はなそらパパ さん プロフィール

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はなそらパパさん: はなそらDAYz!
ハンドル名はなそらパパ さん
ブログタイトルはなそらDAYz!
ブログURLhttp://hanasora0526.blog72.fc2.com/
サイト紹介文フラットの花とそらの日常をノホホンと綴っております(^_^)よろしかったらおいでくらさいまし〜!
自由文フラッティの花とそらの日常をホノボノ綴っています!ノンビリペースで更新してますが、よろしかったらのぞいてみてくださいね〜!
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供68回 / 365日(平均1.3回/週) - 参加 2008/04/13 23:38

はなそらパパ さんのブログ記事

  • 現実の痕跡
  • 花とそらの写真を見るたび、その輝くような生命の眩しさに私は思わず頬を緩ませる。その表情は、今の倖せを謳歌する喜びと純粋な生きる意志に満ちていて、あまりにも鮮明な現実の痕跡に私は改めて損失を実感するのだ。私はこの記憶にすがって生きてゆく。写真のみせるその美しい生命の美はゆっくりと私の胸に流れ込んできて、明日を生きる活力となる。いつも読んでくださっている皆様、有難う御座います。 [続きを読む]
  • 時間薬
  • 私にとっての最も心強い希望は「時間薬」という言葉であった。これを知っていたからこそ、歯の喰いしばりを以て、艱難の日々を耐え抜く事が出来た。実体験から確信を以て云えるが、時間は必ず、どんな悲しみをも癒してくれる。時間薬の最も優れた、そして最大の特徴は、何もする必要がない、ということだ。時間とは勝手に進むもの。時とは経つものなのだ。ごく自然に朝日は昇り、夕陽は自ずから沈んでゆく。私たちは今ではなく、そ [続きを読む]
  • 今日の倖せ
  • 人にはそれぞれ執念深く追う題材があると思うが、私の場合、人生が時間に従って下らなければならないというどうにもならない自然の摂理がそれに当たる。「今日の倖せを感謝します。」神仏に祈るある深夜のこと、自然と口にでたこの言葉に少々驚いた。いつも口にしているはずなのに、妙な違和感というか、新鮮さを感じたからだ。私はかつて、永遠を祈り、願った。この子たちとどこまでも歩いてゆけますよに、と、その事ばかりに執着 [続きを読む]
  • 経を唱える意味
  • 春の朧月夜は この世とあの世の境界を曖昧にする。 最早、神となった死者と交わす言葉は私の胸に沁み入り、霧雨が深々と土を濡らして 野山の新緑を育ててゆくように、 死して尚、私の生きる根拠であり続ける。「般若心経は生きてゆく為の智慧ではないのか?それを死者に唱えて供養になるのか?」 そんな問いをある僧侶に投げかけたことがある。こたえは概ねこういったものであった。確かに般若心経は生者の為の智慧であって死者を [続きを読む]
  • 風鈴に風が言葉を伝えてる
  • 私が蜻蛉好きなのは、武田家の重臣、板垣信方に由来する。その思いが高じすぎ、遂には蜻蛉の風鈴を買うまでに至ったのは、子供っぽい私の性質であるので、笑って乾杯のグラスを差し出して欲しいところであるが、さて…私はこの風鈴を室内に掛けている。この季節になってリビングの窓を開ける機会が多くなり、畢竟、涼やかな春の夜風に風鈴が鳴る機械が増えたのであるが、その何気ない音色が、時折、私の心に流れる様に滑り込んでく [続きを読む]
  • 現実を補完する
  • (前回からの続きです)はたしてあのペンダントにはどんな背景があったのか?何にもないでは、あんなに張り切っていた新九郎君が報われませんので、ここはひとつ、何か考えてみましょう。…男女の名前や日付が刻印されているのですからただ事ではありません。その日付はきっと大事な記念日でしょう。結婚かも知れないし、出会いの日かも知れない。いずれにせよ、形にしなければならない程の重大な出来事があったはずなのです。それ [続きを読む]
  • 新九郎譚 「続・落し物」
  • 今回は久しぶりに、我らが新九郎君のお話をしましょう。新九郎君は事情があって様々な公共のイベントに関わる事があるのですが、昨年、落とし物係を経験しました。ゴミに見間違えるほどの猫の写真が届けられた時、受理作業の手間を思って心の中で舌打ちした新九郎君でしたが、その写真を探しに現れた老人が写真を見るなり抱きしめて泣き崩れた姿を見るに際し、新九郎君は己の浅慮を大いに恥じる事となりました。人生到る所に学びの [続きを読む]
  • 普通の日々
  • 私とボクシングは最早20年の付き合いとなった。ジムで一緒に汗を流す面子も気心のしれた良い仲間である。さて、その中でA氏は先日膝を痛め、サンドバッグを打つスィングがゆっくりだ。前に出す足の膝を痛めるとパンチに体重が乗らなくなるので、ここは無理せず、ゆっくりとコンビネーションを確認するかのような、穏やかな動きだ。B氏は長年膝を痛めており、こちらは30代後半でありながらすでに70代の膝と診断されているほど関節 [続きを読む]
  • 幸運の花
  • 春、千林に入る処々の花春になると、どの林にも一斉に新芽が生まれ、辺りは花に満ち溢れる。隣の芝が青い時には自宅の芝も同じく茂るし、どの家の水瓶にも月は同じ姿を美しく揺らす。自然は常に、何者に対しても平等なのだ。今日はそんなお話を伺った。自然が万物に平等なのは疑いようのない事実であるが、併し、運のいい人と悪い人というのは実際に存在する。 何故か?それは、日頃の気配りや思慮や何かに対する誠実な姿勢や何や [続きを読む]
  • 暁の石窟寺
  • 愛する者を亡くした後の私の唯一の希望は時間であった。時間の経過のみが悲しみを癒す事が出来る、所謂、時間薬に頼るしかなかった。偉大な時の流れはいつしか私を救ってくれたけども、しかし、過去はある時に突然現在と繋がって私を大いに驚かせた。それは、睡眠という記憶のリセットだった。私は夜中に突然目覚めるのが怖い。私の心の根底を支配しているのは過ぎ去った過去に相違ないので、睡眠中に行われる記憶の最適化中はどう [続きを読む]
  • 続、浄土 
  • さて一方、禅の僧侶に浄土を語らせるとどうなるか?これはもう、大変な事になる。いや、実際、すごいインパクトだった。「何処まで西に行ったってそんなものありゃしませんよ!」「地球は丸いんだから、元の場所に帰ってきちゃうでしょ!?」などと、大胆に笑い飛ばしてしまう始末である。これにはさすがに苦笑いするしかない。私は、禅とは、この世界に真正面から向かい合って現実を如何に生きるのか、ト、この人類の持ち得る最難 [続きを読む]
  • 浄土
  • 私にとっての浄土とは、死者がこの世のあらゆる苦しみから解放された安らぎの場所である。もはや、何の痛みも心配もない安寧の世界である。だから私は、愛する者が浄土に在って欲しいと強く、強く、願う。ある時、浄土真宗の僧侶に浄土はあるのか?と問うた事があった。僧侶は、ただ信じないさい、と云い続けるのみで、それ以上は語らなかった。あの時、たった一言、確信に満ちた目で「ある」と答えてもらえたならば、私はもうそこ [続きを読む]
  • 早春の朝に
  • このところ非常に気持ちの良い朝が続いている。西に崇高な大山の姿を見ながら頭上に大きく広がった空は青く、まるで白の薄絵具を流したような雲が、人生のところどころに波打つ悲しみの様に仄かな抑揚を添えている。こう云うとなんだか悲しい空を想像するが、そうではない。私は生きる意志に満ち溢れていて、それはもう、まるで、いますぐその青空にぽかんと船でも浮かべたいくらいの心境なのだ。こういうと太宰治になってしまう。 [続きを読む]
  • 明日の自分は今日作るべし
  • のどかな週末に何をするか。寝るか、遊ぶか、ビールを飲むか、それとも勉強するか。目の前の安易な幸福に溺れるのも良いでしょう。併し、そうする事によって将来確実に訪れるであろう失態の可能性を少しでも減らしたいのであれば、ちょっと踏ん張って勉強すべきです。颯爽と凛々しく、自信に満ち溢れている人は、こういう分かれ道では例外なく苦難の道を選んできているものです。しかも、何の躊躇もなくそうしていましょう。楽をす [続きを読む]
  • 人形
  • 小林秀雄に「人形」という有名なエッセイがあります。これは戦後間もない頃、あるご婦人が人形を自分の子供に見立ててまるで生きた人間の様に扱っていた、という実に悲しいお話でありました。人形が亡くなった子供の代わりである事は明白でありますが、果たしてこのご婦人は正気だったのでしょうか。正気を保つ為に自らをだまし続けていたのか、或いは、最早心は壊れてしまっていたのか。私はこれと似た光景を目にしたことがあり、 [続きを読む]
  • 一度はヘタれるべし
  • 私は常に自らの価値観を絶対視しているので、努力という行為には強い拘りがある。したがって、努力しない者を軽蔑する傾向にあるし、それは死ぬまで変わらないだろう。しかし、ある日の朝、なんとその私自身がヘタれてしまった。その日が雨というのもあったろうが、自転車で出勤途中に、突然、超絶に憂鬱な気分になったのだ。毎日、頭が沸騰するほど勉強し、気が遠くなるほどのショックを受けながら難しい仕事に取組み、それでも何 [続きを読む]
  • 新九郎狐
  • 丹沢の山奥に一頭の狐が住んでいた。狐は名を新九郎といった。新九郎は天蓋孤独の身であったけども、ある春の朝、家族ができた。彼の巣穴の近くに純白に輝く兄妹の花が咲いたのだ。それは、雪をも欺く白さだった。新九郎は花たちを愛した。それはそれは大事に世話した。うっとりと眺めているうちに春は過ぎた。梅雨には花たちが流されないように、煉瓦で囲って土を盛った。夏は灼熱の日差しよけに傘をこしらえた。秋には降り始めた [続きを読む]
  • 雪の朝
  • 昨夜の雪に窓の外は真っ白だ。快晴の青とのコントラストに思い出すのは花とそらのいたあの日々だ。こんな朝は、慌ただしく支度をして真っ先にドッグランへ向かったものだった。誰にも踏み荒らされていない真っ白なドッグランに花とそらを解き放つと子らは大はしゃぎで走った。確かに素晴らしい日々だった。過ぎ去った過去に頬を緩め楽しかったよね、と、語りかけた。そうだ、私たちは幸福だった。いつも読んでくださっている皆様、 [続きを読む]
  • 新九郎譚 「スーパーヒーローを問う」
  • さて、今回は又、我らが新九郎君から聞いた馬鹿々々しくも微笑ましいお話をいたしましょう。新九郎君の職場はほとんどが米人でありますので、本邦の日常では決して聞かれないような奇妙な会話が日常的に交わされるそうです。正に、日常の中の非日常。屹度お楽しみいただけるかと思います。「スーパーヒーローを問う」以下、新九郎君の職場で交わされたあるアメリカ人達の青筋立てた議論です。登場人物は、BOSS(職場の長)部下 [続きを読む]
  • 冬着は出し惜しむべし
  • 2月を目の前にして遂に冬服を出すに至りました。これまでの通勤は、春秋ジャケットで颯爽と自転車を飛ばしていたのですが、さすがにちょっと寒くなってきました。指は寒いを通り越して痛いし、つま先にいたってはどうやら霜焼けになってしまったようです。しかし私は、厚着は甘えだと思っていますし、なにより、我慢する自分の姿に美学を感じているのでそのことが支えとなって薄着でしたが、残念ながら、現実との折り合いをつける [続きを読む]
  • ドッグランにて
  • このドッグランはあれから何も変わらない。相変わらず飼い主たちの社交や情報交換の場であり、ワンコたちにとっては仲間たちと遊び、じゃれ、そしてただひたすらに駆ける為の冒険の草原であるのだ。きっと花とそらも、そしてかつてこの場所で遊んだ多くの仲間たちも、風となった自分の存在の変わり様など気にもとめずに仲間たちと走ることがあるのだろう。そして彼らを知覚出来るのはきっと同じワンコたちだけで彼らも又、実体をも [続きを読む]
  • 人生の本番
  • 井伏鱒二だったと思いますが、ある漢詩を「サヨナラダカゲ人生ダ」と訳しました。短い一文に込められたそれはもう絶対の真理であり、人生から切り離せない宿命と云えましょう。だから、自分の身で初めてその残酷と理不尽を経験したときに、ようやく真の人生が始まるのです。苦との戦いを学び、支えてくれる他人の有難味を知り、神仏との出会いを通して世界への目が開いてゆくのです。私の人生もそこから始まりました。いつも読んで [続きを読む]
  • オレンジ色の稜線
  • 遠き箱根の山の端に秋の夕陽が沈んでゆく。命が消えてゆくように、稜線に微かに滲むそのオレンジ色は刻一刻と光を失ってゆく。この光はやがて消える。完全に消え去る。消失は誕生以来の定めであり、この世界を支配する絶対のルールを根拠とした云わば、固定された運命である。しかしそれを誰が受けとめることが出来よう?悉皆万物は移りゆく。それは般若心経をはじめ多くの賢人のの教えるところだ。しかし、理屈と感情は常に背を向 [続きを読む]
  • 放浪すべし
  • ある高名な禅の老師がされたお話のなかでのさりげない一言が非常に気になっている。そのお話は白隠禅師の生涯について、だった。正確に云うと、ある主題があって、それを説明するのに引用された多くの話のうちのひとつであったのだが、とにかく、白隠さんという人は、こういう人でこういう事がって、ト、お話が進み、あれだけの人でありながら、ある時期は、絵を描いたり漢詩をつくったりして遊んで暮らされた日々があった、ト、そ [続きを読む]
  • 練習で苦労して本番で楽をすべし
  • 練習で苦労して本番で楽をする。ある試験対策の本で見かけたこの言葉を解説すると、要は、日頃しっかりと勉強し、苦手な項目から逃げず、歯を喰いしばって血の汗でペンを走らせる習慣を単なる日常、ほんの365分の1、としておけば、本番の試験で苦労しないし結果に涙することもなく、長い人生の視点からみれば畢竟、楽なんだ、トいう至極当たり前の話。まぁ、血の汗だ何だと大袈裟な話にせずとも、楽な方向に流されることなくほんの [続きを読む]