オンチャン さん プロフィール

  •  
オンチャンさん: 南国土佐へ来てみいや
ハンドル名オンチャン さん
ブログタイトル南国土佐へ来てみいや
ブログURLhttp://nangokutosa.blog47.fc2.com/
サイト紹介文南国土佐・高知の魅力と見所を歴史や史跡等の観光地を含めて御紹介
自由文記憶から忘れ去られ行く数々の史跡・遺跡・記念碑に偉人達の墓碑。全ては土佐を育んだ歴史の痕跡
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供135回 / 365日(平均2.6回/週) - 参加 2008/03/12 00:04

オンチャン さんのブログ記事

  • 細川半蔵頼直 - 「からくり半蔵」の名で知られる細川半蔵邸跡付近
  • [ 高知県南国市上末松 ]今回は、からくり半蔵として知られちょります、細川半蔵頼直の御紹介です。人物の御紹介の前に、初めに「からくり人形」って、知っちょりますか?現在風に云うたらロボットじゃねー。室町時代末期に日本に入って来た西洋時計を工夫したものじゃけんど、当時は金属ではなく人形も歯車も全て木製じゃし、それに電子部品も無い時代じゃき、駆動装置はクジラの髭の弾性を利用したぜんまい仕掛けで動く人形を [続きを読む]
  • 伊尾木浪切不動尊 - 御神木の「梛の木は残した」
  • [ 高知県安芸市下山 ]安芸市の伊尾木を通る国道55号線・土佐東街道のバス停・伊尾木不動の近くに、この伊尾木浪切不動尊があるがです。以前御紹介した、室戸市にある「昭和九年海嘯襲来地點の碑」もそうじゃったけんど、昭和9年(1934)の室戸台風の被害を受け、御神木の梛(なぎ)の木の一本が倒れ、残ったのはこの梛(なぎ)の木じゃそうです。昭和九年海嘯襲来地點の碑 - 海から「海嘯」と言う恐怖が襲って来た 2014.09.24 と [続きを読む]
  • 池知退蔵 - 土佐勤王党に178番目に加盟
  • [ 高知県南国市上末松 ]池知退蔵(いけぢ たいぞう)は天保2年(1831)、長岡郡西野地村(現・南国市)の郷士の家に生まれ、名を重利(初名・重胤)、通称・退蔵と云う。嘉永4年(1851)、家督を相続。文久3年(1863)2月、土佐勤王党には178番目に血盟加盟しちょります。また山内容堂に従い京に上り、機密を扱う御用掛けの命を拝し、諸藩の動向を探索するなど尊王攘夷派として奔走しちょります。土佐勤王党の獄が起こると、同志らと [続きを読む]
  • 深淵神社 - 延喜式社・土佐之國二十一座の一社で御祭神はスサノウの曾孫
  • [ 高知県香南市野市町西野 ]物部川の左岸、野市の通称・十善寺と呼ばれる地区に鎮座しちょります。 史跡 i深淵神社延喜式社祭神は、深淵水夜禮花命水神として元原部島にあり十善寺を経て明治三十五年現在地に遷宮深淵郷の総鎮守で明治十二年県社に昇格従五位上【 参考・引用 】  説明板より御祭神・深淵水夜禮花命は、古事記に登場する神さんでスサノオノミコトとクシナダヒの曾孫になり、深淵水夜禮花命の曾孫が大国主命 [続きを読む]
  • 坂本龍馬と武市瑞山 - 両者の違いは現実主義者と理想主義者
  • 今回は、このブログ的には直接関係ない事で、読む人には「如何でも良い」ような事ですが、最近、ある研修を受けた際に、何度も繰り返された、当方にとっては嫌いな「夢」と云う言葉に付いて、ちっくと・・・・・。最初に自己紹介で「夢」を語らされ、一瞬、躊躇(ちゅうちょ)したが、私には「夢は無い」と答えた。その後も、事ある度に夢・夢・夢・・・・・。別に誰が如何な夢を持とうが、目的を持とうが自由じゃけんど、一種の [続きを読む]
  • 中西陽太郎 - 征韓論争を主導した岩倉具視を赤坂喰違に襲撃した一人
  • [ 高知県高知市小石木  ]嘉永2年(1829)土佐郡潮江村(現・高知市)に生まれ、名を茂樹、通称・陽太郎という。戊辰戦争に従軍し北越で巧あり、維新後は上京し、海軍提督府警史になるが、明治6年(1873)征韓論に敗れた西郷隆盛・江藤新平・板垣退助らが下野すると憤慨に絶えず、明治7年(1874)1月14日夜、武市熊吉ら同志8名は赤坂喰違坂にて岩倉具視を襲撃する。しかし、岩倉具視に怪我を負わせるも暗殺は失敗し捕われ、同年7月9日 [続きを読む]
  • へんろ石 - 第30番札所・善楽寺境内にある遍路石
  • [ 高知県高知市一宮しなね2丁目 ]高知市一宮の土佐神社の東隣にある、第30番札所・善楽寺さんの境内にある遍路石ながです。右 城下通 五代山○  百丁邊路道左 五代山江 五拾丁 その下の方に、よく見えませんが、舩渡や宿有等の文字が見える・・・・・文化9(1812)に建てられた遍路石です。多分、道路拡張工事か何かで、此処に移設されたがじゃないかと思われます。因みに余談じゃけんど、文化9年(1812年)に土佐じゃ何が [続きを読む]
  • 立石の伝説 - 津野元実が戸波城奪回の際の恵良沼の戦いの伝説
  • [ 高知県土佐市本村 ]此処は、以前にも御紹介しちょります戸波城跡の西側。土佐市岩戸の方から戸波の方に県道267号線を走って来ると、戸波城跡の南から道は大きく北に迂回しちょりますが、 バス停「ひびの木」の約150m先の右側歩道脇に(気を付けちょらんと見逃すかも・・・・・)、この「立石の伝説」と書かれた説明板と2つの大きな石が並んじょります。戸波城跡 - 一条氏家臣・福井玄蕃が城代 2016.03.02 ステンレスの説明板 [続きを読む]
  • 地蔵菩薩 - 天文4年宝永地震溺死者の三十三回忌に建てる
  • [ 高知県須崎市青木町 ]此処は、前々回に御紹介した、須崎市の津野神社(孝山寺跡)ナガですが、神社入口の鳥居脇右側に写真のような、こんまい(ちいさな)祠があり、中にお地蔵さんがお祀りされちょります。お堂の柱にゃ、下記のように書かれちょります。(向かって右側) 宝永四年(1707)十月四日の大変の溺死者(向かって左側) 三十三回忌追福天文四年(1739)建立 つまり、宝永四年(1707)十月四日の大変とは「宝永の大地震 [続きを読む]
  • 津野神社 - 須崎の領民が津野孫次郎親忠を偲び祀った孝山寺跡
  • [ 高知県須崎市青木町 ]此処は須崎市青木町にある津野神社。御祭神は、長宗我部元親の三男になる津野孫次郎親忠公ながで、地元じゃ「津野さん」と呼ばれ親しまれちょります。津野親忠 - 家督争いに巻込まれ末、元親に幽閉され弟・盛親が殺害 2015.11.02 津野孫次郎親忠公は、香美市土佐山田町神通寺にある津野神社に埋葬されちょりますが、須崎の領民たちが親忠公を偲び祀ったがじゃそうです。実はこの神社傍が祖母の実家じゃ [続きを読む]
  • 宝永町電停付近 - 高知城下の伊能忠敬緯度観測地点経度33度34分
  • [ 高知県高知市中宝永町 ]此処は、交差点を挟んで両側に、とさ電交通後免線のホームがあるがですが、写真は西側の「はりまや橋方面行き」のホームのある宝永町電停ながです。住所は、高知市中宝永町附近、昔は下地村と呼ばれちょった附近ながです。下記の書物に、次のような記述があるがです。伊能忠敬側地所宝永町(電車停留場)に在り。(中略)その高知に着せし時は、種崎町辰巳屋(元土佐銀行のありし所)に宿して数日測量 [続きを読む]
  • 横山覚馬直方 - 佐幕派の考えを持ち、鹿門十哲の一人とも称される
  • [ 高知県高知市布師田 ]横山直方は、文化14年(1817)に高知城下の土佐藩御馬廻格・横山助之進直保の子に生まれ、通称は覚馬と言う。天保12年(1841)に跡目を継ぎ、弘化4年(1847)に教授館御目付役となり、後、御郡奉行や大御目付を経て、安政5年(1858)には約1年3ヶ月程、山内容堂の御側御用を務めちょります。因みに、嘉永6年(1853)に山内容堂によって大目付に抜擢され参政として強力な藩政改革を主導しちょった吉田東洋が、安政3 [続きを読む]
  • 蓮池権頭家綱 - 源頼朝の弟・希義を討った一人で蓮池神社に霊を祀る
  • [ 高知県土佐市蓮池・蓮池城址 ]以前御紹介しちょります蓮池城址の詰の段に、蓮池神社が鎮座しちょります。蓮池城 - 蓮池氏から長宗我部氏まで約430年幾多もの興亡を繰り返す 2016.10.23 この神社は蓮池権頭家綱卿を祀る 嘉応二年(1170)平氏の家臣近藤家綱が平氏荘園の守護として蓮池城を創建し蓮池姓を名乗った 善政により権頭に任ぜられた後越知町柴折に刺客の手に倒れ遊行寺に葬られた以来八百数年目に御霊を故山に迎 [続きを読む]
  • 脇本陣・長木屋 - 文化5年幕府天文方・伊能忠敬一行が滞在 
  • [ 高知県香南市赤岡町 ]約一カ月ぶりの記事の更新です。今回は、以前御紹介した伊能忠敬が第6次測量で高知城下で滞在した辰巳屋のお話の3日前に、赤岡浦(現・香南市)に入り測量した事を。辰巳屋伊藤傳右衛門邸跡付近 - 伊能忠敬が高知城下で三日間宿泊 2017.03.26 碑の正面 「伊能忠敬経度観測記念碑 北緯三十三度三十三分 香南市教育委員会」碑の右面「 伊能忠敬は享和元年(1801)幕府の命を受け実測による日本地図の作成 [続きを読む]
  • 篠原の柏水 - 兄・頼朝の挙兵に立ち挙がるも破れ東走途中喉の渇きを潤す
  • [ 高知県南国市篠原 ]偶々、南国市の吾岡山の手前で国道55号を左折して、田畑の続く道をJRの御免駅方面に走りよったら、水路の脇に立て札があり、何じゃろーと思うて近寄って見たら、このブログでも何度か取り上げちょります源頼朝の弟・源希義に関わる史跡じゃったがです。 篠原の柏水の由来平治の争乱(1159年)で、源家棟梁源義朝は、武運つたなく平家棟梁平清盛の前に屈し頼朝(当時13歳)は伊豆の蛭ヶ小島へ、義経(牛若・・ [続きを読む]
  • 天狗岳不整合 - プレートの激しい地殻変動を物語る高知県天然記念物
  • [ 高知県香美市土佐山田町入野 ]土佐山田の方から県道254号線をJR繁藤駅方面に上って行くと、休場ダムの約1Km下流の土佐山田町入野・休場集落の南の道路脇に説明板と天然記念物の碑が建っちょります。天狗岳不整合高知県指定天然記念物(昭和二十五年六月二日指定)対岸の白木谷層群チャート壁の下流約30mほど、岸壁の終わるあたりの河床部近くに、領石層基底礫岩が約0.7mにわたり5〜15cmの厚さで密着している。基盤の白木谷層 [続きを読む]
  • 辰巳屋伊藤傳右衛門邸跡付近 - 伊能忠敬が高知城下で三日間宿泊
  • [ 高知県高知市はりまや橋1丁目 ]はじめに暫く治まっていました、長期介護による精神的ウツにドット襲われ、体調不良でブログの更新が滞っていましたが、気分的にも治まってきましたので、状況をみつつ更新を再開いたします。2ヶ月程前の事になりますが、伊能忠敬研究会の方から「伊藤家は伊能忠敬一行の宿所ではありませんか?」と言うコメントをいただきました。伊藤家が辰巳屋の屋号を使用していたのは記憶に在りましたが、 [続きを読む]
  • 原荘九郎幸綱 - 戊辰戦争・折衝隊・会津若松で戦死
  • [ 高知県高知市薊野北町  ]原荘九郎幸綱は、高知城下・南新町(現・高知市)の人で、戊辰戦争・東征には土佐藩折衝隊の徒士として従軍ちょります。 明治元年戊辰七月従官軍赴越前米澤城総陥又向若松城奮戦九月十七日中丸而歿時年十有九戊辰戦争には、明治元年七月に官軍として赴き、越前米沢藩が官軍に恭順した後、会津若松城攻めに向かい奮戦するも、十九歳で戦死しちょります。因みに米沢藩が官軍に恭順したのは、東山道先鋒 [続きを読む]
  • 寺尾酒造跡 - 寺尾家祖は長宗我部元親の弟・香宗我部親泰に仕える
  • [ 高知県香南市赤岡町 ]赤岡町の赤岡病院傍にある横矢食品さんの壁際に、寺尾酒造跡の説明板が建っちょります。寺尾酒造跡と「豊能梅」寺尾酒造の祖は穴喰で香宗我部安芸守親泰に仕えている。家系では、安永年間、初代当主・善兵衛から始まり、八代目梅太郎に至り、明治三十四年第三代名誉庁長を務め、赤岡銀行設立、自由民権運動にも深い関心を示した。梅太郎の誕生祝いの商標が「豊能梅」。大正九年十二月五日没。現・高木酒 [続きを読む]