四十路 さん プロフィール

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四十路さん: 四十路直前日記?
ハンドル名四十路 さん
ブログタイトル四十路直前日記?
ブログURLhttp://mn98.blog50.fc2.com/
サイト紹介文四十路直前男の、くだらない日記
自由文城跡巡りやドライブがメインです。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供115回 / 365日(平均2.2回/週) - 参加 2008/10/26 01:23

四十路 さんのブログ記事

  • 東京で、『おんな城主 直虎』
  •  さて、今日放送された『おんな城主 寿桂尼』最終回、いかがだったでしょうか? 今日死ぬのかと思ったら、そうではなかったですね(笑)  冗談はさておき、先日は江戸東京博物館に行ってきましたよ。 江戸東京博物館には何度も行っているのですが、家康像があるとは知りませんでした。 目当てはこちら、毎年恒例の大河ドラマ展ですね。 さすがに直虎に関する資料は少なかったですが、直政やその他の徳川四天王に関する資料が [続きを読む]
  • 美濃・尾張・三河遠征記 (30) 〜上ノ郷城〜
  •  大樹寺のあとは上ノ郷城です。 蒲郡市の赤日子神社が目印です。 車もそこに停めるのが良いでしょう。 あとは案内に従って歩いていけば、5分ほどで城址に着くことが出来ます。 遺構が残っているとの事だったのですが、どれが遺構なのかはよくわかりませんでした。 これは土塁なのかなぁ…? この上ノ郷城の築城時期は不明ですが、戦国時代には今川氏の家臣・鵜殿氏の居城だったようです。 今川義元が桶狭間で討たれると、 [続きを読む]
  • 美濃・尾張・三河遠征記 (29) 〜大樹寺〜
  •  続いては大樹寺です。 ?川家の菩提寺として有名ですよね。 山門前に立って本堂と反対の方を向くと、むこうの門の奥に岡崎城の天守が見えます。 この大樹寺の本堂から岡崎城天守までのラインを『ビスタライン』といい、高い建物を建てることが禁止されているそうです。  雨が降っていましたが、かろうじてビスタライを望むことが出来て良かったです。 続いて境内です。 こちらは松平清康が建立した重要文化財の多宝塔。  [続きを読む]
  • 雪解けを待って中通り(8) 〜本宮城〜
  •  続いては本宮城です。 本宮駅から北東に1キロほどの場所にある安達太良神社が城跡です。 最初の場所から5分も登れば、主郭と思われる神社の本殿に到着でsきます。 社殿の周りには土塁と思われる遺構が… 駐車場はこちら… 平場遺構かどうかはわかりません。 こちらは帯郭と切岸でしょうね。 この本宮城は畠山氏が15世紀に築いたとされます。 畠山氏が伊達氏に滅ぼされると、城は伊達氏の蘆名氏攻略の拠点の城となりま [続きを読む]
  • 雪解けを待って中通り(7) 〜岩角城〜
  •  続いては岩角寺であります。 ここは古くからある寺院ですが、人取橋の合戦の際に伊達政宗が陣を張ったとされることから『岩角城』としました。 まあでも城というより一時的な陣と言う事だったのでしょうね。 頂上に登るまでにも、城の遺構っぽい場所とかあったのですが、それが本当に遺構なのかは確証が持てません。 寺院を建てる際にできた平場だったりするのでしょう… やっと城っぽい場所がありました。 丹羽長重公遥拝 [続きを読む]
  • 美濃・尾張・三河遠征記 (28) 〜伊賀八幡宮〜
  •  続いては伊賀八幡宮です。 伊賀といっても三重県にあるのではなく、愛知県岡崎市にある徳川家の守護神です。 上の写真の立派な随身門を含め、境内の建物のほとんどが重要文化財だそうですよ。 賽銭箱から拝殿までが遠いのは、珍しいですよね。 おかげでこれも重要文化財の本殿も見ることが出来ませんでした。[三河国] ブログ村キーワード [続きを読む]
  • 美濃・尾張・三河遠征記 (27) 〜大林寺〜
  •  岡崎城の後は、すぐ近くにある大林寺です。 もちろん有名人の墓がりますよ。  “せごどん” こと、西郷頼嗣の墓です。 西郷隆盛とは何の関係もないですが、岡崎城を築いた人です。 先程の頼嗣の子供とされる西郷信貞の墓です。 この大林寺の開基だそうです。 墓所の奥の方には、コンクリートブロックで囲まれた一帯がありますが、こここには松平清康・広忠・波留姫の墓があります。 中に入れないのでこんな写真になって [続きを読む]
  • 雪解けを待って中通り(6) 〜粟ノ巣古戦場〜
  •  続いては粟ノ須古戦場です。 加藤明利の墓がある顕法寺からは、南へ5キロほどの場所にあります。 とても分かりにくい場所にあるので、座標(37.572412, 140.459686)だけ載せておきますね。 粟の須の戦いとは、伊達政宗が畠山義継に拉致られた父・輝宗を、義継諸共に射殺してしまったというあの戦いです。  この戦いは河川敷で行われたというイメージがあったのですが、周囲は田植え前の田んぼでした。 独眼竜政宗の影響 [続きを読む]
  • 雪解けを待って中通り(5) 〜顕法寺〜
  •  続いては顕法寺です。 二本松城からは、東へ二キロほどの場所にあります。 まあ、ここには有名人の墓があるのですよ。 加藤明利とは誰かというと、あの賤ヶ岳七本槍で有名な加藤嘉明の三男です。 父・嘉明の会津移封に従って三春藩主になった後、父の死後二本松藩主になったのですが、明利の死後、その死に疑いがあるとして所領は没収され、加藤家は断絶となってしまいました。 後に旗本として復帰したのですが、これはまさ [続きを読む]
  • 美濃・尾張・三河遠征記 (26) 〜岡崎城〜
  •  美濃・尾張・三河遠征も最終日、残念ながら雨でしたが、まずは岡崎城に向かいました。 いつもは土日は避けるのですが、今回は仕事の都合上、最終日は土曜日になってしまいました。 おかげで岡崎公園ではイベントをやっていて、駐車場を探すのに苦労しましたよ。 でも、イベントをやっているスペース以外では観光客の姿はほとんどなく、じっくりと城跡を見学することが出来ましたよ。 上の写真は平八郎殿です。 こちらは東照 [続きを読む]
  • 美濃・尾張・三河遠征記 (25) 〜刈谷城と夕食〜
  •  沓掛城の後は、愛知県刈谷市にある仮谷城を攻略しました。 場所は仮谷駅の東3キロほどの場所にある『亀城公園』です。 今は本丸を中心とした公園になっていて、遺構らしい遺構は何も残されていません。 上の写真は本丸の三重櫓跡に建てられた十朋亭という集会所。 この池は濠跡なのかなぁ…? とはいっても現在発掘調査を行なっていて、石垣のや門の復元の予定もあるようです。 水野勝成が出た水野氏の城として有名ですよ [続きを読む]
  • 雪解けを待って中通り(4) 〜称念寺〜
  •  二本松城を攻略した後は、二本松駅の観光案内所で100名城のスタンプを押したら、称念寺に行きました。 この寺は12世紀の建立ですが、伊達氏による二本松城攻略時に一度移転しましたが、丹羽氏が二本松城主になるとこの場所に戻ってきたそうです。 この寺は畠山氏の菩提寺だったことから、伊達政宗もこの寺は潰そうと思っていたのかもしれませんね。 というわけで、この称念寺には畠山氏の墓所があります。 桜が満開の良い時 [続きを読む]
  • 雪解けを待って中通り(3) 〜二本松城・後編〜
  •  新城館の後は、搦め手門です。 今は石垣しか残っていません。 続いては最上部にある本丸です。 広い階段を登ると… こんなかんじです。 本丸には櫓台と天守台の石垣が残っており、こちらは西櫓台の石垣です。 本当の空と、安達太良山が見えますね。 そしてこちらが天守台です。 五層の天守が乗るくらいの大きさがありますが、天守は一度も造られなかったそう。 昭和になって、とある宗教団体が天守風の建物を建てたよう [続きを読む]
  • 美濃・尾張・三河遠征記 (24) 〜沓掛城〜
  •  続いては沓掛城です。 この沓掛城は14世紀頃に築かれたとされますが、それよりも今川義元の最後の晩餐の城として有名ですよね。 桶狭間の戦いの前日にこの城に入り、軍議を行った後、翌日に桶狭間に向け出発しています。 この時落馬したなんて話も残っていますが、それで輿に乗っていたのかな?? そんな義元の墓や桶狭間も行く予定だったのですが、時間が無くなってしまって行くことが出来ませんでした。 桶狭間の後はあの [続きを読む]
  • 美濃・尾張・三河遠征記 (23) 〜岩崎城〜
  •  末森城址から東へ30分ほどの岩崎城へとやってきました。 この岩崎城は織田信秀によって築かれたとされます。 尾張と三河との境目の城だったことから、織田氏と松平氏との戦いや、小牧・長久手で戦場になったこともありますが、関ヶ原の戦い以降は廃城になったようです。  最初の写真の南蛮天守風の建物などは偽物ですが、上の写真の隅櫓の礎石は本物です。 こちらの空堀も遺構です。 こちらは城の遺構ではなく古墳です。  [続きを読む]
  • 雪解けを待って中通り(2) 〜二本松城・前編〜
  •  続いては霞ヶ城こと二本松城です。 本丸近くまで車で行けますが、やっぱり麓から登るのがいいですよね。 こんな立派な石垣も見られますし。 入口では少年隊がお出迎え。 再建された箕輪門から登城です。 三の丸への虎口、名前は失念。 三の丸です。 桜の名所として有名なのですが、もう終わりかけでした… 三の丸にある、こちらも名前は失念の滝。 三の丸から少し坂を上ると、二本松城における唯一の現存建築物『洗心亭 [続きを読む]
  • 雪解けを待って中通り(1) 〜大隣寺〜
  •  本年度の史跡めぐりツアー第一弾として、4月下旬に、福島県の二本松に行ってきましたよ。 というわけで、最初に訪れたのは大隣寺です。 東北自動車道二本松インターからも近く、ドライブイン『隊士館』の真向かいなのでわかりやすいでしょう。 この寺の向かいにあるドライブインの名前が『隊士館』なのは、やはりこの寺に二本松少年隊の墓所があるからでしょうね。 後で知ることですが、二本松市はとにもかくにも『少年隊推 [続きを読む]
  • 美濃・尾張・三河遠征記 (22) 〜末森城〜
  •  続いては末森城です。 織田信長の父親の織田信秀の居城として有名ですが、今は城山八幡宮が鎮座しています。 信秀が死んだあとは、信長の弟の信行が城主になります。 信行が謀反を企て、信長に殺された後は城主が不在になり、いつしか廃城になったようです。 早い時期に廃城になり、しかも名古屋市内の大都会にあるわりには… 遺構が残っているのが奇跡ですね。[尾張国] ブログ村キーワード [続きを読む]
  • 美濃・尾張・三河遠征記 (21) 〜熱田神宮〜
  •  名古屋城を後にしたら、熱田神宮です。 織田信長が、桶狭間の戦勝祈願をしたとかしなかったとか… 拝殿は伊勢神宮と同じ造りとか。 三種の神器の一つ『草薙剣』が納められているのは、ここかな? こっちは神楽殿。新しい… 平成21年竣工。 こっちは古い、西楽所。 徳川綱吉の再建だそうな。 そしてこちらが、桶狭間での勝利のお礼として織田信長が奉納した『信長塀』です。 日本三大塀のうちの一つらしいですが、あと二 [続きを読む]
  • 古尾谷氏と古尾谷庄 (後編)
  •  古尾谷八幡神社に続いては、神社から北西に3キロほどの場所にある善仲寺に行きました。  この善仲寺は、古尾谷八幡を再建した仲氏により、主君であった古尾谷氏の菩提を弔う為に創建しました。  この場所は鎌倉幕府の御家人であった古尾谷氏の居館(後に仲氏の居館)であったとされています。  ので、土塁っぽい土の盛り上がりや…  濠っぽい、水の溜まりが残されています。  もちろん、古尾谷氏と仲氏の墓もあります [続きを読む]
  • 古尾谷氏と古尾谷庄 (前編)
  •  先日は川越市の旧古谷村に行ってきました。 現在の川越線・南古谷駅近辺でしょうか まずは古尾谷八幡神社。 現在では『古谷』は『ふるや』と読みますが、昔は『ふるのや』あるいは『ふるおや』と読んだそうなので、古谷=古尾谷ということでOKかな? この神社は9世紀ごろの創建で、頼朝や領主である古尾谷氏によって保護されました。 その後上杉謙信の小田原攻めの際に焼き討ちにあってしまい、北条氏政の命により、古尾谷 [続きを読む]
  • 美濃・尾張・三河遠征記 (20) 〜名古屋城・その3〜
  •  では、表二之門に戻って本丸に入ります。 以前は立派な櫓門が乗っていたのでしょうね。 先程の石垣を抜けると、数年前に竣工したばかりの本丸御殿があります。 まだ、新築の臭いがしましたよ。 御殿を抜けたら天守です。 現存天守は空襲で焼けてしまったので、鉄筋コンクリート造りですが、近くに来るととても大きいですね。 こんなに大きい建物を、木造復元なんかできるのでしょうか? 内部は資料館のようになっていまし [続きを読む]
  • 美濃・尾張・三河遠征記 (18) 〜名古屋城・その1〜
  •   次の日は朝一で名古屋城に行きました。 正門前駐車場だと9時オープンなので、8:30オープンの二の丸東駐車場に車を入れて、外濠を一周廻ってから9時オープンの名古屋城に入ろうという作戦です。 というわけで、二の丸東門から外濠沿いを反時計回りに歩きます。 北側の濠から天守を望む… 近世城郭の濠の広さは、ハンパない! なんでここだけ水濠が深く入り組んでいるのだろうと思ったら、後にもう一ヶ所入り組んだ場所が [続きを読む]
  • 本庄市で大河ドラマ縁の地
  •  今日は埼玉県本庄市に行ってきましたよ。 まずは本庄城です。 現在の本庄市役所と、その隣の城山稲荷がその跡とされていますが、遺構などは発見できませんでした。  遠景です。 奥に見える建物が本庄市役所で、右に見える川が濠だったのでしょうね。 本庄城は16世紀半ばに本庄氏によって築かれました。 秀吉の小田原攻めの時に小田原城に篭っていた本庄氏が滅びたあと、家康と共に関東に入った小笠原信嶺が本庄城主にな [続きを読む]