chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
サムライ左近法務事務所の事件簿 https://blog.goo.ne.jp/zbg67224_001/

専攻は考古学。 でも今は何故か、法律業。 本職の法律問題以外、考古学、歴史学、文学を紹介します。

茅葺の古い大きな家。陽だまりの中、縁側で糸巻きをしていた祖母。穏やかな人でした。祖母の怒った顔を、私は一度も見たことがありません。「馬には乗って見よ。人には添って見よ。」これが祖母の口癖でした。老境に近づいたこの頃、私は祖母と同じ穏やかな顔になれるだろうか。

左近次郎
フォロー
住所
上田市
出身
上田市
ブログ村参加

2008/04/06

arrow_drop_down
  • 怒っている人の色は「栗色」なのか?

    健全な人は「無色」なのだそうである。----------------アメリカの心理学者であるエルマー・ケイツ博士が次のような実験結果を発表している。「人間が吐き出す息をガラス管に入れ液体空気で冷やしてやると沈殿物ができる」これを分析すると①怒っている人の色は「栗色」②悲しみや苦痛の状態にある人の色は「灰色」③後悔に苦しんでいる人の色は「淡紅色」④健全な人の色は「無色」に分かれるそうである。①の怒っている人の沈殿物をネズミに注射したところ、ネズミは数分間で死んでしまった。と言われている。さらには一人の人間が一時間以上、腹を立て続けると80人の人を殺すことができる毒物を発生するのだそうである。これは「オーラ」と呼ばれる生体エネルギーにも見られるようである。よい心がけの人のオーラは「黄色・金色・ピンク」であり悪い心が...怒っている人の色は「栗色」なのか?

  • 苦しみと感動は「紙一重」

    苦しみと感動は紙一重である。---------------------何の苦労もなく手に入れたものは感動を伴わない。だから自分の能力に対しいつも150%ぐらいの目標を設定する。そうするとかなり努力する。さらに極論を言えば、一生懸命毎日努力しなければ手に入れることが出来ない目標の設定がよいかも知れない。そしてそれは取り組む期間が長ければ長いほどよい。苦節に耐えて歯を食いしばり色々なものを犠牲にして手に入れるから喜びが大きい。真剣になるとは文字通り刀を持って戦うことである。一生に一回か二回、己の限界に挑戦しなければ大きなものを手に入れることはできない。但し身の程知らずではじめから全く「ダメ」であるとわかっているに挑戦して哀れな思いをすることは避けるべきだ。総じて失敗を恐れてはいけない。たとえ過程において達成できなか...苦しみと感動は「紙一重」

  • 離婚しても元には戻らない

    韓国、中国、インドでも、ここ数年来離婚率が高まっている。--------------------------こうした傾向は世界的とも言えるようである。離婚の原因の第一は女性の就業率と深く関わっている。手に職を持つことによっていざとなれば自分一人でも生きていけるからである。国の福祉制度もある程度行き届いているし贅沢さえ言わなければ何とか生活できる。二番目としては離婚率の世界的な高まりにより「市民権」を得たことである。昔なら離婚することが一種の恥後ろめたいこととされたが今や町で外国人を見ると同じように近所、親戚などに離婚している人を見つけるのは容易になってしまった。第三の原因としては夫婦とも忍耐力に不足していることが挙げられる。結婚には当然ながら長い期間における忍耐力が求められるからである。翻ってみればもともと他人...離婚しても元には戻らない

  • 戒め

    五祖法演が弟子の仏果禅師に与えた言葉--------------------------の一つに「勢い使い尽くす可からず」があります。所謂「法演の四戒」の中の教えの一つです。仏果禅師は『碧厳録』を大成させた中国宋代の高僧で、太平寺に住職するにあたり仏果禅師に「およそ院に住す、己がために戒むるもの」として与えたと言われています。法演は自ら解説して「勢い、もし使い尽くさば、禍必ず至る」と言い切っています。人間は調子に乗り易いもの。しかし、実はこの時が一番恐ろしい。絶好調の幸運時こそ、知らぬ間に破局の種が蒔かれる。人間は決して不幸のときに不幸が始まるのではなく「ツイている」ときに破局の兆しが起きている。と言えるわけです。相続・告訴告発・離婚・内容証明会社設立・在留資格・成年後見↓行政書士青木法務事務所HPhttp:/...戒め

  • 漢氏の出自と果たした役割

    漢氏は応神朝に後漢の霊帝の子孫である-----------------------------阿知使主とその子の都加使主とが「党類十七県」を率いて渡来したと伝えられている。五世紀後半の雄略朝には都加使主が百済王より献られた「今来の才估」と呼ばれた新米の技術者を管理していたと言うが虚構性が強いと指摘されている。漢氏は五世紀末か六世紀の初頭、渡来し彼らが管轄した今来漢人は六世紀前半を中心とする時期に南朝系中国人を含む百済から来た人たちを指すであろうとされている。漢氏はその同族に百済王から出たと称するものが多いのも傍系証左とされる。漢氏は渡来して大和の高市郡日檜前村に落ち着いたと言われている。この地はそもそも今来郡と言われていたがのちに高市郡に改称されている。檜前の地の西隣に広がる越智岡丘陵の新沢千塚古墳群には五世紀...漢氏の出自と果たした役割

  • 秦氏の出自と果たした役割

    日本に渡ってきた人々の中で--------------------古代の渡来人勢力を代表するのが秦氏と漢氏である。この両氏は『古事記』『日本書紀』によると共に応神朝に集団で移住したと伝えられる。しかしながら四世紀末か五世紀初頭に当たる応神天皇の実在性が疑問に付されるばかりではなく日本書紀には、応神天皇と雄略天皇に渡来人記事・外交記事など類似・共通するものが多いところから、元来一つの内容の話を二つに振り分けて記述したと見る説が有力である。従って倭王武とされる雄略天皇の時期を考えるできであろう。秦氏は秦の始皇帝の子孫の弓月君が「百二十県の百姓」を率いて応神朝に来たと言う。この渡来時期については前述のとおり五世紀後半の雄略朝のころと考えられているが確証はない。秦氏の祖である弓月君は渡来後、先ず大和の津間の掖上の地を与...秦氏の出自と果たした役割

  • 「縁」を切る法

    先日のテレビで観た「後妻打ち」。------------------------後妻打ち(うわなりうち)とは日本の中世における夫が後妻と結婚するとき、先妻が予告のうえで後妻の家を襲う風習である。但し、全てにではなく飽くまでも「離婚して夫がひと月以内に再婚した場合」に限られていたようである。テレビでの場面は先妻も家柄が武士の出であり後妻もまた武士の家柄であったが室町時代ごろでは一般の庶民の間でもかなり普及していたと言われている。室町時代から江戸時代に亘って夫婦関係において夫は圧倒的な権威をもっていたため、妻はその言に唯々諾々と従うしかない、というようなものであった。妻に何の落ち度もなくても夫は一方的に「三行半」をたたきつけて妻を離縁するということが平気でまかり通っていた。たとえ夫が飲んだくれであろうと暴力を振るお...「縁」を切る法

  • 本能寺の変にみる総論と各論

    『時は今天が下知る五月哉』-------------------の句は周知のとおり明智光秀の作と言われる。「時は今」は明智光秀の出と言われる「土岐」一族を指すと読まれているが、出自に至っては多くの謎を残しているようである。続く「天が下知る」の「天が下」はそのまま「天下」を指していると言われている。そして「知る」は「支配する」という意味とされる。この句を詠んだのは本能寺の変(1582年6月2日)の直前の5月28日、愛宕山西ノ坊で里村紹巴らと百韻の連歌会を催した際と言われる。丹波亀山から山城国に入る老ノ坂まで兵には行き先を知らせずに行軍し一気に本能寺と嫡男信忠がいた二条城を襲った。その後本能寺の変から僅か11日後の山崎の合戦で秀吉の軍に敗れてしまう。信長ほどの大きな存在を殺した行動でもあったのにも関わらず明智軍から...本能寺の変にみる総論と各論

  • 「神の手」の悲しみ

    今から三十年前のことである。宮城県岩出山町の座散乱木遺跡から四万年ないし五万年前の地層から住居跡が発見された。この当時、日本考古学の中では三万年以上前に人類と呼べるものが存在したか否か論争になっていた矢先でもあった。いた筈だと言う説といなかったと言う説が激しく分かれる中にあってアマチュアの発掘家が石器を発見し「いた筈だ」説派に大きな勝利をもたらした。その後も彼は次々と新発見をし日本の旧石器時代は十万年前→二十万年前そして五十万年前まで遡ってしまった。彼はこうした功績により「神の手」を持つ男と称されてしまった。しかし一方で「怪しい」と疑念を持つ研究者もいたが物証があるからと封じ込まれてしまった。最終的には多くの皆さんがご存知の通り「ねつ造」であった。歴史の教科書は何度も塗り替えれかつて多くの考古学ファンが押し寄せ...「神の手」の悲しみ

  • 悪の使者・善の使者

    三不忘とは坂村真民氏の言葉である。「貧しかった時のことを忘れるな。苦労した時のことを忘れるな。嬉しかった時のことをわすれるな。」先ず最初に悪の使者が馬に乗ってやってくる。これが謂わば、功成す前の苦労なのである。そして、そのあと善の使者が牛に乗ってやってくる。漸く苦労が認められたのである。孟子曰く天が、その人に大任をまかせようとするときは必ず、その人を苦しめて、窮乏の境遇に置く。従って、何をやってもうまくいかないのである。それは、その人を鍛えるためのものであって不運だと嘆いてはいけない。何故なら、天は不運をもってその人を試しているから。総じて何かあって財貨を失ったのはいくらか失ったことである。また不正で名誉を失ったのは多くを失ったことである。しかし、勇気を失ったことはすべてを失ったことである。乗り越えられない困難...悪の使者・善の使者

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、左近次郎さんをフォローしませんか?

ハンドル名
左近次郎さん
ブログタイトル
サムライ左近法務事務所の事件簿
フォロー
サムライ左近法務事務所の事件簿

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用