chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
ライター斎藤博之の仕事 https://hsaitoh.jugem.jp/

ルポライター斎藤博之が、祭りや民俗芸能・食文化・温泉文化・地域の社会史・地域づくりについて執筆

青森市在住、フリーランス・ルポライター。  東北や北海道・日本海沿岸各地を主なフィールドとして、祭りや民俗芸能・地域に固有な食文化・街道や海上の道の社会文化史・温泉の文化史・地域のなかの蕎麦やラーメン・地域づくりやNPO活動などについて執筆している。  また、スローフードやエコミュージアム・グリーンツーリズムをテーマとする地域づくりの指導もしている。

斎藤博之
フォロー
住所
青森市
出身
弘前市
ブログ村参加

2008/07/01

arrow_drop_down
  • 民主主義を踏みにじる行為の付けは、汝ら自身に回ってくるであろう

    あまりにもふざけたことがこの国の国会で行なわれているので、ひとこと書いておく。戦争の準備をすることが戦争の抑止にはならないことは、歴史が証明している。歴史を正しく反省するならば、どのような戦争も自分の国を護るという口実で行なわれ、しかし実際

  • 原発の事故による健康被害について〜美味しんぼ 福島の真実

    漫画週刊誌『ビッグコミック スピリッツ』に連載されている「美味しんぼ」の福島県編で、福島県を取材に歩いた主人公の一行に鼻血が出るなどの症状が現れたことを描いた場面について、「事実に反する」だの「風評被害」だのと騒ぎ立てている諸君がいるらし

  • 歴史も伝統も学ばない靖国参拝という行為

    靖国神社は、この国の伝統的な葬送観念や御霊信仰に即して、戦歿者を祀っているわけではない。戦に敗れた者や虐殺された者を祀らないという意味で、靖国神社はこの国の民俗信仰からみれば異質で、特殊近代的な神社だ。一般の庶民が靖国神社を参拝することには

  • 秘密保護法の強行採決を許すな!

    ついに阿部政権は、本性を顕わにした。何を「秘密」と特定するのかを決める同じ行政府のなかにチェック機関をおいて、これで充分だと強行採決を進めようとしている。この政権は、民主主義の「み」の字もわかっていない。民主主義とは、権力を持った機関や人

  • Leica M type 240

    LeicaのボディにZeissのレンズ 仕事用に新しいデジタルカメラを導入しました。 Leica M type 240です。M型Leicaのこの新しいデジタルカメラは、Range Finderを持ちながら、別売のEVF(Electric V

  • わたしにも被曝の症状

    おととしの秋からことしの春にかけて、通算すれば100日を越える長期にわたって断続的に、福島県の取材をしてきました。現在、雑誌に連載されている漫画『美味しんぼ』の「福島県の真実」の案内をするためです。この取材から帰って暫らくすると、鼻血が止ま

  • 義経北行伝説シンポジウムin八戸(その3)

    2013年3月3日に青森県八戸市が主催して行なわれた「義経北行伝説シンポジウムin八戸」のうち、「第1部 トークセッション」の内容を紹介する3回目の記事です。お話いただいたのは、入間田宣夫氏(歴史学)と小松和彦氏(民俗学)で、進行役は斎藤博

  • 義経北行伝説シンポジウムin八戸(その2)

    前回に続き、2013年3月3日に青森県八戸市が主催して行なわれた「義経北行伝説シンポジウムin八戸」のうち、「第1部 トークセッション」の内容を紹介します。お話いただいたのは、入間田宣夫氏(歴史学)と小松和彦氏(民俗学)で、進行役は斎藤博之

  • 義経北行伝説シンポジウムin八戸(その1)

    2013年3月3日、青森県八戸市が主催して行なわれた「義経北行伝説シンポジウムin八戸」の内容を紹介します。第1部:トークセッション 入間田宣夫 氏(歴史学) 小松和彦 氏(民俗学) 進行役:斎藤博之[斎藤] 義経伝説について議論しようとす

  • 義経北行伝説:シンポジウムと企画展in八戸

    来る2013年3月3日、青森県八戸市で「義経北行伝説」についてのシンポジウムを行ないます。日時:2013年3月3日13時〜17時場所:八戸シーガルビューホテル主催:八戸市入場無料法霊神楽 伝説の伝わるおがみ神社の神楽です1.トークセッション

  • 美味しんぼ 福島の真実

    1月28日に発売された『週刊ビッグコミック スピリッツ』の9号(2013年2月11日号)から「美味しんぼ 福島の真実」が始まりました。次号の2回目から、わたしも案内人として登場します。

  • 美味しんぼ 108巻 被災地編

    美味しんぼ 108 (ビッグ コミックス) 美味しんぼ 108 (ビッグ...の他のレビューをみる» 評価: 雁屋 哲,花咲 アキラ

  • 奥大道と平泉(3−5)中尊寺大長寿院の古面

    奥大道を北へ巡る旅の終わりに、もういちど平泉中尊寺に立ち返ってみよう。中尊寺大長寿院には、公開されてはいない7つの古面がある。そのなかには、舞楽に使われたかもしれない面が含まれていた。 能面に較べれば平板ではなく、いくぶん奥行きがあり面に

  • 奥大道と平泉(3−4)櫛引八幡宮の舞楽面

    奥大道は平泉から北へ向かい、鹿角から津軽へ抜けて外ヶ浜へ至る道と、鹿角で別れて三戸から根城へ向かう道があり、この二つの道が青森の堤ヶ浦で合流していたと思われる。この南部糠部の道に、櫛引八幡宮(八戸市)がある。櫛引八幡宮に遺る舞楽面は9枚、

  • 奥大道と平泉(3−3)天台寺の舞楽面

    天台寺は漆で有名な浄法寺(岩手県二戸市)にある寺で、かつて今東光や瀬戸内寂聴が住職を勤めたことで知られている。寺に遺る鰐口に刻まれた年号から、少なくとも14世紀にはすでにあったことがわかる。このような山中になぜ古刹があるのかと言えば、奥大

  • 奥大道と平泉(3−2)岩木山神社の舞楽面

    岩木山麓の百沢(弘前市岩木)にあるこの神社は、神仏分離以前は「百沢寺」と呼ばれていた。もともと中世のころは十腰内の巌鬼山神社の場所にあった。岩木山の北麓にあり、奥大道から日本海へ向かう脇街道に近い。この岩木山神社に、中世の舞楽面が7面遺さ

  • 奥大道と平泉(3−1)大星神社の舞楽面

    それでは、奥大道に伝わる中世の舞楽面を、来たから順に見ていこう。 まずは、青森市の大星神社(妙見堂)の舞楽面である。大星神社は、青森市の荒川のほとりにあって、浪岡から堤ヶ浦に至る街道が、その川沿いを走っている。近世の大豆坂(まめざか)街道

  • 奥大道と平泉(3)舞楽面の来た道

    弥陀の浄土を示す道 「これより西方、十万億の仏土を過ぎて、世界あり。名づけて極楽と言う。その土に仏ありて、阿弥陀と号す」。中尊寺の金色堂は、阿弥陀経に云う「極楽浄土」を、この世に示そうとしたものである。 もういちど、その内陣を見てみよう。扁

  • 奥大道と平泉(2)平泉に通ずる道

    苦しみを抜き、楽を与え遍く皆平等なり清衡以前の道〜長者ヶ原廃寺跡(奥州市衣川)〜 中尊寺にあった多宝寺から北へ、衣川へ降りてきたところに「衣の関」があったと言う。ここから外ヶ浜まで続く道を清衡は整備した。関から河を渡ったところに道路の遺跡が

  • 奥大道と平泉(1)中世都市平泉のコスモロジー

    黄金の国の由来〜奥大道と中尊寺〜 中尊寺へ上る坂は、その登り口がいささか急で、うっすらと汗が滲む。鬱蒼とした杉木立が、坂を覆っている。樹齢は三百年を下らない、江戸時代に仙台藩が植えた老杉だと云う。この坂を「月見坂」と呼ぶ。これが白川の関から

  • 青森県の円空仏(6の1)乳井街道〜浪岡西光院

    浪岡から黒石へ向かう乳井街道をわずかにそれたところに、浄土宗行岳山西光院という寺がある。 決して立派だとはいえない庵だが、門構えにも、境内の古木にも、歴史が感じられる。●西光院の円空仏(観音菩薩坐像) もともと西光院の有力な檀家の仏壇に納

  • 青森県の円空仏(5)羽州街道〜梵珠山元光寺

    ●元光寺の円空仏(観音菩薩坐像) この円空仏は、もともと梵珠山山頂の釈迦堂に安置されていた。この観音像には髻(たぶさ)がない。頭部に改修のあとがあり、面に欠損した部分もある。が、鉈で削られた台座や、細い線で描かれた顔、人びとに触られて黒光り

  • 青森県の円空仏(4の4)松前街道〜三厩義経寺

    三厩にある円空仏については、すでに「義経伝説は、なぜ北を目指したか(4)三厩の義経寺と円空仏」に書いた。ここには、その概略だけを示しておこう。 津軽半島の最も北に開かれた湊・三厩は、松前へ向かう北前船が風を待つ浦だった。松前街道を挟んで厩

  • 青森県の円空仏(4の3)松前街道〜平舘福昌寺

    福昌寺の円空仏(観音菩薩坐像) 外ヶ浜伝いの街道を、さらに北へ。平舘の集落の旧街道は、ところどころに昔ながらのたたずまいの家々を遺す。ひときわ大きな黒松があるので、目をやれば、この奥に神社と寺があった。 白い明神鳥居のこの社は、平舘神社と言

  • 青森県の円空仏(4の2)松前街道〜蓬田正法院

    正法院の円空仏(観音菩薩坐像) 松前街道を北へ。陸奥湾の浜辺に沿った街道を行く。日本海が列島の交通の表玄関だった時代、陸奥湾の湊は外側にあったことから、「外ヶ浜」と呼んでいた。その外ヶ浜伝いの街道に、老松の迫り出した寺がある。正法院。蓬田の

  • 青森県の円空仏(4の1)松前街道〜油川浄満寺

    円空仏は本堂の内陣の左脇に祀られている。黒光りしているのは、つい最近まで自由に触れることが出来たからで、津軽半島の円空仏に共通する特徴である。津軽では、躰に患っているところがあれば、仏像に触ると治ると、広く信じられてきた。 津軽地方の円空

  • 青森県の円空仏(3)辺境へ/辺境から

    蝦夷地の旅 円空は津軽海峡を蝦夷地に渡る。弘前藩に追われて多少足取りを速めたかもしれないが、始めから蝦夷地を目指していたのではないかと思われる節もある。いずれにせよ、およそ一年のあいだ、渡島半島から有珠山にかけてのあたりを旅することになる。

  • 青森県の円空仏(2)遊行する山伏

    寛文6(1666)年、円空は津軽に来た。このとき33歳、仏像を刻み始めて僅かに数年。はじめて遠国を巡る旅に、なぜ北を目指したのかは詳らかでない。 もともと円空は美濃と近江に跨る伊吹山の修験であった。ようするに山伏である。伊吹山では薬師念仏

  • 青森県の円空仏(1) 仏を刻む聖

    江戸時代の初め、円空と云う僧がいた。寛永9(1632)年美濃国(岐阜県)に生まれ、元禄8(1695)年7月15日、長良川の河畔で入寂した。僧といってもいずれの寺にも属さず、衆生を困窮から救うため12万体の仏を刻まんと発願し、遊行の旅に出る

  • 義経伝説は、なぜ北を目指したか(付録)そして蝦夷ヶ島へ

    北海道の義経伝説 義経は死なず蝦夷ヶ島へ渡ったとするならば、当然のごとく北海道にも義経の歩いた伝説が残っていなければならないことになるわけだが、津軽海峡を渡った彼の地にも伝説はあった。全部を拾うことはできないが、地域ごとにその分布を見てみよ

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、斎藤博之さんをフォローしませんか?

ハンドル名
斎藤博之さん
ブログタイトル
ライター斎藤博之の仕事
フォロー
ライター斎藤博之の仕事

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用