四十路 さん プロフィール

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四十路さん: 四十路直前日記?
ハンドル名四十路 さん
ブログタイトル四十路直前日記?
ブログURLhttp://mn98.blog50.fc2.com/
サイト紹介文四十路直前男の、くだらない日記
自由文城跡巡りやドライブがメインです。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供125回 / 365日(平均2.4回/週) - 参加 2008/10/26 01:23

四十路 さんのブログ記事

  • 古尾谷氏と古尾谷庄 (後編)
  •  古尾谷八幡神社に続いては、神社から北西に3キロほどの場所にある善仲寺に行きました。  この善仲寺は、古尾谷八幡を再建した仲氏により、主君であった古尾谷氏の菩提を弔う為に創建しました。  この場所は鎌倉幕府の御家人であった古尾谷氏の居館(後に仲氏の居館)であったとされています。  ので、土塁っぽい土の盛り上がりや…  濠っぽい、水の溜まりが残されています。  もちろん、古尾谷氏と仲氏の墓もあります [続きを読む]
  • 古尾谷氏と古尾谷庄 (前編)
  •  先日は川越市の旧古谷村に行ってきました。 現在の川越線・南古谷駅近辺でしょうか まずは古尾谷八幡神社。 現在では『古谷』は『ふるや』と読みますが、昔は『ふるのや』あるいは『ふるおや』と読んだそうなので、古谷=古尾谷ということでOKかな? この神社は9世紀ごろの創建で、頼朝や領主である古尾谷氏によって保護されました。 その後上杉謙信の小田原攻めの際に焼き討ちにあってしまい、北条氏政の命により、古尾谷 [続きを読む]
  • 美濃・尾張・三河遠征記 (20) 〜名古屋城・その3〜
  •  では、表二之門に戻って本丸に入ります。 以前は立派な櫓門が乗っていたのでしょうね。 先程の石垣を抜けると、数年前に竣工したばかりの本丸御殿があります。 まだ、新築の臭いがしましたよ。 御殿を抜けたら天守です。 現存天守は空襲で焼けてしまったので、鉄筋コンクリート造りですが、近くに来るととても大きいですね。 こんなに大きい建物を、木造復元なんかできるのでしょうか? 内部は資料館のようになっていまし [続きを読む]
  • 美濃・尾張・三河遠征記 (18) 〜名古屋城・その1〜
  •   次の日は朝一で名古屋城に行きました。 正門前駐車場だと9時オープンなので、8:30オープンの二の丸東駐車場に車を入れて、外濠を一周廻ってから9時オープンの名古屋城に入ろうという作戦です。 というわけで、二の丸東門から外濠沿いを反時計回りに歩きます。 北側の濠から天守を望む… 近世城郭の濠の広さは、ハンパない! なんでここだけ水濠が深く入り組んでいるのだろうと思ったら、後にもう一ヶ所入り組んだ場所が [続きを読む]
  • 本庄市で大河ドラマ縁の地
  •  今日は埼玉県本庄市に行ってきましたよ。 まずは本庄城です。 現在の本庄市役所と、その隣の城山稲荷がその跡とされていますが、遺構などは発見できませんでした。  遠景です。 奥に見える建物が本庄市役所で、右に見える川が濠だったのでしょうね。 本庄城は16世紀半ばに本庄氏によって築かれました。 秀吉の小田原攻めの時に小田原城に篭っていた本庄氏が滅びたあと、家康と共に関東に入った小笠原信嶺が本庄城主にな [続きを読む]
  • 美濃・尾張・三河遠征記 (17) 〜東雲寺〜
  •  この日最後の目的地は東雲寺です。 先日紹介した小田井織田氏の開基です。   というわけで、小田井織田氏の織田常寛の墓があります。 そして小田井織田氏出身の津田信之夫妻の墓もあります。 そして織田信長の守役で、信長を諌めるために自刃したとされる、平手政秀の首塚もあるのです。 この日の史跡めぐりはこれで終わり(尾張だけに…)にして、名古屋城近くのホテルにチェックインしたら、夕食にしました。 名古屋メ [続きを読む]
  • 城の日に川越の桜
  •  今日は桜を見に、川越を散策してきましたよ。 出発は、西武新宿線本川越駅です。 まずは中院。 名物の枝垂れ桜はもう花が落ち、駐車場近くの桜が満開でした。 続いては仙波東照宮からのぉ〜 喜多院だワン! 喜多院の桜も満開でしたね。 喜多院からは、浮島神社を抜けて… 社殿が工事中の三芳野神社へ 三芳野神社のとなりは川越城本丸御殿。 昔はその川越城の濠であったとされる新河岸川の誉桜。 ここからは、氷川神社 [続きを読む]
  • 美濃・尾張・三河遠征記 (16) 〜小田井城〜
  •  清洲から次の目的地に向かう途中、カーナビ上の“城跡公園”という文字が気になってしまったので、ちょっと寄ってみました。 今はただの公園になっていますが、14世紀ころ尾張守護代の織田氏(信長の家系とはちょっと違う)によって築かれた小田井城という城だったようです。 代々その織田氏が城主を務めていたようですが、秀吉に追い出された後に廃城になったようです。 遺構は物見櫓が残っていました??[尾張国] ブログ村 [続きを読む]
  • 美濃・尾張・三河遠征記 (15) 〜清洲城〜
  •  続いては清洲城です。 真清田神社からは13キロほどでしたが、やはり車で1時間以上かかってしまいました。  清洲城といえば信長の城として有名ですが、もともとは尾張守護の斯波氏が築いたものをいろいろあって信長が改修しました。 桶狭間の戦いの時もここから出陣しましたね。 信長時代に天守はあったかどうかはわかりませんが、現在の天守は平成元年に建てられた模擬天守です。 新幹線から見えることで有名ですね。  [続きを読む]
  • 美濃・尾張・三河遠征記 (14) 〜真清田神社〜
  •  加納城に続いては、尾張国の一宮・真清田神社へとやってきました。 愛知県一宮市にあります。 加納城からは距離にして15キロほどなのですが、渋滞などで1時間以上もかかってしまいました。 この後は小牧城の予定だったのに諦めてしまいましたよ… まあ、小牧城は『新・日本100名城』に選ばれる確率が大きいので、また訪れる機会もあるでしょう。 次は清洲城です。(清洲ではなくて、小牧に行っておけばよかった…)[ [続きを読む]
  • 美濃・尾張・三河遠征記 (13) 〜加納城と盛徳寺〜
  •  続いては、岐阜城から南に5キロほどの場所にある加納城です。 岐阜城から5キロなのですが、どうしても岐阜市街地を通過しなければならず、渋滞等で車で1時間近くかかってしまいました。  岐阜城が関ヶ原以降に廃城になると、長篠で活躍した奥平信昌がこの地を与えられ、ここ加納城を築城します。 江戸時代はここが岐阜の中心で、廃藩置県後はここに加納県が設置されたのですが、いつしか岐阜県と合併して、中心は移ってし [続きを読む]
  • 美濃・尾張・三河遠征記 (12) 〜崇福寺と道三塚〜
  •   岐阜城の後は崇福寺です。 岐阜城からは西に1.5キロほどの場所にあります。  ここには織田信長と信忠の廟所があるのですが、その前に稲葉一鉄寄進とされる梵鐘。 と、一条家寄進の中門。 そして拝観料を払うと、本堂を拝観できるのですが、そこはちょっとした資料館になっています。 写真は撮れないですが、関ヶ原の戦い時の岐阜城攻防戦で戦死した際、その霊を弔うために岐阜城の床板を天井に貼った『血天井』の写真だ [続きを読む]
  • 美濃・尾張・三河遠征記 (11) 〜岐阜城〜
  •  次の日は、朝一で岐阜城に向かいましt。 上の写真は、全国でよく見る『若き日の信長像』なのですが、オリジナル像ってここなのかな? ※あとで調べたら、この像は長崎県島原出身の北村西望さんの作品だそうな。どうりで信長にはまったく関係無いと思われる島原城内にもこの像があるわけだ。 発掘調査中の信長公居館跡を少し見学したら、早速登りましょう。 登るといってもロープウエイですけどね。 ロープウエイを降りたら [続きを読む]
  • 美濃・尾張・三河遠征記 (10) 〜犬山城〜
  •  可児市の後は、犬山市にやってきました。 もちろんスタンプ目当ての犬山城登城です。 二回目の登城は勝手知ったる道のりで、チケット売り場に到着です。 チケット売り場の先にある、この櫓門という名の『犬山城管理事務所』でスタンプを押すことが出来ます。 そういえば、4月6日の城の日に、新日本100名城が発表になるようですね。 まだ、旧日本100名城は制覇できていませんが、また日本全国を回る口実が出来たということ [続きを読む]
  • 美濃・尾張・三河遠征記 (9) 〜真禅寺〜
  •  光秀ゆかりの地の後は、可児市東部にある真禅寺にやってきました。 っここにも戦国武将の墓があります。 それは鬼武蔵こと森長可の墓です。 看板通りに進むと墓所があるはずなのですが、墓地の造成工事か何かは知りませんが、途中で道が無くなってしまって、墓所を探すのに時間がかかってしまいました。 しかも、あまり手入れされていないなぁ…  森長可という男は、長久手の合戦で討ち死に(鉄砲で眉間を撃たれた)してしま [続きを読む]
  • 美濃・尾張・三河遠征記 (8) 〜天龍寺〜
  •  明智城の後は、麓にある天龍寺です。 もちろん明智氏の墓があります。 普通は本堂の裏とか、山があるのならその中腹とかにあるのですが、明智氏の墓は駐車場にありました。 排気ガスで真っ黒になっちゃいますよね〜 ここには光秀の墓はありませんが… 本堂に『日本一大きな明智光秀の位牌』が安置されているようです。[美濃] ブログ村キーワード [続きを読む]
  • 渡島遠征記(最終回) 〜八戸城〜
  •  最終回は八戸城です。 町の中心部、本八戸駅前にある公園がそれです。 本八戸駅前の高台になっている場所一帯が八戸城だったのですが、いまでは本丸跡が公園になっているだけでした。 初代八戸藩主の南部直房像がある場所はちょっと高くなっていたので、物見櫓でもあったのかもしれませんね。 高台だけあって、眺めはまあまあです。 建物の遺構は門が移築されて残っています。 かなり重厚でしたよ。 あとは自転車を返して [続きを読む]
  • 上州真田の里
  •  今日は川場スキー場に行ってきましたよ。 写真のようにベース付近では穏やかな天気でしたが、上のほうは風が強くてとても寒かったです。 そしてアフタースキーは史跡巡りですね! まずは沼田市街地で真田丸展をやっていたので見てきました。 古文書とかの歴史的資料が展示してあるわけではなく、昨年の大河ドラマに関する展示がほとんどでした。 実際にドラマで使用した小道具も展示してあって、大河ドラマを見た人が楽しめ [続きを読む]
  • 渡島遠征記(26) 〜南宗寺〜
  •  続いては、八戸南部氏の菩提寺南宗寺です。 根城からは東へ3キロほどの住宅街の中にあります。 ちょっと場所がわかりにくいですが、google先生に聞けば一発ですよ(笑) この南宗寺は、初代八戸藩主の南部直房が父である南部利直の菩提を弔うために、1666年に建立しました。   その初代・直房をはじめ歴代の藩主の墓石が並んでいます。 こちらが初代・直房の墓石です。 八戸藩を立藩するまでの過程はなかなか厳しか [続きを読む]
  • 渡島遠征記(25) 〜根城〜
  •  日本100名城第5番、根城(ねじょう)へとやってきました。  この城は南北朝時代に北畠顕家と共にやってきた、南部師行によって築かれました。 師行さんは新田義貞の鎌倉攻めで武功を挙げたというのだから、南朝方ですよね。  南北朝の動乱は難しくてよくわからないですけど、この城は江戸時代初期の廃城まで南部氏の城だったそう。 でも、戦国大名の南部氏はこの師行の子孫ではないようです。  まあ、難しい事は置い [続きを読む]
  • 美濃・尾張・三河遠征記 (7) 〜明智城〜
  •  明智光秀で有名な明智氏の発祥の地は、恵那郡明智町(現・恵那市)とここ可児市の明智城の二つの説があるようです。  私は恵那のほうの明智が発祥だと思っていましたが、こちらにも明智城があるとは最近知りました。  可児市のホームページによると、土岐頼兼がこの地に移り住み明智氏を名乗ったのが最初だそうです。   登ってみると、典型的な中世の山城のようですが、遺構などは発見できませんでした。  眺めは良いよ [続きを読む]
  • 美濃・尾張・三河遠征記 (6) 〜淨音寺〜
  •  美濃金山城の麓には、斎藤道三の養子である斎藤正義の墓がある淨音寺があります。 斎藤正義の事を調べようとインターネットで検索すると、どうしても斎藤和義さんの情報が出てきてしまうのです。 それくらいマイナーな武将なのかなぁ? 斎藤正義は関白近衛家の庶子で、後に斎藤道三の養子になりました。 道三は東濃進出のために美濃金山城に正義を配置しますが、道三の配下・久々利氏に暗殺されてしまいました。 言う事を聞 [続きを読む]
  • 渡島遠征記(24) 〜櫛引八幡宮〜
  •  さて、八戸駅前で自転車を借りで最初に向かったのはここです。 櫛引八幡宮(くしひきはちまんぐう)です。 鎌倉時代にこの地に入部した南部光行が創建したといいます。  当時の建物はありませんが、そのほとんどが江戸時代に建てられたものです。 あ、この拝殿は昭和だった… 本殿は彫刻が素晴らしいですね! そしてこちらは国宝館です。 国宝でもある菊一文字の鎧兜など25点の文化財が展示してあります。 見ごたえ有りで [続きを読む]
  • 渡島遠征記(24) 〜次の目的地へ〜
  •  松前城から約1時間かけて木古内駅にやってきました。 ここでレンタカーを返して新幹線に乗り、大宮へ… と思ったら、八戸で途中下車です。 駅に併設のホテルにチェックインしたら、夕食にしました。 この日は、八戸駅の真ん前にある味まるさんに伺いました。 昔ながらの中華そばが美味しかったです。[八戸情報] ブログ村キーワード [続きを読む]