次回以降、以下のブログで継続します。 http://am3.hatenablog.com/
海の音が聞こえた。渚に座って、一人海を見ていた。あたりはすでに何もない真っ暗闇で、遠く港の街灯が、オレンジ色にぼんやりと霞んで見えていた。渚に打ち寄せる波の音というか、この日の暮れた埠頭の上では、コンクリートの隙間に入り込んだ波が行き場を失って空気を含んだような、とぷとぷという...
駅舎に、もう人影はなかった。歪んだ線路が浜通りからこちらへと伸び、そして、男の目の前で、雪のふる曇り空に向かって大きく跳ね上がっていた。少年は口をへの字に結んだまま、じっと浜通りの方を見つめていた。大人用の大きな黒い傘が、小さな右手に下げられていた。
何も無くなった町で瓦礫と戯れながら、少女は歌っていた。白痴であった。皆視線を避けていた。しかし、今、瓦礫の向こう側で、誰か少女に合わせて歌う声があった。声は次第に大きくなり、数を増し、やがてはその墓標のようなビルを取り囲み、町民は皆、泣きながら歌っていたのである。
拝啓 国連本部様 あの、初めに申し訳ないんですが、全人類宛に何か伝えたい場合には、こちらでよろしかったのでしょうか?私は、地球上のすべての人に伝えたいのです。余す所なくすべての人に。初めは、こちらで把握してる限りのメールアドレスに、同時配信することも考えましたが、それでは届か...
入院からひと月近くたって、ようやくリハビリも本格的になってくると、男はそれまでの個室から6床の大部屋に移された。自分ひとりだけが静かに横たわるしか無い個室では、誰か他人が尋ねてこない限りは、まるで自分が死んでいるのか生きているのか、はっきりとしないように男には思えた。窓の外には、...
「わたし」という実体は、どこにあるのか。 右腕を失ってから、私はよくそれを考えていた。 病院の三階にあるリハビリ室では、めいめいが、看護師や理学療法士の指示を受けながらリハビリに取り組んでいた。 平行棒のような支えの間で、歩行訓練をする、義足の中年女性がいた。その脇では、...
右肩から先がない。 そのことに気がついたのは、病院のベッドの上だった。 白い机、白いフレーム、白いシーツ。 天井の茶色いシミのような点々とした模様が鮮やかにさえ見える、真夏の真昼の午後だったように記憶している。 私が気がついたとき、私の周りには誰もいなかった。 数本のチュー...
あるホテルのホール。昨日から行われている学会の懇親会が開かれていた。ひとりの男が、会場の参加者に囲まれている。この学会は環境科学の学会だった。男は、この学会の会員ではなかったが、ゲストとして招かれ、今日の午前中に彼の研究している新しい半導体素子と、それによって産まれる新しい太陽電...
僕は今、不思議な懐かしさを感じながら、この手記を読み返していた。 思えば、この不幸な出来事からすでに3年の月日が流れている。 この思い出は、長らく、僕の心の中に暗い影を落とし、思い返すことすら、ずっと忌避し続けていたのだが、今、こうして読み返してみると、それは確かに、ところどこ...
それは、もしかすると、家族旅行の写真なのかも知れなかった。 ファインダーを向けたのは、彼女の父で、あのパルミラは、家族の物なのかも知れなかった。 だが、僕にはそう考えることが出来なかった。何より、大分うち解けたと思っていた彼女の心が、予想以上に遠くにあったことに、僕はうちひしが...
†5 翌日朝早く彼女は発っていった。僕は何とか彼女を見送ることが出来、二言三言の挨拶をして、慌ただしく彼女と別れた。 見送りをすませると、僕も荷造りを始めた。 少ない荷物とおみやげを、スーツケースにあらかた詰め込んでしまうと、僕の目は部屋の隅に残された、パルミラに、ようやく向けら...
僕と彼女は、時間を惜しむように、その後、近くの小さなレストランで夕食を取り、それから少し歩いて、大分遅い時間まで、街角のカフェでコーヒーを飲んでいた。そしてその後、ペンションに戻ってからも、僕らはしばらくロビーで話し込んでいた。翌日の彼女の飛行機は、朝大分早い時間だったが、彼女は...
「……ねえ?」 彼女が僕の方を見た。 僕は視線を彼女の瞳に戻した。 「……あなたのパルミラ、なんか様子が変じゃない?」 彼女はてくてくと僕の所まで歩いてくると、僕の足下にかがみ込んだ。 「……やっぱり変。私を見ても笑ってくれない……。夕べ、ちゃんと休ませてあげた?」 僕の足下の...
「……おかしい!面白い子ね、あなたのパルミラ」 彼女はそう言って、僕のパルミラの頭を、無造作に撫でた。 パルミラは微笑んだまま、されるがままになっていた。僕は、自分が撫でられているような不思議な恥ずかしさを感じた。 「……もう、中に入りましょ?あなた、まだチェックインも済まして...
僕は向かいの席に座ったパルミラの瞳を、そっと覗きこんでみた。 海からの照り返しがまぶしいためか、パルミラは僕の視線には気付かず、ずっと海を見たままだ。深い黒真珠のような漆黒の瞳に、僕らの見詰めた海がさかさまに映しだされていた。 そのかすかに開いた、幼い口元からは、今しも、何か感嘆...
僕は去年、パルミラを連れてヨーロッパの小さな町を旅行した。パルミラの機内持ち込みはもうすでに許可されていると言ったが、航空機の座席がそのために広くなったというわけではない。エコノミークラスに座ると、ただでさえ狭い座席にもう一人、子供が乗ったような形になるわけだから、正直、窮屈で仕...
パルミラを失い、新しいパルミラに違和感を覚えているからと言って、その小さな丸い手から、自分の手を、簡単に切り離すことはそう言った理由で簡単にはできない。しかし、今まで通り、それを見つめていても、それまで感じていたような満足感を得ることはできず、不安を伴った神経症の症状があらわれて...
僕は彼のパルミラがいつの間にか変えられていたことにすら気がつかなかったくらいだから、彼の感じていた違和感を理解していたとは言えないかも知れない。 彼のパルミラは昔から目が大きく、まつげが長かった気がしていたし、その特徴は、この新しいパルミラでも共通しているように感じていた。 ...
彼女は、僕らがどんな人間でも、笑ってくれる。手を引けば、どこへでも付いてきてくれる。疑うことを知らず、肯定することだけを知っている。そこには、人それぞれに違う決まり事など、もはや存在しない。規格化された、極めて安定な、動作のパターンが僕らをいつも勇気づけるように仕向けてくれる。予...
二人で、公園の小さな散歩道を歩いていた時のことだ。 先日降った雨のせいで、道の真ん中に、大きな水たまりができていた。 僕は、そういうとき、男の子が先に渡って、女の子の手を引くものだと思っていた。それは、誰かに教わった知識というよりも、いろんな映画や、本なんかで、みんな当然のよう...
†2 パルミラ販売の代理店でアルバイトしていた友人が、僕のところに、購入を持ちかけてきてから、思い出せば今日で丸3年になる。 その間、僕のパルミラは学生用アパートの6畳半の狭い一室に立ちつくして、僕が手をつなぐまで、そこでほほ笑みながらじっと立っていてくれる。パルミラは、自律的...
パルミラは今や、会社のオフィスや、仕事場などへも持ち込みが許されている。 鉄道会社などは始め、列車一両あたりの人間の積載率が減ってしまうので、大いに文句を言っていた。 しかし、やがて、ある一社がパルミラ付帯料金を導入したところ、3割増しの切符であるにもかかわらず、売れ行きは好調...
ある、今からそう遠くはない、未来の話。 †1 僕らはいつも、一人の少女を連れて歩いている。 白い服を着た、東洋人とも、西洋人ともつかない、愛らしい顔立ちの、4,5才くらいの、女の子。女の子は、パルミラ、と呼ばれていて、誰の連れているパルミラも、みんな同じ顔をしている。 でも...
「……これ、落ちましたよ」 小さな細い手が、男の落とした一枚のハンカチを拾い上げた。 振り向くと、女はそれを右手に提げたまま、小首を傾げて微笑んでいた。 「……やあ、ありがとう」 男はそう言うと、女がつまんでいた緋色のハンカチを、照れくさそうに奪い取った。 「珍しいですね、男...
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