坂の上のヒゲおやじ さん プロフィール

  •  
坂の上のヒゲおやじさん: 坂の上のサインボード
ハンドル名坂の上のヒゲおやじ さん
ブログタイトル坂の上のサインボード
ブログURLhttp://signboard.exblog.jp/
サイト紹介文歴史、大河ドラマ、時事ネタ、野球ネタなどいろいろ。コメント歓迎です。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供171回 / 365日(平均3.3回/週) - 参加 2009/02/08 18:58

坂の上のヒゲおやじ さんのブログ記事

  • 太平記を歩く。 その42 「勝楽寺城跡」 滋賀県犬上郡甲良町
  • 前稿で紹介した勝楽寺の裏山に、勝楽寺城跡があります。勝楽寺は「婆娑羅大名」の異名で知られた佐々木道誉が、雲海和尚を請じて開山したものと伝わり、道誉の菩提寺となっています。道誉は晩年この地に隠棲し、応安6年(1373年)に78歳で生涯を閉じました。勝楽寺城は、道誉が館と領地を守護するために、応安元年(1368年)に家臣の高筑豊後守に命じて築城したものといわれています。 登山道入口です。この... [続きを読む]
  • おんな城主 直虎 第15話「おんな城主 対 おんな大名」 〜寿桂尼〜
  •  今話のタイトルは「おんな城主 対 おんな大名」。おんな城主とは、いうまでもなく井伊直虎ですが、おんな大名とは、駿河国、遠江国の守護にして戦国大名でもある今川氏のゴットマザー・寿桂尼のこと。この時代の女性というと、大名の正室といえども史料が少なく、その実在性も含めて不明な場合が多いのですが、この寿桂尼に関しては、歴史にその存在をしっかりと残した数少ない女性といえます。  寿桂尼は中御門宣胤... [続きを読む]
  • 太平記を歩く。 その38 「篠村八幡宮(足利高氏旗揚げの地)」 京都府亀岡市
  • 京都府亀岡市にある篠村八幡宮を訪れました。ここは、足利高氏(尊氏)が尊王討幕の旗揚げをした地として知られます。シリーズ38にして、ようやく高氏の登場です。 鎌倉幕府の役人だった足利高氏は、当初は幕府軍として笠置山の戦いや下赤坂城の戦いに従軍していましたが、そのとき、父の足利貞氏の喪中であることを理由に出兵動員を辞退しましたが、幕府はこれを許しませんでした。『太平記』では、このことで高氏は... [続きを読む]
  • おんな城主 直虎 第14話「徳政令の行方」 〜徳政令と逃散〜
  •  今話はそのタイトルどおり、「徳政令」のお話。前話の稿でも述べましたが、「徳政令」とは、債権者・金融業者に対して債権放棄を命じる法令で、簡単にいうと「借金帳消し」の制度です。その始まりは鎌倉時代の元寇の折、御家人の窮状を救うために永仁5年(1297年)に発令された「永仁の徳政令」からとされています。その後、室町時代から戦国時代にかけて、土一揆などの鎮静にたびたび徳政令を発布しています。  ... [続きを読む]
  • 太平記を歩く。 その37 「滝山城跡」 神戸市中央区
  • 「その8」で紹介した布引の滝の西側にある滝山城に来ました。場所は、JR山陽新幹線・新神戸駅の裏山です。 滝山城の築城年代は定かではありませんが、京都東福寺の良覚が記した『正慶乱離志』によると、摩耶山合戦から1ヶ月余りあとの元弘3年(1333年)4月、赤松則村(円心)の陣として、ここ滝山城が使われたと記されています。 城跡への登山道は2とおりありますが、この日は先に「布引の滝」を訪れた... [続きを読む]
  • 太平記を歩く。 その35 「山王神社」 神戸市北区
  • 専念寺から南西に300mほどのところにある「山王神社」を訪れました。 ここは何の予備知識もなく、専念寺を訪れたついでに、同じ集落で目に入ったので立ち寄ってみたのですが、偶然にも、ここも赤松則村(円心)・則祐父子ゆかりの神社だったようです。 拝殿です。 拝殿横に設置された説明板です。「建武動乱の折り、戦勝を祈願して円心・則祐が金幣などを奉納した」とありますね。でも、前稿の専念寺と同じ... [続きを読む]
  • 太平記を歩く。 その34 「唐櫃城跡(専念寺)」 神戸市北区
  • 神戸市北区の有馬温泉の近くにある「専念寺」というお寺の地が、かつて唐櫃城があったとされる場所で、赤松則村(円心)が一時滞在していたといわれているそうで、訪れました。 専念寺は、「その33」で紹介した五社八幡神社から直線距離にして約2km南にあり、摩耶山城からは六甲山脈を超えた北側になります(神戸では、六甲山北側のことを「裏六甲」といいます)。 現地説明板によると、円心が滞在していたの... [続きを読む]
  • 太平記を歩く。 その33 「五社八幡神社」 神戸市北区
  • 神戸市北区にある「五社八幡神社」を訪れました。元弘3年(1333年)2月の「摩耶山合戦」の際、摩耶山城を本拠とした赤松則村(円心)は、北方の備えとしてこの背山に支城を築き、荒廃した社殿を再建して戦勝を祈願したと伝えられます。 その甲斐あって赤松軍は幕府六波羅軍に大勝し、倒幕の勢いにのります。鎌倉幕府の瓦解は、遠く離れた神戸のまちから始まっていました。 時代は下って戦国時代、三木城主別... [続きを読む]
  • 太平記を歩く。 その32 「五鬼城展望公園」 神戸市灘区
  • 摩耶山の麓にある、「五鬼城展望公園」を訪れました。かつてここは摩耶山城の砦のひとつだったと考えられています。摩耶山の登山口に位置し、「摩耶山合戦」に関わっていないはずはないと思い、シリーズに加えました。 「五鬼城展望公園」へのルートは、摩耶山登山道と同じです。 五鬼城の名称の由来は、昔この地を支配していた豪族・五鬼氏からきたものだそうです。以下、説明板より引用。 五鬼城之由来 昔... [続きを読む]
  • 太平記を歩く。 その31 「六甲八幡神社」 神戸市灘区
  • 阪急六甲駅のすぐ南にある森が、六甲八幡神社です。 『太平記』によると、元弘3年(1333年)2月の「摩耶山合戦」において、摩耶山城に籠る赤松則村(円心)に対し、幕府六波羅の軍勢が「八幡林よりぞ寄たりける」とあるのですが、その「八幡林」が、ここ八幡神社の森と考えられています。 いまは街なかにありながらも、境内は広い森となっています。このあたりの住所は現在も八幡町といい、たぶん、当時... [続きを読む]
  • 太平記を歩く。 その29 「摩耶山城跡」 神戸市北区
  • 神戸市に横たわる六甲山脈のなかで、六甲山の次に標高の高い摩耶山上に、かつて摩耶山城がありました。ここは、元弘3年(1333年)に播磨国の守護大名、赤松則村(円心)によって築かれた城です。 城跡には徒歩でも登れますが、登山に慣れないわたしは摩耶ケーブルで登ります。 摩耶ケーブルの終点「虹の駅」のある一帯が東の曲輪群だそうです。虹の駅からの眺望。神戸港から大阪湾が一望できます。空気が... [続きを読む]
  • 太平記を歩く。 その28 「陶器城跡」 大阪府南河内郡河南町
  • 大阪府堺市にある陶器城跡を訪れました。ここは現在、「東陶器公園」という児童公園になっています。 公園奥にフォンスに囲まれた森のような一角があります。ここに案内板が設置され、高さ2mほどの土塁跡が保存されています。 フェンス越しの写真じゃわかりづらいですね。直に見ると、結構立派な土塁です。 案内板です。その説明によると、陶器城は鎌倉時代の終わり頃、北条氏の家臣・陶器左衛門尉の居城だ... [続きを読む]
  • 太平記を歩く。 その26 「平石城跡」 大阪府南河内郡河南町
  • 前稿で紹介した持尾城跡から直線距離にして1.5kmほど北上したところに、平石城があります。平石と書いて「ひらいわ」と読みます。ここも、楠木家ゆかりの城跡です。 写真中央に見える小高い山の頂きに城跡があります。稲穂がきれいですね。 集落のいたるところに案内板が設置されていますので、迷うことはありません。 民家の間を抜けて入山します。 山頂に近づくにつれ、土塁跡や堀切跡などの遺構... [続きを読む]