釣山 史 さん プロフィール

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釣山 史さん: 歴旅・温泉、そしてチョッと釣り
ハンドル名釣山 史 さん
ブログタイトル歴旅・温泉、そしてチョッと釣り
ブログURLhttp://hokkaidonobunka.sapolog.com/
サイト紹介文オホーツクを中心とした文化と歴史のサイト〜子ども達へ伝えたい郷土の歴史語り
自由文ガイドブックにも載らない北海道の歴史・紀行、地域文化と温泉・旅のサイト。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供35回 / 365日(平均0.7回/週) - 参加 2009/03/01 02:16

釣山 史 さんのブログ記事

  • 国会をクラス会に置き換えると・・・
  • 国会をクラス会に置き換えると・・・、 民主主義下の最終決定手法は、多数決である。 そうして少数派の意見を聞くということは、多数派の歩み寄りでしかない。 しかしてこれを学級に置き換えると、3〜4人の不良グループや1人2人の変り者も居るものだ。 少数派こそ、大人であって欲しいものだ。 ◆各政党、会派の議席数 ◆平均的な中学校のクラスに置き換えた場合 全国の中学校の1学級当たりの生徒数は、31〜40人の [続きを読む]
  • もんべつ沖揚音頭
  • もんべつ沖揚音頭 北海道を代表する北海道らしい魚介類は、古くは「三魚」と云われたサケ、マス、ニシンであり、昭和30(1955)年頃に大きな群来が見られ無くなるまで、ニシン漁が道内沿岸漁業の太宗であった。幕末頃から大きな漁獲を可能にする「鰊建網」が開発されて、漁業が大型化されると多くの漁夫が必要になった。沖揚音頭は、ニシン漁の水揚げから網起こし、汲み出しほか、共同作業の拍子を合せた掛け声唄で、各地の漁場に自 [続きを読む]
  • 手本は二宮金次郎
  • 文部省唱歌「二宮金次郎」 柴刈り繩なひ草鞋(わらぢ)をつくり、親の手を助(す)け弟(おとと)を世話し、兄弟仲よく孝行つくす、手本は二宮金次郎。 幸田露伴著・二宮尊徳翁の口絵 1891年刊 九谷焼、青銅製 二宮金次郎(尊徳)のこと この薪を背負った金次郎のイメージは、金次郎の弟子で娘婿となった富田高慶が書き残した話をもとに、明治24年に幸田露伴が子ども向けの物語を書いて、このときのイラストに始まったと云 [続きを読む]
  • 月形町の神社にあった最古級の奉安殿
  •  月形小学校の火災で類焼し、遷座した樺戸神社へ移設されていた奉安殿は、その神社の再遷座で失われたのである。開校百周年記念誌より 小学校へ積極的に御真影が下賜され始めたばかりの明治28年5月(1895年)、北海道樺戸郡の月形小学校(月形町)が出火し、御真影と教育勅語を焼失したことは大きな驚きであった。北海道内で初めてのことかもしれない。 同校は、同30年(1897年)に再建された際に煉瓦造の独立棟を建設、同年、松前郡 [続きを読む]
  • 北海道の捕鯨業の嚆矢
  • 明治33年の留萌捕鯨場の景 北海道の捕鯨業の嚆矢、伊藤一隆が関係した大日本帝国水産会社のこと。石川県士族の斉藤知一が、明治17年に胆振国の室蘭・有珠の両郡、翌18年は後志国岩内郡で捕鯨を試みたが、鯨を恵比寿神と信奉する地元漁民の妨害に合い、同20年に天塩国羽幌へ転じた。明治21年には、国策によって設立された大日本帝国水産会社(のち帝国水産会社)が、根室・千島沿海でラッコ・オットセイ猟、捕鯨を試み、のち [続きを読む]
  • 寄鯨伝説と近年の漂着例
  • 紋別を例に見る近年の鯨類漂着 ◆古代人の里にクジラ寄る 平成20年4月、紋別市渚滑町川向の海岸に体長約8メートルのミンククジラの死骸が上がった(図1)。年齢は不明だが十分な大きさの♀の成獣で、頭部には擦れた跡があり、後尾付近には切り傷と何かに打たれた跡(スクリューの羽形様)があって、船と衝突して死んだものと考えられた。近くはオホーツク文化・擦文時代を代表するオムサロ遺跡があり、古代の里に思わぬ寄り鯨と [続きを読む]
  • 集落名に見る母村
  • 〜北海道号線の由来集落名と神事や寺行事に見る母村 道内の市町村に必ず残る地名に○線○号(条丁目)があり、集落名に出身母村名を引き継ぐものが多い。今の土地割の基本となった明治時代の殖民地区画図を見ると集落(町並み)の成り立ちが分かり、その集落の神事や寺行事などに出身母村の伝統を見ることが出来る。古くは大宝律令による中央集権的律令国家が成立して行く過程で、土地を碁盤の目のように区画整理したのが条里制度 [続きを読む]
  • マルキ号製パンの跡 2
  • マルキ号製パン 水谷農場の跡を追った 西足寄の農場は、秘湯・芽登温泉のさらに奥地の高原にあった。現・足寄町旭ヶ丘。 遠隔地のうえに起伏が大きい低温地帯で、当然、失敗に終わった。 水谷政次郎が生涯を終えた小清水町の泉地区、今でも一族が暮らす。 きれいに区画された雄大な小麦畑に水谷橋はある。第418号 マルキ号製パン、水谷農場      [続きを読む]
  • 青函連絡船概史
  • 青函連絡船概史 青函の定期航路は、文久元年8月に青森の滝屋が箱館定飛脚問屋の取次を始めたのに始まる。江戸と箱館を結ぶ定飛脚が2と7の日の月6度を往復した。維新後は、旧幕軍の軍艦咸臨丸が、開拓使付属船となって青函航路の輸送に当り、他に幕府から引き継がれた船に薩摩藩から献上された洋式軍艦昌平丸がある。開拓使は、汽船14隻、帆船15隻を保有し、明治6年には、スクーナー型の木造船弘明丸が、函館〜青森、函館 [続きを読む]
  • 海の日は明治丸の歴史
  • 函館港に停泊中の景?明治丸?は政府が英国に発注し、明治8年に横浜へ回航した灯台船。豪華なサロンを備える鋼船で、灯台業務だけではなく、御召船や外交などの重要用務にも使われた。明治9年の奥羽・北海道御巡幸の帰路、函館を発した明治丸は無事、7月20日に横浜へ安着し、これを記念したのが「海の記念日(海の日)」である。第413号 海の日は明治丸の歴史      [続きを読む]
  • マルキ号製パンの跡 1
  • 東洋一のマルキ号パン、パン王・水谷政次郎が作り上げた遠軽町丸瀬布のマルキ通りと水谷町。パン王・水谷政次郎の発願による遠軽町丸瀬布の弘政寺と四国八十八カ所。水谷橋。海軍と関係が深かったマルキ号製パンの小麦農場があった紋別市沼の上の水谷集落。近くは水陸飛行場予定地だった、らしい・・・。第411号 マルキ号製パンの跡       [続きを読む]
  • 知床三堂例大祭
  • 知床三堂祭 6月25日に斜里町の知床三堂祭に参加した。法隆寺の大野管長、京都仏教会の有馬理事長ほか、お歴々を拝顔し、有りがたい読経と説法にあずかった。地元を愛する佐野博さんと故・立松和平さんとの友情に始まった三堂祭、日本の伝統文化に基いた地域づくり、地方発信の典型例である。豪雨、超低温のなか、四百名は超える参加があった。7/17に日経系TVで放映される。 北海道文化遺産活用活性化実行委員会聖徳太子講調査 [続きを読む]
  • 住友鴻之舞鉱業所100周年
  • 住友鴻之舞鉱業所100周年 〜紋別のゴールドラッシュ 1/3 『鴻之舞』は、アイヌ語の(ク・オマ・イ=仕掛け弓がある処)に将来の発展を祈念し、(鳥王コウノトリが舞うが如し)と、発見者らによって名付けられた。本年は、大正六年に住友鴻之舞鉱業所が開所して百周年にあたり、紋別市ではさまざまなイベントが予定されている。さて、ここでは鉱業所の開所までの前史について述べる。○鴻之舞の出願競争 さて、大正六年に買山し、 [続きを読む]
  • 住友鴻之舞鉱業所100周年
  • 住友鴻之舞鉱業所100周年 〜紋別のゴールドラッシュ 2/3 ○紋別のゴールドラッシュ 枝幸に始まった東洋のクロンダイクは、紋別の八十士や鴻之舞、沼の上と相次ぐ金鉱の発見へ繋がった。八十士砂金鉱/枝幸砂金を採り尽くして四散した山師のひとりが、手で掬えるだけの砂金に出くわしたのは、明治三八年の師走で、尾行までした出願採鉱の争いでは、紋別組と山形組(山形勇三郎)が鋭く対立、これに湧別組が加わった。この騒動で [続きを読む]
  • 住友鴻之舞鉱業所100周年
  • 住友鴻之舞鉱業所100周年 〜紋別のゴールドラッシュ 3/3 ○鴻之舞の売山 相争う不利益と各自の資金不足から、ここに沖野・羽柴・今掘(以上沖野組)、飯田・池澤亨・岩倉梅吉(以上飯田組)に発見の功労者として鳴沢と橘光桜を加えた八人衆の匿名組合が発足した。しかし、余りの大規模さと鉱山長となった吉田久太郎の資金の使いっぷりに事業費に窮した組合は、日立鉱山と幌別鉱山へ露頭下の高品位な鉱石を三万円で売り、急場をしの [続きを読む]
  • マルキ号パンと海軍飛行場
  • マルキ号パンと海軍飛行場  我が紋別市には東洋一と云われたものが二つあった。ひとつは、かの住友鴻之舞金山であり、そしてマルキ号パンの農場である。マルキ号パン(水谷パン)は、創業者の香川県人・水谷政次郎が、あのアンパンで有名な木村屋と出会ったことによる。後に日本で初めてイースト菌の製造販売に成功し、大坂を拠点に、これまた日本で初めての本格的なチェーンストアを形成して、東洋のパン王と呼ばれた。大正六年 [続きを読む]
  • 御真影奉安殿
  • 煉瓦建築物の一様態 さて御真影奉安殿と教育勅語の研究は、仲間からはマニアックと云われるが、昨年の民俗建築学会での講演は、まずまずの好評価で研究成果として認められ、近々に論文集が刷り上る。これは建築の視点で奉安殿の歴史を語るもので、煉瓦に関する話しも出て来る。積極的に御真影が下付されるようになって間もない明治28年に月形小学校が御真影と教育勅語を焼失させた。関係の驚きは大きかったようで、多分、北海道 [続きを読む]
  • 網走の捕鯨船
  • この5/1〜5/8に紋別港に寄港した小型のキャッチャーボート 日本の小型捕鯨船の許可船は9隻があり、実際の稼動はうち5隻で、網走海域の業者(水揚げは網走市のみ) は、下道水産(正和丸15.2?)、三好捕鯨(第七勝丸32?)が、国際捕鯨委員会(IWC)の対象外となっている歯クジラ類のツチクジラを年に各船2頭づつ捕獲してきた。 水産庁は、「新北西太平洋鯨類科学調査計画案」において、2017年度〜2028年度の網走沿岸域での [続きを読む]
  • 教育勅語
  • §教育勅語の成立過程 ①伝統的な日本的儒学 江戸時代の学問は儒学が中心にあり、その後に続く日本的儒学は藤原惺窩の「朱子学」に始まった。惺窩に推挙されて徳川家康の侍講になった林羅山は、仏教は虚学であり、朱子学を実学とした。代々林家が大学頭となった昌平坂学問所(昌平黌)は最高学府であり、朱子学が正学として諸藩校の模範となった。「教育ニ関スル勅語」の草案作成に中心的な役割を果たした元田永孚は、明治4年に [続きを読む]