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- 2009/11/22 14:38日本の歴史は中世から始まる
- 日本の歴史=文献史は倭五王から始まるので、世界的に見るとこの王権は中世にあたる。王が武力と政治権力と祭祀権の三位を同時に兼ね備えていたのが中世だから。その後から古代が始まる。それ以前は大古代。 [続きを読む]
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- 2009/11/22 14:27天皇とは祭祀者
- 天皇以前からの日本独特の祭政一致時代からの「ひこひめ」制の「ひめ」=巫女=国家の祭祀者としての機能を持つもの。これに対して大王の中には倭五王のように直接軍事にあったって勢力を形成した世界的「王」観念に一致する祭政一致の文武兼ね備えた例外があった。大王と天皇はその観念がまったく違う。◎大王がいるけれど、王が暗躍しフィクサーになって、直接の政治は氏族を大臣にしたという古代政治体制がこれ。非常にややこし [続きを読む]
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- 2009/11/22 13:12蘇我氏の真実2 サルでもわかる古代政局
- すでに氏族に詳しい方にはわずらわしいだろうが、このブログは文献古代史初心者(つまりKawakatu)にわかりやすくするためのものだからお付き合いを。にわか歴ファンでもわかる古代の政治。蘇我氏の出自1(文献から推測される蘇我氏)■応神天皇(大王)系図 倭五王讃・珍・済・興・武 (15代)応神天皇---(16)仁徳天皇-┬-(17)履中天皇---┬--(24)仁賢天皇----(25)武烈天皇(武) | ‖ [続きを読む]
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- 2009/11/22 10:38中津市上ノ原遺跡内長者屋敷官衙遺跡国指定遺跡へ
- ■奈良時代から平安時代の官衙・国史跡へ答申 国の文化審議会が文部科学相に答申した20日、県内では中津市永添の長者屋敷官衙(ちょうじゃやしきかんが)遺跡が国指定史跡として答申された。登録されれば県内の国指定史跡は39件目。■「中津市が一九九六年から取り組んできた、市内永添の郡衙(ぐんが)遺跡「長者屋敷遺跡」の発掘調査がほぼ終了した。遺跡は、九世紀前後の下毛郡(現中津市)の役場を構成する施設の一つ、「正 [続きを読む]
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- 2009/11/21 21:33小休止の話題・恐竜だって興味ある
- 幼少のころは恐竜ファンだった。金や鉱脈にも興味がある。一緒に行きませんか?鉱山の中に・・・入り口はこのURLからhttp://white.ap.teacup.com/kawakatublog/面白いと思ったらクリックよろしく!↓If you feel this article if interesting, please make a ranking click. I ask! ↓ ↓ ↓にほんブログ村 歴史ブログへ(文字をクリック)にほんブログ村 歴史ブログ 考古学・古代史へ(文字をクリッ [続きを読む]
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- 2009/11/20 19:14蘇我氏の真実1
- この項は余計な粉飾はせず、事実だけを淡々と書く予定。●蘇我氏系譜は仮冒蘇我石河宿禰―満智―韓子―高麗―稲目稲目以後、はじめてその同世代兄弟姉妹にひろがる系図となる。つまり石河宿禰から高麗(こま)までは蘇我氏の仮冒である。志田諄一(『古代氏族の性格と伝承』)は、満智は百済系にいくらでも出てくる名前(もくまんち、もくらまんちなど)だと断定している。(要もっと例証)韓子は新羅系の名前。高麗は高句麗そのも [続きを読む]
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- 2009/11/20 17:31装飾壁画共栄圏試論 3秦氏と線刻がなぜか蘇我氏の謎を解く !
- 装飾古墳の分布の謎を解くにはどうしても船が使える氏族がいる必要がある。なぜなら、装飾古墳、線刻古墳は鳥取や出雲、香川どころか大阪、福島、茨城、東北にまで存在しているからだ。これだけの広範囲に装飾葬送が広まるには、実際に九州にまで葬儀を見に来たか、九州人が現地へ行ったかという歴史的背景が絶対に必要となる。そこで考えられるのは、縄文時代の東北の遺跡から出てくる南国産貝のブレスレットや、環太平洋、環日本 [続きを読む]
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- 2009/11/20 16:11最近現説かんたん解説・城野、纏向、垣内遺跡
- 城野遺跡方形周溝墓■2世紀末〜3世紀の墳丘墓■九州最大級■鉄器が副葬されていた(弥生時代では極めて早い副葬品)■人骨はなぜかなかった■そのような古い時代からすでに石棺だった■石棺内側に朱が塗られていた■しかも石棺は二基埋められていた■近くに弥生終末期の竪穴式住居と鉄片が出た■近隣に銅矛出土の遺跡などがあり、当時の拠点集落■一辺23メートルで、同時期の遺構では福岡県みやこ町の川ノ上遺跡の17・5メー [続きを読む]
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- 2009/11/18 17:43装飾壁画共栄圏試論 2
- これまでKawakatuがこのブログで調査してきた九州の
装飾古墳に関わる氏族は以下のとおりである。九州 の日下部氏に関するKawakatuの諸論考http://blogs.yahoo.co.jp /kawakatu_1205/MYBLOG/yblog.html?m=lc&sv=%C6%FC%B2%BC%C9%F4%BB%E1&sk=1 九州の的臣に関するKawakatuの諸論考http://blogs.yahoo.co.j p/kawakatu_1205/MYBLOG/yblog.html?m=lc&sv=%C5%AA%BF%C3&sk=1靫負大 伴の諸論考http://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/MYBLOG/ [続きを読む]
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- 2009/11/18 15:53装飾壁画共栄圏試論
- これはまだ九州北部と瀬戸内・日本海とに限った分析であるが、5世紀から6世紀かけてほぼ同時代(倭五王時代)に、豊前上毛郡の穴ヶ葉山古墳群を中心として、線刻画を持つ人々と、円文を持つ人々のすみわけと共栄があったらしき痕跡を証明しようとする試論である。論拠として『豊前市史』(豊前市史編纂委員会 平成五年)における小田富士雄の豊前穴ヶ葉山古墳についての論考と写真、図表がある。まず第一回として穴ヶ葉山1号墳 [続きを読む]
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- 2009/11/17 18:40来週の九州考古学イベント情報
- ■ 邪馬台国シンポジウムinいいづか 11/28 13-17時/イイヅカコスコスコモン 〜飯塚市教育委員会 0948-25-2930 ■ 八女古墳群ウオーク&古代体験 11/29/福岡県八女市 〜岩戸山歴史資料館 0943-22-6111 ■小倉南区・城野遺跡(じょうのいせき)で弥生中期〜後期の竪穴住居群,貯蔵穴群,方形周溝墓。北九州市芸術文化振興財団の調査。11/21現地説明会。以上発掘・現地説明会の情報源 http://www.tt.rim.or.jp/~shr/nl/nl. [続きを読む]
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- 2009/11/15 18:28ヤマトタケル・雄略の下賜した二本の鉄剣
- 九州国立博物館にようやく埼玉県稲荷山鉄剣がお目見えした。江田船山古墳鉄剣とともにようやく東西の英雄の持った二本の国宝剣が揃ったことになる。→http://white.ap.teacup.com/kawakatublog/439.html雄略大王の五世紀、その名が刻み込まれた二本の鉄剣が揃った「九州の国宝展」はいよいよクライマックスを迎えているが、雄略がモデルとなったと考えられている伝説の人物がヤマトタケルである。倭五王が鉄を求めて東へ西へと征討 [続きを読む]
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- 2009/11/15 17:13豊前の出土している渡来系土器と秦氏
- 以前の記事で竹並横穴墓群を「秦氏のいた場所ではないだろう」と書いてしまったが、実際には確かに一部横穴様式には隼人系のものがあるとしても、同時に多くの渡来系土器が出土している。横穴墓であるから渡来系とは行っても実務を行う秦の民=秦部の使った土器であろうかと思われる。非常な割合で豊前全域に住まっていた秦部と勝部であるから、「秦氏ではないにせよ」秦の民がいた「丁里」の可能性が最も高い地区のひとつと言って [続きを読む]
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- 2009/11/15 17:00墳丘のある横穴墓・竹並G、上ノ原など
- 豊前から筑豊の田川郡にかけて「墳丘を持つ横穴墓」という過渡期的な特殊墳墓が見られる。最古のI期のものが大分県中津市の上ノ原横穴墓群から4基見つかっており、その後も民衆墓であるはずの各地の横穴墓群の中に何基かずつ発見されている。〓期大分県中津市上ノ原横穴墓群4基〓期宗像市久戸13号墳3基〓期北九州市相坂4号横穴墓山口県朝田横穴墓群行橋市竹並G−2号横穴墓などA、F、G地区に数基田川市長谷池横穴墓E-aー3号 [続きを読む]
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- 2009/11/12 17:23稲堂古墳群と帆立貝型石並古墳
- 稲堂古墳群(いなどう・こふんぐん)豊前国北部旧仲津郡南部の海岸線に集中する円墳群。石並古墳同じく豊前国の稲堂古墳群のやや南に位置する帆立貝型前方後円墳。海岸線に作られた古墳はこのほかに行橋市北部の苅田(かんだ)町に御所山古墳、石塚山古墳、番塚古墳、木ノ元幸1号墳などの前方後円墳や古大内古墳群などの円墳群がある。総じて豊前北部の海岸線には前方後円墳が集中し、最も産物が集積する河口部、海岸線の平地に中 [続きを読む]
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- 2009/11/12 16:56考古学書庫の細分化のお知らせ
- これまで「考古学」に一括して探すのが大変だった「装飾古墳」「纏向遺跡と邪馬台国関連」「旧豊前国の考古学と秦氏」について書庫増設しました。なお、数ヶ月前に「秦氏研究いろいろ」書庫も増設しておりますのでご利用ください。今後も書庫細分化作業をしていき、より見やすくまとめてゆく所存です。書庫につきましてご要望があればご連絡ください。なお、書庫の作成につきましては、考古学、民俗学、文献史学、考古理化学などが [続きを読む]
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- 2009/11/12 16:37六脚輪状文
- 日本でただ一ヶ所、大分県宇佐市大字山下にある貴
船平下の裏山横穴墓群の中の一基だけに描かれた特 殊な装飾。この円文を六脚輪状文(紋)だとしてい る学者は存在しない。以下の二つのサイトだけがこ の名称を用いている。→http://homepage3.nifty.com/obito/ooita .htmlhttp://www.geocities.jp/decoratedtombs/geodiary.htmlいずれも 装飾古墳について詳しく見聞された信用できる人物 のサイトであるが、九州国立博物館が運営してい [続きを読む]
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- 2009/11/12 00:30纏向遺跡からの最新報告・どこか?論争はすでに昨年決している
- “卑弥呼の柱”別の宮殿にリサイクル? 奈良・纒
向遺跡 http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/topics/323156 /http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/topics/323156/slideshow /242351/奈良・纒向遺跡建物跡、魏志倭人伝の「宮室 」かhttp://osaka.yomiuri.co.jp/inishie/news/is91111b.htm奈良・纒 向遺跡3世紀 最大建物跡出土、卑弥呼の宮殿かhttp:// osaka.yomiuri.co.jp/inishie/news/is91111a.htm・・・・・ [続きを読む]
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- 2009/11/08 14:09蛇行剣と行橋市竹並横穴墓群
- ■蛇行剣 だこう・けん祭祀用の曲がりくねった形状の鉄剣。日本各地で出土例あるが、その数はきわめて少ない。隼人祭祀者、有力者だけが持つとも考えられている。 「(長野県諏訪市)のフネ古墳は、昭和34年、農耕中発見された古墳で、守屋山山麓の丘陵上にあり、地籍は諏訪市神宮寺で標高800m、東側丘陵下に上社本宮、西の同標に片山古墳があります。諏訪湖面から 40mの比高となり、この地の字名は「舟(ふね)」です。丘から [続きを読む]
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- 2009/11/07 19:15豊前地域出土6世紀周辺遺物
- [[attached(6,center)]]次回は稲童古墳群、豊前渡来部族割合一覧、五所ヶ谷神護石などの予定奈良の大仏建立とともに衰退する豊前北部。香春の銅とともし栄えた豊前国、その栄華盛衰と渡来秦の民、そして中央から来ていた官衙たちの泣き笑いが見えたらご喝采。面白いと思ったらクリックよろしく!↓If you feel this article if interesting, please make a ranking click. I ask! ↓ ↓ ↓にほん [続きを読む]
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- 2009/11/07 17:45九州北部の官道図
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- 2009/11/07 17:36京都郡の遺跡分布図、古墳位置など
- [[attached(5,center)]]画像参照「豊前地域の横穴墓」「稲童古墳群展 倭王に仕えた武人の実像」「古墳から寺院へ 椿市廃寺とその時代」など面白いと思ったらクリックよろしく!↓If you feel this article if interesting, please make a ranking click. I ask! ↓ ↓ ↓にほんブログ村 歴史ブログへ(文字をクリック)にほんブログ村 歴史ブログ 考古学・古代史へ(文字をクリック)ご注意:すべて [続きを読む]
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- 2009/11/07 17:23九州装飾壁画古墳・線刻画古墳・装飾横穴墓分布図
- 小郡市教育委員会・行橋市教育委員会編集平成17年度企画展「黄泉への入り口 −有明海沿岸と豊前海沿岸の線刻壁画−」引用掲載 朝日新聞『装飾古墳の世界 図録』1993から(一部改変)装飾古墳は九州では1 筑後川流域2 遠賀川流域3 菊池川流域4 球磨川流域5 旧豊前国から国東半島6 大淀川流域などに集中的に存在する。主流は有明海北部域周辺である。■有明海北部地域に大きな存在感を示していたのは筑紫国造家 [続きを読む]
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- 2009/11/06 18:30弥生時代からなぜ子供を埋めなくなったか
- さて、こうして縄文時代の埋甕を見てくると見えてくるのが、弥生時代直前に長江周辺から倭人と呼ばれる早期渡来人たちが日本にやってくると、古墳時代、奈良時代、平安時代と、夭折児や死生児の室内埋葬に代わって胞衣埋納風習が始まることがわかると思う。これはちょうど古墳の殉死が埴輪に変化してゆくことに関連してくるだろう。また水野正好が言う正位埋甕の、家にやってくると信じられていた悪霊辟邪、精霊畏怖観念からくる「 [続きを読む]
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- 2009/11/06 17:19縄文の死生児埋甕風習・古代民衆の辟邪と哀切
- わが子の夭折、あるいは流産した胎児に対して愛惜の念を持つのは今も昔も変わらない。縄文時代、先史時代にも、人々はそれらを住居内に埋めた。■この痕跡が多く出る範囲は、縄文文化が栄えた東日本が中心である。西日本一帯には縄文遺跡や住居跡そのものが少ないから当然、サンプリングは東に偏っている。■その中でも中心は千葉、長野、岐阜、静岡、東京、神奈川で、その風習は青森、岩手、宮城、山形、福島新潟、富山にまで及ぶ [続きを読む]
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