荒野人 さん プロフィール

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荒野人さん: エピローグ
ハンドル名荒野人 さん
ブログタイトルエピローグ
ブログURLhttp://blog.goo.ne.jp/epilogue_001/
サイト紹介文団塊の世代のど真ん中。折り返し地点を、遥か置いてきたエピローグの始まりを粛々と描く。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供231回 / 365日(平均4.4回/週) - 参加 2009/06/21 06:39

荒野人 さんのブログ記事

  • 立夏
  • 今日は立夏、である。いよいよ夏を詠むのだ。この連休中、東京は極めて快適な妖気が続いている。昨日もそうだけれど、汗ばむ気候である。汗ばむけれど、風が心地良いのだ。光が爽やかなのだ。風は『青嵐」「若葉風」であって、光は「若葉光」である。なの... [続きを読む]
  • をがたまの花
  • 新仮名遣いで「おがたま」。漢字表記では「招魂」あるいは「小賀玉」。目立たず、楚々と咲く花である。近頃では、街路樹として植栽される事もあるのだ。在るのだけれど、誰も見向きもしない。けれど、振り向いて欲しい。開くと、花弁の縁が直ぐに黒ずんで... [続きを読む]
  • リラ冷えの街
  • 明日から、五月である。今年の立夏は、五月五日だ。ぼくのリュックの歳時記は、春と夏の二冊である。昨夜は、いきなり雷が鳴り響いたけれど雨は大した事は無かった。その雷鳴の中で、夏の歳時記を滑り込ませたのである。自転車のサドルに、雨滴が二三粒。遠慮... [続きを読む]
  • 四月句会が終った
  • 今月最後の句会が終わった。俳句結社「繪硝子」の、ふうの木句会である。世話人は、俳誌の編集長である。句会の指導は、和田主宰である。主宰は、横浜にお住まいだけれどここ練馬まで足を運んで下さる。助詞の使い方、仮名遣い、切れ字など丁寧にご指導頂ける... [続きを読む]
  • 久闊を叙す
  • 何故かし知らねど、随分と長い間更新を失念してしまった。身辺の、凄まじいほどの変化に対応している内に失念してしまったのである。曰く、新しい結社での句作への取組。曰く、ボランティア活動参加の為の各種講座。曰く、新しい句友との交歓。曰く、その為の... [続きを読む]
  • 春の兆し
  • 春の兆しが、次第に濃くなってきている。しかしながら、寒の戻りは厳しい。刺すような大気は、胸にひびくのである。昨夜、とある遊歩道を歩いていると何処からか香しさが・・・。馥郁と香っているのであった。蕾はまだ固いけれど、数輪の花が開いている・・... [続きを読む]
  • 蕗の薹
  • 僥倖、である。蕗の薹を頂いた、のである。それは昨日の出来事・・・。春を告げてくれる。優しく、穏やかな薄黄緑が目に優しいのだ。早速、今日は天麩羅にしようと思うのだ。そう思うだけで、口中にほろ苦さが満ちてくる。このほろ苦さこそが、春なの... [続きを読む]
  • 雪柳
  • 昨日、ぼくはコストコへ出かけたのであった。行きは良いよい、帰りは怖い・・・。帰宅途中の外環の上は、強風でハンドルが取られるほどであった。帰宅して、ブログの更新と思いつつ休憩が長過ぎて今朝になってしまったという訳だ。今朝は、晴れやかであって風も... [続きを読む]
  • 物の芽
  • ものの芽、である。春の兆しの嚆矢、でもある。また、初春の季語としても歳時記に掲載されている。この「ものの芽」は、辛夷である。産毛に包まれた様は、もう一つの季語「余寒」を当てはめたくなるのだ。感じるとも無く感じる薄ら寒さ・・・だがかじかむ... [続きを読む]
  • 認知症サポーター
  • 昨日、ぼくは認知症サポーター講座を受講したのであった。短い時間だったけれど、講座修了後にサポーターを示す「オレンジリング」を頂いた。このオレンジリングに、白いロバが刻印されていると「認知症」の本人である印となっている。今日から、ぼくはこのオ... [続きを読む]
  • 黄水仙
  • 何回目だろうか・・・。黄水仙の俳句を詠む事、である。水仙が、ナルシシズムであるのは言を俟たない。だから水仙こそ、限りなく美しい。黄水仙は、唯一受動的な花言葉になっている。「私を愛して!」である。「愛されると云ふ素直さ黄水仙」... [続きを読む]
  • 節分草
  • 愛らしく、且つ小さい。してみると、可憐と云う事ではないか・・・。然り、然りである。この節分草、万作とロウバイの木の下に咲いているのである。正しく『春』の様相である。スプリングエフェメラル、である。『春の妖精」であるのだ。場所は、昭和記念... [続きを読む]
  • メジロの遊ぶ
  • 可愛らしい・・・そうとしか云いようが無いのである。極めて小柄なのだけれど、存在感は極めて大きい。メジロは、夏の季語なのである。けれど、野に出る春にこそ出会える小鳥なのだ。春のメジロこそ、感動的であるのだ。河津桜とメジロ。梅とメジロ。ど... [続きを読む]
  • 北帰行始まる
  • 渡りの宿命、である。彼らは、再び長いシベリアへの旅を始めるのだ。ここオッペ川のコハクチョウたちは、滞留している数がほぼ半分になっている。既に、半数は旅立った。彼らには『旅情」などの感慨は無いのかもしれない。いたいけな感じは、全くない。... [続きを読む]
  • 白梅
  • 白梅が、叙として咲いている。一斉に花開く事は無い。綻んでいるからである。紅梅との違いを楽しむのは、心地良いのだ。白だけではアクセントが無い、と言い放ったりするけれど・・・。白梅だけで、楽しむ縁(よすが)は多いのだ。青い空と黒い幹の、そ... [続きを読む]
  • 東京大仏
  • 東京大物は、板橋区の外れである。江戸時代には「板橋田圃(いたばしたんぼ)」と称されていた農村である。幕末には、この地域一帯で幕府群と薩長同盟軍の戦があった。坂の多い町である。大仏としては、誠に立派である。アプローチとして、山門から続く長い... [続きを読む]
  • 風光る
  • 風光る・・・春の季語である。誠に時期にあった季語としか、云いようが無い。風が爽やかなのは秋なのだけれど、春の風は透徹した涼やかさがあるのだ。例えば、竹林を過ぎ行く風。梢を渡る風。福寿草に挨拶して過ぎ行く風。全て、光っているのである... [続きを読む]
  • 紅梅白梅
  • 梅はいまが見頃、である、ただし、関東地方の事。山陰や東北、北海道などでは大雪に見舞われている。九州、近畿、四国も雪の模様である。大雪見舞を申し上げたい、のである。さて、そんな状況の中で梅の花でもないのだけれど・・・。この、ノーテンキをお許し... [続きを読む]
  • 寒雀か春の雀か
  • 冬の季語「寒雀」。春の季語「春の雀』或いは「雀の子」などとなっている。いまはその間(はざま)、である。どのように表現したら良いのか判然としない。どの言い方も「しっくり」とこない、のである。めったやたら群れる。ふくら雀ほど、ふっくらとしていな... [続きを読む]
  • 水温むとき
  • 冬晴れの空は、カーンと冴え渡っているのだ。それこそが、冬である。枯枝を邪険にするでも無く、無辺に広がる。凛冽の大気を切り裂くでもなく、だがしかし鋭い。その下の水は、徐々に温み始めている。初春の風景である。「水温む光の落ちてくる速さ... [続きを読む]
  • 侘助散華す
  • 今日の本題に入る前に、一言。昨日は、少しばかり情緒に溺れてしまった。句が、例えようもなく独りよがりとなってしまった。訪問していただいている皆さんの期待を、大きく裏切ってしまった。句を下記のように、推敲したところです。   産土の地に思いを馳... [続きを読む]
  • 夢で歌っていた
  • いくつかのブログ記事を用意していた、のだけれど・・・。今日は、起きて一番・・・。この記事を書き改めた。朝方、不思議な集団の横を歩きながら「ふるさと」の合唱を聴いていた。夢の中で、ぼろぼろ涙が零れた。ぼくも歌っていた。齢を重ねると云ふことは... [続きを読む]
  • 枯木星
  • 美しい晩冬の季語、である。例えば「寒昴」と云っても良いのだけれど・・・。星に、昇天を絞り込む場合は「枯木星」が優れて良い。この空は、立春の日。月が上にあって、下には金星が輝いている。友人から連絡があって、ご主人がお亡くなりになられたとの事... [続きを読む]
  • 寒椿
  • 獅子頭と称する「寒椿」である。一つひとつの花が、誠に獅子の頭部のようである。丸くそれなりのボリュームがあるのだ。かてて加えて、凄まじいまでの花の集団である。群れ獅子、の気配である。花だけ、赤く残そうと思ったけれど止めた。花の群れるさま... [続きを読む]