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老いてなお青春!(マラソンへの挑戦) https://blog.goo.ne.jp/curtaincall_2007/

青春とは若き肉体の中ではなく若き精神の中にこそある。還暦を過ぎてなお夢と情熱を持ち続けたい。

還暦を過ぎて思いつきのように走り始めたが、今では友や家族との会話がマラソンのことばかりと少々うんざりされている。 走りながら思うことをブログにして、その余韻にひとり浸っている。

カーテンコール
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埼玉県
出身
宮城県
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2008/09/16

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  • 新ブログ「歴史と文化の路を訪ねて」を立ち上げました。

    全国のマラソン大会に参加しながら、開催地の歴史や文化を訪ねて思うことを本ブログ「老いてなお青春」に綴ってきましたが、本州全県走破を機にマラソン大会の出場と本ブログの終結を決断したあとも、歴史探訪の旅は続けてきていますので、新たなブログ「歴史と文化の路を訪ねて」https://blog.goo.ne.jp/rekishibunka2019を立ち上げ、季刊同人誌「まんじ」に投稿していく歴史探訪の記事を掲載していくことにしました。そちらの方にもぜひお立ち寄りいただければと思っています。新ブログには、まずは、郷土宮城の戦国武将伊達政宗に関する本ブログの記事を抜粋加筆して、「私の伊達政宗像を訪ねて」と題して以下の五部構成で掲載していく予定です。その一:伊達政宗のルーツ、念西と朝宗と宗村、福島に伊達氏発祥の地を訪ねてその二...新ブログ「歴史と文化の路を訪ねて」を立ち上げました。

  • 同人誌『まんじ151号』投稿: 「私の伊達政宗像を訪ねて(その3-①)」

    同人誌「まんじ151号」(平成31年2月発行)に、拙ブログ「老いてなお青春」から、伊達政宗に関する記事について、抜粋投稿(5部構成を予定)しましたのでここに掲載します。題:『私の伊達政宗像を訪ねて(その3-①)』【秀吉の小田原陣】天正十七年(一五八九年)十一月二四日、秀吉は小田原北条氏に宣戦布告の朱印状を発した。「北条こと、近年公儀を蔑ろにし、上洛する能はず、殊に関東に於いて、我意に任せ狼藉の条、是非に及ばず、(中略)然處、氏直天道の正理に背き、帝都に対し奸謀を企て、何ぞ天罰を蒙らざらん哉、(中略)氏直首を刎ぬべき事、踵を廻らすべからざる者也」祖先が小田原北条の家臣という菊池寛が、著書『小田原陣』に「実に秀吉一流の大見得である。勅命を奉じて天下を席捲せんとする其の面目が躍如として居る」と書いていたが、秀吉の私的...同人誌『まんじ151号』投稿:「私の伊達政宗像を訪ねて(その3-①)」

  • 同人誌『まんじ150号』投稿: 「私の伊達政宗像を訪ねて(その2)」

    同人誌「まんじ150号」(平成30年11月発行)に、拙ブログ「老いてなお青春」から、伊達政宗に関する記事について、抜粋投稿(5部構成を予定)しましたのでここに掲載します。題:『私の伊達政宗像を訪ねて(その2)』【十七代政宗の誕生】政宗誕生の永禄10年(1567年)は、信長が岐阜城に入り天下布武を宣言、家康が長男信康に信長の長女を迎えて信長の上洛を支援、秀吉が墨俣一夜城を築き斎藤龍興を倒し木下藤吉郎の名を天下に知らしめた年である。政宗は、山形最上氏から米沢伊達輝宗に輿入れした義姫を母に米沢城で生まれた。奇しくも同年に大阪の陣で対決する真田幸村が誕生、後に政宗は落城する大阪城から幸村の子女を託され仙台藩内に匿い育てる因縁を持つ。母方の最上氏は、出羽国最上郡山形に按察使として入部した斯波兼頼を祖とする。兼頼の高祖父家...同人誌『まんじ150号』投稿:「私の伊達政宗像を訪ねて(その2)」

  • 同人誌『まんじ148号』投稿: 「日本四大都市マラソンを走る(名古屋・京都編)」

    同人誌「まんじ148号」(平成30年5月発行)に、拙ブログ「老いてなお青春」から、日本四大都市マラソンを走る<名古屋・京都編>を、抜粋投稿しましたのでここに掲載します。題:『日本四大都市マラソンを走る(名古屋・京都編)』【名古屋シティマラソン2012を走る】【ゆかりの地:名古屋】東日本大震災から丁度1年の2012年3月11日、名古屋市で開かれる「名古屋シティハーフマラソン」にエントリーした。東京2009、大阪2011に続く日本大都市型市民マラソンへの挑戦である。名古屋はまもなく1周忌になる父の故里、昨秋に従兄弟会に招かれ、父の生まれ育った愛知県小原村を訪ねてへぼ飯を賞味、紅葉の中に咲く四季桜を観光してきたが、今回の名古屋マラソンを機に中学時代に出場した全日本吹奏楽コンクールの鶴舞公会堂と当時再建中だった名古屋城...同人誌『まんじ148号』投稿:「日本四大都市マラソンを走る(名古屋・京都編)」

  • 同人誌『まんじ147号』投稿: 「日本四大都市マラソンを走る(東京・大阪編)」

    同人誌「まんじ147号」(平成30年2月発行)に、拙ブログ「老いてなお青春」から、日本四大都市マラソンを走る<東京・大阪編>を、抜粋投稿しましたのでここに掲載します。題:『日本四大都市マラソンを走る(東京・大阪編)』【東京マラソン2009を走る】【大都市型市民マラソン時代の幕開け】本号が発刊される2月、東京マラソン2018が開催される。東京マラソンは2007年に「東京がひとつになる日」をスローガンに第1回が開催され、大都市型市民マラソン時代の幕開けとなった。そして東京都庁を大量の銀の紙吹雪が舞うなか3万のランナーがスタートするシーンや、これまでエリートに限られていた大手町や銀座など都心メインストリートを一般市民ランナーが走るシーンが全国にテレビ放映されて日本中を席巻した。マラソンを始めて2年、一度はあの興奮の中...同人誌『まんじ147号』投稿:「日本四大都市マラソンを走る(東京・大阪編)」

  • 同人誌『まんじ146号』投稿: 「東日本大震災の被災地を走る(その2)」

    同人誌「まんじ146号」(平成29年11月発行)に拙ブログ「老いてなお青春」から、東日本大震災の被災地を走る<未来への道1000キロ縦断リレー>への参加のレポート(第1回~第3回)を、抜粋投稿しましたのでここに掲載します。,題:『東日本大震災の被災地を走る(その2)』【未来への道被災地1000キロ縦断リレー】東日本大震災から2年経った平成25年、被災地沿岸をリレーで走る壮大なイベント『未来(あした)への道1000キロ縦断リレー』が始まった。スポーツのチカラにより継続的な震災復興の機運を醸成して被災地と全国の絆を深めることを目的に、青森から東京まで約1000キロを14日間かけてランニングと自転車でタスキを繋いで走るイベントである。主催は経路の七都県陸上競技協会とスポーツのチカラプロジェクトで構成する実行委員会、東...同人誌『まんじ146号』投稿:「東日本大震災の被災地を走る(その2)」

  • 同人誌『まんじ145号』投稿: 「東日本大震災の被災地を走る(その1)」

    同人誌「まんじ145号」(平成29年8月発行)に拙ブログ「老いてなお青春」から、東日本大震災の日のことと被災地で開催されたマラソン大会への参加のレポートを、抜粋投稿しましたのでここに掲載します。,題:『東日本大震災の被災地を走る(その1)』東日本大震災から六年半、復興未だ道半ばだが、復興支援活動の一環として開催されたマラソンイベントに被災地宮城の出身ランナーとして参加してきた記録を未曽有の大惨事を振り返りながらまとめてみた。【東日本大震災の日(平成23年3月11日)】14時46分、埼玉の自宅でNHKの国会テレビ中継を見ていた。これまで経験したことのない長く大きな揺れに、食器棚の扉を押さえながら居間のシャンデリアが落ちるのではと恐怖にとらわれた。やがてテレビの画面に映し出される車や家屋を呑み込みながら押し寄せてく...同人誌『まんじ145号』投稿:「東日本大震災の被災地を走る(その1)」

  • 同人誌『まんじ144号』投稿: 「初フルマラソンを涙のゴール」

    一昨年末に本マラソンブログを終結したが、会社先輩より同人誌「まんじ」投稿のお誘いがあり、本ブログに書いていた2008年1月の「初フルマラソンを涙のゴール」を一部加筆して投稿しましたので、ここに掲載します。.題:『初フルマラソンを涙のゴール』【フルマラソンへの挑戦】還暦を過ぎて始めたマラソンがちょうど1年になる平成20年1月のメモリアルランを、南房総のフラワーラインを走るフルマラソンに決めた。前年2月に第1回東京マラソンが開催され、「東京がひとつになる日」のコンセプトで、走る感動を日本中に与えた衝撃的な映像に、マラソンを始めた自分もぜひ参加してみたいと、今年の第2回大会に申し込んだが、5倍以上の抽選の壁にその夢は虚しく消えて、走るモチベーションも一気にクールダウンしてしまった。先月の「東京立川クリスマスラン」で走...同人誌『まんじ144号』投稿:「初フルマラソンを涙のゴール」

  • マラソンブログ終結の辞

    平成27年12月の山口県萩城下町マラソンで、本州全県マラソン走破を無事完結した。63才の誕生日に一念発起して走り始め、これまで走ってきた距離が延べ8177キロ、ほぼ日本からアメリカまでの距離であり、参加したマラソン大会も東京・大阪・京都のメジャーなフルマラソンを含め青森から山口まで本州全都府県で開催された77大会、そして走りながら思うことや大会開催地の歴史文化を訪ねたマラソン観光日記を「老いてなお青春(マラソンへの挑戦そして歴史と文化の路を訪ねて)」と銘打ったブログに9年にわたり綴ってきたが、本州全県走破達成を機にそのブログを終結しようと思っている。振り返ると、テニス仲間に触発されてマラソンを始め、文才もないのに親友に煽てられてブログを始め、9年間も続けてこられたマラソンとブログ、これすべて支えてくれた多くの仲...マラソンブログ終結の辞

  • 山口に童謡詩人金子みすゞを訪ねて(萩城下町マラソン大会≪その4≫)

    【帝国海軍最後の戦艦「長門」(12月7日①)】早朝に東萩駅前ホテルをチュックアウト、7時の山陰本線に乗車すると、一両編成の車両は通学生だけ、三角洲の萩市街を挟む松本川と橋本川の外縁を回りながら、遥かに浮かぶ萩城の指月山を望み、明治維新の里との別れを惜しんだ。山口旅行の3日目は、本州の最西端に突き出た山口県の北辺から西辺そして南辺をぐるり周回して、午前に童謡詩人金子みすゞの生まれ育った長門市仙崎を、午後に下関市で高杉晋作の馬関戦争史跡と金子みすゞの終焉地を訪ねて、山口宇部空港から羽田に帰る一日フルコースの強行スケジュールである。朝焼けした雲の下に日本海の海原が広がり、足元に打ち寄せる白波が美しい。入江の漁港と断崖の磯浜が交互に現れて、やがて電車が長門市駅に停まると、賑やかだった高校生たちが一斉に下車して数人だけの...山口に童謡詩人金子みすゞを訪ねて(萩城下町マラソン大会≪その4≫)

  • 山口の萩城下町を駆け巡る(萩城下町マラソン大会≪その3≫)

    【島根県益田市:柿本人麿の終焉地(12月5日③)】山口県萩城下町マラソンの前泊を、会場の萩市から東へ山陰本線で1時間半も離れた島根県益田市にしたのは、萩市内のホテルが全て満室だったためだが、特に益田市を選んだのには理由があった。益田市は、私の崇敬する哲学者梅原猛氏が著書「水底の歌~柿本人麿論~」で万葉歌人柿本人麿の終焉地と断定された場所であり、もし時間が許せば、萩マラソンの観光の際にぜひ訪ねてみたいと思っていたからである。山口に出発する前夜の忘年会で、明日早くに山口宇部に飛んで、その夜は島根県の益田に泊まると話すと、同席した一人が、益田は自分の郷里だ、と言うではないか。益田に決めたのは柿本人麿の終焉地だから、と言うと、どうしてそんなことを知っているの、彼は驚いていた。柿本人麿は万葉歌人として有名だが、実は、分か...山口の萩城下町を駆け巡る(萩城下町マラソン大会≪その3≫)

  • 山口に維新の里を訪ねて(萩城下町マラソン大会≪その2≫)

    【山口・下関市長府に功山寺と高杉晋作を訪ねて(12月5日①)】朝5時半に埼玉自宅を出立、群青の冬空に三日月が美しい。左下に連れ添う一際輝く星は木星だろうか、それともいま惑星探査機あかつきが接近を図っている金星だろうか。底冷えする夜気が心地よく、夜明け前のマラソン旅行出立も、これが最後かと思うと少しセンチになってしまう。やがて白んできた東の空に茜色が広がり、電車の窓に写る街の灯りはまだまばら、昨夜は35年前の会社仲間6人と久方ぶりの忘年会で、酒量を抑えたつもりだったが、まだ酒気が残っているのか、まぶたが重く半ば夢心地、浜松町からのモノレールに眩いばかりの朝日が射し込み、林立する高層ビルとレインボーブリッジの美しい朝の情景に、ようやく目覚めてきた。本州全県走破の最後となる今回の山口県萩城下町マラソン観光は、初日が明...山口に維新の里を訪ねて(萩城下町マラソン大会≪その2≫)

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