yumeusagijyuku さん プロフィール

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yumeusagijyukuさん: 夢うさぎ塾
ハンドル名yumeusagijyuku さん
ブログタイトル夢うさぎ塾
ブログURLhttps://blogs.yahoo.co.jp/yumeusagijyuku
サイト紹介文喜多方物語
自由文天鬼熱との出会いを描いた自分史漫画原稿
中国第三革命パプチャップ遠征
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供225回 / 365日(平均4.3回/週) - 参加 2009/06/13 23:15

yumeusagijyuku さんのブログ記事

  • 雷と花火と太鼓台
  • ●タロコが怖がるもの…雷、花火、太鼓台の音。母屋に入れてと大騒ぎ。お盆の帰省客と観光客とで、喜多方のラーメン店は長蛇の列。12日、他県ナンバーの車を眺めながら並び、冷たいラーメンを食べてみました。それから、聖光学院の一回戦をラジオで聞き、さて、出かけようかとしましが、にわか雨が続き、出かけられずに、タロコの散歩も大変。お盆中、高校野球と手料理ざんまいとなりました。● カレーライス、昼寝、ほっき飯、 [続きを読む]
  • 順調に行けば22日決勝
  • ついに、高校野球が開幕です。順調に行けば、22日が決勝だそうです。22日は、長野県松本市梓川の岳くんの誕生日です。弟の崚くんは19日、妹の世奈ちゃんは、6月9日に産まれました。三番目なのにセナなんて変?なんで…かってセナは岳くん、シャデ(舎弟)は、崚くん、会津弁では…そう言いますよね。百合が散ってヒマワリも枯れて、茄子とピーマンとトマトは真っ盛り、ゴーヤが実をつけました。来週の「のど自慢」は、松本市 [続きを読む]
  • 最後の百合
  • 8月のアトリエは、本格的に夏色気分で、美大のスクーリングがあった季節になりました。美大と、ほぼ同じ内容を娘にと思って2年次を迎えたアトリエです。夜には子供たちが練習中の祭囃子、蛙の合唱、タロコのイビキ。朝は、雉のケーンケーンと啼く声に、蝉のミーンミーン、昼には、私鉄沿線、青春時代、あづさ2号などを流してますが、過ぎ去った日々は、帰りません。今日の旅ラジは、福生でした。息子の大学進学で東京に戻った時 [続きを読む]
  • 茂庭綱元から片倉宗景
  • 茂庭綱元(鬼庭)から片倉宗景(白石城主)という血縁の流れは、伊達騒動から幕末の奥羽越列藩同盟に繋がる大きな人的結合ですよね!。室蘭で、仙台藩伊達家の北海道開拓の話を学び、特に亘理伊達家のことを知って亘理駅の側にある資料室から、突然、伊達騒動に入りました。歴史の裏に女あり…伊達騒動の扉を開けると、函館開港と松前藩の梁川移封、世良修蔵を斬った瀬上主膳、新撰組の永倉新八と果てしなく広がります。久しぶりに見る [続きを読む]
  • 郡長正と郡和子
  • 子育ての大きな山場と言えば、郡長正のイジメによる切腹事件。いかにして越えるか…と思い、菅直人さんに会ってみた事がありました。いろいろ、あちこち動く度に、その度に、会津の老人たちに、郡和子アナウンサーは、郡長正の何かかと聞かれたものです。とうとう仙台市長に。イジメによる自死には、いろんな形があります。イジメた訳じゃないのに同級生に死なれたこともありました。それは、あなたが、直角に曲がるからでしょ…と [続きを読む]
  • 百合も向日葵も野菜も
  • 去年アトリエで描いた百合と向日葵が、シーズンで、雷雨の後の野菜もたくさん。長野県松本の、4072グラムで、自然分娩で産まれたBabyも、スクスクです。まだ一ヶ月なのに、四ヶ月児みたいです。●夜半から朝まで続いた凄まじい雷雨で、タロコの避暑地の穴蔵は、床下浸水、鎖を解き放って、家の中に入れたら、泥足で、血を吸って膨れたダニを5、6匹振り落としながら、部屋中を走り回り、おまけに脱走して、酷い事に、今日は、 [続きを読む]
  • 吉祥寺駅前の古書店で
  • 猪瀬直樹著「ペルソナ」文藝春秋社が刊行された頃、吉祥寺駅前の古書店で、喜多方市長穴沢喜壮次の名前が書かれている文藝春秋社の「外交官の一生」と、山中峯太郎の「敵中横断三百里」というのを購入しました。1200円というのは高いと思いましたが、大山巌元帥が明治三十七年八月二十六日に、総攻撃を命じた遼陽攻撃は、黒木大将の第一軍、奥大将の第二軍、野津大将の第三軍に分かれていて、このうち、弓張嶺の敵陣地に向かっ [続きを読む]
  • 赤くて綺麗でも
  • 辛いんです。庭先で収穫したラデッシュ、廿日大根。雨で、猫も犬も、大騒ぎです。夜明けと共に、ワンワン、ニャゴニャゴ、昼寝しないとバテそうなので、昼寝しますが、暑くて眠れません…ね。 [続きを読む]
  • 天鬼熱史料(山形で入手)
  • ●山形県鶴岡市図書館で石原莞爾関連史料を閲覧の時石原莞爾らが発起して建てられたこの碑が、戦後アメリカ進駐軍に遠慮して、倒れたままになっていたのを、昭和52年11月に復元されたというのを見に行きました。平田村には「志士斎藤元宏君の碑」と記された碑がありました。風の強い日で、最上川の橋を渡るのが怖かったですが、行ったかいがありました。斎藤元宏は、広島幼年学校から陸軍士官学校にすすみ、石原莞爾と同級、陸 [続きを読む]
  • 舟子トンネル1400
  • ●「闇川峡谷」の闇は、闇川峡谷の闇に、山崎闇斎をかけました。幕末、京都守護代を拝命した会津藩は、山崎闇斎の墓がある光明寺に入ります。保科正之が、会津藩三田屋敷を息子の正経に譲り、箕田屋敷に移って、山崎闇斎を京都から招いたのは、寛文五年春のことです。●保科正之が山形藩から会津藩に移る発端となった堀主水の、脱藩事件、その時、追手を防ぐために焼き落とした闇川橋には、やがて国鉄の鉄橋がかかり、大戸岳にはト [続きを読む]
  • 舟子トンネル1400
  • ●「闇川峡谷」の闇は、闇川峡谷の闇に、山崎闇斎をかけました。幕末、京都守護代を拝命した会津藩は、山崎闇斎の墓がある光明寺に入ります。保科正之が、会津藩三田屋敷を息子の正経に譲り、箕田屋敷に移って、山崎闇斎を京都から招いたのは、寛文五年春のことです。●保科正之が山形藩から会津藩に移る発端となった堀出水の脱藩事件、その時、追手を防ぐために焼き落とした闇川橋には、やがて国鉄の鉄橋がかかり、大戸岳にはトン [続きを読む]
  • 「闇川峡谷」前編史料
  • ●大塩平八郎檄文昔葛伯という大名は子供をすら殺したという事であるが、それと同様言語道断な話だ、何れの土地であっても、人民は徳川家御支配の者に相違ないのだ。それをこの如く隔たり付けるのは奉行などの不仁である。その上勝手我慢の布令を出して、大阪市中の民ばかりを大切に心得るのは前にも申したやうに、道徳仁義を弁えぬ拙き身分にありながら甚だ以て厚かましく不届きの至りである。また三都の内大阪の金持共、年来諸大 [続きを読む]
  • 東亜同文書院
  • 今日の2時前のニュースは、多賀城のあやめ祭りのお知らせでした。私の初任地。●二十年もの長い間、隠し持ってきた「穴沢喜壮次回顧録」を喜多方市役所に提供して肩の荷を下ろした気分ですが、まだ、東芝の創立者、山口喜三郎伝や、東芝関係の古参さんから寄せられた手記などが、かなりの数残ってます。それは、すべて、平成七年、原敬首相暗殺の裏面を示した、猪瀬直樹氏著の「ペルソナ」という金色の本の、三島由紀夫がらみの本 [続きを読む]
  • 22日から田島祇園祭
  • 昨日、清河八郎を斬ったと言われる京都見廻組の佐々木只三郎(旗本佐々木家に養子に入った会津藩士の子)の生家である手代木家の分家が会津本郷焼き閑山窯、その次男、閑月窯(喜多方市)の手代木進さん、彼は、天鬼将軍の父方(塩川、斉藤家)の親戚でもあります…が、私の用事は、喜多方高校の後輩である奥さんの慶子さんと、例の、「喜多方市長穴沢喜壮次回顧録」の保存の話などをしたかったので、伺いました。それで今日は、午前中、 [続きを読む]
  • 22日から田島祇園祭
  • 昨日、清川を斬ったと言われる京都見廻組の佐々木只三郎(旗本佐々木家に養子に入った会津藩士の子)の生家である手代木家の分家で会津本郷焼き閑山窯の次男、閑月窯(喜多方市)、天鬼将軍の父方の親戚でもあり、喜多方高校の後輩である奥さんの慶子さんと、例の、「喜多方市長穴沢喜壮次回顧録」の保存の話をしたので、今日は、午前中、NHKドキュメント昭和の「上海共同租界」を読みました。そこに、上海と長崎の繋がりをみつけま [続きを読む]
  • 捨てられた原稿…。
  • 「八重の桜」と喜多方ラーメンを繋ぐ「喜多方市長穴沢喜壮次回顧録」を喜多方市役所に提供してから、同じ時期に捨てられてしまった手紙や文書などを探しました。大事なものは、なかなか見つかりません涙。でも、感熱紙の為薄れていましが、平成二年刊行の天鬼将軍の第二巻原稿が出てきました。いや、もう、ウンザリですが〜少し載せてみます。震災直前、「坂の上の雲人物列伝」の著者、ブログ友達の薩摩隼人と新宿中村屋創業の地東 [続きを読む]
  • 山岡弘明アナ特集
  • 福島局に着任。幕末の三舟と言えば、勝海舟、山岡鉄舟、高橋泥舟だったかしらん?。山岡アナウンサーは、ラジオセンターの旅ラジでしたが、この度、福島局に。山形局、ひるどき日本列島田麦俣での写真がアトリエにあります。●早朝から独立クロニクルというのを読んでます。針生鎮郎、横地康国、山本正、佐川敏子、松本英一郎、斉藤長三座談会。面白い。●第11回全国鉄美術展覧会作品目録、主催、日本国有鉄道、主管、大坂鉄道管 [続きを読む]