Asami@戦国お城ライター さん プロフィール

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Asami@戦国お城ライターさん: 愛知のお城・戦国武将ゆかりの地を歩く!
ハンドル名Asami@戦国お城ライター さん
ブログタイトル愛知のお城・戦国武将ゆかりの地を歩く!
ブログURLhttp://ameblo.jp/aichioshiromeguri/
サイト紹介文愛知県のお城や戦国関連情報サイト!
自由文このブログは、愛知県のお城、戦国武将ゆかりの地を紹介します。また私の好きな作品の中からの『今日のひとこと』を織り交ぜながら、『分かりやすく、楽しく!』紹介してきますので、宜しくお願い致します。
参加カテゴリー
更新頻度(1年)情報提供66回 / 365日(平均1.3回/週) - 参加 2009/11/16 09:10

Asami@戦国お城ライター さんのブログ記事

  • 祖父江城(そぶえじょう)
  • 祖父江城(そぶえじょう)文正元年(1466)に祖父江久豊が築いたと伝わる祖父江城。子孫は福島正則に従い、軍功により西島・竹腰(ともに稲沢市)を与えられ築城して移り住みました。しかし慶長十九年(1614)大阪冬の陣の時、大阪方に内通して露見、祖父江家は断絶しました。その後、赤目城(現・愛西市)の横井氏の一族が入城し、明治まで続きます。※詳細はこちら⇒祖父江城 にほんブログ村 ↑いつも応援ありがとうござ [続きを読む]
  • 北島城(きたじまじょう)
  • 北島城(きたじまじょう) 文保年間(1317〜19)に平経貞が居城したと伝わるお城です。現在、北島城跡と伝わる場所には、宗形社が祭ってありますが、これはお城があった当時、城主であった経貞が祭ったもので、記録には『弁財天』と残り、明治八年に『宗形社』と改称、周辺の人に『城の宮』と呼 ばれ親しまれているそうです。ところで『愛知の城』によると、井戸跡が発掘されたそうですが、現在では残っていないそうで [続きを読む]
  • 増田屋敷(ましたやしき)
  • 増田屋敷(ましたやしき)豊臣家五奉行のひとり、増田長盛の屋敷跡です。長盛は秀吉に仕え、戦功により出世し、後に豊臣家五奉行として主に民政訴訟を担当、その後大和郡山二十万石の大名になります。しかし、彼の栄光も秀吉の存命中までで、秀吉死後、同じ五奉行・石田三成と親しかったのですが、三成の『家康暗殺計画』を家康に内報して、計画を露見させてしまいました。かと思えば、関ヶ原合戦では西軍として大阪城の留守役を [続きを読む]
  • 堀田屋敷(ほったやしき)
  • 堀田屋敷(ほったやしき) 孝元天王の流れをくむ、堀田尾張守之高の屋敷跡です。子孫は武名を轟かせた者や、『新統古今集』に読み歌を選ばれている人があり、『文武両道』の家柄だったのでしょう。屋敷跡は堀田集落全体の規模であったとか。現在集落の中央に堀田神社があります。この周辺は、住宅地として開発が急速に進んでおり、数年後には景観も変わっているかもしれません。>>>詳細はこちら⇒堀田屋敷 にほんブログ村 ↑い [続きを読む]
  • 浅野屋敷(あさのやしき)
  • 浅野屋敷(あさのやしき) 弓頭として織田氏に仕えた、浅野氏の屋敷跡です。当主・浅野長勝には子がおらず、養子・養女をもらっています。しかしこの子達が、後に歴史に名を残す有名人なのです。まず、養子の長政は秀吉に仕え、後の豊臣家五奉行となり、その息子・幸長は関ヶ原合戦後に紀伊和歌山城主、そして弟・長晟(ながあきら)は、大阪の陣後、安芸広島四十二万六千石の大名になりました。そして養女・おねは木下藤吉郎 [続きを読む]
  • 奥田城(おくだじょう)
  • 奥田城(おくだじょう)奥田城の初代城主は、清洲城を築いた斯波義重の従弟・満種の子・持種と伝わります。後年、織田定宗が城主となり、飯尾家を相続、『飯尾近江守定宗』となりました。この人は信長に従い、桶狭間合戦では鷲津砦を守備しましたが、今川軍の猛攻を受け討ち死にしました。そして息子の重宗が後を継ぎ、奥田城主となりましたが、後に加賀国(現・石川県)に移ることになり、奥田城は廃城となりました。お城があっ [続きを読む]
  • 坂田城(さかたじょう)
  • 坂田城(さかたじょう) 織田信雄の家臣・陸田市左衛門の居城。市左衛門は、坂田城のほか、陸田城(稲沢市)も所有していました。開発が進む稲沢市ですが、ここ坂田町周辺は、まだまだ開発は進んでいまん。が…だからといってお城の遺構が残っているワケでもなく、ある意味開発された田・畑ばかりです。坂田城跡と思われる場所は、周辺より一段高くなっていましたが(私の身長は丁度150センチですので、写真左側は1メートル以 [続きを読む]
  • 西溝口城(にしみぞぐちじょう)
  • 西溝口城(にしみぞぐちじょう) 溝口勝政の居城と伝わる西溝口城。溝口氏は、源氏の流れをくむ一族で、先祖は『逸見氏』を名乗っていました。承久の乱で戦功があり、美濃国(現・岐阜県)大桑に領土をもらい、代々大桑に住んでいましたが、応永年間(1394〜1428)に、なぜか尾張中島郡・溝口に移住しました。『溝口氏』を名乗るのはこの頃からで、織田氏に仕え、溝口村全域を領するまでになりました。お城跡は現在、成 [続きを読む]
  • 大塚城(おおつかじょう)
  • 大塚城(おおつかじょう) 中島の郡主・長谷部民部大輔源政の居城です。性海寺を再建したと伝わる源政は、晩年出家し『唱吽』と号し、子孫は長谷部を略して『長』と名乗りました。元禄十二年(1699)の『性海寺由緒記』によると、源頼朝は長谷部氏に能州(能登国、現・石川県北部)の一郡を与え、中島郡と兼領させました。そういえば戦国時代、能登の戦国武将に長続連・長連龍という『長氏』がいました。この能登の『長』 [続きを読む]
  • 名束屋敷(なつかやしき)
  • 名束屋敷(なつかやしき)豊臣家五奉行の一人・長束正家の屋敷跡と伝わります。最初は丹羽長秀に仕えましたが、長秀死後、丹羽家が大減封処分を受けると、豊臣家の直参の武将となりました。秀吉死後は、家康に接近していましたが、関ヶ原では石田三成の西軍に味方することになり、戦後、居城・水口城を攻められ自刃。享年三十九とも伝わります。近江出身とも伝わる長束正家ですが、尾張の屋敷跡と伝わる場所は、稲沢市長塚町にあり [続きを読む]
  • 下津城(おりづじょう)
  • 下津城(おりづじょう) 尾張国の守護代・織田兵庫守敏広の居城。文正元年(1466)尾張守護の斯波氏の内紛(相続争い)が起こり、それに伴い尾張各地で戦乱が起こりました。その余波で下津城も襲われましたが、織田敏広は防戦して守り抜きました。しかし、翌年応仁の乱が勃発!火に油を注ぐ形で、戦乱は拡大しました。敏広は弟の犬山城主・織田敏定を上洛させ、斯波義廉を助けましたが、この時、弟・敏定は戦功を立てて、兄・ [続きを読む]
  • 吉田屋敷(よしだやしき)
  • 吉田屋敷(よしだやしき) 名古屋尾張藩に鷹匠頭として使えた【吉田主水正家澄】の屋敷跡です。家澄は一族もこの地に呼び寄せ、尾張藩に仕えました。この地はかつての東海道美濃廻り街道沿いにありました。交通面でもかなり良い場所だったのですね。吉田屋敷跡は、現在一部が稲荷明神を祭ってあるところで、『鷹八幡社』の碑が建っています。隣接する吉祥寺には、家澄のお墓もあったそうですが、今は無縁仏となり、寺門の近 [続きを読む]
  • 松下城(まつしたじょう)
  • 松下城(まつしたじょう) 松下城は、当時国府のあったところに築かれたお城で、城主は織田敏広と伝わります。 この織田敏広は、織田『伊勢守系』の当主で、岩倉城を築いた人です。つまり、織田信長の『大和守系』(弾正忠とも)と対立していた織田氏のお城。お城の詳細・所在はわかっていません。松下町の住宅地に『国府跡』の碑があるのでその周辺と思われます。ところで国府跡 [続きを読む]
  • 矢合城(やあわせじょう)
  • 矢合城(やあわせじょう)矢合城は片原一色城の支城で、城主は橋本伊賀守道一の弟・橋本大膳と伝わります。矢合城は、現在国分寺があるあたりで、この地は昔、円興寺があった場所で、門前の字名は『城跡』とそのまま残っていました。しかし残念ながらお城の遺構は残っていませんが、お寺の入り口に矢合城跡を示す石碑がありました。※詳細はこちら⇒矢合城 にほんブログ村 ↑いつも応援ありがとうございます。 [続きを読む]
  • 儀長城(ぎちょうじょう)
  • 儀長城(ぎちょうじょう)儀長城の城主は、橋本道一と伝わります。この人は信長の鉄砲師範(先生)の橋本一巴の息子です。道一は信長、ついで秀吉、加藤清正に仕え、鉄砲衆を率いて活躍しました。南北朝時代からこの地の土豪でもあった橋本氏。本城は片原一色城で、儀長城はそれを取り囲む支城の役割を果たしていました。お城跡はかつての『正楽寺跡』周辺と伝わり、現在石碑が建っているあたりがお城跡と推測されます。※詳細は [続きを読む]
  • 中野城(なかのじょう)
  • 中野城(なかのじょう)『尾張志』に桜木与太郎の記載があり、お城跡の場所は、現在の善勝寺のあたりと推測されます。もとは浅井町(現・稲沢市)にあった善勝寺ですが、織田信長の焼き討ちに遭い、この地へ移って来ました。お城跡の決定的な位置は分かっていませんが、住職さんの話では、お城の礎石に使われたらしい石が数個あるとの事。案内してもらうと、このあたりでは見ない種類の石でした。※詳細はこちら⇒中野城 にほん [続きを読む]
  • 片原一色城(かたはらいっしきじょう)
  • 片原一色城(かたはらいっしきじょう)南朝譜代の臣・橋本伊賀守の居城と伝わる片原一色城。橋本氏は南北朝時代から八代、約百八十年間にわたり、この地に居城しました。信長の鉄砲師匠だった『橋本一巴』の居城だったお城でもあります。戦時中の昭和十六年くらいまでは、2m位の高い土地だったとか。しかし今では戦後の開発と土取りですっか周辺は畑・田んぼとなりましたが、村社神明社近くの畑地の片隅に石碑がありました。※ [続きを読む]
  • 陸田城(くがたじょう)
  • 陸田城(くがたじょう)織田信雄の家臣・陸田市左衛門のお城と伝わります。 市左衛門はこの地に勢力があったようでこのお城の他にも、坂田町にある坂田城も市左衛門の居城でした。陸田城は現在、田んぼの真っ只中にあり、遺構すら残っていませんが、石碑が建っており、周辺の字名には『丸の内』 『西の口』 『陣出』などが残っています。詳細はこちら⇒陸田城 にほんブログ村 ↑いつも応援ありがとうございます。 [続きを読む]
  • あさちゃんのお城めぐり改め、愛知のお城めぐり
  • みなさん、お元気でしょうか? X’masにお正月と楽しいイベントが続いて、忙しい時期でもありますが、街中がキラキラしていて、こちらまでワクワクしてしまいますね。 でも、私はイルミよりも、やっぱりお城が好き☆日曜日に静岡の駿府城に行ってきました。 天気がよくて、 なんと、、、 富士山〜 が、綺麗に見えて、感動しました。 静岡に行ったら、富士山見えるかな〜って、 [続きを読む]
  • 稲島城(いなじまじょう)
  • 稲島城(いなじまじょう)『尾張志』に『滝川豊前守忠征の屋敷跡で、一旦廃して田んぼになりましたが、子孫の豊後守忠暁が再びこの地に屋敷を建てた』との記述があります。別名、滝川屋敷。現在は田んぼだった稲島城跡。お城の遺構はありませんでしたが、少し風化した石碑が残されていました。>>>詳細はこちら⇒稲島城 にほんブログ村 ↑いつも応援ありがとうございます。 [続きを読む]
  • 郡上八幡城(ぐじょうはちまんじょう)
  • 紅葉は終わってしまったけど、 岐阜の郡上八幡城へ行ってきました! 途中、高速から見えた有名なお城。 分かるかな?? 愛知県に住んでいるお城ファンなら簡単ですね?! 正解は、岐阜城。 今日は素通りです。 紅葉シーズンなら、たくさんの観光客で賑わっている郡上八幡城ですが、 この日は(私がいた時間帯)、ほぼ貸切状態で楽しめま [続きを読む]
  • 竹腰城(たけのこしじょう)
  • 竹腰城(たけのこしじょう)竹腰城の城主・祖父江大膳は、もとは祖父江町の横井氏の居城・祖父江城にいましたが、関ヶ原の合戦で福島正則に従い奮闘、戦功を重ね竹腰付近を与えられ、築城しました。しかし!大阪冬の陣の時、西軍に内応しているとの疑いをかけられ、領地没収、お家断絶となりました。竹腰城は、田んぼの真ん中に竹腰城を示す看板がありました。その看板によれば、『竹腰城は市内(稲沢)で最も保存状態が良い』と [続きを読む]
  • 割田城(わりたじょう)
  • 割田城(わりたじょう)清和源氏の血を引く一族である、開田二郎国用が居城したと伝わります。北から南へと流れる野府川を天然の堀として築かれた割田城。もともとこの地には八剣神社がありましたが、平成四年に児童公園が作られた際に移動してしました。ところで写真に石碑が写っていますが、これはお城の石碑ではなく、神社移動を伝える石碑でした。>>>詳細はこちら⇒割田城 にほんブログ村 ↑いつも応援ありがとうございま [続きを読む]
  • 黒田城(くろだじょう)
  • 黒田城(くろだじょう)もともとこの地には、明応年間(1492〜1501)に、後藤光秋が築いた屋敷があり、後に岩倉織田家臣・山内盛豊が、この屋敷をもとに築いたのが黒田城なのです。盛豊は、信長と戦って討ち死にし、黒田城は信長、次いで信雄の支配下となり、和田氏、沢田氏が居城し、後に秀吉方の武将・一柳氏が城主になりました。規模は東西役120m・南北約100mと伝わる黒田城は、周囲に堀を巡らし、北西端の主 [続きを読む]
  • 坪内城(つぼうちじょう)
  • 坪内城(つぼうちじょう)当地の土豪・坪内氏の居城と伝わります。坪内氏は、加賀国(現・石川県)の富樫氏嫡流の頼定が、天文年間(1532〜55)に尾張へやって来て、犬山城主・織田信康に仕え、野府城 代・坪内又五郎の家を継いで、坪内と改めたという事情がある土豪です。>>>詳細はこちら⇒坪内城 にほんブログ村 ↑いつも応援ありがとうございます。 [続きを読む]