釣山 史 さん プロフィール

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釣山 史さん: 歴旅・温泉、そしてチョッと釣り
ハンドル名釣山 史 さん
ブログタイトル歴旅・温泉、そしてチョッと釣り
ブログURLhttp://hokkaidonobunka.sapolog.com/
サイト紹介文オホーツクを中心とした文化と歴史のサイト〜子ども達へ伝えたい郷土の歴史語り
自由文ガイドブックにも載らない北海道の歴史・紀行、地域文化と温泉・旅のサイト。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供29回 / 365日(平均0.6回/週) - 参加 2009/03/01 02:16

釣山 史 さんのブログ記事

  • 青函連絡船概史
  • 青函連絡船概史 青函の定期航路は、文久元年8月に青森の滝屋が箱館定飛脚問屋の取次を始めたのに始まる。江戸と箱館を結ぶ定飛脚が2と7の日の月6度を往復した。維新後は、旧幕軍の軍艦咸臨丸が、開拓使付属船となって青函航路の輸送に当り、他に幕府から引き継がれた船に薩摩藩から献上された洋式軍艦昌平丸がある。開拓使は、汽船14隻、帆船15隻を保有し、明治6年には、スクーナー型の木造船弘明丸が、函館〜青森、函館 [続きを読む]
  • 海の日は明治丸の歴史
  • 函館港に停泊中の景?明治丸?は政府が英国に発注し、明治8年に横浜へ回航した灯台船。豪華なサロンを備える鋼船で、灯台業務だけではなく、御召船や外交などの重要用務にも使われた。明治9年の奥羽・北海道御巡幸の帰路、函館を発した明治丸は無事、7月20日に横浜へ安着し、これを記念したのが「海の記念日(海の日)」である。第413号 海の日は明治丸の歴史      [続きを読む]
  • マルキ号製パンの跡
  • 東洋一のマルキ号パン、パン王・水谷政次郎が作り上げた遠軽町丸瀬布のマルキ通りと水谷町。パン王・水谷政次郎の発願による遠軽町丸瀬布の弘政寺と四国八十八カ所。水谷橋。海軍と関係が深かったマルキ号製パンの小麦農場があった紋別市沼の上の水谷集落。近くは水陸飛行場予定地だった、らしい・・・。第411号 マルキ号製パンの跡       [続きを読む]
  • 知床三堂例大祭
  • 知床三堂祭 6月25日に斜里町の知床三堂祭に参加した。法隆寺の大野管長、京都仏教会の有馬理事長ほか、お歴々を拝顔し、有りがたい読経と説法にあずかった。地元を愛する佐野博さんと故・立松和平さんとの友情に始まった三堂祭、日本の伝統文化に基いた地域づくり、地方発信の典型例である。豪雨、超低温のなか、四百名は超える参加があった。7/17に日経系TVで放映される。 北海道文化遺産活用活性化実行委員会聖徳太子講調査 [続きを読む]
  • 住友鴻之舞鉱業所100周年
  • 住友鴻之舞鉱業所100周年 〜紋別のゴールドラッシュ 1/3 『鴻之舞』は、アイヌ語の(ク・オマ・イ=仕掛け弓がある処)に将来の発展を祈念し、(鳥王コウノトリが舞うが如し)と、発見者らによって名付けられた。本年は、大正六年に住友鴻之舞鉱業所が開所して百周年にあたり、紋別市ではさまざまなイベントが予定されている。さて、ここでは鉱業所の開所までの前史について述べる。○鴻之舞の出願競争 さて、大正六年に買山し、 [続きを読む]
  • 住友鴻之舞鉱業所100周年
  • 住友鴻之舞鉱業所100周年 〜紋別のゴールドラッシュ 2/3 ○紋別のゴールドラッシュ 枝幸に始まった東洋のクロンダイクは、紋別の八十士や鴻之舞、沼の上と相次ぐ金鉱の発見へ繋がった。八十士砂金鉱/枝幸砂金を採り尽くして四散した山師のひとりが、手で掬えるだけの砂金に出くわしたのは、明治三八年の師走で、尾行までした出願採鉱の争いでは、紋別組と山形組(山形勇三郎)が鋭く対立、これに湧別組が加わった。この騒動で [続きを読む]
  • 住友鴻之舞鉱業所100周年
  • 住友鴻之舞鉱業所100周年 〜紋別のゴールドラッシュ 3/3 ○鴻之舞の売山 相争う不利益と各自の資金不足から、ここに沖野・羽柴・今掘(以上沖野組)、飯田・池澤亨・岩倉梅吉(以上飯田組)に発見の功労者として鳴沢と橘光桜を加えた八人衆の匿名組合が発足した。しかし、余りの大規模さと鉱山長となった吉田久太郎の資金の使いっぷりに事業費に窮した組合は、日立鉱山と幌別鉱山へ露頭下の高品位な鉱石を三万円で売り、急場をしの [続きを読む]
  • マルキ号パンと海軍飛行場
  • マルキ号パンと海軍飛行場  我が紋別市には東洋一と云われたものが二つあった。ひとつは、かの住友鴻之舞金山であり、そしてマルキ号パンの農場である。マルキ号パン(水谷パン)は、創業者の香川県人・水谷政次郎が、あのアンパンで有名な木村屋と出会ったことによる。後に日本で初めてイースト菌の製造販売に成功し、大坂を拠点に、これまた日本で初めての本格的なチェーンストアを形成して、東洋のパン王と呼ばれた。大正六年 [続きを読む]
  • 御真影奉安殿
  • 煉瓦建築物の一様態 さて御真影奉安殿と教育勅語の研究は、仲間からはマニアックと云われるが、昨年の民俗建築学会での講演は、まずまずの好評価で研究成果として認められ、近々に論文集が刷り上る。これは建築の視点で奉安殿の歴史を語るもので、煉瓦に関する話しも出て来る。積極的に御真影が下付されるようになって間もない明治28年に月形小学校が御真影と教育勅語を焼失させた。関係の驚きは大きかったようで、多分、北海道 [続きを読む]
  • 網走の捕鯨船
  • この5/1〜5/8に紋別港に寄港した小型のキャッチャーボート 日本の小型捕鯨船の許可船は9隻があり、実際の稼動はうち5隻で、網走海域の業者(水揚げは網走市のみ) は、下道水産(正和丸15.2?)、三好捕鯨(第七勝丸32?)が、国際捕鯨委員会(IWC)の対象外となっている歯クジラ類のツチクジラを年に各船2頭づつ捕獲してきた。 水産庁は、「新北西太平洋鯨類科学調査計画案」において、2017年度〜2028年度の網走沿岸域での [続きを読む]
  • 教育勅語
  • §教育勅語の成立過程 ①伝統的な日本的儒学 江戸時代の学問は儒学が中心にあり、その後に続く日本的儒学は藤原惺窩の「朱子学」に始まった。惺窩に推挙されて徳川家康の侍講になった林羅山は、仏教は虚学であり、朱子学を実学とした。代々林家が大学頭となった昌平坂学問所(昌平黌)は最高学府であり、朱子学が正学として諸藩校の模範となった。「教育ニ関スル勅語」の草案作成に中心的な役割を果たした元田永孚は、明治4年に [続きを読む]
  • 三平汁と石狩鍋
  • 〇身近な伝統食 先だって某観光ホテルに宿泊したときに「三平汁」と称してサケ汁を客に提供していた。味噌仕立てか、そうでないかは別にして、サケは「石狩鍋」であり、『本来の三平汁は、漬けたニシン(冷温に保てなかった昔は、生が傷んで酸味があり、また、保存用に付け込んだ)を使いますヨ』と、そっと教えてあげた。 さて、サケの伝統食と云うと塩サケだが、薄塩の「新巻」と「塩引」とは違う。「塩引」を何度も手返して漬け [続きを読む]
  • 森友学園問題
  • 戦後の農地解放によって、強制的に買い上げられた国有農地は、全国各地に存在し、実際の管理は地方自治体である。中山間地や廃郷などに残るものが多いのだが、有休農地の利活用、売却を強く求められることがある。これとは違うが、広大な有休地であったことに変わりがないのが森友学園の旧国有地である。森友学園の国有地の売買問題であるが、私がかってに思うに次のことが考えられる。・そもそも不良物件と分かったところで、金額 [続きを読む]
  • 留萌のニシン漁場
  • 北海道文化財保護協会講演会 2017/2/8 留萌のニシン漁労 国史跡・旧留萌佐賀家漁場 積丹の斉藤や紋別の金平など、明治・大正期に鰊場で活躍した青森県人が多い。留萌の佐賀家も下北の人で、青森ヒバを扱う商人であった。大佐賀家は、一八四四(弘化一)年に礼受に漁場を置き、群来が見られなくなる一九五七(昭和三二)年まで、百年を越えて一所を経営したもので、番屋、網蔵、船蔵、干場、稲荷社など、漁場の景観を良く残して [続きを読む]
  • 御真影の廃止、奉還
  • 御真影の奉還  終戦の前日に『全国的休戦等アラバ』、御真影を焼却すると軍事機密指令が発せられていたことは興味深い。さて、昭和21年元日(1946年)のいわゆる天皇陛下の「人間宣言」を控え、前年の12月20日(1945年)には、『従来下賜ノモノ全部取纏メノ上成ルベク年内二各地方庁二奉遷スルコト』と通牒され、御真影を奉還し、拝礼しないことになった。しかして、それは御真影を否定するものではなく、陛下の御姿が軍装だからで、『 [続きを読む]
  • 顕正寺の古い掛軸、紋別太子講
  • 二百年以上前の掛軸紋別では、明治四十一年に大工たちが浄土宗顕正寺に太子堂を建立して太子講祭が始まった。昭和二十七年に寄進を受けた皇太子の掛軸には、「天明元歳(一七八一年)奉開眼聖徳太子」と記されている。静岡県袋井市の真言宗篠ヶ谷山岩松寺から伝わったもので、岩松寺では、大工の棟梁に対して、免許皆伝の秘伝書を与え、太子講の絵讃(掛軸)を発行した。遠江・三河だけではなく、家康に従って下った江戸大工とも関 [続きを読む]
  • 子どもの文化財愛護活動推進事業
  • 文化の日に、身近な歴史に触れてみよう。勾玉づくりと文化財のお話しをします。身近な文化財と歴史のお話し タロとジロ、南極観測60周年 風連のクマ、比布のクマ、紋別のクマ 子どもの文化財愛護活動推進事業 2016/11/3 in 士別市 士別市立博物館 13時から第―号外  勾玉づくりと士別の歴史のお話し      [続きを読む]
  • 紋別聖徳太子講
  • 誇るべき伝統文化の継承、顕正寺の聖徳太子講 〜無形民俗文化財調査が行われる/紋別市 この28日に道文化財保護協会、道建築士会の4名が、紋別聖徳太子講組合(紋別建設業協会)の協力を得て、100年を越えて顕正寺に伝わる紋別聖徳太子講の文化財調査を行った。文化庁の「文化遺産を活いかした地域活性化事業」の一環で、北海道文化遺産活用活性化実行委員会(道文化財保護協会、道建築士会、NPOれきけん)は、昨年から太子 [続きを読む]