ほし さん プロフィール

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ほしさん: 星ヶ嶺、斬られて候
ハンドル名ほし さん
ブログタイトル星ヶ嶺、斬られて候
ブログURLhttp://ameblo.jp/hoshigane
サイト紹介文城、相撲、歴史等の記事を掲載しています。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供30回 / 365日(平均0.6回/週) - 参加 2008/08/05 16:58

ほし さんのブログ記事

  • 続・春日山問題に思ふこと(前編)
  • 昨年末に弊ブログで取り上げた年寄・春日山を巡る問題について―。その後の事態の進展もあり、改めてこの場にて取り上げたいと思います。 さてこの春日山問題であるが、先代の春日山親方(元春日富士)と現・春日山親方(元濵錦)の間の年寄証書を巡る係争であり、昨年末の時点では現親方は証書を相撲協会に提出しなければ退職するという話になっていました。結果として今年1月の提出期限までに証書の引き渡しには至らず、現親 [続きを読む]
  • 小谷山城(桧原城・福島県耶麻郡北塩原村)
  • いわゆる裏磐梯と称される福島県・北塩原村にある桧原湖の北岸に桧原城とも呼ばれる小谷山城があります。標高954mの山上にある現在の情勢を見るといかにも桧原湖を見下ろす立地のやうに思えるのですが、桧原湖は大正の磐梯山噴火の際に形成された堰止湖であり、本来、城の麓には宿場町でもあった桧原村がありました(現在はそのほとんどが湖底に沈んでいる)。 会津という立地から想像される通り、中世、一帯は芦 [続きを読む]
  • 天神山城(福島県双葉郡楢葉町)
  • さて、前回記事では木戸城を取り上げましたが、同じく楢葉町にあって比較的著名な城に天神山城があります。勿論、楢葉町の中には木戸、天神山城の他にもいくつもの城館址があるのですが、ここ天神山城は整備された公園内(天神岬スポーツ公園)にあり、見学にも不自由がありません。町の中心部北を流れる木戸川の北に展開する丘陵上に位置しており、南を見れば楢葉市街地が一望の下にあり、東には一面の太平洋がまばゆい。そ [続きを読む]
  • 木戸城(楢葉城・福島県双葉郡楢葉町)
  • 木戸城の名は一般的に楢葉城と呼ばれています。中世、楢葉郡を治めた楢葉氏の居城であり、現在の楢葉町に位置することから楢葉城の名称は至極、当然と思えるが、実際、この名称にはいささかの疑義があります。この城の呼び名としては木戸城、楢葉城の他、木戸山田岡館、館の山城などがありますが、一般に言われる所の楢葉城とは実は近年に付けられた名前といってよく、けだし楢葉氏の居城であり、楢葉郡を代表する城館である故と [続きを読む]
  • 優婆ヶ館(福島県南相馬市)
  • 今年のNHKの大河ドラマの主人公は戦国中期に遠州井伊谷を治めた井伊直虎。題名に゛女城主゛と冠する通り、実は女性なのですが、戦国時代を俯瞰すれば九州の立花誾千代などが女城主として知られているし、福島県内では須賀川の二階堂盛義夫人(大乗院)の存在もあり、いくつかの類例を探すことが出来ます。城の世界でいうと各地に比丘尼城というのがあり、来歴が不明の所も多いのですが、名称から推していかにも女城主がいたので [続きを読む]
  • 黒田館(岩手県宮古市)
  • JR及び三陸鉄道の宮古駅の北東、宮古の港を見下ろす位置にある黒森山。ここより南東方に延びる尾根突端の中腹に判官(はんがん)稲荷神社があります。判官とは言わずと知れた源九郎判官義経のことで実は三陸地方は義経が平泉では死なず、北行したといふ伝承が濃密な地域であり、ここ宮古にもその伝承がある訳です。 伝承によれば宮古で義経が潜航していたのは黒森山であり、その後、尾根続きの黒館に移ったとやらで、黒 [続きを読む]
  • 千徳城(岩手県宮古市)
  • 三陸中部有数の港町として知られる宮古市は古来、閉伊郡に属する所でした。閉伊郡はその中枢を閉伊川が流れる一帯であり、中世、その流域を従えたのが郡名を苗字とした閉伊氏でした。 この閉伊氏の流れとして有力なものは2流あり、その嫡宗とされる田鎖氏と有力庶家の千徳氏。両者の勢力は主に宮古湾に向かって東流する閉伊川を境に南北に分かれており、故に南岸一帯に地盤を持った田鎖氏を河南閉伊氏、北岸を地盤と [続きを読む]
  • 久慈城(岩手県久慈市)
  • 八戸からJR八戸線に揺られること約1時間40分―。列車は三陸鉄道北リアス線との接続駅・久慈に到着します。JRと三陸鉄道はそれぞれ駅員を配置している関係上、同じ構内のホームを使用していながら各々が独立した駅舎を持っており、そのいずれにも立食いソバ店が入居したりしている。無論、その一方は駅弁の調製で知る人ぞ知る有名店であり、元々、入手困難と言われていた駅弁は近年、さらにその人気が沸騰 [続きを読む]
  • 平成二十九年
  • 皆様、新年明けましておめでとうございます。旧年中はお立ち寄りいただき誠にありがとうございました。昨今、中々に記事更新の頻度が上がりませんが、少なくとも月に2、3本のペースで更新していきたいと思っておりますのでよろしくお願いします。 かたや鶴竜関の優勝で幕を閉じた大相撲は今年は群雄割拠の様相を呈しそうで、人気も高止まり。今年はいかなる名勝負を繰り広げてくれるか楽しみな所です。 世間の情勢は [続きを読む]
  • 春日山問題に思ふこと
  • 大相撲の春日山親方(元前頭9・濵錦)が師匠の資格なしとして協会より辞任勧告を蒙り、親方の勧告受諾を受けて春日山部屋が閉鎖となったのは10月のことでした。協会の申し状によれば春日山親方が9月場所中、一度も稽古場に姿を見せなかったことから師匠として適格でないと判断したと言ふことですが、無論、その背景に年寄名跡を巡るゴタゴタと年寄証書未提出の問題があることは明らかでせう。現在、この問題を巡っては先代・春 [続きを読む]
  • 徳俵及び土俵を巡る陰陽・五行説(後編)
  • 前編では長々と徳俵に的を絞って記述いたしましたが、後編ではさらに視野を広げ、土俵を巡る陰陽・五行説の故実を紐解いてまいります。 土俵を巡る陰陽・五行説といってまず想起されるのは四本柱の後継である房を巡る故実であり、青竜、朱雀、白虎、玄武の四神や季節等と結びついていることつとに知られている所でせう。さらに土俵開きの際に行司が言上する祭文である方屋開口ではまずもって「天地(あめつち)開け、始まりて [続きを読む]
  • 徳俵及び土俵を巡る陰陽・五行説(前編)
  • さて、ここ3回に渡って韓国の城郭を取り上げてまいりましたが、首都のソウルもかつては城壁に囲まれた都市で、四方その他に門を開いておりました。焼失してしまったものの有名な南大門は南の王都の正門であり、2階の楼閣を門上に上げた堂々たる構えの門。南大門とは通称で正式名は゛崇礼門゛といいます。 ソウルを囲む城壁には東西南北を中心にいくつか門が開かれているのですが、南大門と並んでとりわけ巨大 [続きを読む]
  • 風納土城・夢村土城(大韓民国ソウル特別市)
  • 1988年に開催されたソウル五輪―。その会場の一つとなったのが今日、ソウル市東部にあるオリンピック公園ですが、この敷地内に百済の城址である夢村(モンチョン)土城があります。発掘調査では豊富な遺構、遺物が検出され、年代はおおよそ4世紀から5世紀、その遺物の質からも百済期の重要な遺跡であることが明らかでした。 ところで百済(くだら、ペクチェ)と言えばいわゆる朝鮮半島における三国時代(4C〜7C [続きを読む]
  • 水原華城(大韓民国京畿道水原市)
  • ソウルを離れること南東に40kmの所にある都市・水原(スウォン)。その中心にある水原華城(ファソン)は韓国でも屈指の城壁都市であり、世界文化遺産にも登録されています。なんといっても良好に残る城壁が魅力ですが、1794年築城とその歴史は意外にも新しい。 建造を命じたのは李氏王朝22代の世祖であり、これに先立って父祖の廟所を揚州から水原近郊へと移し、さらには首都を漢陽(ソウル)から水原へと移すことを [続きを読む]
  • 南漢山城(韓国京畿道廣州市他)
  • いきなり話が韓国に飛んで恐縮ですが、今回は韓国の首都・ソウルの南東方にある南漢山(ナマンサン)城を取り上げたいと思います。ソウル市街地からは地下鉄で5号線の山城(サンソン)駅よりバスでアクセス。世界遺産にも指定されている屈指の名所として国内外から多くの人が訪れます。 ソウル南東方の抑えである南漢山城は北方の抑えである北漢山城と並んで首都防衛の要として重視されていました。現在見られる城 [続きを読む]
  • 佐野陣屋(植野陣屋・栃木県佐野市)
  • 佐野陣屋は佐野藩の陣屋であり、江戸後期においては藩主・堀田氏が城主格であった故に公には佐野城と呼ばれていました。 こういってしまうといかにも佐野陣屋は現在の佐野市の中心近くにあったのだろうと思うかもしれませんが、実際、陣屋が置かれたのは市街南方にある植野村であり、植野藩、植野陣屋と称する場合もあるからややこしい。実は江戸初期には在来領主の佐野氏を藩主とする佐野藩が存在し、その居城 [続きを読む]
  • 清水城(興聖寺城・栃木県佐野市)
  • 東武佐野線・吉水駅の北西にある興聖寺を中心とする清水城。ここは本来の佐野惣領家の居館と言われています。 佐野氏は゛俵藤太゛藤原秀郷の末裔で、藤原姓足利氏の一流であり、中世に渡ってかつての佐野庄を含む安蘇郡一帯を治めた有力国人でした。 ここ清水城はその佐野氏の当初期の居館とされるのですが、歴史には不明な点が多い。城は安貞2年(1228)、佐野国綱によって築かれたとされ、さらに一説に岩 [続きを読む]
  • 豊代館(栃木県佐野市)
  • 東武佐野線の終着駅・葛生からさらに北へ3kmほどの所に鉢木という地名があります。鎌倉執権・北条時頼が諸国行脚の折、雪に難儀して近くに住していた佐野源左衛門(常世)の下に一晩の宿を借りたという゛鉢の木伝説゛の舞台であり、ここ豊代館は俗に佐野源左衛門の館跡と言われています。かつての領地を一門などに蚕食され、今や貧しい暮らしを強いられていた源左衛門は宿に困った旅の僧(時頼)を迎え入れると大事にしてい [続きを読む]
  • 白旗城(栃木県大田原市)
  • 現在は大田原市の一部になってしまいましたが、かつての那須郡黒羽町と言えば那須七騎の一・大関氏が治める城下町として知られていました。大関氏は中世以来の一帯の領主であり、以後、明治になるまで大名として黒羽を治めていますが、徳川一門や譜代大名が占める関東にあって外様ながらに旧領地を治め続けた稀有なる存在と言えませう。ちなみに那須一門では他にも大田原藩主・大田原氏や交代寄合の芦野氏、福原氏などが旧領を堅 [続きを読む]
  • 名門部屋への階段(後編)
  • 元横綱・旭富士の安治川親方が伊勢ヶ濱と名跡を変更し、部屋の名称を変えたのは平成19年12月のことです。それ以前の伊勢ヶ濱部屋といえば昭和初年に元関脇・清瀬川が創設し、相撲の神様と謳われた関脇・幡瀬川を輩出、その後も横綱・照國、大関・清國らが育った技能派の名門でしたが、平成19年1月場所後に後継者不在となって閉鎖となり、親方や力士は桐山部屋へ移籍していました。一方、旭富士が師匠であった安治川部屋は宮城野 [続きを読む]
  • 名門部屋への階段(前編)
  • 7月31日、31回の優勝を誇り、国民栄誉賞にも輝いていた大横綱である元千代の富士の九重親方が死去しました。まずは故人のご冥福をお祈りいたします。九重親方の死去に伴い、急遽、部屋を引き継ぐこととなったのが元大関・千代大海の佐ノ山親方。これで九重部屋としては4代目の師匠となります。゛分家独立を許さず゛と言われた出羽海部屋から元横綱・千代の山の九重親方が破門される形で独立したのは昭和42年1月場所後のことで [続きを読む]
  • 平成2年生まれの力士たち(後編)
  • いよいよここから躍進するかと期待された平成2年組の受難は平成24年から始まります。この年、新十両となった慶天海、竜電がいずれもケガのために途中休場して十両を一場所で明け渡すと長期休場に追い込まれ、共に序ノ口にまで陥落する羽目に―。暴れん坊の千代の国も新入幕の平成24年1月場所には三賞受賞が取り沙汰される勢いを示しましたが、一方で強引で荒っぽい取り口故にケガに苦しみ、幕内と十両を一進一退、平成23年7月 [続きを読む]
  • 平成2年生まれの力士たち(前編)
  • 横綱・日馬富士の8度目の優勝で幕を閉じた名古屋場所―。白鵬が崩れこともあり、綱取りに挑む大関・稀勢の里を交えて混戦模様となる中、関脇以下の力士の活躍も目立つ場所となりました。三賞の受賞も殊勲賞に嘉風、敢闘賞が宝富士、貴ノ岩、技能賞が?安と近年では珍しく4人が受賞。各横綱が金星を配給する波乱の展開で、横綱・鶴竜、大関・琴奨菊が途中休場に追い込まれ、カド番の照ノ富士は千秋楽に辛くも勝ち越して虎口を脱 [続きを読む]
  • 七尾城(益田城・島根県益田市)
  • 七尾城といふと石川県七尾市、能登守護家・畠山氏の居城が有名ですが、島根県益田市にある七尾城も知る人ぞ知る存在といっていいでせう。゛七尾゛という地名は尾根が七筋に延びているとことで、そこに築かれた城は広く尾根を取り込んだ雄大な城を想起させる。実際、益田市の七尾城は七筋の尾根にまたがることはなかったが、それでも長大な城域を誇る石見有数の山城です。七尾城を居城とした益田氏は石見の雄族である。氏祖は藤原 [続きを読む]
  • 桜山城(広島県三原市)
  • 全国数ある城の中で三原城ほど駅から近い城はない。駅の隣が城址と言うよりも鉄道駅が城の本丸を占めており、破壊を免れた天守台が亀が首を出すが如く周囲の水堀と共に残されているために、ここへ至るには駅構内を経由せねば立ち入ることが出来なくなっているのです。 三原城天守台に立つと正面に見える屹立した山――ここに桜山城のありました。桜山城の歴史には不明な点が多い。所伝では文応から文永(1260〜75)の頃に山名氏正が [続きを読む]