殷の創建者は湯(とう)です。これは称号のひとつです。 日本では称号としては湯王、名は天乙として知られていますが、中国では現在では商湯という称号で、姓は子、名…
『三國演義』「第二十一回 曹操煮酒論英雄 關公賺城斬車胄」で、こんな場面が出てきます。曹操が劉備を酒宴に誘ったときの話です。「君は龍がどう変化するか知ってる…
中原のことを中夏、中国のことを華夏あるいは諸夏と表現することがありますが、これは夏王朝を意識したものです。 夏といえば季節のひとつである夏季(陰暦では四月か…
夏王朝は、中国初の世襲王朝とされています。 開祖は禹(う)。姓は姒(じ)で、名は文命。禹は死語に贈られた諡号です。 禹の父は鯀(こん)。『史記』では、鯀は…
堯や舜は本当に聖天子だったのか。 そのように異議を唱える偽古派の意見は多く残されています。 唐代の劉知幾(りゅう・ちき。あざなは子玄)は『史通』でそれまで…
虞舜は名を重華という。父は瞽叟(こそう)といい、瞽叟の父は橋牛(きょうぎゅう)といい、橋牛の父は句望(こうぼう)といい、句望の父は敬康(けいこう)といい、敬…
五帝の三人目は帝堯(ぎょう)です。名は放勲(ほうくん)。帝嚳の子で、嚳が崩じた後に摯が帝となるも不善であったとし、摯が報じた後に放勲が帝となります。 「その…
遥か遠く、長い距離を現わす言葉のひとつに、「萬里」があります。 日本では萬里長城(万里の長城)が有名ですが、詩にも時折用いられています。 唐の白居易(はく・…
日本の江戸時代中期、大阪に懐徳堂と呼ばれる施設がありました。 これは大阪の商人たちによって建てられた学問所で、徳川第八代将軍・徳川吉宗から官許を得たものの、…
帝顓頊(せんぎょく)、高陽は、黄帝の孫で昌意の子である。 物静かであるが深淵で深謀もあり、物事に疎通していて、あらゆる事柄を知っている。人材を養って各地に派…
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