武田智亨 さん プロフィール

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武田智亨さん: 浄土真宗の僧侶 武田智亨 仏教と出遇えるブログ
ハンドル名武田智亨 さん
ブログタイトル浄土真宗の僧侶 武田智亨 仏教と出遇えるブログ
ブログURLhttp://jyukushian.exblog.jp/
サイト紹介文東京にある浄土真宗のお寺、熟柿庵(じゅくしあん)の住職 武田智亨のブログです。
自由文日々の営みを通じて“仏教のこころ”をお伝えしています。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供35回 / 365日(平均0.7回/週) - 参加 2008/02/21 19:14

武田智亨 さんのブログ記事

  • ヨーロッパ哲学と仏教の位相の関係について
  • ギリシアのソクラテス以前の自然哲学はニーチェやハイデッガーが指摘したようにとても魅力的なのだけど今は、まだ言及できない、プラトンから始まる神学的な流れは最終的にアウグスティヌスの神学の完成に至って人間は神によって創造されたものだということで一つの終結をもたらした。現代の自然科学の基礎を築いたデカルトは神の存在によって人間の認識を正当化することに成功した。し... [続きを読む]
  • 「心の発見」について
  • 2、3か月まえ、勉強会の仲間から紹介された本「心の発見」が机の上に置いてあります。副題は「古代インド仏教徒現代脳科学における」と「複雑系理論に基づく先端的意識理論と仏教教義の共通性」とあります。著者の浅野孝雄氏は、東大医学部の脳神経外科医ご出身です。本書の要旨は古代インドの唯識の理論と現代のフリーマン理論の比較研究です。フリーマンの理論も読んだことないし、現代哲学... [続きを読む]
  • 四十八願のなかの二十願
  • ゴールデンウイークもそろそろたけなわ私は今年もどこへも行かず、ただひたすら二十願のことを考えておりました。東本願寺のご住職、本多弘之先生のテキストをずっと読み続けております。本多先生はご自坊にて、ずっと5年以上、二十願についてごこうぎされています。阿弥陀如来の48の本願のなかの第二十願、たかだか、二行ほどの短い誓願ですが、そのことにずっとこだわって親鸞聖人の宗... [続きを読む]
  • 前回の「歎異抄にまなぶ会」の反省
  • 前回、「歎異抄にまなぶ会」の折お配りしたプリントについて「教行信証」の化身土巻の三願転入の部分を抜粋してお配りしたのですが、その中で、「二十願」と書いてあったところを十八願ではないかとの指摘をうけ、訂正したのですが、ここはやはり、十八願ではなく、二十願でした。再度訂正します。ここは二十願の存在の大切さを親鸞聖人が説明されているところで、間違えてはいけな... [続きを読む]
  • 「歎異抄にまなぶ会」のおしらせ
  • あさって3月25日午後6時半から「歎異抄にまなぶ会」を行います。6時半から座禅7時から勉強会です。今回は歎異抄第11章「誓願不思議と名号不思議」についてです。とても難しいテーマです。弥陀の本願を信じることと名号つまり南無阿弥陀仏をとなえることのどちらが大事か、ということがテーマです。会費千円どなたもご参加できます。それから今話題の... [続きを読む]
  • 春彼岸会のご案内
  • 20日、祭日の月曜日午前10時から熟柿庵にて彼岸会法要を行います。法要終了後粗?もご用意しております。皆様のご参詣をお待ち申し上げます。住職の法話の時間に仏教のお話ももちろんしたいですが、今話題の籠池理事長のことや阿部首相の寄付金のことや日本会議のことなどを私見をまじえて触れたいと思っています。いったいあの騒ぎのもとになっているのはなん... [続きを読む]
  • ファド
  • 先日、熟柿庵だよりにポルトガルとファドののことをかきました。それを読んだ方からメールをいただきました。関口知宏さん が作ったファドの詩を紹介してくださいました。とても素敵な詩で、皆さんにもご紹介いたします。ポルトガルの秋を旅した関口知宏さんが、その“秋”にポルトガルの持つ郷愁や大人さ、自身のこれからなどを重ねて作った曲です。「訪秋」という曲です誰もいつかは... [続きを読む]
  • 「歎異抄にまなぶ会」、中止のおしらせ
  • 昨夜の「歎異抄にまなぶ会」は急きょ中止とさせていただきました。参加予定をされていたみなさん、申し訳ございません。次回の予定は3月25日午後6時半からです。次回は遠藤周作氏の「沈黙」に刺激を受けて神とはどういう存在かということを仏教者の立場から少し考えてみたいと思っています。「沈黙」の映画も見てきました。3時間近くの長編でしたが、飽き... [続きを読む]
  • 遠藤周作著「沈黙」を読んでみました
  • 今、スコセッシ監督によって映画にもなった話題の小説遠藤周作氏の「沈黙」を読んでみました。大変ドラマチックで、時間があれば映画も見てみたいです。物語は江戸初期、幕府によってキリシタン弾圧が行われ、多くの日本人信者が犠牲になり、ポルトガルから来日した司祭も、いわゆる踏絵を余儀なくされて、改宗を迫られ、改宗しなければ残虐な刑によって殺される。こんな残虐なことまでされてい... [続きを読む]
  • 前回の「歎異抄にまなぶ会」のご報告
  • 「勉強会」の報告 前回のところは、「歎異抄」の第十章、「念仏には、無義をもって義とす。不可称、不可説、不可思議のゆえに」というところでした。言い換えると 「念仏は名づけることもできないし、説明することもできないし、考えることもできないのだ」ということになります。つまり人間の頭で考えることすらできないものであるということ。人間の頭で考えることができない念仏というもの... [続きを読む]
  • おだやかなお正月でした
  • 正月三が日不思議なぐらいに天気もおだやかでした。そして心もおだやかに過ごせました。南木圭士著「阿弥陀堂だより」を3日かけて読んだおかげです。私は、もともと小説を読むような柄じゃないのですが、今回は人に勧められて読んでみました。とてもおもしろい物語でした。特に、後半に出てくる90歳すぎの老婆の暮らしと彼女の言葉を取材して記事にする20台の大学出たての女性... [続きを読む]
  • 忘年会
  • 先日、「歎異抄にまなぶ会」主催の忘年会が熟柿庵でありました。手料理やお酒、ワインをご持参くださったかたもいて、老若男女、とてもアットホームな感じで、心も胃腸も温まりました。午後6時開始だったのですが、会のメンバーの方たちが早くから準備に来ていただいて、買い物から鍋料理の具材の支度からいろいろ手伝っていただいて、結局ぼくがやったのはテーブルを出したのと直径4... [続きを読む]
  • 偲ぶ会
  • 先日、「なかむら」で偲ぶ会があり、参加させていただきました。亡くなったのは、以前「熟柿庵だより」にも登場いただいた外科のお医者さん。僕とほぼ同年輩で十年来の飲み仲間だったのに、「ぼくがガンになったら、先生に頼むからよろしくね」って約束していたのに。病院を退職したばかりで、これから第二の人生を送るんだっていってたのに。同僚のお医者さんが、「彼は何度も手術して最後まで... [続きを読む]
  • 熟柿庵だより111号が完成しました
  • 今年最後の「熟柿庵だより」が完成しました。111号です。11月に知り合いのお寺の報恩講でお話させていただいた内容をまとめたり広げたりしたものです。タイトルは「主語をもたない世界」「閑話休題」「主語のある世界」「自我」「世間虚仮」「自我を生きる意味」と小タイトルをつけて綴りました。「それにしても人間だけがなぜ、どうして自我というや... [続きを読む]
  • 忘年会のご案内
  • 12月17日、午後6時より熟柿庵にて、勉強会主催の忘年会を行います。会費 2千円。準備などお手伝いいただける方はよろしくお願いいたします。午後4時ごろには入口を開けてお待ち申し上げます。どなたもご参加いただけます。初めてのご参加の方、あるいは久しぶりの方は恐れ入りますが、前もってのご連絡を15日ごろまでにお願いいたします。 [続きを読む]
  • 「歎異抄にまなぶ会」のおしらせ
  • 今週の土曜日、26日 午後6時半から「歎異抄にまなぶ会」をおこないます。今回は第九条、「安養の浄土はこいしからずや」のところです。浄土はすばらしいところだと教えられているのに浄土へいきたいとはおもえない。この現実社会を捨てがたい。なぜなんでしょうか。その思いを訪ねてまいります。会費千円。宗派問わず。ご参加をお待ちしております。 [続きを読む]
  • 主語のない世界
  • 仏の世界を本願とか、無為じねんとか、華厳とか、いろいろな言葉で語られますが、私は「主語のない世界」と形容してみました。だけど、その主語のない世界に溶け込んでだけいればその世界を感じることはできません。その主語のない世界から人間は、末那識という意識によって飛び出すことができた。つまり自我の世界、主語のある世界。その世界に飛び出すことによって実は、主語のな... [続きを読む]
  • ひさびさのブログです
  • 先日、江戸川区松江のお寺、正見寺の報恩講の行事で、お話をさせていただく機会がありました。テーマは「還相廻向 試論」我ながらなんと難しいテーマを選んでしまったのだろうと思ったのですが、今、いちばん私の関心のあることがらですから、仕方ありません。そのままをぶつけるようにお話させていただきました。どこまで私の思いが表現できたか、どこまで、みなさんに伝えることがで... [続きを読む]