エノカマ さん プロフィール

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エノカマさん: エノカマの旅の途中
ハンドル名エノカマ さん
ブログタイトルエノカマの旅の途中
ブログURLhttp://enokama.exblog.jp
サイト紹介文旅と歴史と競馬についてお話します
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供61回 / 365日(平均1.2回/週) - 参加 2009/04/21 00:33

エノカマ さんのブログ記事

  • 神戸開港150年〜「開国への潮流」
  • 慶応三年から150年と言うことで(個人的には「大政奉還」と言うものが最重要とは思っていないので使いたくない)各所でいろんなイベントが行われていますが、開港150年でもある神戸でも神戸市博物館を中心に特別展示も行われているようです。昨年から書いていた原稿でだいぶ調べてたんですが、神戸開港(延期も含めた)に向けた諸外国との幕府の交渉、ある意味この開港を成し遂げたとも言える徳川慶喜の決断と言うもの... [続きを読む]
  • 神戸海軍営之碑と操練所顕彰碑
  • 諏訪山公園と言うところに来ました。全然いわれも所縁も場所も行ったことないし、知らなかった場所。もう少し上がった場所に有名なビーナスブリッジがあって、そちらにはドライブがてら来たことはあるんですがね。第二次大戦前に王子動物園に移転する前の動物園があったり、諏訪山温泉と言う温泉がいあって料亭もたくさんあったという。こちらに石碑がある [続きを読む]
  • 神戸北野周辺の史跡
  • 今年に入って「開港150年」のイベントもあって、神戸に度々訪れています。四月に行ったところですが、大阪龍馬会の長谷さんに案内していただいた場所の紹介です(実際はもっと多くの場所に行ってます)熊内八幡神社新神戸駅から東、山手へ歩いた場所で新幹線を跨線橋で超えてしばらくの場所にある。幕末に中西誉左衛門と言う勤王家がこの地にいて、松林飯山・松本奎堂と言った志士たちの出入りがあった。中西誉左衛門... [続きを読む]
  • 粟田口の明智光秀首塚
  • 光秀関連ゆかりの地もかなり更新してきたつもりですが、まだ京都市内(粟田口)の首塚は載せておりませんでした。(胴塚→こちら)何度か案内もしたことがあるんだけど、意外に知られてなかったりするものです。。。三条通りから白川沿いを下ります [続きを読む]
  • 古城春樹さんの講演を聞きました
  • 先週日曜日に大阪龍馬会で下関歴史博物館の古城春樹さんの講演を聞いてきました。今までも何度か長府に行っていろいろと教えていただいていたのですが(→こことこことここ)今回は三時間の長い枠があったので「長州藩(萩藩)と支藩」の関係から、しっかりと説明いただけました。僕からラインで誘った方にも一般的には「長州藩=吉田松陰」的な話が従来から多いんだけど、このような支藩からの見方があるんだなと興味を持っ... [続きを読む]
  • 映画「関ケ原」
  • 映画「関ケ原」を見てきました。今年二月に監督さんのトークは聞いてきたので、京都や姫路などの名刹でのロケシーンの多かった映像は迫力があったし、最近の大河ドラマではしょぼい合戦シーンばっかりだったので、久しぶりに関ケ原を見たって感じがしました。いつの間にか準主役を張れるようになった平岳大の島左近や西岡さんの前田利家は迫力あったし、東出君の小早川秀秋もまあまあ雰囲気は出ていたと思う。島津のやる気の... [続きを読む]
  • 加治将一が「龍馬裁判」と言う映画を作った
  • 加治将一の記事がよく上がるなと思っていたら加治将一が映画を作って一部新聞に広告が出てたそうだが、いい加減「真実」とか「新発見」とか今までの日本史は嘘とか言うとか(まあ星亮一や原田伊織のトンデモ本でもよく使われるけど)宣伝するのはやめてくれ。この人ね、今までの著書の内容見てても中岡慎太郎の事全然知らんやないか。古臭い平和主義者と武力討幕者の対立のくくりだけで慎太郎を語ってないわけ。どこかで... [続きを読む]
  • 慎太郎と龍馬ゆかりの佐賀関〜肥後藩細川領の史跡
  • 昨年夏、もうちょうど一年前になりますが大分県の佐賀関に行ってきました。ピンと来る人は幕末に中岡慎太郎や西郷隆盛の立ち寄った場所で御存じでしょうが、僕は全然知らなかったんだけど勝海舟と坂本龍馬が立ち寄った場所と言うこともあって地元の方でも盛り上げられているということでした。詳しくは中岡慎太郎を書いた原稿と大阪龍馬会の会報で書かせていただいてますので、こちらではその他のポ... [続きを読む]
  • 小栗栖の明智藪と光秀胴塚
  • ブログも長くやっていると、たまに「画像提供」の依頼ってのがあるんですが今は「神社ブーム」でもあるそうで、その紹介する文庫本の御霊神社(福知山市)の項で私の写真が使われております!豊国神社や建勲神社、南洲神社あたりもブログに載せてるんで「なんで福知山の光秀」の画像だったんかなとも思いますが帯にも書いてあるし、少し追いかけている明智光秀絡みなのでうれしいものですね。提供のお礼に本を送っていた... [続きを読む]
  • 宇和島候・伊達宗城の番組
  • Eテレの「知恵泉」と言う番組で宇和島の伊達宗城のことをやっていた。知ってそうで実は知らなかったことも多かったのでまとめてみます。この方も旗本の出で幕末の賢候に多い養子なんですね。高野長英や渡辺崋山の影響もこのころからで、海外情勢や科学技術への関心も元来からあったようです。宇和島にはロシアやイタリア史、化学技術、航海術軍事と言った専門書が多数残されています。 [続きを読む]
  • 筑前赤間宿と五卿の滞在
  • 小倉・常盤橋を起点とする長崎街道は直線的なルートで内陸の筑豊を経由して鳥栖から佐賀へと至る。現在の鹿児島本線沿いから博多を経て、唐津まで海側を通るのが唐津街道である。黒崎宿に三泊した五卿は一月十八日に長崎街道を木屋瀬宿まで進み、ここから渡し船で遠賀川を越えて赤間宿に入った。ここでは赤間宿本陣(御茶屋)に入ることとなる。赤間宿は木屋瀬宿への分岐点であり、バックに筑豊の産炭地や玄界灘に... [続きを読む]
  • 五卿ゆかりの筑前黒崎宿と曲里の並木
  • 小倉から八幡西区の宿場町だった黒崎に移動します。実は最近まで知らなかったことだけど、イメージ的に遠賀川だったり北九州市で分かれてそうな「豊前」と「筑前」の境界ってのは、今の小倉と戸畑の間であり、同じ北九州市でもカテゴリ(福岡藩へ)変更いたします。福岡藩の上方への玄関口としての湊町でもありました。元治元年の長州征伐での「征長軍解兵」条件の一つは、いわゆる「五卿」の第三国への動座であ... [続きを読む]
  • 広寿山福聚寺〜小倉藩・小笠原家の菩提寺
  • 少し前ですが小倉に行った時のレポを書きたいと思います。まずは小笠原家の菩提寺である福聚寺(ふくじゅじ)へ、交通は小倉駅から西鉄バスに乗った郊外となります。慶応二年(1866)の長州藩との戦い(小倉戦争)で諸堂の大半を焼失するが、中央に見える一番大きな仏殿(本堂・1822年再建)・不二門・鐘楼等が残されている。仏殿の右背後にある祠堂(歴代藩主らの位牌を安置)の裏を流れる小川の周辺には歴代藩主... [続きを読む]
  • 小倉山二尊院
  • 少し前の画像ですが嵐山の二尊院に行ってきました。近くにある土佐四天王像二尊院二尊院は元来から御所の仏事を司っていたこともあって、公家との交流が盛んで、今でも二条家、鷹司家、三条家、三条西家、四条家と言った菩提寺になっておりパンフレットにも紹介されております(案内図の精度はちょっと低いですが)。以下はお墓(幕末の公家が多い)の写真になりますので隠します。。。 [続きを読む]
  • 小枝橋〜鳥羽伏見の戦い開戦地
  • 羅城門バス停から18系統のバスに乗ると旧鳥羽街道の昔ながらの狭い道を行きます。所々狭い場所は一方通行になっていて旧家も多いところであります。バス停は名神高速の下をくぐる手前で、小枝橋自体はだいぶ先になります。西詰からだいぶ京都の西側のイメージですが実は鴨川を渡る橋。九条のあたりから大きく方向を変えて、この先で桂川と合流します。 [続きを読む]
  • 四ッ塚関門と都城六勇士碑
  • 千本九条のあたりは「四ッ塚」と呼ばれ、今も地名が残っている。その昔、狐塚・杉塚・経田塚・琵琶塚の四つの塚があったことから由来する。この古来から羅城門の位置したように「洛中への入口」となっていた要衝に「王政復古政変」後に徳川慶喜ら旧幕府側陣営が大坂へと移り、京都は薩長土芸と言った諸藩が警衛していた中で薩摩軍は東寺に伊地知正治を隊長とする陣営を置き、この四ッ塚に関門を置いていた。千... [続きを読む]
  • 六孫王神社と西寺址
  • 東寺の西側を少し回ってきました。JR京都駅から徒歩20分ほどで、バスなら京都駅八条口から16番もしくは環状系統202・208です。地図を見ていたらJRに西大路駅から歩くのもいいかもしれません。六孫王神社前で降りました。いい感じの神社です [続きを読む]
  • 関西から庄内への夜行バスができた
  • 関西から庄内への交通は特急「日本海」(→こちら)・急行「きたぐに」(→こちらとこちら)と相次いで廃止となって、大阪からの航空便も昼発・昼着のみで久しく直行便の設定もなく(羽田乗換)滞在時間の効率も悪く、しかも競合機関がないので料金も馬鹿高で「簡単に行けない」と言う事態となっていました。反面で持て囃される新幹線もね、まだまだ人口が増える時代ならともかく、それも見込めない中で開業当初は「開業... [続きを読む]