高田清井 さん プロフィール

  •  
高田清井さん: きなこの城
ハンドル名高田清井 さん
ブログタイトルきなこの城
ブログURLhttps://blogs.yahoo.co.jp/kiyoi08
サイト紹介文主に創作小説を連載しています。 その他音楽(主にクラッシック)など。
自由文眼には歯を(連載中):小説家志望の女子高生麻矢、画家志望で勘当状態の兄雄介。芸術家気質の兄妹の或る復讐の物語。

失われた微笑(連載完結):性同一性障害の前田俊子の悲恋。

直井の肖像(連載完結):過去に悩み、人生を否定する挫折した画家と彼を愛する若き女性。その回帰への道程。

悲しいイブ:年の離れた男女の切ない悲恋を描きます。

音楽:「魔笛」愛の二重唱と映画「愛の嵐」他
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供46回 / 365日(平均0.9回/週) - 参加 2008/11/08 13:16

高田清井 さんのブログ記事

  • 何故私は3年も入院しなければならなかったか・・・愛犬との別れ
  • 私は大嫌いな病院に29歳から32歳まで3年間入院した。何故そんなに長く入院しなければいけなかったか。私の入院で愛犬と離ればなれとなり、その苦しみから一人で家に帰したら自殺しそうだ、と担当医に心配されたからだ。病気は半年で治った。私が子犬の時から7年間育てたフラテ君と言う黒柴は病院のケースワーカーの手により、どこの誰だか分からない人に貰われていった。なぜ、動物病院に預けてくれなかったのか。Aという病 [続きを読む]
  • 他人事とは思えない坂口杏里さん
  • 坂口良子さんの忘れ形見、坂口杏里さん。ホストクラブでの浪費が原因で借金を背負い、セクシー・タレントに偏向したとか。セクシー・タレントと言うと柔らかいが、早い話がAV女優では??彼女は26歳だそうだがkiyoiも見ていて他人事とは思えない。kiyoiが28歳の時母が他界して、kiyoiは孤児となった。あるブログ友が「28歳は18歳ではありません」とkiyoiに言ってくれたが、kiyoiは18歳くらいに頼りなかった。その上精 [続きを読む]
  • 私の望む家庭
  • 私が子供のころ憧れていた家庭は新潟の母の実家だった。伯父、伯母、従兄、従妹の4人家族だった。夜、犬を連れて散歩していると、通りすがりの家家の明かりに憧れを感じた。私は母一人子一人の家庭に育った。しかも父親は自殺していた。母は私が3歳の時父が自殺したと私に説明して育てたが、実際にはそうではなかった。親戚から聞くと父は私が母のおなかの中にいるときに自殺していた。今度生まれてくるとしたら、名家でなくても [続きを読む]
  • ネコの効用
  • 昨日、うちのきなこは、う○こを漏らした。最初トイレの砂の掻き方から大だな、とは分かっていたが、トイレから出て来たようすがおかしい。焦っていて腰を抜かしたような歩き方だった。どうもおかしいと思っていたら、う○こを漏らしていた。きなこは16歳だがボケてはいない。よく見るとお尻から草が飛びだしている。欲しがるのでいつもあげているネコじゃらしの葉っぱだ。それが邪魔してまともな排便ができなかったらしい。みる [続きを読む]
  • 冷やし中華
  • 昨日のお昼ご飯です。kiyoiは眠れなくてギンギンで前にも1度アップしたことがありますが、また冷やし中華をアップします。具材の並べ方が下手ですねえ。でも味は最高でしたよ。辛子をたっぷりつけてよく混ぜていただきます。辛子が鼻にズンっとくるくらい辛いのが好きです。真夜中に何やってるんでしょうね。不眠症の苦しみ、ご理解くださいませ。                        料理の目次へ [続きを読む]
  • ブロッコリー・タルタルソース
  • セブイレの野菜市金曜日に近くのセブンイレブンで野菜市があります。毎週、いそいそと出かけます。大体、11時頃から始まります。このブロッコリー、100円です。キャベツも大根もほうれん草もレタスも100円です。このタルタルソースにはみじん切りにしたゆで卵と玉ねぎが入っています。kiyoiがあまり好きでないのでピクルスは入っていません。でも好評です。大体ブロッコリー1個で3人前くらいできるでしょうか。仙人が2 [続きを読む]
  • 閉鎖病棟の懲りない人々5  Oの父ちゃん
  •  O の父ちゃん足立病院というところには約1年間入院した。自由で開放的でいい病院だった。スタッフの患者への愛情が感じられるような温かい病院だった。私が入院していた間にOの父ちゃんという男性患者と親しくなった。病院には院庭といわれる大きな芝生の庭が合って、そこにはたくさんのテーブルと椅子があり、患者が和んで語りあえる場所となっていた。男女、年齢の差別はない。午前、午後、夕食後、患者はホールや院庭で楽し [続きを読む]
  • 祖父に詫びて 18 終わり
  • 入院2ヶ月後の頃、病院から外出して帰ると、看護師さんから「Sと言う人から電話がありましたよ」と言われました。Sという知り合いは他にもいたから、そっちの方だろうと思っていました。しかし翌日また電話がありました。私が勤務室に呼び出されて電話に出ると仙人の声で「Sだ」と聞こえました。私は驚きました。どうして居場所がわかったんだろう。「昨日電話したんだけど、君、今日は外出しないんだろう?病院にいるんだろう [続きを読む]
  • 祖父に詫びて 17
  • 仙人と知り合って1カ月もたたない頃、私は夜訪ねてくる友人に料理を作っていました。そこに突然仙人が訪ねてきました。何でもない料理だったのに仙人は眼の色を変えて食べたがりました。ブロッコリータルタルソースが3人前あったので、「1人前食べていいよ」と器と箸をわたしました。仙人は食べて「美味しい!」と驚き、その他出ていたほうれん草のおひたしと、ナスのラー油焼きを見て、「これもくれよ」というのでした。私は訝 [続きを読む]
  • 祖父に侘びて 16
  • 母が亡くなってからの7年の間。絶望と孤独と読書に明け暮れる日々でした。結婚する気がなかったので男性と交際することはあっても、結局は遊びでした。ややその遊びが数多かった気もしますが、孤独だった私には単なる気休めのようなものでした。(この7年間は4年間の入院も含みますが、本当にkiyoiはバカでした。いつか「kiyoiの暗黒の7年間」とでも題して、書いてみたいと思います。人間、希望をなくしては駄目ですね。)そん [続きを読む]
  • 祖父に侘びて 15
  • じい様、私が精神病院へ入院したのは26歳の春のことでした。そして母が他界したのは私が28歳の春でした。じい様、あなたが母を迎えに来たのですね。もうこの世での務めはすべて終えたからと。もう私のことは自由にしてあげてくれと。あの2年間は本当に穏やかな日々でした。私は仕事を辞め、精神科の薬によってすごく楽になり…母とフラテ君という柴犬と幸福な時を送りました。あの2年間があったからこそ、母を静かに送りだす [続きを読む]
  • 祖父に侘びて 14
  • 松沢病院ではともかく、赤坂警察署ではちゃんと名前と住所は話した私でした。最初の診察後安定剤を打たれて眠りましたが、次の日眼をさましてみると3畳ほどの鉄格子の入った小さな小部屋で寝ていました。食事を出され、それを食べると、看護婦さんが薬を飲ませに来ました。私は大人しく飲みました。実は私が眠っているうちに、都内で自宅に1番近い足立病院というところに転院していたのです。保護室と呼ばれる小部屋から出ると、 [続きを読む]
  • 祖父に侘びて 13
  • 統合失調症は悪魔の病気です。人間関係をすべて破壊します。自分が15歳から神経症だということは自覚していました。生きることは容易くなく、職場でも人の3倍も4倍も努力しなければなりませんでした。楽しみが何も感じられずただ苦しいことばかりでした。しかし、自分がまさか統合失調症に罹患するとは思ってもいませんでした。身近な人の声がはっきりと聞こえるのです。忘れもしません、1番最初に聞えて来たのはOという友人 [続きを読む]
  • 祖父に侘びて 12
  • さて、その間私の二人のいとこたちはどうしていたかというと、従妹の方は都内の短大を出て就職したばかりということで、葬式の当日まで帰ってきませんでした。もう一人の従兄Hは私と母が実家に帰っても1時間近く姿を見せませんでした。ようやく家の奥から現れた時は、酔っぱらったような調子で「いやぁ〜〜千葉の方々」といって照れて笑いながら出てきました。たぶん私のことが怖かったのでしょう。通夜の時は親戚が2列に向かい [続きを読む]
  • 祖父に詫びての目次
  • 祖父に詫びての目次1. 祖父に詫びて 12. 祖父に詫びて 23. 祖父に詫びて 34. 祖父に詫びて 45. 祖父に詫びて 56. 祖父に詫びて 67. 祖父に詫びて 78. 祖父に詫びて 89. 祖父に詫びて 910.祖父に詫びて 1011.祖父に詫びて 1112.祖父に詫びて 12 [続きを読む]
  • 祖父に侘びて 11
  • あの朝、庭で梅が咲き、水仙も咲いていたあの時、伯父から電話がありました。短いものでした。私が「はい○○です」と出ると「新潟だ」という伯父の声がしました。「はい」私は答えました。「爺が今朝死んで、今日通夜、明日葬式だから帰ってこい」「はい」私はそう答えました。私の返答を心細いと思ったのか伯父は同じことをもう1度繰り返していいました。私はやはり「はい」と答えました。それだけの短い電話のやり取りからでも [続きを読む]
  • 退院記念日
  • 今日、5月28日は1年に及んだ足立病院入院から帰った退院記念日である。私は夕食を作り仙人とともに食べた。メニューは覚えていないがデザートにアメリカン・チェリーを食べたことだけは覚えている。毎年この日アメリカン・チェリーを食べ25年前のあの日を思い出す。二人とも年を取っていたが新婚生活のようなものだった。 [続きを読む]
  • 祖父に侘びて 10
  • 新潟の家族と親戚が「倉庫の2階」と呼んでいた部屋がありました。自宅とは歩いてほんの少しの場所にありましたが、そこは仕事で使う倉庫の上で、細くて急な階段を登っていくと、10畳ほどの和室になっていました。昭和3,40年代なのに、何故か明治と大正の香りのする風流な部屋でした。祖父は伯父の建てた立派な家の1番陽あたりのいいところにちゃんと自分の部屋がありましたが、四六時中その倉庫の2階にいて、隠居生活を楽 [続きを読む]
  • 祖父に侘びて 9
  • 高校1年の16歳の子供が目上の伯父に対して啖呵を切って母の実家に帰らない。それが高校3年間帰らないなら大したことはありませんが、大学に入る年になっても、二十歳になって成人式を迎える年になっても帰らない。これは異常なことでした。伯父は母の経済力を甘く見ていました。私が大学に行く時の、入学金、授業料、そういったものに困って必ず自分を頼って来るだろう…そう思っていたのかもしれません。しかし私は二十歳にな [続きを読む]
  • 祖父に侘びて 8
  • 母と私が祖父へ親展と書いた手紙を送ってから、10日後ほどのことでした。既に11月に入っていました。私が苦痛でしかなくなった登校から帰ると、母が暗い顔をしていました。大体その頃母は人間関係に悩み、私の保護者というよりは、私が守ってやらないとどうしようもない状態でした。私にとってみれば被害者意識というのは非常に下品なものであり、少なくてもある程度プライドを持った者には無関係なもののはずでした。被害妄想 [続きを読む]
  • kiyoi「ピーマンの肉詰め」に失敗するの巻
  • ピーマンは1年中出回っている。しかし大きくて肉厚で存在感のあるピーマンはやはり夏出回るものに限る。そんなわけでうちでは夏にのみ作るピーマン料理は何種類かある。その中でも仙人の好きなのがピーマンの肉詰めである。昨日は朝からピーマンの肉詰めを作る予定で、仙人も楽しみにしていた。夕刻、kiyoiはいそいそと作り始めた。玉ねぎをみじん切りにして炒め冷えるまで待ち…と、その時うちに胡椒が切れていたことに気付いた [続きを読む]
  • 祖父に侘びて 7
  • 思えば高校1年のゴールデンウィークあたりから、私は病気でした。五月病かとも思いますが、TとKという二人の良き友に恵まれていましたから、五月病ではなく、鬱病だったのでしょう。26歳で初めて精神科に病院に入院した時、母が主治医に「どうしてこんなに重くなるまで放っておいたんです?」と叱られたそうですからその時はもう、末期でした。まず眠れませんでした。自分のアイデンテファイがうまくとれませんでした。それよ [続きを読む]
  • 青山二郎氏から宇野千代への手紙(S28.12)
  • 「心掛けの良い女は見掛けも良い。何故そういう風に誰でも言うかという段になると、十人十色ですが、そこで私はこういう風にゆき子を考えます。心掛けの良い女が世間に対してじっと静かに耐えているのは、その場その場の人間関係を愛しているからでもなく、反対に彼女が冷淡だからでもない。まして俺が俺がという自分の根性の方が大事だから我慢しているというのでもありません。心掛けの確かな女には世間が動物園とか植物園とか、 [続きを読む]
  • 祖父に詫びて 6
  • 私が子供として見ていた限りでは伯母は明るくてはきはきしていて裏も表もない人に見えました。しかしばあ様がS市の家に泊りがけで遊びに来ていたころは、母とばあ様の会話は伯母の悪口ばかりでした。母とばあ様は私が眠っていると思っている夜、ほぼ一晩中伯母の悪口雑言の言いどうしでした。あれでは伯母もたまらなかったでしょう。伯母は中学もろくに出ていないような紡績工場の女工さんでした。「福を背負ってきたような女だ」 [続きを読む]