坂の上のヒゲおやじ さん プロフィール

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坂の上のヒゲおやじさん: 坂の上のサインボード
ハンドル名坂の上のヒゲおやじ さん
ブログタイトル坂の上のサインボード
ブログURLhttp://signboard.exblog.jp/
サイト紹介文歴史、大河ドラマ、時事ネタ、野球ネタなどいろいろ。コメント歓迎です。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供217回 / 365日(平均4.2回/週) - 参加 2009/02/08 18:58

坂の上のヒゲおやじ さんのブログ記事

  • 太平記を歩く。 その126 「吉野神宮」 奈良県吉野郡吉野町
  • 桜の名所で有名な奈良県の吉野山にやってきました。といっても、訪れたのは真夏の7月のことで、桜はまったくありまぜん。桜の季節は観光客でいっぱいですからね。 『太平記』における吉野山は、後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)が足利尊氏の擁立する京の北朝に対して南朝を樹立したところとして重要な場所ですが、『太平記』の描く吉野山はそれだけではなく、巻7「吉野城軍の事」、巻18「先帝吉野潜幸の事... [続きを読む]
  • 太平記を歩く。 その123 「尊良親王墓所」 京都市左京区
  • 金ヶ崎城の戦いで自害した尊良親王の墓が、紅葉の名所として知られる京都の禅林寺(永観堂)の近くにあると知り、訪れました。 尊良親王は後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)の皇子で、『太平記』『梅松論』などには「一宮」と記されていることから、後醍醐天皇の数多い皇子のなかで最初に生まれた皇子と考えられています(大塔宮護良親王の方が先という説もあり)。母は権大納言二条為世の娘・為子で、宗良親王... [続きを読む]
  • おんな城主 直虎 第36話「井伊家最後の日」 〜虎松の養子入り〜
  •  三河国の鳳来寺に入っていた虎松(のちの井伊直政)が、生母の再婚先である松下清景の養子となったのは史実です。ただ、どのタイミングで養子となったかは定かではありません。『寛政重修諸家譜』によると、母の再婚とともに虎松も松下家の養子になったと記されていますが、『井伊家伝記』では、井伊家一族が集まって虎松を徳川家康に出仕させる計画を立て、鳳来寺には黙って家康の臣下である松下家の養子になったと伝えま... [続きを読む]
  • 太平記を歩く。 その121 「藤島神社」 福井県福井市
  • 福井県福井市の足羽山にある藤島神社を訪れました。ここの主祭神は新田義貞で、副祭神は弟の脇屋義助、息子の新田義顕・新田義興・新田義宗。「建武中興十五社」の一社で、旧社格は「別格官幣社」でした。 「別格官幣社」とは、国家のために功労のあった人臣を祭神とする神社のことで、明治5年(1872年) に神戸の湊川神社が定められたのに始まり、昭和21年(1946年)に社格が廃止されるまで、日本全国に2... [続きを読む]
  • 太平記を歩く。 その117 「小黒丸城跡」 福井県福井市
  • 日野川の戦いに勝利した新田義貞軍は、越前国府を占領します。『太平記』では、この報が越前国中に伝わると、足利方の73の出城が降伏を申し出たと伝えます。気運に乗った義貞は、越前国を完全掌握するため北上。足利方で越前国守護の斯波高経の籠る小黒丸城を包囲します。 現在、小黒丸城は住宅地と田園のなかに石碑が立つのみで、遺構などは残っていません。 小黒丸城は黒丸城ともいい、足利方の足羽7城のなか... [続きを読む]
  • 太平記を歩く。 その115 「瓜生保戦死の地・墓所」 福井県敦賀市
  • 前稿で紹介した杣山城の城主・瓜生保が戦死したと伝わる地を訪れました。ここは、杣山城跡から20kmほど南下した場所で、すぐ近くに「その110」で紹介した金ヶ崎城跡があります。 戦死の地と伝わる場所には、「贈正四位瓜生判官保公戦死之地」と刻まれた石碑と説明板が。 瓜生保が戦死したのは延元2年/建武4年(1337年)正月12日、金ヶ崎城に籠る新田義貞軍を援護すべく5千の兵を率いて杣山城を出... [続きを読む]
  • 太平記を歩く。 その114 「杣山城跡」 福井県南条郡南越前町
  • 「その110」で紹介した金ヶ崎城跡から直線距離にして20kmほど北西にある杣山城跡を訪れました。ここは、金ヶ崎城の戦いで新田義貞軍に加担した瓜生氏の居城でした。 杣山城は標高492m、比高402mの山頂にあり、登山道は険峻でガッツリ登山系の城跡です。 この日は早朝に神戸を出て、車で2時間半かけて敦賀市に入り、午前中に金ヶ崎城跡をめぐり、午後から約30分かけてここに来ました。結構つかれ... [続きを読む]
  • 太平記を歩く。 その112 「金崎宮」 福井県敦賀市
  • 前稿、前々稿で紹介した金ヶ崎城の麓には、恒良親王と尊良親王を祭神とする金崎宮があります。ここは全国にある「建武中興十五社」のなかの一社で、旧社格は官幣中社です。 神社の歴史はそれほど古くなく、明治23年(1890年)に始まります。 ホームページにあるその由緒によると、敦賀の人々の熱烈なる請願により創立されたとありますが、他の「建武中興十五社」がそうであるように、南朝正統論を国民に浸透... [続きを読む]
  • 太平記を歩く。 その110 「金ヶ崎城跡」 福井県敦賀市
  • 福井県敦賀市にある金ヶ崎城跡までやってきました。これまで関西を中心にめぐってきたため(山陰も行きましたが)、ここはちょっと遠いのでどうしようか迷ったのですが、やはり、『太平記』には福井県は欠かせないと思い至りました。というわけで、しばらく越前国シリーズが続きます。 足利尊氏が京の都を占領し、後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)との講和が始まると、徹底抗戦を主張していた新田義貞は恒良親... [続きを読む]
  • 太平記を歩く。 その109 「東寺」 京都市南区
  • 後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)が比叡山に入ると、京を占拠した足利尊氏は、はじめ男山八幡に陣を布いて比叡山に総攻撃を仕掛け、その後、延元元年/建武3年6月14日に、ここ東寺に布陣しました。東寺は、世界文化遺産に登録されている京都の顔です。 九条通りに面した正門・南大門です。 そして南大門を潜ると、国宝・金堂が正面に見えます。 金堂は1200年以上前からあったとされますが、... [続きを読む]