sunekotanpako さん プロフィール

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sunekotanpakoさん: スネコタンパコの「夏炉冬扇」物語
ハンドル名sunekotanpako さん
ブログタイトルスネコタンパコの「夏炉冬扇」物語
ブログURLhttp://blogs.yahoo.co.jp/sunekotanpako
サイト紹介文スネコタンパコが観たり、聞いたり、読んだりして感じたことの物語り
自由文遺跡、古跡、神社などを中心に訪れ、民俗学的な見地から色々考えたりしています。また、映画は、日本、洋画とも昔の映画を中心に観ています。読書はいい加減に読んでます。最近はやはり昔のもが多いかな。新書系は新しく、文芸系は古典や昭和初期くらいまでのを。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供37回 / 365日(平均0.7回/週) - 参加 2008/01/27 22:03

sunekotanpako さんのブログ記事

  • 大自瀆者
  •  御休憩中のカピバラから連想したのは、ダリの『記憶の固執』、別名『軟らかい時計』という作品の、真ん中付近に描かれた、時計がまとわりつく、マツゲの長い白っぽい物体。                              『記憶の固執』 この物体の正体は『大自瀆者』ではないかと思われる。                            『大自瀆者』 『大自瀆者』について、ダリはこう記している [続きを読む]
  • 正月は大嫌い
  •  先日、といっても、一か月ほど前のことだが、NHKテレビ「ブラタモリ」で、岩手の中尊寺を採り上げていた。 中尊寺金色堂を拝観した後、タモリ一行は、中尊寺の南東、北上川沿いにある柳之御所遺跡という、奥州藤原氏の政治拠点であった場所に移動し、汚物廃棄の穴を見学する。 そのとき、タモリは、近江友里恵アナウンサーに、一生懸命、平安期の大便後の処理について説明していた。 曰く、昔、紙は貴重品であったから、籌木 [続きを読む]
  • 篠津から連想する(下)
  •         正面の森が篠津久伊豆神社 手前畑の奥 ブロック塀で区画整理された部分が遺跡地 遺跡が出たという篠津の小字中妻とは、篠津久伊豆神社一帯の小字で、中妻遺跡は神社の南にあり、現在宅地化されている。遺跡地元所有者に話を伺ったが、大した収穫はなかった。神社一帯は、野与党鬼窪氏の館跡と推測されている。野与党は武蔵七党の一つで、武蔵七党というのは、平安後期から鎌倉期、頼朝を支持した武蔵国の武士集 [続きを読む]
  • 篠津から連想する(上)
  •  先日、蓮田市のお隣、白岡市(旧南埼玉郡白岡町)の病院について調べ物をしていたら、たまたま、同市篠津字中妻で奈良・平安期の精錬工房跡が発見されたことを知り、会心の笑みを浮かべるとともに、心のなかで、そっと、自分の勘の良さを自画自賛した。http://www.city.shiraoka.lg.jp/item/12048.htm というのも、八年前の二〇〇八年四月五日の記事「神社 貝塚神社・篠津久伊豆神社・篠津須賀神社・篠津妙見星神」で、わたし [続きを読む]
  • 母のところへ行く(6) 救急搬送 
  •  母のところへ行く。 途上、母から電話が入る。胸が痛み、呼吸が苦しいという。過去にも、何度かあった症状である。 「そっちに到着するには、三十分以上かかるし、わたしが治せるわけもないので、救急車を呼んでくれ。」と電話を切った。 その後、五分ほどして、救急隊から電話がきた。母の家と消防署とは目と鼻の先なのだ。 既往症などについて、あれこれ訊ねられ、搬送先の希望はあるか、と訊かれたので、前回入院した病院 [続きを読む]
  • こころ旅 その5
  •  正平さんは鹿児島県に入ったようだが、今回は、そんなことはどうでもよいのである。 鹿児島のどこか、休憩中に、こんな話題が取り上げられてた。 なにかの調べで、小便をした後、女性の多くが手を洗っているにもかかわらず、手を洗わない男性は七〇%ほどいるというのだ。 これについて、正平氏はこうおっしゃっておりました。 女性は紙を使うから、洗うのだろうが、男性の場合、オチンチンをつまんでするだけだから、洗う必 [続きを読む]
  • 小字力(七)  只木(上)
  •  甲の前身、甲村の成立は、すでに記したように、一八七七年(明治十年)の只木村と新井村との合併による。 それでは、甲という地名の由来はなにか。 わたしは、当初、白鳥の古語である古布ではないか、と想像していた。ところが、これもまた明治初期に突発的に生じた地名らしいのだ。 どうも栃木県には、この種の地名が多いような印象を持つ。小山市の北西部を探索しているときもそうであった。 思川を挟んだ神鳥谷(ひととの [続きを読む]
  • こころ旅 その4
  •  正平さんは熊本に入った。 冒頭、この日の手紙を読み始める。 目的地は、山鹿市の「蒲生(かもう)の池」、別名を「湯ノ口のため池」というと聞き、わたしは久しぶりに勃起した。 ガマ、カマ(鎌・窯・釜)というのは鉄と関係のある語である。 『古事記』に、≪天津日子根命は(略)蒲生稲寸、三枝部造等が祖なり。≫とあって、アマツヒコネとは、天目一箇命の親というのが通説になっている。蒲生稲寸の根拠地は、近江の蒲生 [続きを読む]
  • 小字力(六 ) フイゴ湖(下)
  •  古代、湖(水海)も海も、「うみ」と称した。強いて、海水と淡水とを区別をすれば、湖は淡海(あはうみ)であり、アハウミは転じてオウミとなり、滋賀県の旧国名、近江となった。つまり、アハウミとは琵琶湖のことをさす。 『日本歴史地名大系 25 滋賀県の地名』によれば、「続日本紀」養老元年(七一七)九月一二日条に「淡海」、六国史では淡海が琵琶湖の公的な名称だったという。 したがって、「フイゴ湖」と飛鳥時代から呼 [続きを読む]
  • こころ旅 その3
  •  この日の『にっぽん縦断 こころ旅』「土日とうちゃこ版」は、福岡県北九州市八幡西区にある「曲里の松並木」を目指す旅であった。 当然、曲里(まがり)という地名が気になり、≪「吾が足は三重の勾(まがり)の如くして甚(いと)疲れたり。」≫というヤマトタケルの最後の言葉が思い浮かんだ。 「曲」という字には、どうも良いイメージに欠けるところがある。曲者(くせもの)・曲々(まがまが)しい・へそ曲がり・歪曲・曲 [続きを読む]
  • こころ旅 その2
  •  先日の『にっぽん縦断 こころ旅』「土日とうちゃこ版」は、福岡県京都郡みやこ町の平成筑豊鉄道田川線崎山駅付近の今川に架かる、地図に載っていない簡素な橋を訪ねる旅であった。 自転車の旅は東犀川三四郎駅(どうやら漱石の『三四郎』にあやかっているらしい。)からスタートした。この辺りの地名には、犀川木山・犀川続命院・犀川久富などと、犀川が接頭語のようにくっ付いている。 それは、二〇〇六年三月、豊津町・勝山 [続きを読む]
  • 小字力(五) フイゴ湖(中)
  •  大前に西隣する大字甲の前身、甲村は、一八七七年(明治十年)、只木村と新井村とが合併して成立した。その前年一八七六年に只木村と高取新田村が合併して只木村となっているから、江戸期の只木村は、おそらく、福寿院と大日堂の二点を中心とした楕円状の一帯だったのではなかろうか。 『追遠日録』に、正徳年中、古河城主松平信税がフイゴ湖を埋めたて、今は、半分が田圃となった、とあるのは、「小字力(三)」に書いた、新堀 [続きを読む]
  • 母のところへ行く(5)カレーライス
  •  母のところへ行く。 その日は、自宅で作ったカレーを持参した。 母がまだマージャンに明け暮れていたころ、かなり頻繁に食べていたのが、ハウス食品の「ジャワカレー中辛」であることを知っていたので、同じものにした。 ところが、「辛い。」という。 確かに、思い起こせば、母は辛いのが苦手であった。韓国系の料理など、決して口にすることはなかった。遺伝だろう、わたしも同様で、カルビクッパなんぞを食べると、顔面に [続きを読む]
  • 槐橋と鷹匠橋
  • http://blogs.yahoo.co.jp/sunekotanpako/39477400.html 以前、杉戸町の安戸落に架かる根古橋を取り上げた際、この橋の二本南にかかる橋名が槐橋であり、これをエンジュではなく、サイカチ橋と称すらしいと記した。  それは、わたしがしばしば参考にすることがあるサイト「きまぐれ旅写真館」に記載されていたからで、わたしはかなり疑り深い性格であるにもかかわらず、そのときは、論を進める上でも都合がよかったので、確実を [続きを読む]
  • 母のところへ行く(4)具合
  •  母のところへ行く。 ベッドに寝ているので、「具合が悪いのか。」と訊くと、「悪い。」と断言する。どう悪いのかだずねると、こういう。 「オナラとウンコの区別がつかないんだよ。出ると思って、トイレに行っても、オナラしか出ない。しばらくして、今度こそと行っても、また、オナラしか出ない。かといって、オナラだろうと油断して、トイレに行かずに、力んで、中身が出たら一大事だから、用心のため、トイレの行き来だけで [続きを読む]
  • 小字力(四) フイゴ湖(上)
  •   大前神社前の道を北西方向へ三〇〇mほど進むと、サッと視界が開け、蓮花川本谷の水田が望める場所に出る。かつて、ここには、≪蹈韛湖≫という大きな湖があったのだという。                              対岸の大字甲から 南摩綱紀(なんまつなのり)の『追遠日録 一名下野紀行』(国会図書館デジタルコレクション)に、つぎの記述がある。 ≪二十九日、陰。僦車而發、左俜導過蹈韛湖畔。 [続きを読む]
  • 母のところへ行く(3) 蛇口
  •  母のところへ行く。 母の家の台所の蛇口は古いタイプのものである。といっても、ねじ式の、左に回すと水が出るといったやつではなく、レバー上下式ではあるのだが、レバーを下に押すと水が出て、上にあげると止まるという、一昔――というよりも、二昔前のタイプなのである。 これがレバーを上げると水が出て、下げると止まるタイプに変わるきっかけとなったのが、一九九五年の阪神・淡路大震災だったという。当時は、下げ出し [続きを読む]
  • 小字力(三)磯城宮
  •   栃木市藤岡町の総合文化センター駐車場に車を置く。ここには図書館や民俗資料館もある。 町文化会館の裏手に回り、渡良瀬川を新開橋で越える道路を北上すると、間もなく蓮花川にかかる新堀橋に出る。 新堀とあるように、ここは江戸期に新しく開削された河道で、もともと蓮花川は大前神社西辺りから真南へ、田中霊祠(足尾鉱毒事件を告発した田中正造を祀る)のある堤方向へ流れ、渡良瀬川と合流していた。それにしても、相当 [続きを読む]
  • 母のところへ行く(2)殺人事件
  •  母のところへ行く。 九十歳に近いお年寄りが殺されたというテレビニュースを、食い入るように見ていた母は、わたしに向かって、こういった。 「どうして殺したりしたんだろうねぇ。殺さなくたって、すぐに死んだだろうに。」  ま、それはそうなのかもしれないけど…… [続きを読む]
  • 母のところへ行く (1) ガリア
  •  母は、大正十三年生まれ、今年、九十二歳になるが、デイサービスを利用しながら、自宅で独り、自立生活している。しかしながら、九十を超えると、さすがに食も細くなり、活発に体を動かすこともままならなくなりつつあるので、ここ最近は、わたしが食料を調達し、夕食を作っている。 母のところへ行く。 今日は何を食べたの、と訊くと、「朝はおかゆ。昼はパンとガリア。」だという。 ガリア?――当然、わたしはカエサルの『 [続きを読む]
  • 歩行中の幸い
  •                                  蝶々深山 長野県の霧ヶ峰を歩いた。 車山から蝶々深山へ向かう木道で、写真を撮っていると、後ろから、ぺったぺった、トイレのスリッパをはいて歩いているような音がする。振り返れば、女性ハイカーで、「ガムテープを持っていないか。」という。持っていない旨を伝え、どうしたのか、訊いてみると、左足の靴の踵を見せる。ソールが大きく剥がれ、ローリング [続きを読む]