チャムサラン さん プロフィール

  •  
チャムサランさん: 聖和
ハンドル名チャムサラン さん
ブログタイトル聖和
ブログURLhttps://blogs.yahoo.co.jp/sachikolee1129
サイト紹介文文鮮明先生のみ言の中から毎日一言ずつと、最新の訓読会のみ言を載せています。
自由文お父様のみ言によって自分の心を正していけたらと思い何人かではじめた、毎日のみ言です。よければ共に、みじかいみ言ですが、一日一日をみ言によって自分の信仰生活を正してみてはいかがですか?
あとは、訓読会の最新のみ言をあげれるように努力しています。韓国の教会のホームペイジの内容を日本語に訳したものですが…是非参考にしてください。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供352回 / 365日(平均6.8回/週) - 参加 2009/10/26 23:43

チャムサラン さんのブログ記事

  • 神様の恨
  • 神様の恨とは何ですか。真の息子、娘を心情的完成者として教育できず、兄弟的心情を教育できず、夫婦の心情を教育できなかった事です。この地上において夫婦がこうでなければならないというその心情的基準で教育できず、夫婦になり母になるのにおいてはどの様にしなければならないという教育をする事ができなかったというのです。これが人生の教本だったのに、その教本を全て失ってしまい自分勝手に生きる人間像になってしまったの [続きを読む]
  • 永遠の希望の世界
  • 天は人間的な希望を中心として生きている地上の人間をして、新しい希望をもって死の峠も越える事ができ、永遠の世界を欽慕しながら暮らせるようにする為に無限に心を砕かれたのです。それ故に信仰生活をする人々は、地上の希望を抱いて生きるのではなく、死迄も越える事ができる希望を抱いて、永遠の希望の世界を夢見て生活しなければならないという事を教えてきました。(6−44. 望みを抱き越えるべき人生の道)にほんブログ村 哲学 [続きを読む]
  • 神様の立場
  • ある日、私が後ろを振り返ってみると、神様が私を抱き締めながら涙を流されました。「あなたは私の愛の中心です。私はあなたに服従します。あなたに絶対に従っていきます」と言いながら振り返るとまたそのように私を抱き締められるのです。その立場がどれほど偉大な立場でしょうか。神様が私にそのような神様の立場をくださるように、今、私もそれと同様な神様の立場を皆さんに与えるのです。(215−341.1991.3.1.摂理史的分水嶺) [続きを読む]
  • 神様に侍り心から喜び楽しむことのできる日
  • 私たちはどこへ行くべきでしょうか。死線を越えてでも行くべき所はどこでしょうか。神様を求めて、その神様に侍り心から喜び楽しむことのできる日、私の心の世界で「これ以上の願いはありません」と言うことのできる一時を迎えなければなりません。そのために、私たちは困難に耐え、無念さに耐え、悔しさに耐えながらこの世界を越えていかなければならないのです。このような世界を越えていく自分自身になっていない限り、世界と共 [続きを読む]
  • 春の日が訪ねて来る道
  • 冬は、生命がある者のみが通過出来る過程です。生命をもっていないものは全て、ここで後退せざるを得ないのです。それで、冬が来る前に新しい生命を注入しろというのです。新しい生命は新しい愛を中心とした新しい主義と思想、そして新しい人生観、新しい世界観、新しい宇宙観をもたなければならないのです。そうでなくては冬の季節を通過できません。冬の季節を通過できる生命力をもつようになれば、それを通過する過程は難しいで [続きを読む]
  • お父様の生活
  • 先日、夜になって疲れて帰って来てしばらく横になり、(朝かと思って)起きて顔を洗い、髭を剃るのでそれを見て「朝起きれば、顔を洗い髭も剃るのに、どうしたのですか」と、笑うのです。そのように生活しているのです。心は一つです。精誠も一つです。神様に先生がどんな方かと、祈祷してみてください。神様が痛哭されるというのです。舌が出て戻らないほど痛哭されるのです。そのような事情をもって生活する先生だということを知ら [続きを読む]
  • 神様が一番貴く思われるのが人間
  • 神様が人間を一番貴く思われますがなぜ貴く思われますか。神様は愛の対象を必要とされるので一番貴く思われるのです。いくら神様が愛を持っているといっても愛する対象がいなければ愛を感じる事ができないのです。相対的関係からのみ愛を感じるというのです。神様が愛を一番貴く思われるのは人間が神様が愛する事のできる対象の場に、愛の対象の場にいるからです。神様が一番貴く思われるのが正に人間だというのです。(143−309. [続きを読む]
  • 先生を思って
  • また会うときまで昼夜を問わず、御飯が食べたければ先生のことを思い、御飯を食べなくてもみ旨のために先生がしていることをしなければならず、眠たくなったら眠らない先生を思ってみ旨のために闘っていかなければならないというのです。非難を受けながらも弁解せずに忍耐してきた師を考えなければならないというのです。それ以上の心の中心をもち、明日の勝利欲をもって、自然屈服する怨讐の群れを見るために自らの実績をもって行 [続きを読む]
  • 悔しく無念な事情
  • 過ぎし日は多くの事情かあります。悔しく、無念な事情が多くありました。私の性格では我慢できない息が詰まるような事情が多かったのですが、舌をかみ、カインの世界を占領しなければならなかったのです。カインの個人ではなく、カインの家庭ではありません。カインの世界を消化しなければなりませんでした。苦い、どれほど苦いかというのです。氷山くらいの苦いものをとかさなければなりません、口に入れて。神様を滅ぼし、人類 [続きを読む]
  • 生活の主人として共にいる神様
  • 神様は、妄想的で観念的な神様ではありません。抽象的な神様ではありません。生活的な主体性を備えて、常に私たちの暮らしている生活の主人として共にいるのです。侍られているだけではありません。共同的な愛を中心として共同的な生活をしている神様なのです。(168−111. 1987.9.13. 最後の決定)にほんブログ村 哲学・思想ブログ 家庭連合へ(文字を ) [続きを読む]
  • 権限の行使を耐えなければならない神様
  • 愛する息子をそのように死なせるしかなかった神様の痛ましい事情を誰が知るでしょうか。それは聖書にはありませんが、息子を死なせるほどの事情があったのではないでしょうか。キリスト教のイエス様を信じると言ってあのように集まるのも悲惨なことです。全ての選民の味方になるべき神様なのにこのようなことを知っているのか知らないのか。行く所々で血を流し、首が落とされ、煮えたぎる油に入れられて殺し…。このような運命にぶ [続きを読む]
  • 逆説的な論理
  • 真の父母は何をしなければならないのでしょうか。サタン世界の根である間違った血統を正し、間違った生命を取り戻し、間違った愛の道を正しく開かなければなりません。聖書に「死なんとすれば生き、生きんとすれば死なん」とありますが、そのような逆説的な論理がどうして出てくるのでしょうか。サタン世界は死ななければならないからです。(169-37. 1987.10.4.天勝日と我々)..にほんブログ村 哲学・思想ブログ 家庭連合へ(文字を [続きを読む]
  • 王権を受け継ぐことのできる人
  • 今日、この時間を中心として先生の側で、先生が国を救おうとすれば私は世界を救うという度胸を持ち、先生が世界を救うといえば私は天宙を救い、先生が天宙を救えば私は神様を解放すると言わなければなりません。このようにできる人は王権を受け継ぐのです、王権。分かりましたか。ですから聖書でいう第一の復活に参与する者になれるのです。はっきりと分かりましたか。「はい」(168-226. 1987.09.20.真なる世界へ)にほんブログ村 [続きを読む]
  • 愛の力
  • 愛には創造の能力があるゆえに、くたびれることはありません。愛の心をもてばいくら投入しても、消耗したエネルギー以上にいつでも補充することのできる愛の力があるので、疲れ果てることがないのです。ですから困難で苦痛でも嫌ではないのです。それが嫌だとすればどうしますか。愛のための道には永遠に嫌だという心はありえません。神様の本質には怨讐という概念はありません。悪の概念がありません。真の愛の中にあるからです。 [続きを読む]
  • 愛する息子娘を喜ばせるための教材
  • それでは神様の遍在性をどのように感じるのでしょうか。空気を神様の息吹のように感じなさい。台風が吹いてきたら、それを神様がこの世界のために受難の道を克服してこられながら流された汗のように感じなさいというのです。太陽を眺めれば、その太陽がこの宇宙全体の生命の要因を象徴していることを知って、神様の愛を太陽に学ぶのです。神様の心情を体恤する一つの教本であり、教材として展開させたもの、愛する息子娘を喜ばせる [続きを読む]
  • 食べ残した物をもってこの国を生かすことができますか。
  • 私達は素足で出発し祖国を創建しなければなりません。食べ残した物をもってこの国を生かすことができますか。いつ食べて、着て、乗り回して気を使う事ができますか。素足で、素手で開拓していかなければなりません。私のようにです。(330-91. 2000.8.13. 神様の国の真の子女が行くべき生涯の路程)にほんブログ村 哲学・思想ブログ 家庭連合へ(文字を ) [続きを読む]
  • 国を求める思想であり自分の幸福を求める思想ではない
  • 聖書を見ると「だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。あなたがたはまず神の国と神の義とを求めなさい。」というみ言があります。このように聖書の主流思想は神の国です。神の国。その国を求める思想なのです。 自分の幸福を求める思想ではないのです。(330-95. 2000.8.13. 神様の国の真の子女が行くべき生涯の路程)にほんブ [続きを読む]
  • 天国を建設することのできる人
  • 神様の国を建設できる人はどんな人ですか。自分の一身を否定し、切ない心で天を敬う人なのです。自分を否定し社会と民族、国家、世界を敬う人が正に神様の国を建設することのできる人だというのです。ひいては国家と世界を否定しても天を敬う人が、天国を建設することのできる人になるのです。また、どのような悲痛な環境にぶち当たっても自分の一身のために悲しむのではなく、社会と国家と世界、さらには天のために悲しむ人であっ [続きを読む]
  • 私に対する父の所願
  • 皆さんは自身を否定し、その国とその義のために生きる人にならなければなりません。どのような難しい環境にぶつかったとしても困難を自身に対する父の所願であると考えながら、その環境と闘い勝利する人にならなければなりません。そのような皆さんになって始めて神様の真の息子娘であると言えるのです。(330-90. 2000.8.13. 神様の国の真の子女が行くべき生涯の路程)にほんブログ村 哲学・思想ブログ 家庭連合へ(文字を ) [続きを読む]
  • 所望の国
  • 国のためには自分の夫や妻や父母や子女や区別なく、全部捨てて出て行くことができなければなりません。そうでなければ所望の国を見つけられないのです。その国を見つけたときに、その国と共に父母を見つけることができるのです。国を捜せなければ血を流す父母を見なければならず、血を流す子女を見なければなりません。それ以上の悲痛な事がどこにありませか。そのために国を捜す前には妻を愛することができないのであり、父母を愛 [続きを読む]
  • 密使の生活
  • 今日、天のために行く人たちは罪悪世界に派遣を受けた密使です。個人個人において大きく小さく、広く狭く、高く低い差があるかもしれませんが、各自が処している生活自体は密使の生活を離れてはならないのです。ここには常に生死の脅威が介在しています。まかり間違えば永遠の生命の問題が左右する、このような立場に置かれているのです。そのために永遠の生命を支えることができ、永遠の生命を保護することのできる我々の祖国を [続きを読む]
  • 審判の条件
  • 神様が願うものは他にありません。愛です、愛。終わりの日になれば、何が一番怨讐であるか。愛するものが怨讐です。審判の一番の条件がどんなことか。終わりの日には自分が愛するものが審判の一番の条件です。学者たちには学者意識、勉強しようというそれ自体が審判の要件になります。自分が一番好むものが審判の条件になります。お金を一番好む人、お金を集めるためにすべてを犠牲にする人は、それが審判の条件になります。名誉を [続きを読む]
  • 摂理歴史の春
  • 野生のオリーブの木の根元を切って、真のオリーブの木を接ぎ木することによって、野生のオリーブの木はすべて刈り取られて、真のオリーブの木の畑となるでしょう。このような接ぎ木をレバレンド・ムーンがするというので、大騒ぎなのです。彼らは、自分の身が切られる痛さを恐れ、また、偽の園芸師ではないかと思うからです。摂理歴史の春とともに、野生のオリーブの木に接ぎ木する作業が始まりました。再び生まれるには、アダムと [続きを読む]
  • あなたが見たかった中心がこれです
  • 神様を中心として「あなたが見たかった中心がこれです。」と提示し、今までの全てのものを否定する中で、大小の現在の全てのものを否定する事のできる環境を、早い時間内に解決して差し上げなければならないと言うのです。それが今日、このみ旨を知り、このみ旨の道に付いて行く私達の使命であると言う事を良く知らなければなりません。この醜いものを私が見てはなりません。ひいては、創造主も見られてはなりません。皆さんもそう [続きを読む]
  • 習慣的な生活の中には天国に臨むことができない
  • 天国はどんなところか。サタンを屈服した場所が天国ではないかというのです。皆さん自体を克服した場ではありません。今日、私自体を克服した場ではありません。私たちが住んでいる社会環境、堕落した世界圏、習慣的な環境圏、あるいは習慣化された場には天国に臨むことができません。この常習化された環境をサタンが慢性的に支配しているので、サタンがここに寓居しているために、このサタンの環境を克服することで天国が来るので [続きを読む]