「はて?このような時分に御上洛とは。何か急な御政務でも?」義賢の肩越しに、平井定武が問いかけてきた。「三好勢が、またぞろ御所の御静粛を脅かしておるそうな。御屋形様自ら兵を率い、公方様をお助けする所存に
やがて後藤但馬の控えている部屋へ、賢豊がどかどかと入ってきた。平井定武も一緒である。「但馬、待たせてすまぬな。ちょうど弓を引いておったのだ。」後藤但馬は一礼して迎えた。後藤但馬のとっても、もちろん平
物語は六角義秀が書状を読んだ直後へ戻る。「委細承知」の伝言を伝えに、後藤但馬守賢豊は箕作城へと向かっていた。一方その箕作城。義賢は弓の稽古にひと汗流している最中であった。「若、わか。」諸肌脱いで弓勢
琵琶湖。 この頃はまだ鳰海(におのうみ)と呼ばれていたこの湖を見下ろす丘陵に、箕作の城はある。この城は観音寺城を本城とする六角氏の支城のひとつで、六角義賢が住まっている事は先に述べた。 この当時の先
亀寿はよろっと草の上に座り込み、そのまま大の字になった。どんな蒼い顔をしていることかと、吉法師も横に座りのぞき込むと、なんと亀寿の顔は爽快そのものであった。息を切らし、汗を流し、動悸で小刻みに揺れては
しかし亀寿は、吉法師の予想を裏切った。「乗ろう!」亀寿は活達に応えた。しかも対抗心に溢れる顔ではなく、笑顔に溢れている。吉法師は驚きながらも快かった。自分の乗馬の轡をそのまま亀寿の渡し、吉法師は平手政
義久は亀寿を伴い、内裏に参内すべく京へと向かった。義久にとっても六角家にとっても特別な行事ではなく、例年の慣習的行事である。だが今回は少し例年と違う事柄があった。 それは途中で織田家一行が加わり
物語は義秀少年期に時を遡る。 織田信秀からの使者が、ある日六角宗家義久の元に訪れる。 織田家の宿老、平手政秀であった。 平手政秀は義久に手を着き、朝廷参勤の助力を請う旨を嘆願した。 いくら
二話 吉法師 織田家は六角家にとって現在敵国ではない。 それどころか六角宗家には多少なりの縁のある家なのである。 前述した通り、六角家の朝廷に対する公務は宗家(観音寺六角家)が執り行ってき
いま義秀と後藤但馬の前に、今川家よりの書状が置かれている。 両先代他界の後は、何かと宗家を蔑ろにする趣のみゆる、箕作の六角義賢であったが、事ここに極まれリの感有りである。 他家との間に、さも宗家
そうするうちに宗家嫡男である義久が成長し、元服を迎える。 定頼は義久に宗家を継がせ、六角当主の証である近江宰相の位に就かせる。 しかし依然定頼は執政の立場を継続し、実権が義久に移項されることはな
「箕作から、御屋形(義秀)の元に届いたので御座いますな。」 後藤但馬は苦々しく、六角義秀に確認をした。 「ああ。義賢め抜けぬけと、送ってよこしおった。返事も送りましたとな。」言葉のわりには、表
永禄三年(1560年)ー 近江 観音寺城 ー 「憂々しき仕儀成り。」後藤但馬守賢豊は、一枚の書状を前に低く唸った。今朝方はこの近江の空もよく晴れて、竹生島から伊吹山に渡るヒヨドリ達が、忙しそう
夜半、山中を粛々と黒塗りの群れが進んでゆく。兵卒にとって行軍とは戦以上の負担を強いられるもので、見知らぬ土地へ向かう物哀しさと明日の我が命への不安に自然と頭も垂れる。寒さを感じぬ季節なのが、せめてもの
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