竪川橋になります。この辺りは、鬼平に出て来る軍鶏なべ屋「五鉄」という店があった場所だそうです。 橋の下は、このようになっています。まさに人工河川ですね。二之橋に着きました。 ここには、このような説明版が立っています。それによると
降り立った駅は、地下鉄新宿線菊川駅です。駅前には「長谷川平蔵・遠山金四郎屋敷跡」の解説版があります。 さて、そろそろ街へと進みましょう。 菊川3丁目のこの地は、長谷川家の住宅跡です。長谷川平蔵が屋敷替えで移った場所です。孫の四代目平蔵のとき
東急田園都市線の三軒茶屋駅で下車しました。ここにはその名の通り、昔、三軒の茶屋があったそうです。 これが、その由来を説明した解説版です。また、江戸時代には丹沢の大山阿夫利神社へお参りに行く人が増え、大山道として賑わうようになりました。やが
火事と喧嘩は江戸の華・・・昔から云われた江戸っ子気質ですね。今日、訪れたのは四谷にある消防博物館です。玄関はこのようになっています。中に入ると、このように江戸の火消しの歴史から分かるように展示されています。昔の消防ポンプはこういうものだった
今日のお散歩コースは、四谷番町の文人が住んだ旧跡を辿ることにしました。降り立った駅はJR四谷駅です。 番町文人通りの案内があります。最初に、向かった場所はここ島崎藤村居宅跡です。藤村は昭和12年から6年間ここに住みました。作品の「巡礼」や
桜の時期には、大勢の人出も見られる目黒川ですが、水はあまりきれいではありませんね。 太鼓橋に来ました。明和6年に完成したのですが、当事としては珍しく石造りでした。この太鼓橋を造った人物については諸説あり、あの江戸の大火事の放火犯八百屋お七
これはお寺に向かう途中にあった宝仙学園中学校です。 ここが山門です。門だけを持って来て置いたような印象ですね。山門を入った先は、堂々とした拝殿があります。この宝仙寺の縁起によると、平安後期の寛治年間に源義家によって創建されたとあります。こ
地下鉄の都営三田線志村坂上駅を降りて、しばらく行くと国道17号沿いに「薬師の泉庭園」という静かな江戸庭園がある。ここは「出井の泉公園」「見次公園」と並ぶ志村三大泉のひとつなのです。 ご覧のように、庭園内には木々の緑が溢れています。 江戸庭
ここが入口です。正面が参道になっていますね。訪れたのは中目黒八幡神社です。 拝殿を前に何やら見ているお参りの人です。 ここが手水鉢になりますが、岩の間から泉が湧き出ています。近所の方は、この美味しい水をもらいにお参りするとのことです。 境
今回お訪ねしたのは、日蓮宗・実相山正覚寺というお寺です。中目黒駅の立体交差近くにあるお寺ですが、仙台伊達家とは縁が深く、4代藩主の綱村の生母である三沢初子が開基創建したとされる寺です。橋本牧場畜牛供養塔(目黒区指定文化財) この寺所蔵の文
中目黒に、浄土宗の長泉院というお寺があります。宝暦11年(1761)に芝増上寺の45世・大玄和尚を開山として建てられたということです。お寺の隣には、このようなたて看板があり、立派な美術館が併館されています。 ここが本堂の入口になります。おの
東急世田谷線には松陰神社前駅という駅があります。駅を降りて、北方向に徒歩約7分のところにあるのが吉田松陰を祭るこの神社です。 神社への通りの途中に、こんな建物がありました。地元の有志の方々が吉田松陰の志を継いで広める活動をしている場所だそ
小田急線豪徳寺駅の南側、徒歩で約10分ばかりの場所にあるのがこの名刹豪徳寺である。あの幕末の「桜田門外の変」で殉難の死を遂げた井伊直弼ほか八士が眠る井伊家の菩提寺でもある。まず、この立派な山門が出迎えてくれます。本堂に近づくと、このような
ここは梅屋敷、臥龍梅とも呼ばれ江戸時代には行楽地として有名な場所でした。伊勢屋彦右衛門という人の別荘で、多くの梅の木が植えられていたので梅屋敷呼ばれたそうです。また、もう一つの名前は、水戸光圀公が、その中の一株の梅がまるで龍が地を這うが
何やら奥深い森に囲まれたような雰囲気が漂うお寺です。当初は橋場に創建されたそうですが、元和2年に当地へと移転したそうです。そこには、こんな逸話がありました。移転の際に、当寺の梵鐘を川に落としてしまいその場所が今日の鐘ヶ淵という地名になった
地下鉄京成線の押上駅から徒歩で10分、横十間川沿いにあるお寺です。江戸時代には、全国から数多くの萩を集めて植えたことから別命を「萩寺」とも言います。文人墨客に好まれて、江戸の名所の一つにもなりました。 これは地蔵堂です。これは布袋堂です。
さぁ、今日のお散歩は亀戸になりました。あの東京スカイツリーもよく見える場所です。訪問先は駅の北西に位置する亀戸天神社、学問の神様菅原道真公ゆかりの場所です。この天神社は、本所亀戸村にあった天神の小さな祠に道真公を祭ったのが始まりだそうです
地下鉄芝公園駅からすぐのところにあるのが この公園です。 こんな光景も目にします。遠くに見えるのは東京タワー、今ではスカイツリーに押され気味ですが、やはり懐かしくいいものです。芝東照宮 徳川家康公が逝去した翌年の元和3年に江戸
ここ海福寺にある永代橋崩落死者供養塔がこれです。この山門左手前の「文化4年永代橋崩落横死者供養塔及び石碑」(都指定文化財)は、文化4年(1807)の深川富岡八幡宮大祭の時に起こった、永代橋崩落事件の死者供養のために建てられたも
目黒寄生虫館は、同名の財団法人が運営する世界で唯一の寄生虫の博物館。寄生虫に関する研究・展示・資料収集・鑑定・啓蒙活動等を行っている。建物は床面積があまり大きくない6階建てのビルで、展示スペースは1階と2階のみのこぢんまりとし
次に訪れたのが、ここ蟠龍寺です。当初、行人坂付近にあり称明院と申していましたが、宝永6年に現在地に移すとともに霊雲山称明院蟠龍寺と改名再建されました。目黒区の教育委員会の説明に依ると、本尊の木造阿弥陀如来像は都指定文化財で、「江戸名所図会
この行人坂はJR山手線目黒駅西口から目黒川を渡って始まる勾配の急な坂になります。その途中に「行人坂敷石造供養碑」という碑があります。 坂の中程にあるこの大円寺は、江戸時代寛永年間に開山された古刹です。明和9年の大火は江戸の三分
JR中央線荻窪駅北口からの出発となります。 何故か、杉並地域には八幡神社が多いようです。青梅街道を横切り、一歩奥へ入ると駅の近辺とは信じられない位に樹木も多い神社が見受けられます。ここ天沼八幡神社も創建は1500年代とされ、天
浅草へ出かけた時は、いつもここ「小柳」で昼食を食べます。有名な老舗店は数多くありますが、我が家ではここが定番でうなぎを食べます。人気の店だけに、いつも行列が絶えません。とくに新年は1時間待ち位の長い行列となるようです。やっと、
今日は、穏やかなお正月日和、ここ浅草仲見世通りもご覧のように大勢の人人人です。さぁ、浅草寺の境内を目指して行こうとするのですが、なかなか進みません。 お参りのみなさん、今年も健康、幸運を願ってお線香の煙を浴びるのに集まっていま
真言宗豊山派のお寺、鎌倉時代初期に開山したとされていますが、幾度かの火災に見舞われ、昭和になってからも空襲により本堂も焼失したとされています。御本尊は不動明王で、かっては大日如来像であったとされます。平安
都営地下鉄三田線の志村坂上駅の南西に位置するこのお寺は、正保・慶安年間の開山とされていますが、明治時代までは熊野神社の別当寺だったそうです。昭和13年頃になって、境内をはじめ付近一帯から弥生時代の前野町式土器というのが数多く発見
昭和28年開園の見次公園、板橋区立の公園ですが周囲約400メートルの円形の池になっていて周囲には遊歩道も造られています。一年中釣りができるとあって、釣り人も大勢来ていました。 熊野神社を中心とした一帯には城があったみ
通称をこぶ寺とも言われている延命寺は、都営地下鉄三田線の志村坂上駅の西、徒歩で3分のところにあります。大永4年の創建と言いますから、かなりの古刹になります。ちなみに、大永4年とは西暦で言えば、1524年になります。 本尊は地
京急本線立会川駅から西へ10分位歩くと、この光福寺へ辿り着きます。創建は延暦元年とされ、相当古い歴史を誇る古刹です。周囲は住宅街となり、そこに囲まれた一角にあります。この寺の特徴は、何と言っても境内にそびえる大イチョウの木で、
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