阿久津裕彦 さん プロフィール

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阿久津裕彦さん: 彫刻と解剖学
ハンドル名阿久津裕彦 さん
ブログタイトル彫刻と解剖学
ブログURLhttp://hiblog2009.blogspot.com/
サイト紹介文彫刻と解剖学の接点から見えるもの
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供39回 / 365日(平均0.7回/週) - 参加 2009/04/27 20:16

阿久津裕彦 さんのブログ記事

  • 移動運動と環境の関連性
  •  環境と動物の運動の関連という視点を持つと、全く新しい、気づかなかった事実が見えてくる。動物の移動運動と環境の関連性について、私たちは生物の行動について考えるときに個体を基準として考えがちなので、移動運動は個体から始まるように思ってしまう。しかし、実際には全ての生物は固有の生息環境に結びつけられている。つまり、彼らの運動はその環境あってのもので、つまり環境が生物の運動を作っていると考えるべきだろう [続きを読む]
  • ダンスと彫刻
  •  ダンスの動画を観るのが好きだ。ダンサーの動きは淀みがない。その動きはすっかり体が覚え込んでいて、リズムに合わせてほとんど自動的に動いているように見える。実際そうなのだろう。どんなダンスを観ても、全く初めて見るような動きというより、いつか見たことのある動きが組み合わされている。激しく動いても、重心はコントロールの範囲内に収められている。そこから外れると動きがぶれてしまうので、それは見ている者にもす [続きを読む]
  • AGAIN-ST「平和の彫刻」展を観て
  •  恵比寿のナディッフ・ギャラリーで開催中のAGAIN-ST「平和の彫刻」展を観る。これは、考え、立場、年代が近い彫刻家、美術家による同人「AGAIN-ST」のグループ展である。ここでの”立場”とは、彼らが美術大学などで教員として美術教育の現場にいるという事を指す。きっと、それが関係しているのだと思うが、とても”真面目”な同人である。 活動の始めに宣言文を掲げている。重要なので以下に転載する。「AGAIN-STは彫刻を問う [続きを読む]
  • 藤原彩人 展「GESTURE」を観て
  •  「成長した。」 作品を鑑賞していると、変化しつつある作品から受ける印象を、他の鑑賞者にそう話しているギャラリーオーナーのやさしい口調が時折耳に入ってくる。そこだけ切り取ると甥っ子の成長を喜んでいるかのようでもある。 ここは閑静な住宅街にあるギャラリーで、天井が高く、空間を必要とする彫刻に向いている。そこに、藤原氏の新作が3点置かれている。1点は人の身長ほどある大きな物で、後の2つはその半分ほどの大 [続きを読む]
  • 人格化するケータイ
  •  数年前に、iPhoneが発売されたときは、未来が始まる瞬間を目の当たりにしたような感覚があった。なにしろ、それまで携帯電話と言えば小さなボタンが並んでいるのが当たり前だったのに、突然、それが丸ごと消えたのだ。「あったものがなくなる」ことは、「あったものの形が変わる」とは比較にならない大きな変化である。自動車で例えれば、ガソリンから電気へ変化しつつあるけれども、それはいかにも”段階を踏んでいます”という [続きを読む]
  • 冨井大裕 個展 「像を結ぶ」を観て
  •  新宿で、冨井大裕氏の個展を観た。個展会場のギャラリーは、マンションの一室を改築したもので、外からは全く分からず、案内などで開催を知っている人しか訪れることはないであろう場所である。その、決して新しくはないが大きなマンションの鉄扉を開けると、壁面が真っ白な空間に、作品の色彩が際立って見えた。入ってまず正面に四角く面取られた柱状の立体作品がある。それは店でもらえる紙袋を重ねて作られている。両側の壁に [続きを読む]
  • ”疑似博物館” インターメディアテク
  •  東京駅の丸の内側と直結する複合施設KITTE内にあるインターメディアテクは、国内でもとても珍しい展示施設と言えるもので、一言で言うなら「疑似博物館」である。疑似と付くとまやかしの響きを帯びるが、その全てがにせものというのではなく、展示物の多くは実物である。それらが、いかにも博物館然として鎮座しているので、実際に博物館だと思っている来場者も多いことだろう。だが、並べられている物が何かをよく知ろうとして [続きを読む]
  • 科博『ラスコー展』感想
  •  科博で開催している『ラスコー展』。平日午後に行くと空いていた。展示内容は、有名な壁画をただ羅列して見せるというものではなく、発見の経緯や調査技術と関わった人物なども展示することで、子供が見つけた古い壁画が人類の遺産となる経緯も示されている。洞窟の内側はレーザースキャンされ、縮小模型として出力された。それらの展示は、洞窟の壁を1枚の層として、その外側がまず目に入る。細長い様はいびつなヤマイモか何か [続きを読む]
  • 「今」を紡いで作られる物語
  •  どんな人生だったとしても、死によって終わる。それは究極的な平等のようにも感じられる。そして、死は生とは異なる現象にも見える。もちろん人生で出会う他者の死(家族や身近な者の死も含めて)は特別な意味を持つが、ここでは主観的、つまり一人称の死について記述する。死は全てを奪うと言われる。ここで奪われる全てとは、記憶のことだ。私たちが今ここに居ると実感するのは、その瞬間までの記憶に基づいている。その記憶に [続きを読む]
  • モチーフとモデルの所在(12月2日・造形大・ラフ)
  •  美術のモデル。造形において作家が参考とする物。その物自体ではなく代わりとして置かれた物、言わばそっくりさんである。美術で用いられるモデル(それがリンゴや椅子であってもヌードであっても)は、形の参考として見られる。画家はそこに置かれたモデルその物を描くことが目的ではない。描きたい”主人公”は画家自身の内にあって、モデルはそれを誠実に引き出すための参考物である。言わば主人公の代替物ということになる。 [続きを読む]
  • 生と死の所属
  •  自死がなぜあるのかと考えて、しかし、それは個体死の一形態だと考えれば、違和感も薄まる。種としては一個体の死はさほど問題とならない。種存続が本能であるなら、死なない方が良いではないかと思うが、それも同様だ。種存続には個体死が必要であり、その死のバリエーションとしては自死があると言う事だ。しかし、意識は死なない方が良い、と考えてしまう。これは個と全体の振る舞いの違いが現れている。種全体の存続は個レベ [続きを読む]
  • 知覚の前の感覚で、外世界は単純化、強調化が成される
  •  知覚の前の感覚で、外世界は単純化、強調化が成される。そうして選択が行われ、その結果が意識的な選択として提示される。私たちは世界を生のまま感じ取っていない。頭に浮かぶ道のりや落書きの顔、ああ言ったものが捉えられている。むしろ、知覚としての外現象は、それら単純化強調化された感覚と現実の擦り合わせに働きさえしているだろう。話を戻すが、単純化強調化された外世界は情報の少なさと強さから、選ぶ対象にバイアス [続きを読む]
  • 自由意志考
  •  意識と自由意志を混同しない事。私が疑っているのは自由意志である。自由意志とはすなわち意識的な選択を本当にしているのかという事だが、もし動物のように本能だけならば、皆が皆同じ選択をするはずだ。確かに人間と言えども行動を大きなくくりで見れば似ているが、個々の細かな選択においては、自由に選んでいるようにも見える、もしくは感じられる。確固たる自由意志に見えるそれらも真実はそうではないと言えるような根拠は [続きを読む]
  • アングル『浴女』ポーズの実際
  • 19世紀の新古典主義の画家アングルによる『浴女』をモチーフに、実際のモデルにポーズを取ってもらった。今回のモデルさんは痩身だったので『浴女』の豊満な体では隠されてしまう骨格や筋肉の位置や形状がよく確認できた。この絵が背中を描いているので、モデルでの確認も体幹部分の背面に注力することになった。 つくづく、アングルは表現者としてプロフェッショナルであったと再確認する。浴女のお尻を見ると尻の割れ目の上 [続きを読む]
  • 他者にとっての表象
  • 強烈な夏の陽射しのなか、緑の木をバックにセーラー服の女子高生が遠方に見えた。夏を表す永遠の表象に見えた。我々は皆、他者にとっての表象だ。小学生たちは永遠の小学生たちだし、サラリーマンも老人もそうだ。2016年7月21日記す [続きを読む]
  • 形は死、形成が生。
  •  形は死、形成が生。私たちは形を通して動きを捉える。その「形の動くさま」に命を見る。だから両者は切り離せない。対象の形だけを切り取るならばそこには生は存在しない。私たちが生きているのは時の流れの中で動いているからであって、だから仮に、瞬間瞬間を切り取れるならば、その瞬間ごとは止まっているのだから生は見られないのである。  では、止まった形を表す絵画や彫刻たちは皆死んでいるのか。ここまでの意味合いな [続きを読む]
  • 新美での頭頸部造形講座の感想と反省点
  • 新美で12月4日(日)に行った、頭頸部を骨から造形する実技講座は、募集定員を超えて69名で締め切る盛況を見せた。事前準備を整えたので、当日の手順は滞りなく進んだ。当日の教室は手前から奥まで学生で埋まり壮観である。造形物はせいぜい20センチほどなので、私の手元をカメラで捕らえ、それをプロジェクターと大型モニターに映しての実演形式を取り、それを見ながら受講生も自ら造形していった。新美の講師が2名学生サポ [続きを読む]
  • 『立体像で理解する美術解剖』出版
  • 自著『立体像で理解する美術解剖』が11月26日(土)に出版されました。 長文テキストはなく、ほとんど全てが造形プロセスの写真によって構成されています。読むというより見る造形参考書として作りました。立体である利点を活かすべく、イラストでは描かれないような視点アングルの写真カットを多くしました。内容は、人体全身の他に、肘から先の前腕と手、足首から先の足、肩から頭部を、単独で記載しました。これらの部位は細か [続きを読む]
  • 告知 頭頸部造形実習 新美にて開催
  • 12月4日の日曜日、新宿美術学院にて頭頸部解剖造形実習を開催します。朝から夕方まで、頭頸部の構造解説の後、実際に各自粘土で作っていきます。限られた時間なので、特に重要な情報を圧縮してお伝えする形になりそうです。未来のアーティスト、美大受験生対象。詳細は新美のサイトをご覧下さい。 [続きを読む]
  • 告知 朝カル講座・頭頸部が始まります
  • 朝カル講座始まります。今回は頭頸部。全2回です。頭部は胸からどう出ているのか。頸の形を決定づける筋肉とは。表情は2種類の筋肉でできている!?など様々な情報織り交ぜて解説。今回は油土を用いて立体的に解説いたします。朝カルでは初の試みです。詳細はこちらを して下さい。 [続きを読む]
  • アルワコ族のポポロ
  •  中米の先住民アルワコ族の男性が携帯するポポロ。ポポロは貝殻を焼いた粉が入れてあるひょうたんと、その粉を付けて舐めるための棒からなる。 以前にテレビでポポロの事を「棒を舐めて中の粉を付けて、それをひょうたんの外側に擦りつけながら考え事をする物」と紹介していて、その奇妙さから気になった。それだけ聞くと儀式的用具のようで、しかしそういう物を日常的に携帯するという事があるだろうか。ネットで調べて [続きを読む]
  • Appleの商品デザイン
  •  アップル社の商品が持つある種の潔さは、日本人にとって新鮮でもある。iPhoneやMacBookなど革新的な商品とサービスを作るが、その一方で、MacBookの充電ケーブルはプラグ部品のフックを持ち上げてそこにぐるぐると巻き付けさせるという「アナログ」さを持つ。これが日本製品だったら、この案は採用されないと思う。巻き付けさせるにしてもそれを見せないようなカバーが付いていたりと、何かもう一段階のお飾りが加えられてい [続きを読む]
  • カブトムシ
  •  オスのカブトムシが死んだ。昨晩は元気で、他のもっと体の大きなオスをツノで追い払っていて元気だったが、朝には死んでいた。カブトムシは生きていても死んでも色や形が変わらない。生きているのか死んでいるのかは、動くか動かないかの違いだけだ。死んで間もなければ重さも変わらない。カブトムシの人生(カブト生)がどんなものかわからないが、虫ケースの中で餌ゼリーを取り合ったり、土に潜ったり、メスを追いかけたりして [続きを読む]