shigechanizumo さん プロフィール

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shigechanizumoさん: いずものこころ
ハンドル名shigechanizumo さん
ブログタイトルいずものこころ
ブログURLhttps://blogs.yahoo.co.jp/shigechanizumo
サイト紹介文みんなで古代出雲を探検しましょう!
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供14回 / 365日(平均0.3回/週) - 参加 2009/09/07 16:33

shigechanizumo さんのブログ記事

  • 過去の記事 …
  • スサノヲの御子神の謎(2)』
  •                       前回、スサノヲの御子神の話をしましたが、『出雲国風土記』に出てくる御子神と『古事記・日本書紀』に出てくる御子神とは全く一致しないとお話ししました。では、改めて『古事記・日本書紀』には、御子神はどのように出てくるのでしょうか。 愼?椽餤』の「一書(あるふみ)」には、『五十猛(イソタケル)命は、父神(スサノヲ)と天降るとき、樹木の種を持って降りたが、それを韓 [続きを読む]
  • 『スサノヲの御子神の謎』
  • スサノヲの御子神が『出雲国風土記』に出てくるのを網羅し、その地名と、そこで祭神とされている神社をあげると、次のようになります。青幡佐久佐日古命(アオハタサクサヒコ): 意宇郡大草郷(八重垣神社)、大原郡高朝山 。都留支日子命(ツルギヒコ): 島根郡山口郷 (布自伎美神社)。国忍別命(クニオシワケ):島根郡方結郷 (方結神社)。磐坂日子命(イワサカヒコ): 秋鹿郡恵曇郷(恵曇神社)。衝桙等乎而留比古命(ツ [続きを読む]
  • 『スサノヲの御子神の謎』
  • スサノヲの御子神が『出雲国風土記』に出てくるのを網羅し、その地名と、そこで祭神とされている神社をあげると、次のようになります。青幡佐久佐日古命(アオハタサクサヒコ): 意宇郡大草郷(八重垣神社)、大原郡高朝山 。都留支日子命(ツルギヒコ): 島根郡山口郷 (布自伎美神社)。国忍別命(クニオシワケ):島根郡方結郷 (方結神社)。磐坂日子命(イワサカヒコ): 秋鹿郡恵曇郷(恵曇神社)。衝桙等乎而留比古命(ツ [続きを読む]
  • 『四隅突出型墳丘墓の謎と出雲の神々
  • ◎四隅突出墳丘墓の分布と出雲の神々の伝承が一致する?富山県山田村の牛岳山伝承は、『山田村史』に寛文八年「越中一ノ宮伝記」の伝承として・・・『牛嶽(岳)は昔、久和崎山と呼んでいたが、悪者が多く住み農民を苦しめたので、国造神大国主命が牛に乗って登り、悪者どもを平定したので牛嶽と呼ぶようになった。』・・・とあります。同じく富山県の『井波町史』の「高瀬神社社誌」の伝承として・・・『在昔、大己貴命北陸御経営 [続きを読む]
  • 『四隅突出型墳丘墓の謎と出雲の神々
  • ◎四隅突出墳丘墓の分布と出雲の神々の伝承が一致する?富山県山田村の牛岳山伝承は、『山田村史』に寛文八年「越中一ノ宮伝記」の伝承として・・・『牛嶽(岳)は昔、久和崎山と呼んでいたが、悪者が多く住み農民を苦しめたので、国造神大国主命が牛に乗って登り、悪者どもを平定したので牛嶽と呼ぶようになった。』・・・とあります。同じく富山県の『井波町史』の「高瀬神社社誌」の伝承として・・・『在昔、大己貴命北陸御経営 [続きを読む]
  • 『四隅突出型墳丘墓の謎とi出雲の国譲り』
  •                       四隅突出墳丘墓の分布と出雲の神々の伝承が一致する、としましたが、実はこのことと、『出雲の国譲り』が関係するように思えるのです。以前、“出雲にとって最も重大な出来事であったはずの、「国譲り」に関しては、そのいきさつや、さまざまな出来事、「国譲り」に関して登場した神々のことなどは、『古事記・日本書記』には、こと細かく書かれていますが、『出雲国風土記』では、た [続きを読む]
  • 『四隅突出型墳丘墓の謎とi出雲の国譲り』
  •                       四隅突出墳丘墓の分布と出雲の神々の伝承が一致する、としましたが、実はこのことと、『出雲の国譲り』が関係するように思えるのです。以前、“出雲にとって最も重大な出来事であったはずの、「国譲り」に関しては、そのいきさつや、さまざまな出来事、「国譲り」に関して登場した神々のことなどは、『古事記・日本書記』には、こと細かく書かれていますが、『出雲国風土記』では、た [続きを読む]
  • 『「出雲国風土記」と「古事記」における「国譲り」』
  •                              『出雲国風土記』の最初に出てくる郡(こほり)は意宇郡(おうのこほり)。9つある郡のうち、なぜ最初に出てくるのか?中央から派遣された国司のいる国庁があり、出雲国の中心とされていたからだと思われます。冒頭に、なぜ意宇と名づけられたかを語る、「国引き神話」が出てきます。八束水臣津野命(やつかみづおみづぬのみこと)が、「国引き」を終えた後、意宇の杜 [続きを読む]
  • 『「出雲国風土記」と「古事記」における「国譲り」』
  •                              『出雲国風土記』の最初に出てくる郡(こほり)は意宇郡(おうのこほり)。9つある郡のうち、なぜ最初に出てくるのか?中央から派遣された国司のいる国庁があり、出雲国の中心とされていたからだと思われます。冒頭に、なぜ意宇と名づけられたかを語る、「国引き神話」が出てきます。八束水臣津野命(やつかみづおみづぬのみこと)が、「国引き」を終えた後、意宇の杜 [続きを読む]
  • 『どれが本当の出雲大社かの謎』
  • 「どれが本当の出雲大社か」などというと、馬鹿なことを言うなと叱られそうですが、実は、『古事記』・『日本書紀』・『出雲国風土記』をよく読むと、本当はどうなのかと思われる記載があるのです。私たちが、出雲大社の創建についてよく知っているのは、『古事記』・『日本書紀』における創建の記載です。単純にいえば、・・・『大国主神が天津神に国譲りを行う際、その代償として、天孫が住むのと同じくらい大きな宮殿を建てて欲 [続きを読む]
  • 『どれが本当の出雲大社かの謎』
  • 「どれが本当の出雲大社か」などというと、馬鹿なことを言うなと叱られそうですが、実は、『古事記』・『日本書紀』・『出雲国風土記』をよく読むと、本当はどうなのかと思われる記載があるのです。私たちが、出雲大社の創建についてよく知っているのは、『古事記』・『日本書紀』における創建の記載です。単純にいえば、・・・『大国主神が天津神に国譲りを行う際、その代償として、天孫が住むのと同じくらい大きな宮殿を建てて欲 [続きを読む]
  • 『あってないものの謎』
  • 『古事記』は713年にできあがりました。『日本書紀』は、720年にできあがりました。『出雲国風土記』は、733年にできあがりました。どれも、出雲で起こったこととしての神話や物語が載っていますが、実は、とても大きな事件や出来事が、『古事記・日本書記』には載っていて、『出雲国風土記』には載っていない、あるいはその逆という場合が起こっているのです。今回は三つのことを取り上げたいと思います。まず、スサノオ [続きを読む]
  • 『あってないものの謎』
  • 『古事記』は713年にできあがりました。『日本書紀』は、720年にできあがりました。『出雲国風土記』は、733年にできあがりました。どれも、出雲で起こったこととしての神話や物語が載っていますが、実は、とても大きな事件や出来事が、『古事記・日本書記』には載っていて、『出雲国風土記』には載っていない、あるいはその逆という場合が起こっているのです。今回は三つのことを取り上げたいと思います。まず、スサノオ [続きを読む]
  • 『オオクニヌシとコトシロヌシとタケミナカタ』
  • コトシロヌシは、出雲では美保神社に主祭神として祭られていますが、アジスキタカヒコネなどと同じように、皇孫の守り神として大和の葛城に祀られているオオクニヌシの御子神です。コトシロヌシは、そこでは「下鴨神社=鴨都波神社(かもつわじんじゃ)」に主祭神として祭られています。『記・紀』における「国譲り神話」では、コトシロヌシはタケミナカタと共に、オオクニヌシが国を譲るべきか否かを尋ねたとされる、オオクニヌシ [続きを読む]
  • 『オオクニヌシとコトシロヌシとタケミナカタ』
  • コトシロヌシは、出雲では美保神社に主祭神として祭られていますが、アジスキタカヒコネなどと同じように、皇孫の守り神として大和の葛城に祀られているオオクニヌシの御子神です。コトシロヌシは、そこでは「下鴨神社=鴨都波神社(かもつわじんじゃ)」に主祭神として祭られています。『記・紀』における「国譲り神話」では、コトシロヌシはタケミナカタと共に、オオクニヌシが国を譲るべきか否かを尋ねたとされる、オオクニヌシ [続きを読む]
  • タギリヒメとアジスキタカヒコネとシタテルヒメ
  • 多紀理比売(タギリヒメ)はオオクニヌシの妻神とされています。タギリヒメは、オオクニヌシとの間に、「阿遅鉏高日子根神(アジスキタカヒコネ)」と「下照比売(シタテルヒメ)」の兄妹をもうけたとされています。タギリヒメは、アマテラスとスサノヲが「天の安河」で誓約(ウケイ)合戦をした際に、スサノヲの剣をアマテラスが三つに打ち折って生まれた女神です。妹神にタギツヒメとイツキシマヒメがいて、この三姉妹を宗像三女 [続きを読む]
  • オオクニヌシとお子神
  • 大国主には、多くの妻神がいたとされています。しかし、その割にお子神は、あまり多くないのです。正妻の須勢理比売(スセリヒメ)との間には、お子神はできませんでした。もし、出来ていたらスサノヲとオオクニヌシの血を引くお子神として、かなりの地位を占めたことでしょう。一方、出雲以外の地域の比売神との間には、次のようなお子神が生まれたとされています。1. 越の国の沼河比売(ヌナカワヒメ)との間には、「建御名方 [続きを読む]
  • 『オオクニヌシと阿遅須枳高日子命(アジスキタカヒコ)』
  • 『出雲国風土記』の「神門郡」と「仁多郡」に不思議なことが書かれています。「神門郡」・・・『高岸の郷。天の下をお造りになった大神の御子、阿遅須枳高日子命が昼となく夜となく、ひどくお泣きになった。そこでそこに高床の建物を造って、御子をおすえした。そして高いはしごを建てて登り降りさせて養育申し上げた。』「仁多郡」・・・『三津の郷。大神大穴持の御子、阿遅須枳高日子命が、おひげが長くのびるほどになっても、ま [続きを読む]
  • 『オオクニヌシと野見宿禰(ノミノスクネ)』
  • ・・・奈良県桜井市の記事に、次のようなものがあります。・・・『三輪山南東(初瀬の西方)には出雲という地名が残り、出雲国に出自をもつ野見宿禰(ノミノスクネ)の伝承地でもある。また狭井川北方にも「出雲屋敷」という地名が伝承され、さらに三輪山北西にはかつて「出雲荘」という荘園があった。』・・・。野見宿禰の伝承で最も有名なのは、・・・『垂仁天皇の命により、当麻蹴速(タイマノケハヤ)と角力(日本書紀では捔力 [続きを読む]
  • 『オオクニヌシを助けた少彦名神(スクナヒコナ)とは』
  • スクナヒコナは、『古事記』では神皇産霊神(かみむすびのかみ)の子とされ、『日本書紀』では高皇産霊神(たかみむすびのかみ)の子とされます。カミムスビ・タカミムスビは、天御中主神(アメノミナカヌシ)と共に、天地開闢(てんちかいびゃく)の時の造化三貴神(ぞうけさんきしん)の一人です。スクナヒコナとオオクニヌシの二人は、美保の岬で出会いますが、本当にカミムスビの子供なのかカミムスビに問い合せると「それはほ [続きを読む]
  • 『スサノヲとそっくりな神?』
  • 河内・大和には、スサノヲとそっくりな神の伝承があります。どこが似ているのか、検討して見ましょう。ニギハヤヒという神・大王のことです。・・・(ニギハヤヒ命)は、『日本書紀』などの記述によれば、神武東征に先立ち、アマテラスから十種(とくさ)の神宝を授かり天磐船(あまのいわふね)に乗って河内国(大阪府交野市)の河上の地に天降り、その後大和国(奈良県)に移ったとされている。・・・・・・また、有力な氏族、特 [続きを読む]
  • 『スサノヲとオオクニヌシは同一神?』
  • 『日本書紀』などの記述によれば、神武東征に先立ち、アマテラスから十種の神宝を授かり天磐船に乗って河内国(大阪府交野市)の河上の地に天降り、その後大和国(奈良県)に移ったとされている。これらは、ニニギの天孫降臨説話とは別系統の説話と考えられる。また、有力な氏族、特に祭祀を司どる物部氏の祖神とされていること、神武天皇より先に大和に鎮座していることが神話に明記されていることなど、ニギハヤヒの存在には多く [続きを読む]
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