ハル さん プロフィール

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ハルさん: 金田治のスケッチ日記
ハンドル名ハル さん
ブログタイトル金田治のスケッチ日記
ブログURLhttp://blogs.yahoo.co.jp/onbi99
サイト紹介文裸婦スケッチを元に詩や物語を織り込んだ絵作りを楽しんでいます。
自由文絵に様々な陰影を与える物語を感じながら鑑賞する絵を求めて自作の絵画やエスキースを載せています。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供83回 / 365日(平均1.6回/週) - 参加 2008/04/08 15:16

ハル さんのブログ記事

  • ぶらっと公募展  最近のクロッキー189
  • ぶらっと公募展  最近のクロッキー189かつて写真の初期には、ピントと露出が正確に調整できれば写真屋として仕事ができたといいます。手動で、露出計もなく暗いレンズでピントを合わせるのはそれなりに経験のいる大変な技術だったのでしょう。見合い写真だの、七五三の写真、一家全員の写真など戦前の家にはあったものです。白日会展の会場に足を踏み入れると、ちょうどそのような雰囲気です。とても見事なピントと露出。きれいで [続きを読む]
  • シャセリオー展4 最近のクロッキー188
  • シャセリオー展4 最近のクロッキー188シャセリオーは日本との接点がほとんどないためか、一般にはほとんど知られていません。19世紀フランスで個人としては最大の壁画を描いた画家なのですが、残念なことにその壁画も1871年のパリコミューンで焼失してしまいました。日本の洋画が始まる黒田精機がパリに行ったのは1884年ですから跡形もなかったわけです。シャセリオーのエキゾティズムにしてもアルジェやギリシャといったところで [続きを読む]
  • シャセリオー展3 最近のクロッキー187
  • シャセリオー展3 最近のクロッキー187アングルの新古典主義とドラクロワのロマン主義をつなぐ存在として語られるシャセリオーですが、その両者の対立よりもシャセリオーの絵画については19世紀が持つ文学的な風土の影響が最も重要におもえます。16,17世紀は建築の世紀でしたからタピスリーや壁画といった、建築に付随する存在として絵画は展開しました。19世紀は文明論や哲学など言葉を中心にした世紀で詩や小説などの文学の世紀で [続きを読む]
  • シャセリオー展2 最近のクロッキー186
  • シャセリオー展2 最近のクロッキー18610歳でアングルのアトリエに入会が許され、将来を約束されたシャセリオーでしたが20代になると自らの資質に目覚め、ドラクロワへと傾倒してゆきます。シャセリオーの師であった新古典主義のアングルと対立したドラクロワの絵画作法はロマン主義といわれます。個人の知性や感情を重視し、辺境や原始社会の文化や知性など古典主義的な基準から見捨てられていた世界に関心を持ちました。ロマン主 [続きを読む]
  • シャセリオー展1 最近のクロッキー185
  • シャセリオー展1 最近のクロッキー185今回の展覧会は19世紀フランスのロマン主義を駆け抜けた早逝の画家シャセリオーのわが国で初めての大回顧展です。アングルに師事し、ドラクロワの影響下に才能を開花させた画家で、37歳という若さで亡くなったことと、代表作である会計検査院の建物のための装飾壁画が1871年のパリ・コミューンで破壊されわずかな断片しかうかがい知ることができなくなったために美術全集などでは除外されやす [続きを読む]
  • 五美大展散策 最近のクロッキー184
  • 五美大展散策  最近のクロッキー184展覧会にはいろいろのものがあるけれども、ついつい自分の趣味のものばかりを漁って歩くことになります。そうやっているうちに世間の流れとは関係のない幻の王国のような美術世界が出来上がってしまいます。それはとても気持ちが良いし、幸福なものなのですが、案外制作の動機付けにはなりにくい。知っている世界を反芻しているだけで、抵抗感がないから、安心してしまうのでしょう。制作にはむ [続きを読む]
  • ティツィアーノとヴェネツィア派展2 最近のクロッキー180
  • 最近のクロッキー180 ティツィアーノとヴェネツィア派展2 ヴェネツィアの絵画はティツィアーノらが登場する以前から独特の輝きをもっています。初期のヴェネツィアは豊かな中世の名残か形には素朴なところが多くありますが、離れてみるとどれも独立した美しい色彩で彩られています。中東との交易などが盛んで、模様と色彩の中世的な感覚が温存されていたのでしょう。今回の展覧会の出品作ではジョバンニ・ベリーニからティツ [続きを読む]
  • ティツィアーノとヴェネツィア派展 最近のクロッキー179
  • 最近のクロッキー179 ティツィアーノとヴェネツィア派展絵画の究極の形を示したティツィアーノの作品が4点並んだ「ティツィアーノとヴェネツィア派展」が今、東京都美術館で開催されています。『フローラ』や『ダナエ』『マリアマグダレーナ』の代表作にさらに一番の見ものが『教皇パウルス3世』です。『教皇パウルス3世』では、キャンバスに直にデッサンを取り、絵画を描き進めてゆくティツィアーノ独特の画法が見せてくれる絶妙 [続きを読む]
  • 最近のクロッキー178 リアリティ3
  • 最近のクロッキー178 リアリティ3リアリティはリアルではありません。それゆえリアリティを求める絵画の定義をその概念や支持体の実体から演繹できるものではありません。「絵画は、基本的には、線や色彩をもちいて、物の形や姿を平面上に描き出したもの」という辞書的な定義ではリアリティと絵との関係は見えてきません。この定義は「描く」ことを説明したもので、その行為の結果生まれたものが絵であり、その目的がリアリティな [続きを読む]
  • 最近のクロッキー177 リアリティ2
  • 最近のクロッキー177 リアリティ2「リアリティ」の難しさはヴェネチア派の提示した課題にどうこたえるかに見えています。情報が多く正確であればリアリティを感じるのかというとむしろ逆で、枝葉末節な点に目を奪われて、本質からそれてしまうことにヴェネチア派の画家たちは気付いています。ヴェネチア派の画家たちは可視的情報を余りに多くのせると五感の他の感覚が鈍感になり対象の本質からはむしろ遠ざかると感じたのでしょう [続きを読む]
  • 最近のクロッキー176 リアリティ
  • 最近のクロッキー176 リアリティリアリティというのは難しい問題です。リアリティを感じる点がみな違うからです。リアリティとはその人の生き方とかかわっているからで、苦しむ顔を観なければ真実とは感じないという人がいれば、苦しむ顔を人に見せるのは欺瞞に満ちていると感じる人もいます。明るい色は本物ではない、魂を揺さぶるのは黒と白の魂の叫びだなどといくらでも言えてしまうのです。リアリティには幸福なリアリティと [続きを読む]
  • 最近のクロッキー175 「絵」の実在感2
  • 最近のクロッキー175 「絵」の実在感2ヴェネチア派の絵画をみると絵画の伝達手段が五感のうちの視覚のみではないことが分かります。視覚的にはフィレンツェ派の正確なデッサンの方が正しいのですが、ヴェネチア派が取り上げた触覚的な表現のリアリティは香りや音へと浸透して、五感を揺さぶる表現へと展開します。五感が動員されることで感覚の連鎖が起こります。新たに起こるというよりも、感覚の退行が起こるといったほうが正確 [続きを読む]
  • 最近のクロッキー174 「絵」の実在感
  • 最近のクロッキー174 「絵」の実在感「絵」をはっきりと実在を感じさせる視覚効果であるとしたのは、16世紀ヴェネチアの絵画理論です。ヴェネチア派の絵画によって絵画は大きく進歩しました。17世紀以降の絵画はみなヴェネチア派の絵画をまねたといってもよいでしょう。カラヴァッジョ、ルーベンス、ベラスケス、レンブラントらがみなヴェネチア派の魔法を研究しました。ヴェネチア派の中でも筆頭のティッツァーノの実在感は見事 [続きを読む]
  • 最近のクロッキー173 絵の上手いとは
  • 最近のクロッキー173 絵の上手いとは前回、『絵の上手い下手は物語としての「絵画」の面白いかとは別物』と述べましたが、「絵」は下手で良いのだというのではありません。文章を書く時に言葉を選ぶように、内容に対して的確な「絵」の表現を選ぶべきです。丁寧であるとか、主体的であるとか、謙譲のつつましさを持たせるとか、時に漢語的な形式ばった様式や時にはくつろいだ口語やタメ語のような柔軟な「絵」を使うといった [続きを読む]
  • 最近のクロッキー173  「絵」と「絵画」
  • 最近のクロッキー173  「絵」と「絵画」あけましておめでとうございます。年頭ですので改めて絵画の本質問題を考えてみます。皆さまにも実りの多い年となりますように祈っております。さて、「絵」と「絵画」とは同じでしょうか。「絵」は対象を五感を通して捉えられるように、視覚的に対象化した仮象を作ります。「絵画」はその「絵」を言葉として文章化したものです。絵画は画面全体に展開する世界で、そこには鳥がさえずり、木 [続きを読む]
  • 最近のクロッキー172 「絵」と「図」その5
  • 最近のクロッキー172 「絵」と「図」その5美意識は「美術」の根本的な動機です。美しさを感じるものを作ろうとするのは人間の欲望であり、本能です。多様な用途や要請の中で造形される建築などでは、様々な造形物を切り捨てることによって「美」を作り出すこともあります。時として絵画は建築においては無用であるか、建築の目的からは演繹されないことはありえます。絵画は虚構ですから、実用にのみ価値を見出す建築が多くあるの [続きを読む]
  • 最近のクロッキー171 「絵」と「図」その4
  • 最近のクロッキー171 「絵」と「図」その4元気な花の絵があっても、元気が対象とされた絵はありません。優しいリンゴの絵があっても、優しさを対象とした絵はありません。それに対し、元気な模様や優しさをテーマにした色彩やデザインなどは「美術」の基本であるといえるほどに一般の美術の姿です。「絵」も「美術」の一部なので元気な絵や優しさを目的とする絵はありますが、そうした画面上の美術の「表現」をもって即「絵」とは [続きを読む]
  • 最近のクロッキー170 「絵」と「図」その3
  • 最近のクロッキー170 「絵」と「図」その3「絵」と「図」についての問題をわかりにくくしているのは20世紀的な問題です。20世紀の文化は英語圏の言葉の概念によって先導され、それまでの概念が大きくゆがみました。英語圏は絵画については多くの伝統を持ちませんでしたし、「画論」のような専門的な理論書や議論の伝統を持ちませんでしたから、「ペインティング」だの「ドローイング」だの「アート」だのの土着のプリミティブな概 [続きを読む]
  • 最近のクロッキー169 「絵」と「図」2
  • 最近のクロッキー169 「絵」と「図」その2「絵」と「図」の成立を考えてみると、「絵」は対象から直接受けた五感の印象を伝えようとしたところから生まれます。対象を見る人が主体となって主観的な印象すなわち感性がそのまま反映されます。ある人は太陽は赤だといい、ある人は黄色だと、また白だということになります。しかし、「図」は伝達の手段ですので、共通の概念を描きます。共通であるためには、言語と同じ受け手との共通 [続きを読む]
  • 最近のクロッキー168 「絵」と「図」
  • 最近のクロッキー168 「絵」と「図」様々にとり散らかった部屋の片づけなどをしていたら、いくつかのメモが出てきました。年末の総括として記しておきます。最近日本語の不備に気づきました。現在の日本語には「絵」に関してのしかっりと説明する言葉がなく、「絵」「画」「図」「挿絵」「絵画」などほとんど定義もなく漠然と使いまわしています。特に20世紀の美術になってくると無規定も甚だしい。無規定であることをもってアート [続きを読む]
  • 最近のクロッキー167 暮れの木枯らし
  • 最近のクロッキー167 暮れの木枯らし美術史というとすぐに絵の歴史が説明されます。そして20世紀の美術となると模様であれ立体であれ形を成したものすべてに創作の意図があるとアートといわれ、絵の歴史を発展展開したもののように語られます。実のところは、理解しがたい絵の魅力よりも多くの人が感じ取りやすい物質的な創作の魅力に席を譲ったということなのでしょう。多くの人がそうした20世紀の美術やデザインで満足して [続きを読む]
  • 最近のクロッキー 166
  • 最近のクロッキー 166 12月も中旬にいたり、今年もあとわずかです。今年は「英国の夢 ラファエル前派展」から始まり、「カラヴァッジョ展」、「ボッティチェリ展」、「ルノワール展」、「ヴェネツィア・ルネッサンスの巨匠たち展」と大規模な名品展が続きました。展覧会の鑑賞は盛んで多くの人が訪れ、絵画の面白さを味わったのでしょうが、一向にそうした画家は現れません。音楽の世界でもラップだのロックだのすぐにクリ [続きを読む]