陸奥国自体が太平洋沿岸や日本海沿岸、あるいは瀬戸内海いった海路を頼れないことから「道の奥」と言い方がなされ、「みちのく」という言葉が生まれたほどであったが、あくまでも主な道路が内陸部にあったと言うだけで、石巻から気仙沼、釜石、宮古といった三陸沿岸を通る方 [続きを読む]
  • 末法之世 225/260 (平安時代叢書 第十二集)
  •  安倍貞任らは、この戦いで日本に勝つこと、日本から独立すること、そして、東北地方を征圧し、北海道、樺太、沿海州まで至る巨大国家を作り上げることを夢見ていたが、安倍頼時は、自分たちのしていることが反乱であり、遅かれ早かれ負けることを確信していた。しかも、自分は一度戦いを挑んでおきながら降伏し、その上でもう一度戦闘を仕掛けている身である.二度目の許しはない。 自分の身がどうにかなろうと、奥六郡に住む [続きを読む]
  • 末法之世 224/260 (平安時代叢書 第十二集)
  •  東北地方の反乱が解決すると期待していた京都の市民たちは、想像もしなかった連絡に驚きを隠せなかった。しかも、源頼義は長期戦になると連絡してきた。 その上で、二つの要求を朝廷に迫ってきた。 一つは、源頼義に対する安倍頼時追討の宣旨を再度出すこと。これは、朝廷は軍事作戦の継続する意思であると日本中に公表することを意味する。二つ目は、後任の陸奥国司を早々に派遣して欲しいという願い。これは自分が軍事に専 [続きを読む]
  • 末法之世 223/260 (平安時代叢書 第十二集)
  •  スパイというものは、想像上の存在なわけでも、近現代だけの存在でもない。どの時代にあっても、どの社会にあっても、スパイというのは存在する。安倍頼時が利用したのはスパイであった。 奥六郡に向けて軍勢を進めているタイミングで、朝廷軍に潜り込んだ反乱軍のスパイが、平永衡が反乱軍側に寝返る可能性があるという情報を流したのである。そして、この情報を源頼義が信じてしまった。それだけではなく、平永衡が殺されて [続きを読む]
  • 末法之世 222/260 (平安時代叢書 第十二集)
  •  実際に戦ったからこそ、安倍頼時はこのままで行けば戦争に負けることを確信していた。息子たちの挙げるような夢物語に関心を示さないどころか、日本のもとに服属する以外に日々の生活を続ける選択肢はないと考えていた。 そのためにはできる限りのことをしていた。 息子が陸奥介の娘と結婚しようとして失敗したとき、無謀な夢を見る革新者たちの口実になると気付いてもいたが、反対しなかったのは成功した場合のリターンが大 [続きを読む]
  • 末法之世 221/260 (平安時代叢書 第十二集)
  •  第一次世界大戦のきっかけになったのが一発の銃声であったように、大規模な戦争が起こるきっかけは、原因ではなく、いつ爆発してもおかしくない状況での誘発であることが多い。 阿久利川事件は、安倍貞任にとってのきっかけになる事件であると同時に、陸奥国司源頼義にとってもきっかけになる事件でもあった。 いつ爆発してもおかしくなかった蝦夷にとって、阿久利川事件は決断をさせるきっかけになった。ここで日本に対して [続きを読む]
  • 末法之世 220/260 (平安時代叢書 第十二集)
  •  プロポーズを断られること自体は、不憫ではあるがよくあることでもある。男としての魅力に欠けていたのか、好みのタイプではなかったのか、どの時代においても、どの世界においても、性別を問わずよくあることである。 おまけに、この時点で安倍貞任は結婚していた。たしかにこの時代は一夫多妻である人も多く、安倍頼時も確認できるだけで四人の女性が妻として確認できているが、本来は一夫一妻であり、結婚している男がやっ [続きを読む]
  • 末法之世 219/260 (平安時代叢書 第十二集)
  •  永承六(一〇五一)年の鬼切部の戦いをもって前九年の役のはじまりとするのが一般的であるが、天喜四(一〇五六)年時点の人はそのように考えていなかった。陸奥国司源頼義の派遣と安倍頼時の無条件降伏で東北地方の戦いそのものが終わっており、源頼義は国司として戦後の東北地方の再建にあたっているのだと当時の人は考えていたのである。 もっとも、源頼義はそのように考えてはいなかった。テロの起こる可能性があること、 [続きを読む]
  • 末法之世 218/260 (平安時代叢書 第十二集)
  •  一条院は確かに不便であるが、それも冷泉院の立地条件と比べるからであって、内裏のすぐそばという点では一条院も素晴らしい環境なのである。 その上、一条天皇、後一条天皇、後朱雀天皇と、ここ四代の天皇のうち三条天皇を除く三代の天皇が里内裏として利用してきたという実績がある。後冷泉天皇もこの先例に乗ろうとしたのであろう。 いや、先例に乗ろうとしたのは後冷泉天皇だけではなかった。藤原頼通も、そして、議政官 [続きを読む]
  • 末法之世 217/260 (平安時代叢書 第十二集)
  •  日本という国は地震が多い。地震が多いから、石で建物を作ろうものなら揺れで簡単に崩れてしまう。縄文時代から現在に至るまで建材の多くが木材であるのも、地震対策のためである。 ただし、木材であるということは火災に遭いやすいことを意味する。だから火の取り扱いについてはかなり慎重にならざるをえないし、家の中の作りも火災の起きにくい作りへと発展してきた。 ところが、放火となるとどうにもならなくなる。建物に [続きを読む]
  • 末法之世 216/260 (平安時代叢書 第十二集)
  •  焦りの理由は三つあった。 一つは、自分の後継者がいないこと。弟が皇太子であり、自分に何かあったら弟が皇太子として即位する。若きプリンスと目されていた頃は、まだ男児がいないことも特に問題になることはなかった。しかし、即位から一〇年が経ち、年齢も三一歳となっている。この年齢にあっても男児がいないことは皇統の連続という点で大問題であった。 二つ目は、荘園整理が思い描いていた結果を残していないことであ [続きを読む]