沖縄ひろし さん プロフィール

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沖縄ひろしさん: 沖縄歴史探検
ハンドル名沖縄ひろし さん
ブログタイトル沖縄歴史探検
ブログURLhttp://okinawarelics.blog92.fc2.com/
サイト紹介文沖縄の城跡や遺構、村落石獅子など、琉球王朝の歴史的建造物を紹介しています。
自由文沖縄の城跡、石獅子、大川など歴史的遺構を紹介しています。
真っ青な海もいいですが、歴史の探検も面白いですよ。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供10回 / 365日(平均0.2回/週) - 参加 2008/01/29 23:29

沖縄ひろし さんのブログ記事

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  • 上門(いーじょう)の石門と石畳道
  • 上門の石門と石畳道表示板より 「富名腰ウエキー」と呼ばれる上門のヒンプンと石垣の屋敷囲いは、多くの石工と人夫を動員して造られ、一年以上かかったと言い伝えられています。使用した石は集落の東側(ナンジャーガーの下側等)にある岩山の石を切り取ったもので、大勢の人々が引っ張って運んだと言われています。また、西側と後方には石畳道が残っており、石垣には石敢當がはめ込まれているなど珍しい方法で設置されています。 [続きを読む]
  • 知念大川(ちねんうっかー)
  • 知念大川表示板より 知念大川の水源地は後ろの崖下にある「ウファカル」と呼ばれる湧水で、『中山世艦(ちゅうざんせいかん)』(1650年)には「アマミキヨが知念大川後ろの田と玉城の受水走水(うきんじゅはいんじゅ)に稲を蒔いた」と記されています。このことから、知念大川は琉球国王が自ら参拝する聖地とされ、現在の東御廻り(あがりうまーい)に受け継がれています。 [続きを読む]
  • 知念大川
  • 知念大川表示板より 知念大川の水源地は後ろの崖下にある「ウファカル」と呼ばれる湧水で、『中山世艦(ちゅうざんせいかん)』(1650年)には「アマミキヨが知念大川後ろの田と玉城の受水走水(うきんじゅはいんじゅ)に稲を蒔いた」と記されています。このことから、知念大川は琉球国王が自ら参拝する聖地とされ、現在の東御廻り(あがりうまーい)に受け継がれています。 [続きを読む]
  • カラウカハ
  • カラウカハ表示版より 玉城新原集落の北西側にあり、知念の「ウファカル」、玉城「受水・走水」とともに稲作発祥伝説の舞台となっています。 地元の伝承によると、今から約700年前、中国から稲穂をくわえて飛んできた一羽の鶴が暴風にあってこの地に落ち、その稲穂がここで芽を出しました。早苗はアマミツ(地元の偉人)によって受水・走水の水田(御穂田)に移植され、琉球最初の稲作が始まったと伝えられています。現在は地域 [続きを読む]
  • 天后宮
  • 天后宮表示板より天后宮 天后宮は、一名ブサードー(菩薩堂)とも呼ばれ、本尊に中国の航海安全の神天妃(天后ともいう)を勧請して祀っている。 1756年、尚穆王の冊封のため中国より来琉途中の冊封使一行(正使全魁、副使周煌、外200余名)の船が台風にあい、真謝港外で遭難した。時の地頭代喜久村絜聡をはじめとする島の人々により全員救助され真謝の蔵元にしばらく滞在して船を修理し無事に那覇に着き冊封の儀式を行うことが [続きを読む]
  • カニマン御嶽
  • カニマン御嶽表示板より 島添大里グスクの西端に位置しており、その由来については不明ですが、昔の偉人を祀ったお墓であると伝えられています。 大きさが2.5メートルほどの琉球石灰岩盤上に御嶽は祀られており、直径約2メートル、高さ約1メートルの円形の屋根石が据えられています。また、頂部には宝珠が置かれていて、このような構造は南風原区の食栄森御嶽にもあり、大里地区に所在する御嶽の典型となっています。 一段 [続きを読む]
  • 波名城のお宮
  • 波名城のお宮表示板より 今よりおよそ230年前、波名城村に潮平ヌペークーと言う人がいた。ある年所用で中国に渡り帰路遭難した。晴天にわかにかき曇って強風が吹きまくり、波は荒れ狂い船は木の葉の如くゆられ、まさに沈没寸前であった。ところが、不思議なことに、急に海は静まり無事に故郷の波名城村に帰ることが出来た。ところが、残して行った一人娘の姿が見えない。その行方はまったく知れなかった。人々が言うには、この山 [続きを読む]
  • 下地島巨岩(帯岩)
  • 下地島巨岩(帯岩)表示板より この巨岩は、1771(明和8)年3月10日大津波で打ち上げられたと伝えられている。岩の中央がやや引っ込んでおり、人間が帯を締めている姿に見える事から、帯岩(通称:オコスコビジー)とも呼ばれている。 岩の高さ12.5メートル、周囲59.9メートルもある巨岩で、重量はさだかではない。当時この付近にあった木泊部落は津波襲来により全滅したといわれ、打ち上げられた大小様々な岩塊は飛行場建設 [続きを読む]
  • 730記念碑(石垣市)
  • 730記念碑表示板より 「730(ナナ・サン・マル)」とは、沖縄が本土に復帰して6年後の1978(昭和53)年7月30日に行われた道路交通方法の一斉変更の歴史的な日を指している。それまで沖縄県の交通方法は、アメリカ統治の名残で「人は左、車は右」であったが、この日を境に、本土と同様に「人は右、車は左」へと移行した。 この大々的な変更は午前6時に一斉に実施され、変更前日の29日午後10時から県内は特別交通規制に入り、わ [続きを読む]
  • ハナンダー(自然橋)
  • ハナンダー表示板より 地元で「ハナンダー」と呼ばれる琉球石灰岩により形成された天然の橋。本来は洞窟であったと考えられるが、長い間に風雨や橋下に流れる白水川などによる浸食作用により現在の部分を残したかたちになったと考えられている。 橋の長さ約29m、幅約10m、高さ約10m、両橋脚間の距離は平均で16mの長さがある。 元禄15年(1702年)に成立した元禄国絵図に道筋として記載されているものと考えられ、古くは近世 [続きを読む]
  • 浦添ようどれ
  • 浦添ようどれ表示板より 浦添ようどれは琉球王国初期の王の墓で、極楽陵ともいいます。咸淳年間(1265〜1274年)に英祖王が築いたといわれ、その後、14世紀後半〜15世紀前半に石垣がめぐらされました。さらに1620年には、浦添出身の尚寧王が改修し、自らもここに葬られました。 ようどれの頂から墓庭へは、まず急坂の石畳道を下り、かつてはトンネル状の通路であった暗しん御門を通って二番庭にでます。そして中御門と呼ばれるア [続きを読む]
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