issey さん プロフィール

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isseyさん: イッセーのエッセー
ハンドル名issey さん
ブログタイトルイッセーのエッセー
ブログURLhttps://ameblo.jp/kanmonya/
サイト紹介文『歴史的なこと』『旅や環境など』そして、『教育・人・食物』など、紹介したいと思います。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供48回 / 365日(平均0.9回/週) - 参加 2008/02/19 10:42

issey さんのブログ記事

  • 写真家「ナダール」(3)−3
  •  巨人号は、1863年10月4日、20万人の群集の前で13人を乗せて地上を離れて上昇、高度600m気球はゆっくり東へ流れその後1500mまで上がって飛行が安定したので、ワインを掲げ陽気な夕食の宴が始まった。ところが夜になると寒さと湿気が襲いかかり、気球は雨雲の中に入って乗員はびしょ濡れ、やがて巨人号が降下し始め気球のガスが抜けはじめていた。結局飛行3時間で約40キロを経た場所に不時着、吊り篭の綱が切れたことが直接の原 [続きを読む]
  • 写真家「ナダール」(3)−2
  •  彼の写真熱が、その肖像写真にとどまらず、当時は常識だった太陽光線を利用した写真に対して、人工照明に試行錯誤を重ね、パリの地下世界に深い興味を抱き、無限の領野に分け入り1861年にはカタコンペ(地下墓地)の写真を発表しているが、従来の写真史の中で、こんな写真が公表されたのを私は知らなかった。 『写真家ナダール』(小倉孝誠著・中央公論新社刊)でパリの地下、採石場の跡地の一部には600万人の人骨が納められて [続きを読む]
  • タイタンビカス
  •  我が家の庭に、タイタンビカスという情熱的な花が咲き出して3度目の夏。 今年は、梅雨に入っても雨がなかなか来なかったが7月になって天候不順の日が続き、7月5日から6日にかけては北九州の朝倉市や日田市などに猛烈な災害をもたらして7月20日、ようやく梅雨明けとなった。 その頃から、毎日タイタンビカスの花が2輪あるいは多いときには6輪、この暑い日差しの中で、いかにも勇ましく逞しそうな名前の花が咲き続けていたので [続きを読む]
  • 天神ハモ (2)−2
  •  平成17年(2005)、ハモ料理を名物にしようと立ち上げたのは防府市内の飲食店有志で「はも塾」を開講した。おいしい鱧を新鮮なうちに地元で食べていただこうと技術研修や勉強会を重ね、新メニューの開発などの活動を続けた。ブランド名を、防府天満宮にちなんで「天神鱧」として、防府の夏を彩る名物料理となった。加盟料理店が現在13店。防府におけるシーズンは、梅雨明けの6月頃から9月頃となっている。 また、防府道の駅「潮 [続きを読む]
  • 天神ハモ (2)−1
  •  「これがハモ!魚へんにユタカのあのハモか・・・」同窓会に招かれた漢文の老教師が「字は知ってても食ったことが無いんじゃ」と侮られる場面がある。「鱧」が引き金で物語が展開する小津安二郎監督の遺作映画『秋刀魚の味』。「秋刀魚」は出ないが映画の味である。昭和42年(1962)、「鱧」はどんな味がするのかと忘れられない魚になった。 ウナギ目ハモ科の海産魚、つまり細長い円筒形で普通は1m位。背は灰褐色で腹部は銀白色 [続きを読む]
  • 写真家「ナダール」(3)−1
  •  昨年(2016)10月、『写真家ナダール』という新刊書(小倉孝誠著、中央公論新社刊)が目に付いて購入し、あらためて知りえた感動もあってメモ的に記しておきたい。 ナダールという写真家の名前は知っていたが、それは画家ドラクロワ、ドーミエ、マネ、音楽家ロッシーニ、ベルリオーズ、小説家ビクトルユーゴ、ジョルジュ・サンド、詩人ボードレール、女優サラ・ベルナールなどの有名な肖像写真であり、ほかの写真が影を潜め、 [続きを読む]
  • 「神宿る島」が遂に世界遺産
  •  九州豪雨の被害が報道され下関でも避難勧告が出ている最中、世界の注目するG20の会議も。それでも、新聞の片隅に「ポーランドで7月7日から世界遺産の審査が始まった」と掲載されていた。審査予定は33件、日本から推薦されているのは、福岡県の「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」であり、予定では18番目で日本時間では8日夕か9日未明の見通しとなっていた。審議は遅れ、決定したのは7月9日午後6時頃、テレビのニ [続きを読む]
  • 合歓(ネム)の花
  •  「もしかしたら合歓の花が咲いているかも知れない」と思って梅雨晴れ間、藤原義江記念館まで登ってみた。下関の中心部にあるのだが、見晴らしの良い高台までは110段の階段がある。そこの門に楽譜をかたどったアーチがあって楽しいが、記念館までは緩やかであってもさらに40段ばかりの上り坂である。年を取ると、これが億劫になる。 藤原義江、下関生まれであり「歌に生き恋に生きたオペラ歌手」である。記念館には藤原義江に関 [続きを読む]
  • 北前船おちこち(52)  −鰺ヶ沢−
  •  「東日流(つがる=津軽)十三湊の雄・安東水軍」というのを、何時か何処かで聞いたことがあった。 津軽平野の米は、岩木川が十三湖に流れ込んでいたため、一たん十三湊に集められここから鯵ヶ沢に回漕して大型船に積みかえられた。 こうして鰺ヶ沢湊は、藩都・弘前に近く西浜街道が通っていることもあって、寛文12年(1672)に回米を始めて大阪に積み出した。この頃の弁財船は敦賀で陸揚げされ、その後西回り航路が刷新があ [続きを読む]
  • 北前船おちこち(51) −深浦の千畳敷−
  •  深浦から能代道を北上して約20km、大戸瀬崎を東に向かって迂回する海岸線に「千畳敷」と云う日本の夕陽百選の景勝地がある。景勝地といわれなくても、一寸眺めてみたい場所だった。 寛政4年(1792)の地震で隆起した海岸段丘で、この日本海辺りは度重なる地殻変動で海岸線には沢山の千畳敷があるようで、この名前は、弘前藩(地元では津軽藩と呼ばれることが多い)の殿様が畳を千畳引かせて大宴会を開いたことが由来という。 [続きを読む]
  • 山口茶②-2
  •  中国原産のお茶の木が、日本に伝来したのは平安時代といわれる。そして、お茶を飲む風習は室町から安土桃山時代に、栄西禅師あるいは明恵上人らによって、栽培や製茶法、効用などが伝えられて寺院に広まり、やがて足利義満や豊臣秀吉、千利休らによって、日本文化独特の「茶の湯」が完成し、豪商らに浸透して武家社会には欠かせぬものとなった。 一方、庶民に飲料として煎茶が親しまれるのは江戸時代になってからである。ちな [続きを読む]
  • 山口茶②−1
  •  先日、山口合同ガス社報の表紙写真の取材で、宇部市の小野藤河内茶園を訪ねた。八十八夜を過ぎてから、天候不順で取材が延び延びになっていたが、茶園の方々もこの天候を待たれていたのか、広い茶園の3ヶ所に機械を入れて茶摘み作業をされていた。 ところで、今回の取材に当たっては、茶園の入場に関して会社から㈱山口茶業に依頼されていたので、最初にその会社を訪問した。そこで、出向かれていた中山取締役に会うまでお茶製 [続きを読む]
  • 連休の最中「角島」を体験
  •  こどもの日、福岡に居る娘夫婦が孫たちと一緒に下関までくるという。「まぁ、昼ごはんでも・・」のつもりだったが、食事が終わると「角島までどれくらいかかるかねぇ」と云うので「2時間ぐらいかなぁ」と返事をすると「スマホは1時間半と出た」と言い返す。「連休だし、道の駅あたりが混むんだよ・・」こんなやり取りの後、結局は角島に魅力があるらしく出かけることになった。 地元の人間にとっては、何もこんな連休のさなかにと [続きを読む]
  • 熊本震災一年 (5)−5
  •  戌亥櫓につながる西の丸北側の石垣と塀は全壊で、中央にある一本桜が、まるで炸裂した爆弾ように咲き誇っていた。やがて、その堀を渡るように右に曲がると北大手門跡。そこは、福島でみられる放射能汚染土壌を一時保管するような黒い樹脂袋の土嚢が石垣の膨らみを押さえるように3〜4段積み重ねられていた。 加藤神社入り口に、灯篭の破片が横倒しに並べられ、その向こうにはひときわ深い内堀があって、その堀から積みあがった [続きを読む]
  • 熊本震災一年 (5)−4
  •  さて今回の熊本城見学は、下関から九州自動車道・植木ICから3号線経由、約3時間で熊本城に到着したものの行幸坂は進入禁止、側に城彩苑駐車場があった。 場内見学のボランティア案内があると聞いていたので車の中から依頼したら「駐車場に到着してから電話を下さい」といわれ、到着して電話をすると「今は誰もいませんから」とつれない。 仕方なくショボ降る雨の中、気を取り戻して出発。桜馬場から二の丸への上り坂で振り返 [続きを読む]
  • 熊本震災一年 (5)−3
  •  その後、また6年ぶりの平成20年に熊本城を訪問することがあった。 それは、復元された本丸御殿の評判がいいと聞き、JRや観光会社も盛んに宣伝していたし、NHKの大河ドラマでも「篤姫」を放映していて、西郷と大久保がいっしょに熊本に出向き、大久保屈辱のシーンが印象に残っていたことと、長岡県の松本城を見てきたばかりのときである。もう一度、このころのメモを見た。 「流石に、工事現場のイメージは払拭されていた [続きを読む]
  • 熊本震災一年 (5)−2
  •  熊本城は、別名を銀杏城といい、城域約98万?、周囲約5.3km。 15世紀の中ごろ、この茶臼山の東端に菊池一族の出田秀信が千葉城を築き、その後進出した鹿子木親員(寂心)が西端に隈本城を築いた。そして慶長5年(1600)肥後50万石の領主となった加藤清正が、翌年から7年をかけて茶臼山を中心に熊本城を完成させ、このとき隈本を熊本に改めた。 その後、寛永9年(1632)に藩主は、加藤氏から細川氏にかわり54万石の領主として [続きを読む]
  • 熊本震災一年 (5)−1
  •  あの熊本の震災が起きたとき、震災被害について熊本城の情報は流れてもそれ以外の場所がどうなのか?ほとんど分らなかった。下関では、高杉晋作没後150年記念事業を各所で行なっていて、私は、横井小楠の旧宅や資料館の状況も知りたかった。また4月16日は『東行先生へのオマージュ』の会場準備中に、阿蘇神社の楼門が潰れたと聞いたときは耳を疑った。 あれから丁度一周年。幾度か、わずかな募金などはしたけれど現地を訪れる [続きを読む]
  • 長府庭園の野外ステージ
  •  長府庭園で、岩城朋子さんの語り芝居『面白きこともなき世を面白く“望東尼・想”』を再び観ることが出来た。 これは、高杉晋作・野村望東尼没後150年記念として創作されたもので、海峡の裏町文化塾主催により昨年8月、下関市内のグランドホテルで公演されたものだが、同文化塾長の大越さんは、あの感動を“維新ゆかりの場所でもう一度”と画策され、大越さんの熱意それに演目の内容がマッチしての決断であったろうか、今回は [続きを読む]
  • 北前船おちこち(50) −円覺寺の船絵馬−
  •  青森県西津軽郡深浦町には古刹が多く、特に大杉に覆われた観音様と呼ばれる春光山円覺寺は、京都・醍醐寺が本山の古義真言宗で、寺内にある金比羅堂は、往来する北前船の船乗りたちは早くからこの港に立ち寄って航海安全を祈願した。 本尊は、十一面観世音菩薩。貞観年間(859〜876)円覚法師が建立した。また一説には、大同2年(807)征夷大将軍・坂上田村磨が陣屋を置いて十一面観音堂を祀ったとも云われる。本尊の観音様は [続きを読む]
  • 吉井町の水(2)-2
  •  「吉井」とは「綺麗な水の湧き出るところ」を意味するという。 「うきは市」のパンフレットには清流の町とある。聞くところ、今でもほとんどの家が井戸水を使用、上水は市営か県営住宅、あるいは特定地域の簡易水道で、これも井戸水をくみ上げて使用しているという。 ところがこの地域は、鷹取山からの谷水が流れる巨瀬川はあっても水量は乏しく、筑後川沿いにありながら高地のために、350年くらい前までは水田もままならず穀 [続きを読む]
  • 吉井町の水(2)-1
  •  「お雛さまめぐりに行かないか」と誘われ、久しぶりに耳納連山の北麓に広がる筑後平野の東、筑後川がゆったりと流れ、以前は吉井町と浮羽町と呼ばれていた2つの町が平成17年(2005)に合併して誕生した「うきは市」を訪ね、柄でもなく『吉井のお雛さまめぐり』を楽しんだ。 山間には、美しく広がる棚田があり水源の森がある。山の麓ではイチゴ、桃、ブルーベリー、ブドウ、柿、キウイ・・など四季折々フルーツの収穫があり大地 [続きを読む]
  • 聞いてガッテン
  •  3月の日曜日、下関で「聞いてガッテン動物のひみつ!」という、元旭山動物園飼育員の絵本作家・あべ弘士さんとNHKアナウンサー・小野文恵さんの対談が行なわれた。 主催は山口県子ども文庫連絡会。後援は下関市とか下関教育委員会など連ねているが主には「子どもと本ジョイントネット21・山口」と「児童書専門店・こどもの広場」。 会場を暗くして、あべ弘士さんの幾つもの受賞代表作品『あらしのよるに』を、こどもの広場の [続きを読む]
  • 萩のシロウオ
  •  久しぶりに萩のシロウオ漁撮影に出かけた。すでに恒例の「しろ魚まつり」の日取りは萩市観光協会の公式サイトで3月5日と発表されていたので当日の漁はない。 祭りには「シロウオのおどり食い」や即売も予定され、この準備に漁は始まっているに違いないと思って、観光協会に電話してみると「2月20日頃から始まっていて祭りが終わってからが本番。詳しくはシロウオ組合に」と言われる。こうして気象庁の天気予報と潮位表を見比べ [続きを読む]
  • 北前船おちこち(49) −深浦港と資料館−
  •  不老ふ死温泉から約8km北東に深浦の港がある。 町に入る前の高台から一望すると、岩礁の多い海岸線の中ほどに、新しい堤防に囲まれた丸っこい入り江のある町が深浦町で、町の旧道路は岩礁をくり抜いた素彫りのトンネルが見られるので、現在の港町は、当時の海岸線をはるかに埋め立てた土地に役場などが建てられている。 その高台からは、港の中に石の杭が一本立っているのが見られたが、北前船は1番杭で帆を降ろし、2番杭、3 [続きを読む]