戦争は常に弱い人々にとって酷い事ばかりです。戊辰戦争でも、やはり、巻き添えになり難民化した村上藩の婦女子がおりました。山形境から会津に転戦したしました官軍側の日記「軍事日記」に、このような記事がありました。曰く解読しますと、以下のようでしょうか。一、昼少前方、村上之婦女子老若三四拾人つれニ而、山野ニ打伏、昨十五日夜取〆所え来リ、夕飯をもらひ度段頼入、右ニ付無拠一宿を施、夕朝飯振舞、朝出立ニ而舟渡駅え来りつるか、雨ニ濡みの笠もなく俵のはしはぢをもちひ頭にかむり物、あわれなる有様也、右之躰を見て舟渡屋久右衛門、女子共ニ笠三拾かい餘施し、其外銘々ニ栗ゆて汁迄遣候。誠ニ稀也もの也。何程火急ニ逃出候也、衣類も差当の侭ニてたくわひも無之様子也とあります。要約しますと、慶応四年八月十五日の夜、山野に隠れていた村上藩の婦...戊辰戦争の難民