純野一益(戦国) さん プロフィール

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純野一益(戦国)さん: いいかよく聞け五郎左よ!−もうひとつの信長公記−
ハンドル名純野一益(戦国) さん
ブログタイトルいいかよく聞け五郎左よ!−もうひとつの信長公記−
ブログURLhttp://blog.goo.ne.jp/masunojun1
サイト紹介文「信長公記」と「源平盛衰記」の関連は?信長の忠臣『丹羽五郎左衛門長秀』の活躍は?細川藤孝の動きは?
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供369回 / 365日(平均7.1回/週) - 参加 2008/08/23 17:03

純野一益(戦国) さんのブログ記事

  • 芝山監物(しばやまけんもつ)
  • 芝山監物(しばやまけんもつ)〔現代仮名遣い〕しばやまけんもつ※下線部は信長公記以外の記事によります。源内。この芝山氏は尾張国海東郡芝山の豪族。戦国人名事典では摂津国の武士。はじめ石山本願寺に仕えた。利休七哲の一人。1578年11月安部二右衛門・芝山監物は示し    合わせ、信長の身方となる旨申上し、    昆陽野に陣を取る。のち羽柴秀吉に仕える。1588年後陽成天皇の聚楽第行幸の際は前駆をつとめた。↓ランキ [続きを読む]
  • 柴田勝政(しばたかつまさ)
  • 柴田勝政(しばたかつまさ)〔現代仮名遣い〕しばたかつまさ※下線部は信長公記以外の記事によります。三左衛門尉。佐久間盛次の二男で盛政の弟。武勇に優れ勝家から柴田姓を与えられた。1581年2月越前の柴田勝家・柴田勝豊・柴田    三左衛門尉が京都の信長のもとへ参上    し、珍奇のものを進上しお礼を申上。1581年2月京都の馬揃えで、越前衆として参加。1583年4月賤ヶ岳の戦いの敗戦後は金森長近の元にあったが、のち [続きを読む]
  • 柴田勝豊(しばたかつとよ)
  • 柴田勝豊(しばたかつとよ)〔現代仮名遣い〕しばたかつとよ※下線部は信長公記以外の記事によります。伊賀守。吉田次兵衛の子で母の弟勝家の養子となる。1581年2月越前の柴田勝家・柴田勝豊・柴田    三左衛門尉が京都の信長のもとへ参上    し、珍奇のものを進上しお礼を申上。1581年2月京都の馬揃えで、越前衆として参加。1582年6月清洲会議で柴田勝家が入手した北近江三郡を与えられ長浜に移る。勝家と不和になりそれ [続きを読む]
  • 柴田勝家(しばたかついへ)[5/5]
  • 柴田勝家(しばたかついへ)[5/5]〔現代仮名遣い〕しばたかついえ※下線部は信長公記以外の記事によります。1582年6月の本能寺の変後、越前から戻ろうとしたが、山崎の戦い・明智光秀生害のときまで間に合わなかった。1582年6月の清洲会議では、信忠の遺児三法師(秀信)を推す羽柴秀吉に対し、信長三男信孝を推したが、秀吉に主導権を奪われ北近江三郡を入手したにとどまる。この後信長の妹お市を娶る。秀吉は羽柴秀勝を喪主とし [続きを読む]
  • 柴田勝家(しばたかついへ)[4/5]
  • 柴田勝家(しばたかついへ)[4/5]〔現代仮名遣い〕しばたかついえ1580年11月一向一揆の首領若林長門以下    十九名を調略により討ち取り、頸を    安土に送る。これで5年間にわたる    加賀一向一揆平定をほぼ完成させる。1581年2月越前の柴田勝家・柴田勝豊・柴田    三左衛門尉が京都の信長のもとへ参上    し、珍奇のものを進上しお礼を申上。1581年2月京都の馬揃えで、越前衆として参加。1581年3月安土の [続きを読む]
  • 柴田勝家(しばたかついへ)[3/5]
  • 柴田勝家(しばたかついへ)[3/5]〔現代仮名遣い〕しばたかついえ1575年8月信長越前攻撃の先陣をつとめる。    ついで鳥羽の城を攻撃。1575年9月戦後越前八郡の経営を任される。    「越前国掟条々」を信長から下さ    れる。また不破光治・佐々成政・    前田利家を目付けにつけられる。1577年8月北国攻めの大将をつとめる。この    時羽柴秀吉参戦するも、勝家に反抗    して途中で帰陣。1577年10月賀州 [続きを読む]
  • 信長から細川藤孝への手紙:07織田信長黒印状 天正二年八月三日
  • 【注意事項】1)本記事は、吉川弘文館刊「永青文庫叢書細川家文書中世編」を参照しています。2)現代語訳は純野の“意訳”ですので、訳し間違いがあるかもしれません。3)カッコ内は、現代語に直した場合意味が通じない可能性のある部分に純野が追記した文言です。4)現代の歴史書物と異なる表記がある場合はなるべく原文のままとしました。07織田信長黒印状 天正二年八月三日<本文> 折帋(お手紙)拝見した。河内の三ケ城 [続きを読む]
  • 柴田勝家(しばたかついへ)[2/5]
  • 柴田勝家(しばたかついへ)[2/5][現代仮名遣い]しばたかついえ1572年4月三好義継・松永久秀・松永久通が    畠山昭高に反発し、昭高の臣安見    新七郎の守る交野城に向けて取手を    築いたとき、信長軍として取手を攻撃。1572年7月浅井攻めに参戦し、まずひばり山・    虎御前山を攻め落とす。その後小谷に    向けた先手として布陣。1573年2月石山・今堅田の義昭方を攻撃する為    出陣。1573年4月信 [続きを読む]
  • 柴田勝家(しばたかついへ)[1/5]
  • 柴田勝家(しばたかついへ)[1/5]〔現代仮名遣い〕しばたかついえ※戦国期の主要人物で記事多いため 5回に分けての投稿です。権六・修理亮。1552年3月信秀葬儀の時は、勘十郎信行の    家臣。1553年8月松葉・深田の戦いでは、信長・    信光連合軍の将として活躍。1556年8月信長の御台所入(篠木三郷)の    押領では、勘十郎信行につき信長    に敵対。8月名塚取手の軍の後、    那古野・末盛にこもるも謝罪 [続きを読む]
  • 柴田角内(しばたかくない)
  • 柴田角内(しばたかくない)〔現代仮名遣い〕しばたかくない名は不明。清洲衆。1554年7月武衛公弑逆事件の時、反乱軍側    につき森刑部丞兄弟の頸をとる。1556年4月の斎藤道三対新九郎義竜の戦い    の時は道三の手勢として戦い、義竜    方の長屋甚右衛門を討ち取る。いつ    のまに清洲から美濃に移動した?↓ランキングに参加中。 応援よろしくお願いします!にほんブログ村 [続きを読む]
  • 柴崎孫三(しばさきまござう)
  • 柴崎孫三(しばさきまござう)〔現代仮名遣い〕しばさきまごぞう名は不明。1554年7月柴田権六勝家清洲攻めのときの    信長方あしがる。↓ランキングに参加中。 応援よろしくお願いします!にほんブログ村 [続きを読む]
  • 篠原右京亮長房(しのはらうきゃうのすけながふさ)
  • 篠原右京亮長房(しのはらうきゃうのすけながふさ)〔現代仮名遣い〕しのはらうきょうのすけながふさ※下線部は信長公記以外の記事によります。阿波の衆。三好義賢の臣。阿波国篠原郷の出身。1562年三好義賢とともに畠山高政・根来寺衆徒らと和泉国久米田寺に戦って敗れ、義賢討ち死にの後逃走した。1566年三好三人衆に呼応して足利義栄・細川真之(持隆の遺児)・三好長治(義賢の遺児)を擁して摂津国越水城を攻略し、1568年2月 [続きを読む]
  • 自念(じねん)
  • 自念(じねん)〔現代仮名遣い〕じねん不詳。荒木久左衛門の子息。1579年12月信長の命により伊丹城の荒木一類    は京都で成敗ということになり上洛    させられ、村井貞勝の所の籠に入れら    れる。1579年12月京都市中引き回しの上六条河原で    成敗される。 ※荒木村重は伊丹から尼崎に移り、一類が  伊丹から京へ引きずり出され成敗される。  それでも本人は各地を流浪の上信長死後  は堺に住み秀吉に [続きを読む]
  • 四条隆昌(しでうたかまさ)
  • 四条隆昌(しでうたかまさ)〔現代仮名遣い〕しじょうたかまさ四条少将殿。1576年左少将。1579年11月誠仁親王の二条御新造への移徙    (わたまし)に同行。↓ランキングに参加中。 応援よろしくお願いします!にほんブログ村 [続きを読む]
  • 椎名道之(しいなみちゆき)
  • 椎名道之(しいなみちゆき)〔現代仮名遣い〕しいなみちゆき小四郎。椎名氏は鎌倉以来の名族。1578年9月信長の指示により斎藤新五が越中    に進軍。それを聞いただけで太田保    のつけの城の椎名道之・河田長親は    退散した。1578年10月退散した河田長親・椎名道之は    今泉に篭城。斎藤新五が城下に火を放つ    と、一旦は追い返したが逆に攻撃される。↓ランキングに参加中。 応援よろしくお願 [続きを読む]
  • 三条西実枝(さんでうにしさねき)
  • 三条西実枝(さんでうにしさねき)〔現代仮名遣い〕さんじょうにしさねき※下線部は信長公記以外の記事によります。三条殿・三条大納言殿。実世・実澄。権大納言三条西公条(きんえだ)の子。古今伝授を行なえる家柄。1512年従五位下、1530年正四位上参議、のち権中納言・権大納言・大納言を歴任し、正二位に昇る。この間駿河・伊勢に長期間下向し滞在した。1575年3月信長上洛時、今川氏真を接待する為    の蹴鞠の会に参加。1 [続きを読む]
  • 三条西公明(さんでうにしきんあき)
  • 三条西公明(さんでうにしきんあき)〔現代仮名遣い〕さんじょうにしきんあき※下線部は信長公記以外の記事によります。三条宰相中将殿・三条殿御方宰相中将・三条中納言殿。実枝の子。1562年従五位下・侍従、その後権中納言、権大納言。1575年3月信長上洛時、今川氏真を接待する    為の蹴鞠の会に父と共に参加。1575年7月誠仁親王主催の蹴鞠の会に参加。1579年11月誠仁親王の二条御新造への移徙    (わたまし)に同行。 [続きを読む]
  • 三段崎六郎(さんだがさきろくらう)
  • 三段崎六郎(さんだがさきろくらう)〔現代仮名遣い〕さんだがさきろくろう朝倉方。1573年8月近江から退却しようとして追い討ち    をかけられ、信長方に討ち取られる。↓ランキングに参加中。 応援よろしくお願いします!にほんブログ村 [続きを読む]
  • 佐脇良之(さわきよしゆき)
  • 佐脇良之(さわきよしゆき)〔現代仮名遣い〕さわきよしゆき藤八。前田利家の実弟で、佐脇藤右衛門の養子に入る。1558年7月浮野の合戦で、橋本一巴に鉄炮    で打ち倒された岩倉方の林弥七郎    の頸をとろうとしたが、逆にひじ    から下を切り落とされ、それでも    切りかかり林の頸をとる。1560年5月桶狭間に向かう時の、主従六騎    駈け(織田信長と小姓衆長谷川橋介・    佐脇藤八良之・山口飛騨守 [続きを読む]