オンチャン さん プロフィール

  •  
オンチャンさん: 南国土佐へ来てみいや
ハンドル名オンチャン さん
ブログタイトル南国土佐へ来てみいや
ブログURLhttp://nangokutosa.blog47.fc2.com/
サイト紹介文南国土佐・高知の魅力と見所を歴史や史跡等の観光地を含めて御紹介
自由文記憶から忘れ去られ行く数々の史跡・遺跡・記念碑に偉人達の墓碑。全ては土佐を育んだ歴史の痕跡
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供174回 / 365日(平均3.3回/週) - 参加 2008/03/12 00:04

オンチャン さんのブログ記事

  • 辰巳屋伊藤傳右衛門邸跡付近 - 伊能忠敬が高知城下で三日間宿泊
  • [ 高知県高知市はりまや橋1丁目 ]はじめに暫く治まっていました、長期介護による精神的ウツにドット襲われ、体調不良でブログの更新が滞っていましたが、気分的にも治まってきましたので、状況をみつつ更新を再開いたします。2ヶ月程前の事になりますが、伊能忠敬研究会の方から「伊藤家は伊能忠敬一行の宿所ではありませんか?」と言うコメントをいただきました。伊藤家が辰巳屋の屋号を使用していたのは記憶に在りましたが、 [続きを読む]
  • 原荘九郎幸綱 - 戊辰戦争・折衝隊・会津若松で戦死
  • [ 高知県高知市薊野北町  ]原荘九郎幸綱は、高知城下・南新町(現・高知市)の人で、戊辰戦争・東征には土佐藩折衝隊の徒士として従軍ちょります。 明治元年戊辰七月従官軍赴越前米澤城総陥又向若松城奮戦九月十七日中丸而歿時年十有九戊辰戦争には、明治元年七月に官軍として赴き、越前米沢藩が官軍に恭順した後、会津若松城攻めに向かい奮戦するも、十九歳で戦死しちょります。因みに米沢藩が官軍に恭順したのは、東山道先鋒 [続きを読む]
  • 寺尾酒造跡 - 寺尾家祖は長宗我部元親の弟・香宗我部親泰に仕える
  • [ 高知県香南市赤岡町 ]赤岡町の赤岡病院傍にある横矢食品さんの壁際に、寺尾酒造跡の説明板が建っちょります。寺尾酒造跡と「豊能梅」寺尾酒造の祖は穴喰で香宗我部安芸守親泰に仕えている。家系では、安永年間、初代当主・善兵衛から始まり、八代目梅太郎に至り、明治三十四年第三代名誉庁長を務め、赤岡銀行設立、自由民権運動にも深い関心を示した。梅太郎の誕生祝いの商標が「豊能梅」。大正九年十二月五日没。現・高木酒 [続きを読む]
  • 能津城址 - 城主・能津左兵衛は長宗我部元親に従い朝鮮出兵で戦死と
  • [ 高知県高岡郡日高村本村 ]写真は、仁淀川右岸(南)を走る県道299号庄田伊野線の沿いから見た能津城址の南面です。因みに、仁淀川左岸の国道194号線(高知市〜愛媛県西条市)からじゃと、こんもりとした小森は見えても城址じゃとは気が付かんでしょう。 写真は、東側から見た能津城址ですが、この傍に説明板が建っちょります。 能津城跡村指定 史跡平成四年三月三日指定能津城跡は、戦国時代の能津領主能津(細川)左兵衛の [続きを読む]
  • 安岡覚之助 - 土佐勤王党171番目の血盟同志、戊辰会津若松戦で戦死
  • [ 高知県香南市香我美町山北 ]安岡覚之助は、天保6年(1835)香美郡山北村(現・香南市香我美町山北)の郷士・安岡正理(文助)の長男として、安岡家お西家に生まれちょります。覚之助は通称で、名は正義(正美)という。嘉永6年(1853)安岡家本家平八正秀の養子にとなっちょります。幼少より学才があったようで文武を学び、安政3年(1856)にゃ長崎に留学し砲術を学び、蘭学・兵学・地理学をも学び帰国しちょります。文久元年(1861) [続きを読む]
  • へんろ石 - 中務茂兵衛 「壱百五十二度目」の遍路石
  • [ 高知県南国市岡豊町八幡 ]岡豊町八幡の岡豊郵便局近くで、県道384号土佐(北)街道と県道252号線が合流しちょりますが、その三叉路の傍に遍路石が建っちょります。(正面)壱百五十二度目為供養建之 周防国大島郡椋野村来願主 中務茂兵衛義教(左面)明治29年11月吉辰正面には左手一本指で右(東方向)を指し、その方向は実際の国分寺のある方向。右面にゃ右手一本指で左方向(南向き)で、次の札所の三十番安楽寺と刻まれ [続きを読む]
  • 三津姫大明神 - 祠の主は高岡から逃れて来た姫君とも、庄屋の娘とも
  • [ 高知県吾川郡いの町枝川 ]いの町枝川を流れる宇治川の新宇治川放水路呑口に、三津姫橋という橋が架かっちょります。 傍に、三津姫橋の由来を刻んだ石碑が設置されちょります。 三津姫橋 橋名の由来新宇治川放水路の呑口のほぼ中央部にあたる位置に、古くより懇(ねんご)ろに祀られてきた祠がありました。新宇治川放水路建設工事に伴い、これまで祀り伝えてこられた地権者の方から「新宇治川放水路呑口対策委員会」にこの祠 [続きを読む]
  • 宗圓寺 - 土佐七福神霊場・毘沙門天を祀る、また縁切り寺としても有名
  • [ 高知県南国市岡豊町滝本 ]岡豊町滝本にある毘沙門山 龍王院 宗円寺さんは、土佐七福神の一つ「毘沙門天」を祀るお寺さんです。何でも、毘沙門天の総本山・信貴山の高知別院じゃそうです。山門をくぐって正面に見えるのは、白龍観世音菩薩像と開山堂ながです。白龍観世音菩薩さんは、福徳財運,豊農豊漁などの御利益があるそうです。開山堂は、龍王院の開山住職の生前葬を営んだ際の石棺を安置しちょります。 入って右手奥に見 [続きを読む]
  • 国分川支流・菱池川沿い土手の河津桜 - 2017.02.19
  • [ 高知県高知市大津乙 ]場所は、国分川の支流・菱池川が国分川と合流する場所で直ぐ傍にJR土讃線の鉄橋がありポンプ場がある所です。その菱池川と高知県食品工業団地の間に土手があり、100m程の土手の両側に河津桜が植えられちょり、今日2月19日の感じじゃと8分咲きぐらいかと。 気温が上がりゃ、あと2〜3日程で満開になるがじゃないかと思われます。 MapFan地図へ [続きを読む]
  • シコクバイカオウレン - 牧野公園で牧野富太郎が愛した花が見頃です
  • [ 知県高岡郡佐川町甲・牧野公園  ]今回は、別サイト「オンちゃんはゆく」と同じ様な記事になりますが、2月8日に佐川町加茂地区の自生のシコクバイカオウレンを御紹介しましたが、今回御紹介する場所は、同じ佐川町の牧野公園です。シコクバイカオウレン自生地 - バイカオウレン変種で春を呼ぶ森の妖精 2017 02 08 桜の名所としても知られちょります牧野公園は、この地で生まれ育った植物学者・牧野富太郎博士が、明治35年に東 [続きを読む]
  • 河野忠之進晴雄 - 迅衝十四番隊士として会津若松で戦死
  • [ 高知県高知市福井  ]土佐郡井口村(現・高知市)の人で、戊辰戦争・東征に土佐藩の迅衝十四番隊士として従軍し、明治元年9月17日に会津若松城南で戦死しちょります。本墓は、現・会津若松市の東明寺の西軍墓地に埋葬されちょります。会津若松西軍墓地 2 - 故郷遠き会津若松に眠る土佐藩兵49名 2015-10-26   [ 注意! ]■ 墓探しで山に入る場合 は、季節によっては、マムシ(ハミ)・ヤマダニ・ヤマヒル・イノシシ・ハチ等 [続きを読む]
  • 高知城百景 - 第55景 旭天神山児童公園から見た高知城
  • [ 高知県高知市旭天神町 ]高知市旭天神町にある高知市旭浄水場の南側に、標高が27m程の小高い山というよりは丘がありますが、頂上部は旭天神山児童公園になっちょります。高知市旭浄水場を挟んで北側の水源地山と共に、春には桜の花で覆われます。此処から高知城天守閣までは直線距離で約2.5Kmです。因みに、手前の建物はJR旭駅の北側に在る旭東小学校、また高知城の手前に見える木々の在る小山は、右側が永福寺山、左側が坂本 [続きを読む]
  • シコクバイカオウレン自生地 - バイカオウレン変種で春を呼ぶ森の妖精
  • [ 高知県高岡郡佐川町加茂 ]佐川町加茂地区にある、バイカオウレンの自生地に行って来たがです。 前々から気にはなっちょたがですが、毎年開花時期が出張で県外に出ている時期だったり、近年は親の介護等で出かける事が出来んかったがですが、やっと出かけて来ました。JR土佐加茂駅のホームに降り、20分程北側の山に上って行くと、シコクバイカオウレン自生地の立て札がありました。 此の花は、土佐が生んだ植物学者・牧野富太 [続きを読む]
  • 片岡利和邸跡 - 土佐勤王党、陸援隊志、明治24年千島列島を探検
  • [ 高知県高岡郡佐川町乙 ]佐川町の方から猿丸峠を越え、斗賀野の方に下って来ると、左側に片岡利和邸跡の説明板があるがです。元の名は永野源馬と言い、那須橘蔵の養子となって那須盛馬と称し、慶応元年(1865年)片岡源馬(利和)と改名し、中岡慎太郎の陸援隊志の一人ながです。佐川町指定文化財 片岡利和邸跡高知藩士永野(長野)氏の次男として生まれ盛(守)馬といった。鳥の巣村那須橘蔵(橘造)の養子となり深尾領主に [続きを読む]
  • 明善学舎跡 - 明治6年に創立、現・高知市立旭小学校の前身
  • [ 高知県高知市南元町 ]JR旭駅のある旭地区の一角に写真の昭和28年に建てられた「旭校前身 明善学舎跡」の碑が建っちょります。調べて見たら、この場所から0.5Km程西の、とさでん交通(路面電車)「蛍橋」電停近くにある高知市立旭小学校の前身のようです。 写真は、その高知市立旭小学校ながですが、調べて見たら「[PDF] 高知市立旭小学校の歴史」というのがあり、下記のようにありました。ドイツ表現派の校門アールデコより [続きを読む]
  • へんろ石 - 国分寺境内にある330年程前の自然石のへんろ石
  • [ 高知県南国市国分・国分寺 ]この変わった形の自然石のへんろ石は、四国霊場第29番札所・国分寺の本堂の左に大師堂がありますが、その左の木立の下の石仏や墓碑の並びにあります。これよりみき へんろみち 元禄二年三月二十日元禄二年(1689)と刻まれちょりますき、今から330年程前の、こじゃんと古い時代のへんろ石ながです。また「これよりみき(右) へんろみち」とありますき、以前は何処ぞ他の場所に在ったものを、此処 [続きを読む]
  • 久松喜代馬 - 土佐勤王党に146番目に加盟、井上佐一郎殺害で処刑
  • [ 高知県高知市東秦泉寺山 ]場所は、西真宗寺山の山の中にあります。久松喜代馬は天保5年(1834)に高知城下の東新町(現・高知市桜井町)の久松圓次重之の三男に生まれ、名を重和というがです。土佐では剣を麻田勘七に習うちょります。この麻田勘七と言う人は、土佐藩馬廻格・麻田利太夫の次男として高知城下に生まれ、勘七は通称で、麻田直養(あさだ なおもと)とう。 江戸で鏡心明智流の桃井春蔵直雄に剣術を学び、土佐じゃ千 [続きを読む]
  • 庚申堂 - 山田氏と長宗我部氏との戦いで戦死した怨霊を鎮める
  • [ 高知県香美市土佐山田町秦山町3丁目 ]この辺りは、土佐の戦国時代に山田氏と長宗我部氏が戦い、多くの戦死者の屍が横たわっていたという場所だそうで、その怨霊達の祟りが、野中兼山が鏡野開拓の時に災いとして怪我人や病気になる者が続出したそうです。そこで、怨霊を鎮めるために、摂津国(現・大阪府大阪市)からここに「青面金剛像」を勧請し祀ったそうです。 土佐山田町史跡庚申堂の由来庚申堂は天王寺仏照山と号し、当 [続きを読む]
  • 北代健助 - 堺事件・九番目に切腹
  • [ 高知県南国市十市 ]写真は、堺事件十一烈士の一人・北代健助邸跡を示す史跡の標柱です。北代堅助は、天保4年(1833)に、長岡郡十市村(現・南国市)の土佐藩郷士の家に生まれちょります。郷士といっても、山内氏入国後の新田開発政策で郷士株を手に入れ、郷士格になっちょります。諱は堅勝、通称は堅介、健助とも書かれる。慶応4年(1868)、箕浦元章(猪之吉)の率いる警備隊の、折衝六番隊に属して摂州大坂・泉州堺の警備の任 [続きを読む]
  • 遍路道標 - 元文3年(1738)に建てられた南国市史跡の遍路標石
  • [ 高知県南国市下末松 ]南国市下末松のバス停「へんろ石」の周辺は、昔の遍路道とその道標が残り、その付近の地区は「へんろ石」と呼ばれちょります。バス停の傍にゃ、遍路石とへんろ石饅頭のお店もあるき、御存じの方も多いかと思います。へんろ石 - 1  2009.09.28へんろいし饅頭 2009.05.11 そのバス停「へんろ石」の直んぐにある北側の交差点を用水路沿いに左に40m程行った右側に、この南国市の史跡に指定されちょります遍 [続きを読む]