史郎 さん プロフィール

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史郎さん: 伊那の谷から古代が見える!
ハンドル名史郎 さん
ブログタイトル伊那の谷から古代が見える!
ブログURLhttp://utukusinom.exblog.jp/
サイト紹介文古代文字で書かれた 大御食(おおみけ)神社の古記録『美しの社社伝記』の秘密を解明しています。
自由文思兼尊・倭武尊・神代文字「アヒル草文字」の読み方・「壬申の乱」以降の信濃の変遷など、いろんな切り口から地方の古代史を読み解こうと、ぶらり旅に出ました。どこかでお会いしたら、お話をしましょう。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供13回 / 365日(平均0.2回/週) - 参加 2009/02/05 06:58

史郎 さんのブログ記事

  • 過去の記事 …
  • 無病息災願い「やに回し」
  • 「をけら詣り」と「やに回し」『新撰姓氏録』の、諸蕃 帰化人系の氏族 326氏の中に、 八坂造 出自 狛国人 久留 川麻乃 意利佐也 …とある。これを、・八坂造(やさか の みやっこ) は、久留(くる) 川麻乃(せんまえ) 意利佐(おりさ) の 狛(こま) 国人(高句麗人) の出身。と読む。すなわち、・久留(クル) は、中国・江南(長江の南) にあっ... [続きを読む]
  • 日抱宮(ひだきのみや) のこと
  • 日抱宮(ひだきのみや) 白井神社 【岐阜県高山市丹生川町白井】祭神 五十猛大神、お祭 例大祭9月1日とされているが、本来は祭神などない「日抱宮」です。江戸時代に十八ある日抱宮が伊太祁曽神社と改名させられたが、この白井地区の住民は他地区の伊太祁曽神社に合祀されたのを、元の場所に取り返して奉斎した。狛犬は社殿最奥にしまい込んだという。日抱御魂鎮(ひだきのみたましずめ) は... [続きを読む]
  • 地名の三日町は、三日待ち
  • 長野県箕輪町にある「南宮神社(祭神:建御名方命、八坂刀売命)」には、春宮と秋宮がある。建御名方命は秋宮と春宮とを半年ずつ遷座し、それを「御神渡り」といい、毎年の祭事である。初夏に行われる春宮から秋宮への遷座のあと建御名方命(祭神) は、山中に建てられた「御旅所」と呼ばれる「穂屋」に三日間、避暑に行った。現在の穂屋その三日の間、お供の者たちは麓で待機し、その場所を三... [続きを読む]
  • 日本文明の源泉は、ムー
  • 日本には、大陸より以前に文明があった。『山海経』には『東海に…君子国あり、衣冠をつけ剣をおびる。』との記述があり、太古から東の海中に、「スメラミコトの御座す国」があることを知っていた。支那古代の戦国時代から秦朝・漢代(前4世紀 - 3世紀頃)にかけて徐々に付加執筆されて成立した『山海経』(せんがいきょう) は、最古の地理書(地誌)とされるが、その中の 第九  海外東経... [続きを読む]
  • 阿比留草文字で書かれた「大御食神社社伝記」を読む【01】
  • 大御食神社社伝記【01】【 纏向の日代ノ宮に 天下 治ろしめし給ひし、大足彦忍代別ノ天皇の御代、日本武尊 東の蝦夷ら征平和給ひて、美鈴刈る信濃ノ国を御還りましし給ひし時に、この赤須ノ里に至りましぬ。】日本武尊がこの地に来た年は、大足彦忍代別ノ天皇の御代、とだけあり、年数は書いてない。明治十二年内務省達による神社明細帳には「景行天皇四十一年、日本武尊東夷を征和して、帰路を信濃に... [続きを読む]
  • 諏訪の縄文の神々を追放した出雲の武甕槌命の話
  • 悪しき神にされた縄文の神「天津甕星(あまつみかぼし)、亦名 天香香背男」は、黒曜石の守り神!古来、黒曜石は「矢の根石」であり「星糞」と呼ばれた。そして、天津甕星は星の名のつく神だ。すなわち黒曜石を産する人々の神だ。青銅器や鉄などの武器が使われるまで、鏃(やじり) は矢の根石(黒曜石) だった。鉄砲・火薬などの武器を扱う勢力は、昔から今でも、大きな力を持つ。列島には... [続きを読む]
  • 実録 やまと言葉
  • 古代文字で書かれた大御食神社の社伝記には、二千年前のやまと言葉が記されています。【年月の数え方】三夜三日 (みよ みひ)三年   (みとせ)五日   (いつか)五年   (いつとせ)七夜七日 (ななよ ななひ)十一日  (とまり ひとひ)十一年  (とまり ひととせ)十四年  (とまり よとせ)十五日  (とまり いつか)十六日  ... [続きを読む]
  • 三部五鎮の霊宗道の「降霊際」
  • 信濃国阿智村の阿智神社奥宮で、先日「降霊際」が行われました。阿智神社は、思兼尊が神上がった「辞な洞」で、磐座があるところです。さて、先代旧事本紀大成経には「五鎮三部」の神道なるものが説かれています。三部の神道とは、宗源(カンツモト)・斉元(カンツイミ)・霊宗(カンツムネ)の三部五鎮の神道のことをいい、宗源=神道神学と祝詞を意味し、(天児屋根命) 斎元=祭事の要... [続きを読む]
  • 『 古代の祭祀 』
  • 応神天皇39年(308) の記録から、合祀の様子を読む。神社祭祀規定によると、「合祀祭」は「大祭とする」とある。いわゆる重要なお祭りと言うことだが、大御食神社の社伝記に、応神天皇39年(308)、宮簀姫をお迎えしたときの記録が遺されている。 −略−軽島の明宮に坐まし給ひし ホムダワケノミカド(応神天皇) の御代 三十八年(みそじあまりやとせ)  −略−秋 ... [続きを読む]
  • 米栽培は、年 50,000%以上の利回り商品
  • 米(こめ)の力古代から米栽培は、年 50,000%以上の利回り商品だから、現代も農家は農地法を死守する。お米の栽培は種籾を催芽させてから籾すりまで約7ヶ月。 年1回の収穫だから12ヶ月が投資期間とすると、米一粒からとれる数は約500~1000粒だから、単純に言えば表面利回りは、50,000〜100,000%になる。米は自然の恵みではない。 米は血で購った宝である。 だから古代... [続きを読む]
  • 日本の正史(仮説)
  • 1】根源神:天御祖は、天地創造の後も地球に御坐し、スメラミコトを遣われた。この時列島にいた人々は 『原ヤマト族』である。2】時代は流れ、太平洋に今は無きム−大陸があったが、或る時突然沈没し始めた。彼ら『洋族』は故地を離れ、列島や華北平原,さらにその周辺部に拡散した。3】列島に到達したムー直系の『洋族』は、その後南九州の高千穂国の成立に影響を及ぼし、後に高千穂国は、天御中主... [続きを読む]
  • 幻の『吾道之宮』
  • 古代六家「吾道(あち)・物部・忌部・占部・出雲・三輪」の筆頭『吾道家』は、「八意思兼尊(やこころおもいかねのみこと:阿智彦)」を祖とし、天照大神の時代から続いていた。 六世紀、推古天皇の命を受けた聖徳太子と蘇我馬子が著した『先代旧事本紀』の編纂時には、吾道家家蔵の記録を提出した。 文徳斉衡三年(856)、吾道之祝となった千幡彦のあとがなく、十世紀村上天皇の御... [続きを読む]
  • 天地創造
  • ★旧約聖書の 天地創造の話と、『ホツマツタエ』の天地開闢の話が、ほとんど同じだと云う話です。★竹内文献には、現代の素粒子理論などに類似した天地開闢の話は、先日書きました。では、旧約聖書とホツマツタエを見てみましょう。[ 旧約聖書 ] 初めに、神は天地を創造された。 地は混沌であって闇が深淵の面にあり、 神の霊が水の面を動いていた。 神は言われた。「... [続きを読む]
  • 道を求めた中国人と、初めから道があった日本
  • Wikipediaから引用すれば、【 道(Tao)】とは、人や物が通るべきところであり、宇宙自然の普遍的法則や根元的実在、道徳的な規範、美や真実の根元などを広く意味する言葉である、と云う。・老子は、老子道徳経でタオ(道)を説いた。道とは、名付けることのできない(仮に名付けている)ものであり、天地一切を包含する宇宙自然、万物の終始に関わる道を「天道」といい、人間世界に関わる道を「人... [続きを読む]
  • 神功皇后、仲哀天皇、実在の証明書
  • 一ヶ月ほど前、日本経済新聞に神功皇后は実在した? 九州に数多く残る伝承地http://www.nikkei.com/article/DGXMZO86406480S5A500..という記事がありました。神功皇后と仲哀天皇が実在しなかった、という説に対する神社伝承からの反論です。〔Wikipediaからの参考〕神功皇后を天皇(皇后の臨朝)とみなして15代の帝と数え... [続きを読む]
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