ほし さん プロフィール

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ほしさん: 星ヶ嶺、斬られて候
ハンドル名ほし さん
ブログタイトル星ヶ嶺、斬られて候
ブログURLhttps://ameblo.jp/hoshigane
サイト紹介文城、相撲、歴史等の記事を掲載しています。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供29回 / 365日(平均0.6回/週) - 参加 2008/08/05 16:58

ほし さんのブログ記事

  • 幕末維新力士伝(38) 土俵からリングへ!日本人初のプロレスラー
  • 相撲とプロレスの縁は深い。なんといっても戦後、空前のプロレスブームを巻き起こした力道山が関脇まで進んだ大相撲力士であり、その後も多くの力士がマット界へと転身、プロレスの屋台骨を支えました。土俵とリングの違いこそあれいずれも膂力と技量の限りを尽くして裸一貫ぶつかり合う‘スポーツ‘であり、豊登、上田馬之助、ラッシャー木村、キラー・カーン、天龍源一郎、田上明ら角界出身のスター選手も数多く、元横綱である [続きを読む]
  • 城市・カサブランカ(モロッコ王国カサブランカ市)
  • カサブランカは恐らくモロッコで最も著名な都市でせう。映画のタイトルや直接、町とは関係ないものの花(植物)の名前、鳥羽一郎の楽曲名に用いられているからで、その知名度たるや首都のラバト、世界遺産にも登録されている古都のフェズやマラケッシュを断然、凌駕しているといっても過言ではありますまい。実際、人口においても約330万なんなんとするアフリカ有数の大都市であり、100万人前後のフェズやサレ、マラケッシュ、 [続きを読む]
  • 城市・シェフシャウエン(モロッコ王国シェフシャウエン市)
  • 近年、モロッコでも人気の高まっている町にシェフシャウエンがあります。シャウエンとも呼ばれるこの町は山間の小都市といった趣で、モロッコの北端近く、いずれも世界遺産に登録されているフェズからティトゥアンへ向かう途中に位置しています。 私は南のフェズからバスで向かいましたがリフ山脈を越えての移動となり、かなり山中へと分け入ったとの印象。北のティトゥアンへ抜ける際もしばらくは山道であり、下界の喧騒を離れ [続きを読む]
  • 王都・フェズの城壁(モロッコ王国フェズ市)
  • ]] フェズはモロッコの古い王都です。バグダードのアッバース朝に対する反乱からアラビアを追われたムーレイ・イドリス1世がマグレブの地・モロッコで再起を期し誕生したのがイドリス朝であり、子のムーレイ・イドリス2世が808年に建設したのがこのフェズです。以来、消長はあれどモロッコに勃興した諸王朝の首都、あるいは重要な都市であったフェズは、その旧市街(メディナ)が世界遺産に登録されており、ネット上にも多くの [続きを読む]
  • 城市・タンジェ(モロッコ王国タンジェ市)
  • ヨーロッパとアフリカを隔てるジブラルタル海峡―。地中海西の関門であるこの海峡はその広さ概ね40km程度であり、天候に恵まれれば対岸を望見出来る距離です。この狭き海峡を挟んで向かい合うのはスペインとモロッコ。モロッコの北端、セウタ(スペイン領)と共にヨーロッパへ開かれた港町がタンジェであり、スペインのタリファ、アルヘシラス、英領ジブラルタルへのフェリーが発着しています。 ヨーロッパ、アフリカというと [続きを読む]
  • 曽我野陣屋を巡る謎
  • 曽我野陣屋は千葉県千葉市にあった陣屋です。最寄駅はJR内房線の蘇我駅であり、陣屋所在地も中央区の蘇我町。けだし曽我野のソガとは蘇我に同じといふ次第です。 この陣屋が存在した期間は極めて短く、明治3年(1870)、下野の高徳(現在の日光市周辺)から転封となった戸田忠綱によって造営されたものの、翌4年には廃藩置県で廃されたというから1年ほどしか存在しなかった。 戸田家は1万石のち1万3千石。慶応2年(1865)に [続きを読む]
  • 請西陣屋(真武根陣屋・千葉県木更津市)
  • 千葉県木更津市請西(じょうざい)に藩庁を構えた小藩・請西藩―。1万石に過ぎない目立たぬ藩かと思いきや、幕末の藩主・林忠崇の余りに意外な行動により巷間知られる所となっています。 その意外な行動とは藩主自らが脱藩したということ。時は慶応4年(1867)閏4月。世は既に徳川将軍の大政奉還により薩長等を事実上の首班とする明治新政府が樹立せられ、その軍勢が江戸へ向け進軍していましたが、上野寛永寺に自ら謹慎して [続きを読む]
  • 林城(長野県松本市)
  • 近世の城下町として人気が高い松本の市街地から薄川に沿って東へ進むと、前方に標高846m、比高200mほどのひときわ目立つ山塊があります。ここに築かれたのが林城であり、信濃守護の名族・小笠原氏が拠点とするところでした。小笠原氏が守護所として拠点を置いていたのが松本城の前身たる深志城でしたがいかんせん平地の平城。後世の記録によれば長禄3年(1459)に小笠原清宗が築いて井川(松本市)より移ったといい [続きを読む]
  • 現代四股名考(後編)
  • さて、前編で近年とみに本名のままの関取が増えているとやりましたが、実際のところどうなのか、各年代ごとに抽出し、比較してみませう。分類の基準は新入幕の場所とし、カッコ内に各年代の幕内力士の延べ人数と本名力士の延べ人数、及び本名力士の占める比率を示しました。 ◎昭和20〜24年(5/456、.011)岩平(→若葉山)、山口(→神錦)、藤田(→藤田山) ◎昭和25〜29年(12/884、.014)米川(→朝潮、一時、朝汐 [続きを読む]
  • 現代四股名考(前編)
  • さて、今回は大相撲の四股名について。随分前に四股名に関する考察(2008年10月の記事)を行いましたが、すなわち四股名とは自らの名前を隠すと共に郷里の山や川、自然現象、あるいは強そうな名前を付けるもの。これによって神威を借りて地中の゛醜(しこ)゛を払う目的があると考えました。 翻って今日、大相撲の四股名を概覧するに何やら違和感を禁じ得ない。山や海の他、龍(竜)、富士などが人気といったところですが、ひ [続きを読む]
  • 続・春日山問題に思ふこと(後編)
  • 春日山問題を巡るもう一つの懸案―。それは年寄株の問題です。 年寄・春日山の証書引き渡しを巡って横浜地裁が?濵氏に命じた判決は約1億7千万円の支払い。この金額の根拠は年寄・立浪を巡る裁判の前例をそのまま踏襲したものであったが、すでに20年も前の陳腐化した判決例であり、年寄株の不足が顕著であった当時と年寄株が余り気味である現在とでは自ずと状況が異なっている。失礼ながら担当の裁判官諸兄は角界の実情 [続きを読む]
  • 続・春日山問題に思ふこと(前編)
  • 昨年末に弊ブログで取り上げた年寄・春日山を巡る問題について―。その後の事態の進展もあり、改めてこの場にて取り上げたいと思います。 さてこの春日山問題であるが、先代の春日山親方(元春日富士)と現・春日山親方(元濵錦)の間の年寄証書を巡る係争であり、昨年末の時点では現親方は証書を相撲協会に提出しなければ退職するという話になっていました。結果として今年1月の提出期限までに証書の引き渡しには至らず、現親 [続きを読む]
  • 小谷山城(桧原城・福島県耶麻郡北塩原村)
  • いわゆる裏磐梯と称される福島県・北塩原村にある桧原湖の北岸に桧原城とも呼ばれる小谷山城があります。標高954mの山上にある現在の情勢を見るといかにも桧原湖を見下ろす立地のやうに思えるのですが、桧原湖は大正の磐梯山噴火の際に形成された堰止湖であり、本来、城の麓には宿場町でもあった桧原村がありました(現在はそのほとんどが湖底に沈んでいる)。 会津という立地から想像される通り、中世、一帯は芦 [続きを読む]
  • 天神山城(福島県双葉郡楢葉町)
  • さて、前回記事では木戸城を取り上げましたが、同じく楢葉町にあって比較的著名な城に天神山城があります。勿論、楢葉町の中には木戸、天神山城の他にもいくつもの城館址があるのですが、ここ天神山城は整備された公園内(天神岬スポーツ公園)にあり、見学にも不自由がありません。町の中心部北を流れる木戸川の北に展開する丘陵上に位置しており、南を見れば楢葉市街地が一望の下にあり、東には一面の太平洋がまばゆい。そ [続きを読む]
  • 木戸城(楢葉城・福島県双葉郡楢葉町)
  • 木戸城の名は一般的に楢葉城と呼ばれています。中世、楢葉郡を治めた楢葉氏の居城であり、現在の楢葉町に位置することから楢葉城の名称は至極、当然と思えるが、実際、この名称にはいささかの疑義があります。この城の呼び名としては木戸城、楢葉城の他、木戸山田岡館、館の山城などがありますが、一般に言われる所の楢葉城とは実は近年に付けられた名前といってよく、けだし楢葉氏の居城であり、楢葉郡を代表する城館である故と [続きを読む]
  • 優婆ヶ館(福島県南相馬市)
  • 今年のNHKの大河ドラマの主人公は戦国中期に遠州井伊谷を治めた井伊直虎。題名に゛女城主゛と冠する通り、実は女性なのですが、戦国時代を俯瞰すれば九州の立花誾千代などが女城主として知られているし、福島県内では須賀川の二階堂盛義夫人(大乗院)の存在もあり、いくつかの類例を探すことが出来ます。城の世界でいうと各地に比丘尼城というのがあり、来歴が不明の所も多いのですが、名称から推していかにも女城主がいたので [続きを読む]
  • 黒田館(岩手県宮古市)
  • JR及び三陸鉄道の宮古駅の北東、宮古の港を見下ろす位置にある黒森山。ここより南東方に延びる尾根突端の中腹に判官(はんがん)稲荷神社があります。判官とは言わずと知れた源九郎判官義経のことで実は三陸地方は義経が平泉では死なず、北行したといふ伝承が濃密な地域であり、ここ宮古にもその伝承がある訳です。 伝承によれば宮古で義経が潜航していたのは黒森山であり、その後、尾根続きの黒館に移ったとやらで、黒 [続きを読む]
  • 千徳城(岩手県宮古市)
  • 三陸中部有数の港町として知られる宮古市は古来、閉伊郡に属する所でした。閉伊郡はその中枢を閉伊川が流れる一帯であり、中世、その流域を従えたのが郡名を苗字とした閉伊氏でした。 この閉伊氏の流れとして有力なものは2流あり、その嫡宗とされる田鎖氏と有力庶家の千徳氏。両者の勢力は主に宮古湾に向かって東流する閉伊川を境に南北に分かれており、故に南岸一帯に地盤を持った田鎖氏を河南閉伊氏、北岸を地盤と [続きを読む]
  • 久慈城(岩手県久慈市)
  • 八戸からJR八戸線に揺られること約1時間40分―。列車は三陸鉄道北リアス線との接続駅・久慈に到着します。JRと三陸鉄道はそれぞれ駅員を配置している関係上、同じ構内のホームを使用していながら各々が独立した駅舎を持っており、そのいずれにも立食いソバ店が入居したりしている。無論、その一方は駅弁の調製で知る人ぞ知る有名店であり、元々、入手困難と言われていた駅弁は近年、さらにその人気が沸騰 [続きを読む]
  • 平成二十九年
  • 皆様、新年明けましておめでとうございます。旧年中はお立ち寄りいただき誠にありがとうございました。昨今、中々に記事更新の頻度が上がりませんが、少なくとも月に2、3本のペースで更新していきたいと思っておりますのでよろしくお願いします。 かたや鶴竜関の優勝で幕を閉じた大相撲は今年は群雄割拠の様相を呈しそうで、人気も高止まり。今年はいかなる名勝負を繰り広げてくれるか楽しみな所です。 世間の情勢は [続きを読む]
  • 春日山問題に思ふこと
  • 大相撲の春日山親方(元前頭9・濵錦)が師匠の資格なしとして協会より辞任勧告を蒙り、親方の勧告受諾を受けて春日山部屋が閉鎖となったのは10月のことでした。協会の申し状によれば春日山親方が9月場所中、一度も稽古場に姿を見せなかったことから師匠として適格でないと判断したと言ふことですが、無論、その背景に年寄名跡を巡るゴタゴタと年寄証書未提出の問題があることは明らかでせう。現在、この問題を巡っては先代・春 [続きを読む]
  • 徳俵及び土俵を巡る陰陽・五行説(後編)
  • 前編では長々と徳俵に的を絞って記述いたしましたが、後編ではさらに視野を広げ、土俵を巡る陰陽・五行説の故実を紐解いてまいります。 土俵を巡る陰陽・五行説といってまず想起されるのは四本柱の後継である房を巡る故実であり、青竜、朱雀、白虎、玄武の四神や季節等と結びついていることつとに知られている所でせう。さらに土俵開きの際に行司が言上する祭文である方屋開口ではまずもって「天地(あめつち)開け、始まりて [続きを読む]
  • 徳俵及び土俵を巡る陰陽・五行説(前編)
  • さて、ここ3回に渡って韓国の城郭を取り上げてまいりましたが、首都のソウルもかつては城壁に囲まれた都市で、四方その他に門を開いておりました。焼失してしまったものの有名な南大門は南の王都の正門であり、2階の楼閣を門上に上げた堂々たる構えの門。南大門とは通称で正式名は゛崇礼門゛といいます。 ソウルを囲む城壁には東西南北を中心にいくつか門が開かれているのですが、南大門と並んでとりわけ巨大 [続きを読む]
  • 風納土城・夢村土城(大韓民国ソウル特別市)
  • 1988年に開催されたソウル五輪―。その会場の一つとなったのが今日、ソウル市東部にあるオリンピック公園ですが、この敷地内に百済の城址である夢村(モンチョン)土城があります。発掘調査では豊富な遺構、遺物が検出され、年代はおおよそ4世紀から5世紀、その遺物の質からも百済期の重要な遺跡であることが明らかでした。 ところで百済(くだら、ペクチェ)と言えばいわゆる朝鮮半島における三国時代(4C〜7C [続きを読む]
  • 水原華城(大韓民国京畿道水原市)
  • ソウルを離れること南東に40kmの所にある都市・水原(スウォン)。その中心にある水原華城(ファソン)は韓国でも屈指の城壁都市であり、世界文化遺産にも登録されています。なんといっても良好に残る城壁が魅力ですが、1794年築城とその歴史は意外にも新しい。 建造を命じたのは李氏王朝22代の世祖であり、これに先立って父祖の廟所を揚州から水原近郊へと移し、さらには首都を漢陽(ソウル)から水原へと移すことを [続きを読む]