未来狂冗談 さん プロフィール

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未来狂冗談さん: 皇統と鵺の影人・二千年の歴史キーワード
ハンドル名未来狂冗談 さん
ブログタイトル皇統と鵺の影人・二千年の歴史キーワード
ブログURLhttp://jiyodan.exblog.jp
サイト紹介文あなたは、本当の日本史を知っていますか?・・教科書に載っていない歴史の謎に迫る検索サイトです。
自由文過去が在って今がある。
倭の国々から大和の国へ、そして大和の国から日本国へ、遥か二千年の歴史の謎を追って・・・・・
何事も、入り口で間違えたものは最後まで間違いである。
そこでへそ曲がりな我輩は、入り口を変えて「歴史の謎」を追う事を試みたのである。
日本人の歴史を知る上でも、一度本書を読み通しては、どうだろうか?
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供38回 / 365日(平均0.7回/週) - 参加 2008/04/25 22:37

未来狂冗談 さんのブログ記事

  • 非人穢多(ひにんえた)・部落差別
  • 日本には、山窩(サンカ・サンガ)と源流を同じくする非人穢多(ひにんえた)と言う被差別階級が永い間存在した。被差別階級・非人穢多(ひにんえた)の長である穢多頭(えたかしら)・弾左衛門(だんざえもん)は、皮革加工や燈芯(行灯などの火を点す芯)・竹細工等の製造販売に対して独占的な支配を許されたていた。江戸期の非人穢多(ひにんえた)差別制度は、明治維新後の部落民差別として残って行く。狩... [続きを読む]
  • 光明皇后(こうみょうこうごう)
  • 光明皇后(こうみょうこうごう)は、奈良時代の聖武大王(しょうむおおきみ/第四十五代天皇)の皇后として、他に類を見ない程の大きな足跡を残している。藤原不比等と県犬養橘三千代(あがたいぬかいのみちよ)の女子で、光明子は聖武大王(しょうむおおきみ/第四十五代天皇)の母である文武天皇の夫人の藤原宮子とは異母妹である。つまり聖武大王(しょうむおおきみ)の母親の妹である光明子が、異母姉の子と結婚... [続きを読む]
  • 藤原宮子(ふじわらのみやこ)
  • 藤原宮子(ふじわらのみやこ)は、文武大王(もんむおおきみ/天皇)の夫人である。宮子(みやこ)は、藤原不比等の長女として藤原を名乗るも異説が在る。文武大王(もんむおおきみ/天皇)が紀州御坊へ療養の旅をしていた時、美しい海女を見初め、手元に置くことを欲したが、身分の問題が在る。その対処として権力者・藤原不比等の養女に一旦し、藤原の貴種として嫁入りさせたと言う説が存在する。その異説... [続きを読む]
  • 文武大王(もんむおおきみ/天皇)
  • 文武大王(もんむおおきみ/天皇)は、皇太子のまま亡くなった草壁皇子(天武天皇第二皇子、母は持統天皇)の長男である。文武(もんむ)の母は、天智天皇の皇女にして持統天皇の異母妹で、後に元明天皇となる阿陪皇女である。文武大王(もんむおおきみ/天皇)の幼少期は、父・草壁が皇太子のまま亡くなり即位していない為、本来であれば「皇子」ではなく「王」の呼称が用いられる筈だった。しかし祖母である持... [続きを読む]
  • 草壁皇子(くさかべのみこ)
  • 草壁皇子(くさかべのみこ)は飛鳥時代の皇族で、天武大王(てんむおおきみ/天皇)と皇后・?野讃良皇女(後の持統天皇)の皇子である。草壁皇子の妃は天智大王(てんちおおきみ/天皇)の皇女で、持統大王(じとうおおきみ/天皇)の異母妹である阿陪皇女(後の元明天皇)である。草壁皇子は、元正天皇・吉備内親王・文武大王(もんむおおきみ/天皇)の父である。草壁は、六百六十二年(天智天皇元年)に... [続きを読む]
  • 中川清秀(なかがわきよひで)
  • 中川清秀(なかがわきよひで)は戦国時代から安土桃山時代にかけての武将で、千五百四十二年(天文十一年)摂津国福井村中河原(現・大阪府茨木市)に生まれた。本姓は源氏を名乗り、清和源氏の一家系摂津源氏の流れを汲む多田行綱の子の明綱(あるいは河内源氏傍系石川源氏)の後裔と家系を称した。清秀(きよひで)の幼名は虎之助、通称は瀬兵衛(せびょうえ)、父は中川重清、母は中川清村(重利)の娘である。... [続きを読む]
  • 石長比売(イワナガヒメ/磐長姫)
  • 木花咲耶姫(このはなさくやひめ)は、天照大神(アマテラス)の孫である天孫・ニニギノミコト(瓊々杵尊/ににぎのみこと)の妻とされる。木花咲耶姫(このはなさくやひめ)には、石長比売(イワナガヒメ/磐長姫)と言う醜い姉がいた。そして長寿の神々と比べ、天孫ニニギノミコト(瓊々杵尊/ににぎのみこと)とその子孫の天皇の寿命が神々ほどは長くない理由をこう伝えている。九州南部に勢力を持っていた隼... [続きを読む]
  • 政治家(為政者)は嘘つきの始まり
  • 歴史を遡(さかのぼ)ると、「民衆を欺(あざむ)き、事実と違う情報操作する事が政治である。」と考え、国民に対して情報操作実行する政治家(為政者)が多過ぎる。そしてかれらは、「開き直って言い張れば、情報操作は国民を操る事実として通用する。」と考えている。「古事記・日本書紀」の歴史捏造(れきしねつぞう)が、「政治家(為政者)は嘘つき」の原点である。戦時中の、「国民の士気を落とさない為の... [続きを読む]
  • 大本営発表(だいほんえいはっぴょう)
  • 本来の大本営(だいほんえい)は、軍部の連合大演習及び特別大演習に於いて、天皇の行幸行在所(あんざいしょ)を「大本営」と称した。但しここで言う大本営(だいほんえい)は、日清戦争から太平洋戦争(大東亜戦争)までの戦時中に設置された日本軍(陸海軍)の最高統帥機関を指す名称である。大本営発表(だいほんえいはっぴょう)とは、太平洋戦争(大東亜戦争)に於いて、大日本帝国の大本営が行った戦況などに... [続きを読む]
  • 今川氏真(いまがわうじざね)
  • 今川氏真(いまがわうじざね)の父は今川氏の最大所領を領する繁栄を築いた今川義元で、母は甲斐国主・武田信虎の娘 定恵院である。氏真(うじざね)は、桶狭間の戦いで織田信長によって討たれた父・義元の駿河・遠江・三河の三ヶ国を受け継いだ戦国大名であり 、第十一代の今川家当主である。 但しこの代数には諸説あり初めて駿河守護となった今川範国から数えた代数では第十代、家祖・今川国氏から数えると氏真... [続きを読む]
  • 生贄(いけにえ)
  • 贄(にえ)と言う文字は、「神に対する捧げ物」と言う意味が在る。そして熟語に、生贄(いけにえ)と言う言葉がある。つまり生贄(いけにえ)とは、「生きたままの、神に対する捧げ物」と言う意味である。そして一方では、渡来部族が現住民族の蝦夷(えみし)を制圧して、統治の為に壮大な天孫降臨伝説をでっち上げて、支配階級(渡来部族)は「氏神(氏上)」と成った。今までの日本史は、集団または特定の... [続きを読む]
  • 興福寺(こうふくじ)
  • 興福寺(こうふくじ)は、奈良県奈良市登大路町(のぼりおおじちょう)にある、南都六宗の一つ、法相宗の大本山の寺院である。六百六十九年(天智天皇八年)、藤原鎌足夫人の鏡大王(かがみのおおきみ)が夫・鎌足の病気平癒を願い、鎌足発願の釈迦三尊像を本尊として、山背国(やましろのくに)山階(現京都府京都市山科区)に創建した山階寺(やましなでら)が興福寺(こうふくじ)の起源である。壬申の乱(じんし... [続きを読む]
  • 北条泰時(ほうじょうやすとき)〔一〕
  • 北条泰時(ほうじょうやすとき)は、鎌倉幕府執権・得宗家北条氏の二代・北条義時(ほうじょうよしとき)の長男(庶長子)として、千百八十三年(寿永二年)に誕生した。幼名は金剛と名付けられ、母は義時側室の阿波局で、御所の女房と記されるのみで出自は不明である。泰時(やすとき)が誕生した頃、父の義時は二十一歳で、祖父の北条時政ら北条一族と共に源氏の頭領・源頼朝の挙兵に従い鎌倉入りして三年目の頃の... [続きを読む]
  • 北条泰時(ほうじょうやすとき)〔二〕
  • 【 北条泰時(ほうじょうやすとき)〔一〕】に戻る。千二百二十五年(嘉禄元年)六月に有力幕臣・大江広元が没し、七月には尼将軍・政子が世を去って幕府は続けて大要人を失った。後ろ盾となり、泰時(やすとき)を補佐してくれた政子の死は痛手であったが、同時に政子の干渉という束縛から解放され、泰時(やすとき)は独自の方針で政治家としての力を発揮できるようになる。泰時(やすとき)は難局にあたり、... [続きを読む]
  • 気受け(きうけ)
  • 「気受け(きうけ)」とは、その人物に対して持つ世間に於ける好悪の感情評判の事を指し、この人は「世間の気受けが良い」と言うような用法で用いる。一般的に人間には「良い人と評価されたい」と言う感情が在り、この「気受け(きうけ)」で悪評が広まると恥をかく事に成る。だからこそ庶民から為政者に至るまで、人々は「気受け(きうけ)」を気にするところである。余談だが時の為政者は、この「気受け(き... [続きを読む]
  • 貨幣改鋳(かへいかいちゅう)
  • 貨幣改鋳(かへいかいちゅう)とは、市場(しじょう)に流通している貨幣を回収してそれらを鋳潰し、金や銀の含有率や形を改訂した新たな貨幣を鋳造し、それらを改めて市場に流通させる事である。目的の一つは財政政策で、支出の増加により悪化した財政の補填、大火や地震などの災害復興の為の費用、戦費や隊の維持費などを捻出する為に行われた。改鋳によって貴金属の含有量を減らして以前より貨幣量を増やし、増え... [続きを読む]
  • 敏達大王(びたつおおきみ/天皇)
  • 敏達大王(びたつおおきみ/第三十代天皇)は、欽明大王(きんめいおおきみ/第二十九代天皇)の第二皇子として生まれた。父・欽明大王(きんめいおおきみ)は、継体大王(けいたいおおきみ/第二十六代天皇)の息子であり第十五代・応神大王(おおきみ/天皇)から分かれた傍系の出自であった。このため、先々代の仁賢大王(にんけんおおきみ/第二十四代天皇)の皇女・手白香(たしらか)を皇后に迎え入れ、権力基... [続きを読む]
  • 物部守屋(もののべのもりや)と丁未の乱(ていびのらん)
  • 物部守屋(もののべのもりや)は古墳時代の大連(おおむらじ/有力豪族)物部氏の頭領一族で、物部尾輿(もののべのおこし)の子である。守屋(もりや)の物部氏の名乗りの物部は武器及び軍事物資の事で、物部氏は有力な軍事氏族である。丁未の乱(ていびのらん)は、飛鳥時代に起きた蘇我氏と物部氏の宗教戦争の内乱と言われている。しかしその一方で、信仰に名を借りた権力闘争の悪臭も香って来る。物部... [続きを読む]
  • 廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)
  • 日本史に於ける廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)とは、「廃仏」は仏を廃し(破壊)し、「毀釈」は、釈迦(釈尊)の教えを壊(毀)すという意味である。仏教寺院・仏像・経巻を破毀(はき)し、僧尼など出家者や寺院が受けていた特権を廃する事を指す。古代日本に於いては、日本の初期信仰は神道だった。そこに仏教が伝来し、日本書紀の欽明大王(きんめいおおきみ/第二十九代天皇)・敏達大王(びたつおおきみ/第... [続きを読む]
  • 和気清麻呂(わけのきよまろ)
  • 和気清麻呂(わけのきよまろ)は備前国藤野郡(現在の岡山県和気町)出身で、当初の氏姓は磐梨別公(いわなしわけのきみ)を名乗る。のち藤野真人(ふじののまひと/輔治能)、和気宿禰(わけのすくね)、和気朝臣(わけのあそみ)に改めた。清麻呂(きよまろ)は、磐梨別乎麻呂(いわなしわけおまろ)または平麻呂(たいらまろ)の子として生まれた奈良時代末期から平安時代初期の貴族である。七百六十九年(... [続きを読む]
  • 東大寺(とうだいじ)と大仏殿(だいぶつでん)
  • 東大寺(とうだいじ)は、奈良県奈良市雑司町にある華厳宗大本山の寺院である。東大寺(とうだいじ)は、金光明四天王護国之寺(きんこうみょうしてんのうごこくのてら)ともいい、奈良時代(八世紀頃)に聖武天皇(しょうむてんのう/第四十五代)が国力を尽くして建立した寺である。「奈良の大仏」として知られる盧舎那仏(るしゃなぶつ)を本尊とし、開山(初代別当/住職)は僧正・良弁(ろうべん)である。... [続きを読む]
  • 行基(ぎょうき)・大僧正
  • 行基(ぎょうき/ぎょうぎ)は奈良時代の日本の僧で、六百六十八年河内国大鳥郡、現在の大阪府堺市西区家原寺町)に生まれる。行基(ぎょうき/ぎょうぎ)の生年については六百六十八年説と、異説の六百七十七年説が在る。六百八十二年(天武天皇十一年)に十五歳で出家し、飛鳥寺(官大寺)で法相宗(ほっそうしゅう)などの教学を学び、集団を形成して近畿地方を中心に貧民救済・治水・架橋などの社会事業に活動し... [続きを読む]
  • 鑑真(がんじん/鑑真和上)と唐招提寺(とうしょうだいじ)
  • 鑑真(がんじん)は六百八十八年、唐の国(中国)・揚州江陽県に生まれ、奈良時代の日本に渡来して帰化した僧である。鑑真(がんじん)は七百一年、十四歳で中国仏教の僧・智満について得度し大雲寺に住む後、十八歳で僧・道岸から菩薩戒を受け、二十歳で長安に入る。七百七年、鑑真(がんじん)は中国仏教の僧・弘景について登壇受具し律宗・天台宗を学ぶ。律宗とは、仏教徒、とりわけ僧尼が遵守すべき戒律を伝... [続きを読む]
  • 日蓮(にちれん)と日蓮宗 (法華宗)
  • 鎌倉時代中期、仏教の大宗派となる日蓮宗 (法華宗)が登場する。鎌倉時代の仏教の僧日蓮(にちれん)は、鎌倉仏教の十三宗のひとつ日蓮宗 (法華宗) の宗祖である。幼名を善日麿(ぜんにちまろ)と名付けられた日蓮(にちれん)は、千二百二十二年(貞応元年)二月十六日に安房国長狭郡東条郷片海(現・千葉県鴨川市)の小湊で誕生する。父は現・静岡県袋井市に在する貫名一族出自・三国大夫(貫名次郎/ぬ... [続きを読む]
  • 租庸調(そようちょう)
  • 租庸調(そようちょう)は、日本の律令制下での租税制度である。この租税制度・租庸調(そようちょう)は中国の唐帝国で発祥し、中国及び朝鮮で永く採用されていた。但し唐帝国の律令では、丁(一区画)の人数を基準とした丁租(ちょうそ)であるのに対して、日本の律令では田の面積を基準とした田租(たそ)となっている。この為、日本に於ける租(そ)は律令以前の初穂儀礼に由来するのではないか、とする説も... [続きを読む]