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真理の探求と実践 https://hoh-minami.blog.jp/

何ものにも囚われない、自由で幸福な、人のためになる生き方を考えてブログ発信しています。

南の鵬
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2009/09/21

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  • [プラトン] 音楽は、世界に魂を与え、精神に翼をあたえ、あらゆるものに生命をさずける。

    「音楽は、世界に魂を与え、精神に翼をあたえる。そして想像力に高揚を授け、あらゆるものに生命をさずける。」(プラトン)引用元: プラトンと音楽の名言<理想の教育>プラトンの上記の言葉の出典は『国家』。国家 - 岩波書店古代ギリシアの音楽 - Wikipedia

  • [サルトル]「ただ、この希望、これをつくり出さなければならない」

    サルトルの最期の言葉。「世界は醜く、不正で、希望がないように見える。といったことが、こうした世界の中で死のうとしている老人の静かな絶望さ。だがまさしく、私はこれに抵抗し、自分ではわかっているのだが、希望の中で死んでいく。ただ、この希望、これをつくり出さな

  • [サルトル]「人間は、世界についても、一切の責任者である」

    地球温暖化問題を考えてみる。すべての人が、自分にはその問題に何となく責任がないと感じたら、地球温暖化は加速していく。ウクライナ戦争を考えてみる。すべての人が、自分にはその問題に責任などないと考えたら、ウクライナは敗戦し、世界の安全保障は悪化していく。つま

  • 身心脱落と道(タオ)と陰陽の法則

    道元の思想。身心脱落すれば、世界と「われ」は一つになる、「われ」は「宇宙の真理に溶け込んでしまう」(ひろさちや氏)。身心脱落すれば、世界と「われ」は一つになる、「われ」は世界に溶け込んでしまう。私は、世界を、道(タオ)と言い替える。『易経』と老荘哲学を綜

  • サルトルとマルクス主義

    『「サルトル」入門』 白井浩司著 P.208から抜粋。マルクス主義への傾斜 それぞれの時代において、すぐれた哲学というものは厳然として存在し、それを乗り越えることは不可能である、とサルトルはいい、現代の乗り越え不可能な哲学はマルクス主義であると断じます。これはか

  • [内村鑑三] 高尚なる勇ましい生涯とは

    「高尚なる勇ましい生涯とは何であるかというと、私がここで申すまでもなく、諸君もわれわれも前から承知している生涯であります。すなわちこの世の中はこれはけっして悪魔が�支配する世の中にあらずして、神が支配する世の中であるということを信ずることである。失望の世の

  • 『存在と時間』批判-他者との関係性の欠落-

    『存在と時間 ハイデガー』(NHK 100分de名著 戸谷洋志著)の中から、ハンナ・アーレントの『存在と時間』における他者との関係性についての批判です。「存在と時間」のなかで論じられる孤独な人間、すなわち他者とのつながりから切り離され、「原子化された」 人間には、も

  • ニーチェは力への意志を増大させるために永遠回帰を使った-付記 ハイデガーの関連論述-

    ニーチェは、力への意志を最大限に増大させるために主体的時間を使った。それが永遠回帰である。そこでは、ポアンカレやアインシュタインが物理学的に時間と空間をどう考えているかはどうでもよいことになる。力への意志を最大限に増大させるものこそ、ニーチェにとって真理

  • [図解] 気功での呼吸法によるガス交換

    気功における呼吸法の重要性、正気と邪気の交換を生物学的に考えてみた。気功での呼吸おける正気と邪気の交換とは、体内での二酸化炭素と酸素のガス交換を行法に組み込むこと。小林製薬(株)のHPより掲載。肺胞肺胞は直径約300μm(1μmは0.001㎜)で、約3億個存在し、肺胞を

  • [アドラー&フランクル] 全体への奉仕、他者への奉仕の幸福論

    「人類と自己の幸福に最も貢献するのは、全体への奉仕、他者へ���の奉仕である。」(アドラー)人は自分にできることしか���できない。自分にできることの中で、全体への奉仕、他者への奉仕を���していくことが、自分に幸福感を与える。「フランクルによれば、人間の本

  • [サルトル] アンガジェへの意志と欲求

    (2023年1月20日のツイッターから)サルトルのアンガージュマンの概念には二重の意味がある。一つはアンガジェしているという事実の表明。しかし他方で、私たちは自らその状況に乗り込みたい、アンガジェしたいという意志と欲求がある(注)。可能なものの限界、潜在的な自己

  • 幕末の志士たちとの「共同体感覚」

    アドラーの「共同体感覚」。坂本龍馬、中岡慎太郎、吉田松陰、西郷隆盛、勝海舟、高杉晋作・・・そして、大根のように斬られていった、無名の幕末の多くの志士たち・・・ 国を思う、彼らの志士たちとの「共同体感覚」の共有・・・幕末の多くの志士たちが現代に生き

  • 何かのために生きるとき、人は幸せになれる-アドラーとフランクルの類似点-

    「(私は)人間の実存の真の本質を責任性のうちに見る」(フランクル講演集『意味による癒し』 P.23春秋社) 「自己超越性」に至上の価値をおくフランクルは、アドラーの「共同体感覚」に責任性を加え、それを強調している。  (引用開始) 何かのために

  • ウクライナ戦争-マルクスの唯物史観は正しいのだろうか-

    マルクスの唯物論、そして唯物史観は果たして正しいのだろうか。ロシアのウクライナ戦争による、歴史と世界経済、世界秩序の変容は、プーチンの情念という、まさに「唯心論」の働きによるものとも考えられる。しかし、ウクライナ侵攻前のロシアの経済状況を調べてみると、経

  • [岸見一郎] 仕事の目的は他者貢献

    哲学者、『嫌われる勇気』著者の岸見一郎氏の、記事の一部を引用します。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー他人の評価を目的にせず、他人のために働く。その先に幸せがある幸せとは、誰かの役に立ったと 感じるときに訪れる仕事は何のためにするのか。端的に言うと「他者貢献」

  • ニヒリズムに打ち克つ、死のディオニュソスの神

    ディオニュソスの神(2022年12月10日のツイッターに加筆)迫り来る地球温暖化の暴走、財政破綻へと進み、加速しつつある人口減による日本の衰退、これらの危機への無策といえる現状。危機的状況の中で、改善が遅々として進まない世界や国家への厭世観と無力感。そのニヒリズ

  • [フランクル考]  宇宙が、世界が、あなたに何かを求めている

    V.E.フランクルの講演をまとめた『それでも人生にイエスと言う』(春秋社)という著書がある。この本のなかでフランクルは「人生があなたに期待している」と言っている(P.26)。原文の動詞がわからないが、この言葉は「人生があなたに求めている」と言い替えた方が、フラン

  • 「ノブリス・オブリージュ」-逆境に置かれた人間の義務と使命-

    田坂広志氏の2005年刊、『未来を拓く君たちへ』P.126から記される「ノブリス・オブリージュ」(Nobles Oblige)についての、田坂氏の考察について。田坂氏は、「恵まれた環境」(社会的経済的な環境)にある者は、社会的に高い義務が課せられると一般的な解釈を述べている。

  • 使命は現在にしか存在しない

    心理学者アドラーの思想を基軸として書かれた岸見一郎著『嫌われる勇気』のP.256以降の内容を、人の「使命」に当てはめて考えてみた。「人生は連続する刹那であり、過去も未来も存在しない」(岸見一郎)使命とは、何か遠い先までにやらなければならないものではなく、「いま

  • 道家の観念行は、静坐法とスワイソウを用いる

    早島正雄先生は、洗心術にとくに効果のある行法として、静坐法とスワイソウをあげている(『洗心術入門』)。そもそも早島先生が言われる洗心術とは何か。それは単に我執を放かすことを意味するだけではない。先生が開いていた洗心術講座からその意味を察するに、それは観念

  • ポアンカレの回帰定理とニーチェの永劫回帰

    アンリ・ポアンカレ(1854ー1912)(2023.8.2.更新)------------------------------------------------------------(引用開始)ニーチェの永劫回帰(ポアンカレの再帰定理からの検証)https://ameblo.jp/karaokegurui/entry-12471777619.html 自然科学の

  • [サルトル] 人間は自分の行動の総和にほかならない

    サルトル著『実存主義はヒューマニズムである』(人文書院 P.43ー45)が示すこと。社会参加にあたり、「私には理想や社会問題への関心がある」では、現実としての価値はない。脳の中にあるものを形にしたり、手足を動かし行動してはじめて、その人の理想や社会問題への関心

  • 「神は天帝と為す」ー『荘子』刻意篇ー

    『荘子』刻意篇に「精神は天帝と為す」とある。この「精神」とは道家道教での「神」のことである。中国思想史が専門で東大名誉教授であった池田知久氏は、精神、すなわち「神」を養うことに成功するならば、真人(聖人)は「世界をコントロールすることも可能となる」と、刻

  • 道元の「身心脱落」とは

    道元の「身心脱落」を仏教学者ひろさちや氏は我執を無くすことではなく、「忘れる」ことであると言ったが、それだけでは不十分であると思う。 次から次へと浮かぶ我執を一つ一つ「忘れていき」、同時に意識を「いま・ここに」打ち込んで生きていくのが、道元のいう「身

  • 「可能性への先駆」他ーハイデガー『存在と時間』備忘録ー

    「死への先駆」とは、死に先駆けて「接近する」こと。「駆」には「せまる」という意味がある(『字通』<「コトバンク」)。 「可能性への先駆」の実現とは、「自己の死をこの瞬間に訪れるかのようにみなすこと」。それによって死の可能性に接近するようになり、死の「可能性

  • 『荘子』ノート(2022年 夏)

    2022.6.19 解牛の達人、庖丁と道(タオ)『荘子』養生主篇の解牛の達人、庖丁(ほうてい)が恵王の前で見せた技こそ、道(タオ)そのものであり、庖丁の解牛の技のなかに、生を全うする生き方(道)が秘められている。2022.7.23道(タオ)は気でできている。そう

  • ヤスパースの「実存」の定義

    有神論のヤスパースについては、同じく有神論の立場に立つV.E.フランクルの思想との関係で、またの機会に考察したいと思う。--------------------------------------------------小倉志祥 渡辺二郎 実存とは決して客観とならないものhttp://niet.blog40.fc2.com/blog-ent

  • ニーチェの「永劫回帰」とフランクルの「態度価値」

    ニーチェが説く、極めて過酷な生も永遠に回帰するという永劫回帰説。 ナチスの強制収容所に収容されたV.E.フランクルは、その永劫回帰説の信者ではないが、変えることのできない宿命である過酷な生を、どのような「態度」で生きるかで、その人の人生の価値が決まってく

  • [フランクル] その人「唯一な」仕事と限界状況

    フランクルはその著『夜と霧』のなかで、限界状況下で人は、「唯一性と独自性」をもった「創造的な仕事」が、彼を待っていることに気づくことで、生きる意味を見出だすと言っている(第8章 「絶望との闘い」)。 他人や機械、AIによる代替可能な仕事では駄目なのだ。 「サ

  • 道 元: 座禅により「無相の自己」という悟りが得られる

    道元の思想。自己を否定し、自己がない時、すべてが自己になる、自己が宇宙大の自己になる。そこに「無相の自己」という「本来の悟りの自己」が現れる。道元は「自他不二」と説く。自分と他人は同じである。この「道を得る事は、まさしく身をもって得るなり」。つまり、「無

  • ホ・オポノポノ 「世界で起きることは、すべて私に責任がある」とはどういう意味か

    ホ・オポノポノの本の中に、「世界で起きることは、すべて私に責任がある」という言葉がある。私はこの言葉がよく理解できなかったのだが、「ホ・オポノポノでは、すべての現象は情報で成り立っていると考える」という箇所を本で読んで、そのヒントがつかめたように思う。

  • 「永遠回帰は魂の宗教である」(ニーチェ遺稿集)―ハイデガ―全集より―

    「永遠回帰の思想は、最も自由で快活な、崇高な魂の宗教であるべきである。」(ニーチェ遺稿集 1881ー1886年)ーハイデッガー全集第44巻第12節 「信仰」としての回帰思想 よりー 輪廻転生と永劫回帰。輪廻転生を信じる人々がいるのだから、永劫回帰を信じる者がいてもおかし

  • 永劫回帰と使命

    ハイデガー著『ニーチェ』から、 「おまえが繰り返し生きたいと願わざるをえないように生きること-それが課題である。ーいずれにしろ、おまえはそういうことになるのだ。」(ナウマン版ニーチェ全集第12巻:遺稿集) これを人生の「使命」について考えると、 「お

  • 永劫回帰は存在を全く別様に変容させる(ハイデガーのニーチェ論)

    ハイデガーが初期の著作『存在と時間』の後に多くのニーチェ講義録を残したのは、「死への先駆」からもたらされる以上の現存在の可能性を、ニーチェの永劫回帰という「時間論」によって見出したのではないか。「死への先駆」のなかで停滞する時、時間が円環で永遠でないと

  • 人生の目的は「魂の成長」

    人間が地上で生活する目的は、「魂を成長させる」この一言に尽きます。 http://www5a.biglobe.ne.jp/~spk/sp_newsletter/spnl_backnumber/spnl-02/spnl-02-2.htm (執筆中)

  • [ニーチェ考] 永劫回帰 すべての苦難は「必然、必要、ベスト」である

    永劫回帰(ニーチェ)。すべての苦難は「必然、必要、ベスト」である(船井幸雄)。永劫回帰。すべての苦難は「必然、必要、ベスト」である。その苦難が永遠に回帰している。「おまえが繰り返し生きたいと願わざるをえないように生きること-それが課題だ。」(ナウマ

  • [スピノザ考] 苦難の必然も、最大の潜在能力発揮に変えられる

    スピノザが教えてくれたこと。 耐え難い苦難である必然であっても、その必然にうまく従って生きれば、自分の潜在能力や可能性を最大限に発揮して生きることができる。

  • 力への意志とは、悲劇・苦難と闘う精神ではないか

    力への意志とは、人生の悲劇・苦難と闘う精神ではないか。時間円環論を信じることができなくても、苦難と毎日闘っている者には、永劫回帰は体感できる。 苦難がこの人生のなかで、永遠と繰り返されていく。 ハイデガーが言ったように、このような「生」は、「力への

  • 西郷ー 事の成らぬは、みな「己を愛する」からだー

    道家の思想に身を置く自分としては、やはり西郷の「己を愛することなかれ」が修行の真理であると思う。西郷は、事の成らぬも、修行の成らぬも、みな「己を愛する」からだと『西郷南洲遺訓』で述べているが、つくづくそのとおりだと思う。

  • サルトルのキルケゴール解釈

    「単独的普遍者」 ─サルトルのキルケゴール解釈をめぐって─ 南コニーサルトルの晩年の思想、「単独的普遍」(universel singulier)という在り方は、キルケゴールの実存思想とマルクスの弁証法的唯物論の融合から着想され展開されたもの

  • 「人生は楽しむためにある」―死への先駆から―

    ハイデガーの説く、死への先駆から生まれるものは、良心の呼び声が本質的なものであろうか? 死への先駆から生まれてくるものは、「人生を楽しむこと」こそ本質的に価値のあることではないのか。 時折聞く、「人生は楽しむためにある」という言葉に今日感じて、そ

  • 大欲とは、宇宙そのものを自分のものにする欲望である

    竹中半兵衛は、NHK歴史大河ドラマ『黒田官兵衛』でこう言った。 「乱世を終わらせ、太平の世をつくる。  それが私の大義です。  これほど面白い仕事はない。そのために我々軍師は働くのです。」 竹中半兵衛の大義 乱世と道家http://blog.livedoor.jp/h

  • ディオニュソスは苦難をどう感じるか?ー最強の万物斉同ー

    ディオニュソスは苦難をどう感じるか?-最強の万物斉同-「悲劇のなかでの快感は、強い性格の目印であり・・・英雄的精神は、苦悩をも快として感受するほど充分堅固であるからである」(ニーチェ『権力への意志』第852番)苦難は糧であり、肥やしだ。人は、苦難を糧として、

  • 田坂広志 備忘録

    2020.11.27田坂広志氏の「大我」に向かって自己を大切にする個人主義は、西郷南洲の「己を愛することなかれ」とは全く違う。道家の思想に身を置く自分としては、やはり西郷の「己を愛することなかれ」が修行の真理であると思う。西郷は、事の成らぬも、修行の成らぬも、

  • ツァラトゥストラとディオニュソス(ニーチェ雑考 2019.2~2019.4)

    . 2019/02/19「人間の高貴さ」という観点こそは、ニーチェが彼の全作品を通じて訴えかけた倫理的立場に他なりませんでした。(『マックス・ヴェーバー入門』 P.146 山之内 靖著)  「人間の高貴さ」-『善悪の彼岸』に「高貴とは何か」という章がありました。同書

  • 「大我」としての「力への意志」-万民を救う「救済力への意志」-

    「力への意志とは何であるのか。それは「存在のもっとも内奥の本質」(『意志』第693番)である。」 ハイデガーはニーチェ講義録のなかで、よくこの言葉を引用している。 心理学者のアルフレッド・アドラー(1870– 1937)は、人の幸福は人間関係のなかでしか得る

  • [ハイデガー] 死の覚悟の体得と「良心の呼び声」

    「ハイデガーによれば、死の覚悟がある者だけが、「良心の呼び声」に応えることができる。どうしてか。こう考えるとよい。永遠に生きるとしたら、今それをやるかどうかは重要なことではなくなる。いつかやればよいからだ。死がいつでも訪れうるという状況の中で初めて、今そ

  • [ハイデガー] 未完の『存在と時間』下巻とニーチェ最後期の思索

    [ 2022.7月更新 ]ハイデガーの優れた部分というのは、『存在と時間』という代表作以外の著作群のなかにあるのかもしれない。 Sein und Zeit (1927)『存在と時間』 H&ouml;lderlins Hymne &raquo;Der Ister&laquo;(1942)『ヘルダーリンの讃歌「イスター」』 Nietzsche ニー

  • 世界の危機を救うのは政治活動である

    哲学と政治活動-哲学とはちがい政治活動に普遍性はないが、現在の世界の危機を救うのは政治活動である。 これと関連するが、構造主義的マルクス主義のルイ・アルチュセールは、マルクス、レーニン、グラムシの「偉大な命題」として、「哲学は根本的には政治である」と述べ

  • 乱世はついに来た 竹中半兵衛とグリーンスワン

    NHK歴史大河ドラマ『黒田官兵衛』(2014年放送)で、竹中半兵衛はこう言った。 「乱世を終わらせ、太平の世をつくる。 それが私の大義です。 これほど面白い仕事はない。そのために我々軍師は働くのです。」 『グリーンスワン』で世界経済が大崩壊し始めるとき、もし

  • 「未来には、あなたによって生み出される何かが待っている」(フランクル)

    「未来には、あなたによって生み出される何かが待っている。人生は、あなたがそれを生み出すことを期待している。もしもあなたがいなくなれば、その何かも生まれることなく消えてしまう。人生は、あなたがそれを生み出すことを待っているのだ」 『フランクルに学ぶ: 生きる

  • [ハイデガー] 渡邊二郎の「先駆的決意性」

    ハイデガーの「死への先駆」で自分を奮い立たせて生きようと思うのだが、なかなかうまくいかない。膵臓がんになった渡邊二郎氏(ドイツ哲学の研究者・東京大学名誉教授)は「先駆的決意性」をもって、生まれ変わったように生きるが、私も渡邊二郎氏のようになりたい。がん患

  • 二宮尊徳「大欲とは何か」 内村鑑三「私の主語を天」

    ■ 二宮尊徳(江戸時代後期の経世家、農政家、思想家)「古来の大思想家は無欲ではなく大欲を説いた」というのは「夜話巻の5」(二宮尊徳)にある。   大欲とは何か。「国家を経営して、社会の幸福を増進する」ことである。「大欲とは何か。万民の衣・食・住を充足させ、

  • 苦難と魂の成長

    スピリチュアル系の本を読むと、自分に降りかかる苦難がもつ意味として、「魂の成長」という意味を与えている。これは相当な苦難に対処する言葉として、最も自己を守ってくれる無敵の言葉であると思う。私がスピリチュアリズムに魅かれるのは、一つにはこの意味づけが自分に

  • 永劫回帰を生きるための心的特性について(ニーチェ)

    ハイデガーは、永劫回帰を「悲劇」として捉えている。ハイデガーは、永劫回帰説の解明のなかで、次の二つのニーチェの言葉を取り上げている(『ニーチェ』第二講「同一物の永劫回帰」 第4章「悲劇ガ始マル」)。 「英雄的であることとは、最高の苦悩と最高の希望を同時にめ

  • 乱世の準備

    ある道家の大家がこう言っている。 「人の病気を治すのに功徳を感じ、乱世を治めるに、<損得を抜きにして>行動することに楽しみを見出すのが道家の理想である。」 ならば、乱世がまだ来ていなければ、道士の道家は高揚と飛躍をしないということだろう。そして、乱世が近

  • サルトルの「アンガージュマン」-「私たちは皆、この状況に巻き込まれている」-

     2019/10/03構造主義的マルクス主義のルイ・アルチュセールが、マルクス、レーニン、グラムシの「偉大な命題」として、「哲学は根本的には政治である」いうことを、その大著『資本論を読む』のなかで述べている。 サルトルの「アンガジュマン」は、「自分を拘束すること、自

  • 生きることの意味-叔母の言葉-

    . 生きることの意味 人のためになる事を、人の役に立つ事を、頑張ってやっていく。それが、生きるっていうことじゃないの。 ガンの転移から生き延びた叔母が、最近わたしに言った言葉。

  • すべては必然、必要、ベスト(船井幸雄)

    .「すべては必然、必要、ベスト」(故船井幸雄氏)自分の身におこることは「すべて必然、必要、ベスト」であると、船井氏は生前によくその著書に書かれていた。苦難の多い人生のその時、その時の状況や出来事においても、「すべては必然、必要、ベスト」であると思うと、なん

  • ホ・オポノポノ備忘録 2019年 春

    .4つの言葉を唱えること、つまり4つのマントラを唱えることは、  「祈る」こと。

  • [フランクル考] 大きな苦難は、苦しんでいる人々を助けるために与えられている

    ヴィクトール・フランクル(1905-1997)大きな苦難は、苦しんでいる人々を助けるために与えられている ■ 不幸と苦難と苦悩は、人間を最高価値の領域へ高める「自らの不幸に直面するとき、私は一段高いところに立つ」(ヘルダーリンの言葉, V.E.フランクル著『識られざる

  • 有神論であったニーチェ

    古代ギリシアのディオニュソスの神心理学者・精神科医のV.E.フランクルの研究者である諸富祥彦氏の著作では、無神論者が無意識下では、つねに神を志向しているというフランクルの主張を何度か取り上げている。 「私たちは、たとえ無意識にであれ、つね

  • 「ホ・オポノポノ」-カルマからの解放、マントラー

    .呪術(じゅじゅつ)とは - コトバンク 「なんらかの目的のために,超自然的な存在 (神,精霊その他) の助けをかりて,種々の現象を起させようとする行為およびそれに関連する信仰の体系のこと。」   『原典 ホ・オポノポノ―癒しの秘法』という本に「ハワイの心

  • 魂の向上・進化と宿命(シルバーバーチ)

    2019.1.24地上に生を享(う)ける時、地上で何を為(な)すべきかを魂自身は自覚しています。何も知らずに誕生してくるのではありません。自分にとって必要な向上・進化を促進するには“こういう”環境で“こういう”身体に宿るのが最も効果的である、と判断し、魂自らが選ぶ

  • [フランクル考] 無意味に思える苦しみは、苦しんでいる人々を助けるために与えられている

    . V.E.フランクルは言う。 「人生、どんな時にも意味がある」 愛読するフランクルのこの言葉から、私はこう思う。 「いまのこの無意味に思える苦しみは、苦しんでいる人々を助けるために与えられている。」 フランクルの研究者である諸富祥彦氏によれば、フランクルはか

  • 西洋哲学備忘録 2018-19年 冬

    . 11すべて高貴なものは稀であるとともに困難である。(スピノザ 『エティカ』) 10スピノザが言うように、一切を必然と考えるだけで、人は幸福になれるのだろうか?一切

  • [ニーチェ考] 最高の希望は、最高の苦しみから生まれるのではないか

    「騎士と死と悪魔」:デューラーの銅版画 ※ 騎士は「英雄」を表す。[ニーチェ考] 最高の希望は、最高の苦しみから生まれるのではないかハイデガーの『ニーチェ』の、第二講「同一物の永劫回帰」の中にある第4章「悲劇ガ始マル」を読んだ感想。「英雄的に生

  • 『老子』 聖人は何もかもすべて人のために為し

    .『老子』 最終章第八十一聖人は積まず。既(ことごと)く以(も)って人の為にして己(おのれ)愈々(いよいよ)有し、既く以って人に与えて己愈々多し。天の道は利して而(しか)して害せず、聖人の道は為(な)して而して争わず。「聖人は何もかもすべて人のために

  • やむにやまれぬ大和魂 ―天職とは―

    .吉田松陰は言った、 「かくすれば かくなるものと知りながら やむにやまれぬ 大和魂」 自分にとっての「天職」を思う時、この松陰の言葉をつくづく思う。 カネにならなければ始まらないことはわかっている。 娘を餓死させながら

  • 英文ネット記事の「拾い読み法」による多読と速読ー研究と執筆の方法論-

    .大学に入学した年、岩波新書の沢山の目録を見て、膨大な書籍を読んでいくには、当時の評論家の加藤周一氏の勧める拾い読み法で多読かつ速読していくしかないと思った(『読書術』加藤周一著) 。それ以後、私は精読もするが、「拾い読み法」で本を多読している。

  • [キルケゴール] 祈りは祈る者を変える 死に至る病 他1編

    セーレン・キェルケゴール(1813-1855) 祈りは祈る者を変える 死に至る病 他1編 目次【1】 キルケゴールの勇気づけられる言葉【2】 祈りは祈る者を変える【3】 『死に至る病』と「本質的

  • 『荘子』 外篇 刻意篇(執筆中)

    .荘子-外篇[刻意][2.1]http://www.kokin.rr-livelife.net/classic/classic_oriental/classic_oriental_215.html(上記から転載)故に曰く、 恬淡寂漠てんたんせきばく、虚無無為きょむむいは、此れ天地の平にして道徳の質なり、と。 故に曰く、 聖人は休す、休すれば則ち平易

  • 腎臓の養生法・導引は免疫力を高める

    腎臓の養生法・導引は免疫力を高める世界最先端の医学情報を報道したNHKスペシャル『人体』シリーズ第1集『腎臓』に、詳細な情報を加えたものが書籍化され、それを5月頃、拾い読みした。腎臓は体中の臓器の要(かなめ)。腎臓

  • ニーチェの永劫回帰説の成り立ち-ハイデガーの『ニーチェ』-

    . ニーチェの永劫回帰説の成立について -ハイデガーの『ニーチェ』- ニーチェは永劫回帰説を、物理学的な世界観として述べたのではなくて、信じる、信じないの世界観として述べたのだと思う。輪廻転生を信じる人がその物理学的

  • [フランクル] 使命や役割には、寿命を延ばすほどの力がある

     ヴィクトール・フランクル(1905-1997)誰かがあなたを待っている。何かがあなたを待っている。人生、どんな時にも意味がある。 アウシュビッツ強制収容所で絶望の淵に立った二人に、ヴィクトール・フランクルはこれらの言葉を投げ

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