オンチャン さん プロフィール

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オンチャンさん: 南国土佐へ来てみいや
ハンドル名オンチャン さん
ブログタイトル南国土佐へ来てみいや
ブログURLhttp://nangokutosa.blog47.fc2.com/
サイト紹介文南国土佐・高知の魅力と見所を歴史や史跡等の観光地を含めて御紹介
自由文記憶から忘れ去られ行く数々の史跡・遺跡・記念碑に偉人達の墓碑。全ては土佐を育んだ歴史の痕跡
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供126回 / 365日(平均2.4回/週) - 参加 2008/03/12 00:04

オンチャン さんのブログ記事

  • 北寺 - 高知県の重要文化財(彫刻)の約1割が此処に安置
  • [ 高知県安芸郡安田町別所 ]土佐くろしお鉄道 ごめん・なはり線の安田駅から県道12号安田東洋線(馬路道)を安田川上流に約6Km程行くと別所という集落があるがです。ちょっと石段を登った先に、素朴な佇まいの北寺があるがです。正式にゃ、真言宗豊山派の寺院で金剛山弘泉院と言い、別名・瑠璃光寺とも呼ばれちょるそうです。何故、北寺と呼ばれるかと云うと、室戸岬の東寺(最御崎寺)、室戸の西寺(金剛頂寺)に対して、両寺 [続きを読む]
  • へんろ標柱 - 五台山・牧野植物園南園のお馬道傍にある標柱
  • [ 高知県高知市五台山・牧野植物園内 ]写真のへんろ標柱のある場所は、第31番札所・五台山竹林寺の東側にある牧野植物園南園のお馬道近くにあるがです。国分寺左手一本指(左・国分寺方向を指す)大島 長屋 婦人会世話人 山崎如何やら、この大島とは、山口県周防大島の事で、そこの長屋地区の婦人会の方々が建てた標柱じゃないかと思われます。時代的にゃ、新しい感じがします。それと場所的に見て、竹林寺を指し示すのであ [続きを読む]
  • 高知城百景 - 第56景 高知市と南国市の境、逢坂峠から見た高知城
  • [ 高知県高知市一宮 ]高知市と南国市の境にある逢坂峠を県道384号線土佐北街道が通っちょりますが、高知市側に峠を越えてちっくと下った所から見た、高知城ながです。標高は約60m、此処から高知城天守閣までは直線距離で約6.3Kmです。因みに、ここから県道384号線土佐北街道を約1Km程下って行くと、土佐一之宮・土佐神社と、四国霊場第30番札所・善楽寺に至るがです。 高いビルにでも上がったら天守閣が見える所はあるろうけん [続きを読む]
  • 土佐名勝地 (須崎)八幡宮境内 - 昭和8年新聞社主催の投票で決まった
  • [ 高知県須崎市西古市町  ]以前にも、宝永の大地震の時に津波で、御神輿が遠く伊豆まで流され、土佐から伊豆まで御神輿を迎えに行った事を御紹介した事のある須崎の八幡さんです。須崎八幡宮 - 宝永の大地震の津波で御神輿が下田に漂着 2010.10.17鳥居右側の木の下に、写真のような碑が建っちょりました。 土佐名勝地 八幡宮境内高知県名勝地推薦投票当選地昭和八年一月 高知日日新聞社此処は、子供の頃の遊び場の一つじゃっ [続きを読む]
  • 菅原高視朝臣 - 父・菅原道真に連座して土佐権守として土佐に左遷
  • [ 高知県高知市北高見町 ]菅原高視は、菅原道真の長男。昌泰4年=延喜元年(901)、左大臣・藤原時平の讒言により醍醐天皇が父・右大臣菅原道真を大宰府へ左遷した昌泰の変で、菅原高視朝臣も連座して土佐権守として京都を追われ土佐に左遷されちょります。昌泰の変昌泰4年(901)1月、左大臣藤原時平の讒言により醍醐天皇が右大臣菅原道真を大宰員外帥として大宰府へ左遷し、道真の子供や右近衛中将源善らを左遷または流罪にした [続きを読む]
  • へんろ標柱 - 廃仏毀釈以前の遍路道・国分川の渡し場近く
  • [ 高知県高知市大津 ]一宮・土佐神社傍の第30番札所善楽寺から、土佐神社の参道を南に下った国分川の対岸の田部島地区の細い辻路の一角に、赤いペンキでなぞられたの自然石の標石と、写真じゃとその右側になるけんど、もう一つ建っちょります。赤いペンキでなぞられたの自然石の標識の方は、下記のように記されちょります。従是五臺山三十丁 右遍路道文政三年辰正月吉日文政三年は1820年。時代的に判り易く書くと、坂本龍馬が [続きを読む]
  • 嶺南社香長学校跡 - 元・土佐勤王党の池知退蔵・大石円 ・森新太郎らが創る
  • [ 高知県南国市立田 ]土佐くろしお鉄道 ごめん・なはり線の立田駅より線路高架下を西に500m程行った北側の農道脇に、「嶺南社香長学校跡」の碑が建っちょります。板垣退助らが組織した自由民権運動の中心的政治結社・立志社に対して、香美郡(現・香南市)及び長岡郡(現・南国市)の元・土佐勤王党じゃった池知退蔵、大石円(大石弥太郎) ・森新太郎(森助太郎)らが保守派の政治結社・嶺南社を設立しちょります。池知退蔵 - [続きを読む]
  • 中村越前守信義 - 三野代官・三野信近の子で佐川松尾城城主
  • [ 高知県高岡郡佐川町 ]長宗我部元親が土佐統一を図る前、佐川松尾城主じゃった中村越前守を祀る祠が在る事を知り探しに行ったがです。手掛かりは町立高北国保病院付近と云うだけじゃたがですが、佐川町役場の方から北に(病院方向)に周辺をキョロキョロしながら歩きよったら、病院と道を隔てた西側にある特別養護老人ホーム・春日荘の正面入口を過ぎ70m程行った道路沿いの敷地内に角塔婆(四角い柱型をした卒塔婆)が目に入っ [続きを読む]
  • 檜垣繁太郎生家跡 - 野根山二十三士の一人で十六才で 奈半利河原に散る
  • [ 高知県室戸市羽根 ]室戸市羽根に義人・岡村十兵衛を祀る鑑雄神社があるがですが、その西側に「かがみ保育園(行った当時は閉鎖)があり、その西側のちょっと奥まった場所に、写真のように立て札が立っちょりまして、近くによって読んでみると、此処が野根山二十三士の一人・檜垣繁太郎梁之の生まれた場所と書かれちょりました。鑑雄神社 - 羽根浦の浦人達が恩人・岡村十兵衛を神として祀る 2015.10.28 檜垣繁太郎生家跡檜垣 [続きを読む]
  • 瑞松寺観音堂 - 土佐西国三十三観音霊場第12番・聖観音菩薩
  • [ 高知県南国市下野田 ]土佐くろしお鉄道 ごめん・なはり線の御免町駅の東約500mの場所に瑞松(ずいしょう)寺観音堂はあるがです。 御本尊は馬頭観音菩薩です。 『南路志』にゃ、長宗我部元親の時代、観音堂の他に阿弥陀堂や地蔵堂があり、寺領地が八反余りあったそうながです。米1石の収穫が上げられる田んぼの面積が1反でしたき、米8石分の田んぼの面積になる1反は畳600畳分一辺が約31.5mの正方形と同じ広さで、面積にして31 [続きを読む]
  • 伊達兵部宗勝 - 関田神社は伊達兵部と家臣の曽根惣兵衛を祀る神社
  • [ 高知県高知市新屋敷 ]前々回の記事タイトルは「梛の木は残した」 じゃったけんど、今回は江戸時代前期に仙台藩伊達家で起こったお家騒動「伊達騒動」を題材にした山本周五郎・原作の「樅の木は残った」にも登場する伊達兵部に関わる、お話ながです。伊達兵部は官名の兵部大輔によるもので、伊達宗勝(だて むねかつ)と言い陸奥仙台藩初代藩主・伊達政宗の十男で、仙台藩支藩・陸奥一関藩の藩主。元和7年(1621)、伊達政宗 [続きを読む]
  • 細川半蔵頼直 - 「からくり半蔵」の名で知られる細川半蔵邸跡付近
  • [ 高知県南国市上末松 ]今回は、からくり半蔵として知られちょります、細川半蔵頼直の御紹介です。人物の御紹介の前に、初めに「からくり人形」って、知っちょりますか?現在風に云うたらロボットじゃねー。室町時代末期に日本に入って来た西洋時計を工夫したものじゃけんど、当時は金属ではなく人形も歯車も全て木製じゃし、それに電子部品も無い時代じゃき、駆動装置はクジラの髭の弾性を利用したぜんまい仕掛けで動く人形を [続きを読む]
  • 伊尾木浪切不動尊 - 御神木の「梛の木は残した」
  • [ 高知県安芸市下山 ]安芸市の伊尾木を通る国道55号線・土佐東街道のバス停・伊尾木不動の近くに、この伊尾木浪切不動尊があるがです。以前御紹介した、室戸市にある「昭和九年海嘯襲来地點の碑」もそうじゃったけんど、昭和9年(1934)の室戸台風の被害を受け、御神木の梛(なぎ)の木の一本が倒れ、残ったのはこの梛(なぎ)の木じゃそうです。昭和九年海嘯襲来地點の碑 - 海から「海嘯」と言う恐怖が襲って来た 2014.09.24 と [続きを読む]
  • 池知退蔵 - 土佐勤王党に178番目に加盟
  • [ 高知県南国市上末松 ]池知退蔵(いけぢ たいぞう)は天保2年(1831)、長岡郡西野地村(現・南国市)の郷士の家に生まれ、名を重利(初名・重胤)、通称・退蔵と云う。嘉永4年(1851)、家督を相続。文久3年(1863)2月、土佐勤王党には178番目に血盟加盟しちょります。また山内容堂に従い京に上り、機密を扱う御用掛けの命を拝し、諸藩の動向を探索するなど尊王攘夷派として奔走しちょります。土佐勤王党の獄が起こると、同志らと [続きを読む]
  • 深淵神社 - 延喜式社・土佐之國二十一座の一社で御祭神はスサノウの曾孫
  • [ 高知県香南市野市町西野 ]物部川の左岸、野市の通称・十善寺と呼ばれる地区に鎮座しちょります。 史跡 i深淵神社延喜式社祭神は、深淵水夜禮花命水神として元原部島にあり十善寺を経て明治三十五年現在地に遷宮深淵郷の総鎮守で明治十二年県社に昇格従五位上【 参考・引用 】  説明板より御祭神・深淵水夜禮花命は、古事記に登場する神さんでスサノオノミコトとクシナダヒの曾孫になり、深淵水夜禮花命の曾孫が大国主命 [続きを読む]
  • 坂本龍馬と武市瑞山 - 両者の違いは現実主義者と理想主義者
  • 今回は、このブログ的には直接関係ない事で、読む人には「如何でも良い」ような事ですが、最近、ある研修を受けた際に、何度も繰り返された、当方にとっては嫌いな「夢」と云う言葉に付いて、ちっくと・・・・・。最初に自己紹介で「夢」を語らされ、一瞬、躊躇(ちゅうちょ)したが、私には「夢は無い」と答えた。その後も、事ある度に夢・夢・夢・・・・・。別に誰が如何な夢を持とうが、目的を持とうが自由じゃけんど、一種の [続きを読む]
  • 中西陽太郎 - 征韓論争を主導した岩倉具視を赤坂喰違に襲撃した一人
  • [ 高知県高知市小石木  ]嘉永2年(1829)土佐郡潮江村(現・高知市)に生まれ、名を茂樹、通称・陽太郎という。戊辰戦争に従軍し北越で巧あり、維新後は上京し、海軍提督府警史になるが、明治6年(1873)征韓論に敗れた西郷隆盛・江藤新平・板垣退助らが下野すると憤慨に絶えず、明治7年(1874)1月14日夜、武市熊吉ら同志8名は赤坂喰違坂にて岩倉具視を襲撃する。しかし、岩倉具視に怪我を負わせるも暗殺は失敗し捕われ、同年7月9日 [続きを読む]
  • へんろ石 - 第30番札所・善楽寺境内にある遍路石
  • [ 高知県高知市一宮しなね2丁目 ]高知市一宮の土佐神社の東隣にある、第30番札所・善楽寺さんの境内にある遍路石ながです。右 城下通 五代山○  百丁邊路道左 五代山江 五拾丁 その下の方に、よく見えませんが、舩渡や宿有等の文字が見える・・・・・文化9(1812)に建てられた遍路石です。多分、道路拡張工事か何かで、此処に移設されたがじゃないかと思われます。因みに余談じゃけんど、文化9年(1812年)に土佐じゃ何が [続きを読む]
  • 立石の伝説 - 津野元実が戸波城奪回の際の恵良沼の戦いの伝説
  • [ 高知県土佐市本村 ]此処は、以前にも御紹介しちょります戸波城跡の西側。土佐市岩戸の方から戸波の方に県道267号線を走って来ると、戸波城跡の南から道は大きく北に迂回しちょりますが、 バス停「ひびの木」の約150m先の右側歩道脇に(気を付けちょらんと見逃すかも・・・・・)、この「立石の伝説」と書かれた説明板と2つの大きな石が並んじょります。戸波城跡 - 一条氏家臣・福井玄蕃が城代 2016.03.02 ステンレスの説明板 [続きを読む]