坂の上のヒゲおやじ さん プロフィール

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坂の上のヒゲおやじさん: 坂の上のサインボード
ハンドル名坂の上のヒゲおやじ さん
ブログタイトル坂の上のサインボード
ブログURLhttp://signboard.exblog.jp/
サイト紹介文歴史、大河ドラマ、時事ネタ、野球ネタなどいろいろ。コメント歓迎です。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供195回 / 365日(平均3.7回/週) - 参加 2009/02/08 18:58

坂の上のヒゲおやじ さんのブログ記事

  • 太平記を歩く。 その94 「楠木正成墓所(湊川神社内)」 神戸市中央区
  • 前稿、前々稿で紹介した湊川神社の境内には楠木正成の墓所があります。 墓所の入口門です。墓所です。 この正成の墓は、正成の死から350年以上経った元禄5年(1692年)に、水戸黄門の呼び名で知られる徳川光圀によって建てられたものです。 墓碑に刻まれた「嗚呼忠臣楠子之墓」の文字は、光圀公の揮毫だそうです。裏面には明の遺臣・朱舜水の作った賛文が刻まれているそうです。この墓碑建立の... [続きを読む]
  • 太平記を歩く。 その93 「楠木正成戦歿地」 神戸市中央区
  • 前稿で紹介した湊川神社の本殿の裏に、何やら特別な場所といった感じの一角があります。近寄ってみると、「楠木正成公戦歿地」と刻まれています。 延元元年/建武3年(1336年)5月25日に起きた「湊川の戦い」で、足利尊氏の弟・足利直義軍と戦った楠木正成は、激戦の末、弟の楠木正季と共に自刃して果てますが、ここがその場所だったということでしょう。 「戦歿地」は玉垣に囲われていて、門が閉ざされて... [続きを読む]
  • 太平記を歩く。 その92 「湊川神社」 神戸市中央区
  • 前稿で紹介した湊川公園から直線距離にして800mほど東にある湊川神社を訪れました。ここは「湊川の戦い」で討死した楠木正成を祀る神社で、境内には正成の墓所があります。 湊川神社の創建は比較的新しく、明治元年(1868年)、明治天皇(第122代天皇)が正成の忠義を後世に伝えるために神社の創建を命じ、明治5年(1873年)に創建されました。 全国にある「建武中興十五社」の一社でもあり、「別... [続きを読む]
  • 太平記を歩く。 その91 「湊川公園」 神戸市兵庫区
  • 前稿の「楠木正成本陣跡」から直線距離にして約1km弱東にある湊川公園です。この辺りは、延元元年/建武3年(1336年)5月25日に起きた「湊川の戦い」で、楠木正成軍と足利尊氏の弟・足利直義を司令官とする陸軍が激突した場所です。 公園内には、巨大な楠木正成の騎馬像が建てられています。600回目の正成の命日に当たる昭和10年(1935年)5月25日、神戸新聞社の音頭で、楠正成公600年祭に市... [続きを読む]
  • 太平記を歩く。 その90 「楠木正成本陣跡」 神戸市兵庫区
  • 神戸市兵庫区の山の手にある会下山公園を訪れました。ここは、湊川の戦いにおいて楠木正成が陣を布いたといわれるところです。 『太平記』には楠木正成軍が陣を置いた地について、「湊川の西の宿にひかえて、陸地の敵に相向う」と記されており、『梅松論』には「湊川の後ろの山より里まで」とあります。それらの条件を満たす場所といえば、高台になっているこの場所なんですね。現在は、見晴らしのいい公園になっており... [続きを読む]
  • 太平記を歩く。 その89 「松尾稲荷神社」 神戸市兵庫区
  • 神戸市兵庫区にある松尾稲荷神社という小さな神社も、『太平記』にかかわりがあると聞いて訪れました。 現在は「松福さん」とよばれるアメリカ渡来の福神ビリケンが社殿の中の奥に祀られていることで知られています。 その社伝によると、かつては湊川の堤防上に鎮座していたといい、延元元年/建武3年(1336年)5月25日に足利尊氏軍と激突した「湊川の戦い」に臨む楠木正成が、堤防上に聳える松の大樹を目... [続きを読む]
  • おんな城主 直虎 第28話「死の帳面」 〜おんな大名 寿桂尼〜
  •  寿桂尼、最後の政治でしたね。武田信玄の息子・武田義信が幽閉先の東光寺で自害(病死とも)したのが永禄10年(1567年)10月19日。その翌月には義信の正室・嶺松院(実名は不明)がその娘とともに今川に送還されているので、ドラマはこの1ヵ月前後の政治を描いています。寿桂尼が没するのは翌年の3月14日。死の4〜5ヵ月前ということになりますね。そんな寿命が尽きる寸前のばあさんが、甲斐へ相模へと奔走... [続きを読む]
  • 太平記を歩く。 その85 「瓦林城跡」 兵庫県西宮市
  • 兵庫県西宮市にある日野神社を訪れました。ここは、かつて瓦林城があったとされる場所です。 白旗城で新田義貞の進軍を阻止した赤松則村(円心)でしたが、赤松軍は播磨だけでなく、摂津にも防衛線を張っていました。そのなかの拠点のひとつが、ここ瓦林城だったとされます。湊川の戦い時には、円心の家臣・貴志五郎四郎義氏がこの城を守っていました。 「貴志義氏軍忠申書」という史料によると、湊川の戦いでは、... [続きを読む]
  • 太平記を歩く。 その84 「鏑射山城跡」 神戸市北区
  • 舞台を東に移して、神戸市北区にある獨鈷山鏑射寺を訪れました。ここ獨鈷山鏑射寺とその裏山に、かつて鏑射山城があったとされています。 赤松則村(円心)の家臣・貴志庄の貴志五郎四郎義氏は、建武3年(1336年)3月26日に円心の子・赤松範資に属して湊川の戦いでは南朝軍と戦い、やがてここ鏑射山城に籠城。翌月2日よりこの地で合戦したといいます。この戦火により鏑射寺の建物はすべて焼け落ちたそうです。... [続きを読む]
  • 太平記を歩く。 その83 「三石城跡」 岡山県備前市
  • 岡山県備前市にある三石城跡を訪れました。ここは「その10」で紹介した船坂峠から西へ1kmほどの場所にある標高297mの山城で、備前国の東の玄関口を守る城でした。 『太平記』によると、元弘3年(1333年)に三石保地頭の伊東大和二郎が、後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)の挙兵に呼応して築いたと伝わる城で、建武3年(1336年)に赤松則村(円心)が白旗城にて新田義貞を50日間足止めにす... [続きを読む]
  • 太平記を歩く。 その82 「大嶋城跡」 兵庫県相生市
  • 「その72」で紹介した白旗城から南東7kmほど下った相生湾の入江にある大嶋城跡を訪れました。ここも、赤松則村(円心)に関係する城です。 写真に写るおわん型の山が、大嶋城跡と伝わる大島山です。かつて大島山は蝦江(相生湾)に浮かぶ離れ島だったそうで、長治元年(1104年)、播磨国の海老名家季がここに城郭を築いたのがはじまりといわれています。海老名氏は、代々矢野荘別名の下司職、矢野荘例名の地頭... [続きを読む]
  • 太平記を歩く。 その81 「感状山城跡」 兵庫県相生市
  • 「その72」で紹介した白旗城から東へ7kmほどの場所にある感状山城跡を訪れました。ここは、建武3年(1336年)に赤松則村(円心)が白旗城にて新田義貞軍を50日間足止めにする戦いを演じた際、円心の三男・赤松則祐が、父に呼応してこの城に籠城し、白旗城を援護したと伝わる城です。 もとはこの城は瓜生城と呼ばれ、鎌倉時代に瓜生左衛門尉によって創築されたと伝えられますが、「白旗山合戦」の戦功により... [続きを読む]
  • 太平記を歩く。 その80 「高田城跡」 兵庫県赤穂郡上郡町
  • 「その72」で紹介した白旗城から直線距離にして南へ約5km、駒山城から東へ約5km、苔縄城から南東に6kmほどのところに、高田城跡があります。写真中央にそびえる標高359mの山頂が、高田城だったとされています。 時系列から少し逆戻りしますが、ここは元弘3年(1333年)に苔縄城にて赤松則村(円心)が幕府打倒の兵を挙げたとき、東進する赤松軍によって攻め落とされたと伝えられます。 『太平... [続きを読む]
  • 太平記を歩く。 その78 「松雲寺」 兵庫県赤穂郡上郡町
  • 前稿で紹介した五社八幡神社のすぐ西隣にある「松雲寺」を訪れました。ここは、元は白旗城の麓にあった栖雲寺(参照:その72)を継承する寺院として、江戸時代に創建されたと伝わります。 元の栖雲寺は、赤松則村(円心)の次男・赤松貞範が建立したといわれ、禅宗寺院でしたが、この地に移って松雲寺と名を改めたとき、真言宗に改宗したそうです。 貞範は『太平記』の中で、勇猛果敢な戦いぶりや情け深く敵と交... [続きを読む]
  • 太平記を歩く。 その75 「駒山城跡」 兵庫県赤穂郡上郡町
  • 「その73」で紹介した苔縄城跡の南に見えていた駒山城跡を訪れました。駒山城跡は、苔縄城跡とされる愛宕山から2.5kmほど南下した場所にある標高263メートルの生駒山頂上にあります。 登山道は2コースあるようでしたが、この日は、距離はあるものの比較的緩やかな南側からの登城コースを選びました。 登山口には、説明版と案内板が設置されています。 たしかに登山道は整備されていて藪をかき分け... [続きを読む]