issey さん プロフィール

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isseyさん: イッセーのエッセー
ハンドル名issey さん
ブログタイトルイッセーのエッセー
ブログURLhttp://ameblo.jp/kanmonya/
サイト紹介文『歴史的なこと』『旅や環境など』そして、『教育・人・食物』など、紹介したいと思います。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供47回 / 365日(平均0.9回/週) - 参加 2008/02/19 10:42

issey さんのブログ記事

  • 北前船おちこち(52)  −鰺ヶ沢−
  •  「東日流(つがる=津軽)十三湊の雄・安東水軍」というのを、何時か何処かで聞いたことがあった。 津軽平野の米は、岩木川が十三湖に流れ込んでいたため、一たん十三湊に集められここから鯵ヶ沢に回漕して大型船に積みかえられた。 こうして鰺ヶ沢湊は、藩都・弘前に近く西浜街道が通っていることもあって、寛文12年(1672)に回米を始めて大阪に積み出した。この頃の弁財船は敦賀で陸揚げされ、その後西回り航路が刷新があ [続きを読む]
  • 北前船おちこち(51) −深浦の千畳敷−
  •  深浦から能代道を北上して約20km、大戸瀬崎を東に向かって迂回する海岸線に「千畳敷」と云う日本の夕陽百選の景勝地がある。景勝地といわれなくても、一寸眺めてみたい場所だった。 寛政4年(1792)の地震で隆起した海岸段丘で、この日本海辺りは度重なる地殻変動で海岸線には沢山の千畳敷があるようで、この名前は、弘前藩(地元では津軽藩と呼ばれることが多い)の殿様が畳を千畳引かせて大宴会を開いたことが由来という。 [続きを読む]
  • 山口茶②-2
  •  中国原産のお茶の木が、日本に伝来したのは平安時代といわれる。そして、お茶を飲む風習は室町から安土桃山時代に、栄西禅師あるいは明恵上人らによって、栽培や製茶法、効用などが伝えられて寺院に広まり、やがて足利義満や豊臣秀吉、千利休らによって、日本文化独特の「茶の湯」が完成し、豪商らに浸透して武家社会には欠かせぬものとなった。 一方、庶民に飲料として煎茶が親しまれるのは江戸時代になってからである。ちな [続きを読む]
  • 山口茶②−1
  •  先日、山口合同ガス社報の表紙写真の取材で、宇部市の小野藤河内茶園を訪ねた。八十八夜を過ぎてから、天候不順で取材が延び延びになっていたが、茶園の方々もこの天候を待たれていたのか、広い茶園の3ヶ所に機械を入れて茶摘み作業をされていた。 ところで、今回の取材に当たっては、茶園の入場に関して会社から㈱山口茶業に依頼されていたので、最初にその会社を訪問した。そこで、出向かれていた中山取締役に会うまでお茶製 [続きを読む]
  • 連休の最中「角島」を体験
  •  こどもの日、福岡に居る娘夫婦が孫たちと一緒に下関までくるという。「まぁ、昼ごはんでも・・」のつもりだったが、食事が終わると「角島までどれくらいかかるかねぇ」と云うので「2時間ぐらいかなぁ」と返事をすると「スマホは1時間半と出た」と言い返す。「連休だし、道の駅あたりが混むんだよ・・」こんなやり取りの後、結局は角島に魅力があるらしく出かけることになった。 地元の人間にとっては、何もこんな連休のさなかにと [続きを読む]
  • 熊本震災一年 (5)−5
  •  戌亥櫓につながる西の丸北側の石垣と塀は全壊で、中央にある一本桜が、まるで炸裂した爆弾ように咲き誇っていた。やがて、その堀を渡るように右に曲がると北大手門跡。そこは、福島でみられる放射能汚染土壌を一時保管するような黒い樹脂袋の土嚢が石垣の膨らみを押さえるように3〜4段積み重ねられていた。 加藤神社入り口に、灯篭の破片が横倒しに並べられ、その向こうにはひときわ深い内堀があって、その堀から積みあがった [続きを読む]
  • 熊本震災一年 (5)−4
  •  さて今回の熊本城見学は、下関から九州自動車道・植木ICから3号線経由、約3時間で熊本城に到着したものの行幸坂は進入禁止、側に城彩苑駐車場があった。 場内見学のボランティア案内があると聞いていたので車の中から依頼したら「駐車場に到着してから電話を下さい」といわれ、到着して電話をすると「今は誰もいませんから」とつれない。 仕方なくショボ降る雨の中、気を取り戻して出発。桜馬場から二の丸への上り坂で振り返 [続きを読む]
  • 熊本震災一年 (5)−3
  •  その後、また6年ぶりの平成20年に熊本城を訪問することがあった。 それは、復元された本丸御殿の評判がいいと聞き、JRや観光会社も盛んに宣伝していたし、NHKの大河ドラマでも「篤姫」を放映していて、西郷と大久保がいっしょに熊本に出向き、大久保屈辱のシーンが印象に残っていたことと、長岡県の松本城を見てきたばかりのときである。もう一度、このころのメモを見た。 「流石に、工事現場のイメージは払拭されていた [続きを読む]
  • 熊本震災一年 (5)−2
  •  熊本城は、別名を銀杏城といい、城域約98万?、周囲約5.3km。 15世紀の中ごろ、この茶臼山の東端に菊池一族の出田秀信が千葉城を築き、その後進出した鹿子木親員(寂心)が西端に隈本城を築いた。そして慶長5年(1600)肥後50万石の領主となった加藤清正が、翌年から7年をかけて茶臼山を中心に熊本城を完成させ、このとき隈本を熊本に改めた。 その後、寛永9年(1632)に藩主は、加藤氏から細川氏にかわり54万石の領主として [続きを読む]
  • 熊本震災一年 (5)−1
  •  あの熊本の震災が起きたとき、震災被害について熊本城の情報は流れてもそれ以外の場所がどうなのか?ほとんど分らなかった。下関では、高杉晋作没後150年記念事業を各所で行なっていて、私は、横井小楠の旧宅や資料館の状況も知りたかった。また4月16日は『東行先生へのオマージュ』の会場準備中に、阿蘇神社の楼門が潰れたと聞いたときは耳を疑った。 あれから丁度一周年。幾度か、わずかな募金などはしたけれど現地を訪れる [続きを読む]
  • 長府庭園の野外ステージ
  •  長府庭園で、岩城朋子さんの語り芝居『面白きこともなき世を面白く“望東尼・想”』を再び観ることが出来た。 これは、高杉晋作・野村望東尼没後150年記念として創作されたもので、海峡の裏町文化塾主催により昨年8月、下関市内のグランドホテルで公演されたものだが、同文化塾長の大越さんは、あの感動を“維新ゆかりの場所でもう一度”と画策され、大越さんの熱意それに演目の内容がマッチしての決断であったろうか、今回は [続きを読む]
  • 北前船おちこち(50) −円覺寺の船絵馬−
  •  青森県西津軽郡深浦町には古刹が多く、特に大杉に覆われた観音様と呼ばれる春光山円覺寺は、京都・醍醐寺が本山の古義真言宗で、寺内にある金比羅堂は、往来する北前船の船乗りたちは早くからこの港に立ち寄って航海安全を祈願した。 本尊は、十一面観世音菩薩。貞観年間(859〜876)円覚法師が建立した。また一説には、大同2年(807)征夷大将軍・坂上田村磨が陣屋を置いて十一面観音堂を祀ったとも云われる。本尊の観音様は [続きを読む]
  • 吉井町の水(2)-2
  •  「吉井」とは「綺麗な水の湧き出るところ」を意味するという。 「うきは市」のパンフレットには清流の町とある。聞くところ、今でもほとんどの家が井戸水を使用、上水は市営か県営住宅、あるいは特定地域の簡易水道で、これも井戸水をくみ上げて使用しているという。 ところがこの地域は、鷹取山からの谷水が流れる巨瀬川はあっても水量は乏しく、筑後川沿いにありながら高地のために、350年くらい前までは水田もままならず穀 [続きを読む]
  • 吉井町の水(2)-1
  •  「お雛さまめぐりに行かないか」と誘われ、久しぶりに耳納連山の北麓に広がる筑後平野の東、筑後川がゆったりと流れ、以前は吉井町と浮羽町と呼ばれていた2つの町が平成17年(2005)に合併して誕生した「うきは市」を訪ね、柄でもなく『吉井のお雛さまめぐり』を楽しんだ。 山間には、美しく広がる棚田があり水源の森がある。山の麓ではイチゴ、桃、ブルーベリー、ブドウ、柿、キウイ・・など四季折々フルーツの収穫があり大地 [続きを読む]
  • 聞いてガッテン
  •  3月の日曜日、下関で「聞いてガッテン動物のひみつ!」という、元旭山動物園飼育員の絵本作家・あべ弘士さんとNHKアナウンサー・小野文恵さんの対談が行なわれた。 主催は山口県子ども文庫連絡会。後援は下関市とか下関教育委員会など連ねているが主には「子どもと本ジョイントネット21・山口」と「児童書専門店・こどもの広場」。 会場を暗くして、あべ弘士さんの幾つもの受賞代表作品『あらしのよるに』を、こどもの広場の [続きを読む]
  • 萩のシロウオ
  •  久しぶりに萩のシロウオ漁撮影に出かけた。すでに恒例の「しろ魚まつり」の日取りは萩市観光協会の公式サイトで3月5日と発表されていたので当日の漁はない。 祭りには「シロウオのおどり食い」や即売も予定され、この準備に漁は始まっているに違いないと思って、観光協会に電話してみると「2月20日頃から始まっていて祭りが終わってからが本番。詳しくはシロウオ組合に」と言われる。こうして気象庁の天気予報と潮位表を見比べ [続きを読む]
  • 北前船おちこち(49) −深浦港と資料館−
  •  不老ふ死温泉から約8km北東に深浦の港がある。 町に入る前の高台から一望すると、岩礁の多い海岸線の中ほどに、新しい堤防に囲まれた丸っこい入り江のある町が深浦町で、町の旧道路は岩礁をくり抜いた素彫りのトンネルが見られるので、現在の港町は、当時の海岸線をはるかに埋め立てた土地に役場などが建てられている。 その高台からは、港の中に石の杭が一本立っているのが見られたが、北前船は1番杭で帆を降ろし、2番杭、3 [続きを読む]
  • 北前船おちこち(48) −深浦の温泉−
  •  秋田県・東能代駅から青森県・川部駅を結ぶ五能線は全長約147km。この間、秋田県北部の白神山地西方から青森県の西津軽郡に入り北前船寄港地の深浦・鰺ヶ沢など、海岸線に沿って走り、岩木山を回りこむように津軽平野を通って弘前市に着く。 その青森県西南部の深浦町は、現在では世帯数3700戸人口1万人余りという過疎化の進んだ町だが、寛永4年(1627)の深浦港は千石船が25〜6隻繋留できる広さがあって、津軽第一の港として [続きを読む]
  • 阿弥陀寺町でフクのフルコース
  •  昨年の暮れに同期の友人から電話があって「来春の懇親会はフクの会食はどうだろう?」と打診があり「結構なことだねぇ」と賛同しておいた。すでに傘寿を過ぎた連中で、この集いも何時まで続けられるか?あたかも季節的には最高、時には「倹約会」変じてフクフルコース「贅沢会」も良いではないかと思った。 たまたま一昨年、阿弥陀寺町の老舗、割烹「お富」の経営がシーモールに変わったので、そこを会場に交渉が進められたよ [続きを読む]
  • 茨城県出身の横綱稀勢の里
  •  酉年、先ず世界の注目の中で誕生したのがトランプ米第45代大統領の就任である。 昨年来、過激な公約を掲げ、問題発言で批判の集中攻撃を浴びせられながらも、有権者に熱狂的な支持で米大統領選を制した共和党のドナルド・トランプ氏(70)は、1月20日(日本時間21日未明)首都ワシントンの連邦議会議事堂で宣誓した。しかし移民や女性、人種など差別的だとして各所で大規模なデモがあり、入国禁止問題も物議をかもしている。  [続きを読む]
  • 3月12日までの「動き出す絵画」展
  •  1月28日、下関市立美術館でオープニングとなる展覧会「動き出す!絵画−ペール北山の夢」の開会式に出席。展覧会は3月12日まであることは分っていても、初日は主催者から展示品の説明が丁寧にされるので、ほとんど出向くようにしている。 今回はタイトルを見ただけでは”何のことやら”まったく見たいという気になれず、初日を逃したら恐らく会期中に足が向かなかったかもしれない。この日、内容を見て、下関としては久しぶり [続きを読む]
  • 高杉晋作150年『一枝梅花』
  •  下関では、この數年何かにつけて150年という行事が繰り返されている。平成25年には、文久3年に高杉晋作奇兵隊創設150年。その翌年は四国連合艦隊襲来で高杉晋作の和平交渉、藩論統一への功山寺決起回天150年、次の年は四境戦争、櫻山神社創建150年祭、そして昨28年は晋作150回忌。そのつど様々なイベントや記念事業があって盛り上がった。 政府は、昨・平成28年10月にようやく明治維新150年関連施策の検討を始めたことから、山 [続きを読む]
  • 奇兵隊陣屋跡?−2
  •  小倉戦の終結後、再び奇兵隊が吉田に戻ってからは諏訪の地に壮大な陣屋を築くのだが、奇兵隊日記には「4月4日、昨日より郷侠組陣屋開立之場処へ出ス」などと記載があり、その完成は慶応3年(1867)8月8日「午後長官相会、此度新陣屋移転ニ付諸事改革儀決議ス」(同)とある。 その間、下関新地の林算九郎宅に離れで慶応3年4月14日、病状の悪化した高杉晋作は亡くなり、遺体は吉田に届けられて白石正一郎が神式で葬儀を催行。ま [続きを読む]
  • 奇兵隊陣屋跡②−1
  •  文久3年(1863)6月8日、下関竹崎の白石正一郎宅で結成された奇兵隊は、志があるものは武士以外でも入隊を認めた藩の正規軍に対しての奇兵であり、いわゆるゲリラ部隊の編成だった。 結成当時は、60名ばかりで下関の防備として寺院(現在の赤間神宮など)に分宿していたが、結成後まもなく教法寺事件によって総督の晋作は解任、奇兵隊は三田尻に移されて七卿の護衛となった。 その後、元治元年(禁門の変・四国連合艦隊馬関襲 [続きを読む]
  • 本の中に忌宮鶏登場
  •  かれこれ10年ばかり前に1冊の文庫本を買った。 それは、当時私が夢中になっていた西行法師の有名な歌の一節『花の下にて春死なむ』という表題だったからで、別に中を確認するわけでもなく帰って読んでみると、特別に私が求めていた西行とはまったく関わりのない筋書きの短編推理小説だった。 ただ、登場人物のイメージが重なった歌がこぼれたと『願はくば花の下にて・・・西行』を、小編の最後に書き置かれたものだった。 こ [続きを読む]