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路地町家 https://blog.goo.ne.jp/mint_room13

再生保存した小さな町家のお話。それに京都のことも。時には猫も登場したり。。。

築80年の路地奥の小さな町家を、構造から改修して再生。すると、とても落ち着く空間が現れました! この小さな町家にはささやかな楽しみがいっぱい。 思いに耽ったり、お客様をお迎えしたり、夏には祇園祭の真っ只中に。

yuyu
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京都府
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中京区
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2009/11/29

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  • ありがとうございました!

    ブログ「路地町家」は、この9月で丸3年を迎えました。最初に始めたブログ「季節はめぐり~」からこの「路地町家」に切り替え今日に至りますが私にとってブログは貴重な記録。未公開の記事も加えると,本当に日記そのもの。読み返すと、自身の微妙な変遷が読み取れ一人で頷いたり苦笑したり・・・第一章「季節はめぐり~」2006/9/23~2009/7/9:yahooblog第二章「路地町家」2008/9/10~2011/12/13:gooblog第三章???という流れで、本日を持ちまして第二章「路地町家」を終了させることにいたしました。ご訪問下さった皆様独断と偏見のブログにお付き合い頂きまして、ありがとうございました。時折、参考になることなども織り込んだつもりですが。。。特に、後半はアクセス数が非常に増加し、嬉しい驚きでした。次回...ありがとうございました!

  • 茂庵の「茶碗つくりワークショップ」

    友人ご夫妻にお誘いいただいて、「茶碗つくり」初体験。過去記事「茂庵」と、山麓の「大正時代の家並み」の中の一軒「碧山居」が会場でした。↑クリックして下さい。吉田山斜面に建つ不思議な雰囲気の住宅に、少なからず興味を抱き内部の見学はできないものかと考えていたところですから「碧山居」に案内された時は・・・エーッツ?ココ!!期せずしてこの住宅に足を踏み入れ。。。やっぱり!!玄関と反対側の奥には、景観を楽しめるように手摺付きの内縁が設けられ大文字山を望む大パノラマが広がっていました。内縁の天井、綺麗ですね~「茶碗つくり」の会場用に建具は外されていましたが2畳の畳敷き玄関間から、直接奥のパノラマの広がる内縁まで廊下が伸びていてその廊下をはさんで左右に、和室が2つ取ってありました。建具を入れると、さぞ落ち着いた雰囲気の和風住居...茂庵の「茶碗つくりワークショップ」

  • 京都文化博物館 ・ 特別展「京の小袖」

    伝統ある呉服商がひしめく京都にあって質の高い染色資料のコレクションを大切に管理してきた三社があります。「株式会社千総」「丸紅株式会社」「松坂屋百貨店」松坂屋(現株式会社大丸松坂屋百貨店)は名古屋が発祥ですが京都「北観音山」のお町内に拠点を持ちそのお蔵には京都で蒐集した貴重なコレクションを保管してきました。これらの資料は、三社それぞれが中心となり着物や帯制作の資料として活用されてきました。時代を生きた証人として、現代に美的感性を伝承する役目を担ってきたこれらの資料が一堂に会した展覧会です。本物好きなら必見。物つくりの原点とも言える仕事を、見ることができます。派手好みの秀吉が生きた桃山時代の辻が花から桃山~慶長~寛文~元禄~享保・元文~宝暦~文化・文政とそれぞれの時代的背景や人々の好みによって特徴が変化して行く様子...京都文化博物館・特別展「京の小袖」

  • 東福寺通天橋付近

    東福寺通天橋付近

  • 東福寺、三門の美

    この季節、通天橋の紅葉が名を馳せる「東福寺」「東福寺」の創建は建長7年(1255)。しかしながら三度の火災で大部分を焼失。現在の伽藍は貞和3年(1346)に復興され、永く京都最大の禅苑の姿を伝えています。私にとって、この東福寺は鮮やかに青春の感受性が蘇る場所。今は昔、境内にイーゼルを立て油(絵)の制作に励み、行き詰まると境内を散策。繰り返し何作か描いた。ただ「三門」だけは、あまりの迫力と洗練された美意識に圧倒され一枚も描けなかった。大空に羽を広げたかのような雄姿で迫り来る建築物を、仰ぎ見てはうっとり振返っては溜息をつく日々。「周りの男性よりずっと魅力的!」とのめり込み。。。禅寺の雄大さと美しさに、魅了されていた時期を想い出します。因みに、「三門」とは、空門・無相門・無作門の「三解脱門」の略。東福寺、三門の美

  • 天得院ライトアップ

    東福寺の塔頭の一つ萬松山「天得院」のライトアップ。「天得院」は隆盛衰退を経て、中興の祖・大機慧雄禅師により再興。慶長19年(1614)住持となった文英清韓長老は、豊臣秀吉、秀頼の五学の学僧として寵遇され秀頼の依頼により、方広寺の鐘銘を撰文したが、それこそ例の「国家安康、君臣豊楽」この文が、徳川家を呪うものとして「天得院」は取り毀された。その後、天明9年(1789)に再興され、同じく塔頭の本成寺と合併し現在に至る。言いがかりのような理由をつけたこの一件。秀頼や清韓長老は基より、寺をも潰すほどの事態だったのですね。そんな歴史を持つ寺院は今、「桔梗の寺」「花の寺」として知られています。昼間はラッシュの東福寺にあって、夜は静かな雰囲気が味わえます。4日が最終です。闇に浮かぶ燃えるような紅葉を、愛でてみてはいかがでしょう...天得院ライトアップ

  • 12月!新風館のイルミネーション

    今日から師走!今年は、自然の驚異を見せつけられた一年でした。世界経済も混沌として、地球規模で大きな方向転換を迫られる年となりました。佳き出来事も暗雲に覆い尽くされ、曇天を一掃する力には至らなかったけれどブータン国王夫妻の来訪に、真の良心や幸福感を取り戻した人もあったかと。。。私に出来ることはホンの僅か。せめて自分の幸せを感知するアンテナは、錆びないよう磨いておこう!と、改めて思う年の瀬であります。この暮れは、ロームのイルミネーションがお休みとのこと。節電やら不況やら、何とも薄ら寒い年末どすなぁ~毎年メルヘンチックな「新風館」のイルミネーション!同じ電気を消費するなら、アーティスチックに!いい雰囲気です。あら~、ブレてしまいました。それでも綺麗~~☆今年も恋人たちや家族連れで賑わうことでしょうね。12月!新風館のイルミネーション

  • 元祖 湯とうふ 「西山艸堂」

    私が幼い頃、父が「湯とうふでも食べに行こか」というと嵐山、天竜寺の中にある「西山艸堂(せいざんそうどう)」でした。妙智院が出す「湯とうふ」だから本物。それに雪見障子越しに庭を眺めて食するのは風情があって「よろしい」と云うのが父の口癖。で、ここを通って、昔、何度か訪れました。今回はひさかた振りに立ち寄り懐かしく。。。私のおぼろげな記憶では昔は、畳の上に足を畳んだちゃぶ台のような低い板敷を置きその中央に七輪があって土鍋をかけ、湯とうふをいただいたような気がします。お店の方に尋ねてみると今でも12月~3月は、七輪をお出しますとのこと。でもテーブルの高さまでは・・・・?とのお話。さもあらん、私よりお若い方でしたからご存じないでしょうね。私の思い違いかもしれませんし、本当のところはどうだったのでしょう?お寺の精進料理です...元祖湯とうふ「西山艸堂」

  • 嵐山の紅葉、大混雑!

    27日(日)、来客があって嵐山へ出掛けました。渡月橋の北のたもと嵐電駅前、北方向聞きしに勝る人波に、思わず尻込みしてしまいます。祇園祭の宵山並みの大混雑!でした。交通整理の人達も、殺気立っていて。。。人力車やお店屋さんは大繁盛!天竜寺の紅葉漆喰の白に真紅のもみじが映え、雅やかでした~野々宮神社の鳥居ともみじ。もちろんこの下も大混雑!亀山の北東、トロッコ駅への道。このあたりは人が少なく静かな風景が広がっていて・・・愛宕山がくっきり。ずいぶん遅い紅葉となりましたが、綺麗に色付いていました。嵐山の紅葉、大混雑!

  • 細川家の至宝~後期~

    後期の「黒き猫」にも会ってきました。微妙な黒の変化で描き出された黒猫。その毛並みの手触りまで伝わってきます。黒猫が何を考えているのか、まで想像してしまうほど。。。柏の葉との取り合わせもしっくり、気品漂う作品でした。今回は利休作の茶杓「ゆがみ」とその添え状も展示されていました。利休が細川三斎に贈った茶杓「ゆがみ」、それをまた家臣に下賜する際の添え状です。確かに、物語が生れそうな個性的なフォルム。この竹を見つけ削り出す時の、逸る心がそのまま形になったような茶杓でした。「鳥毛陣羽織九曜紋付」も後期のみの展示。鳥の羽で覆われた陣羽織で、背中に大きな九曜紋がデザインされています。細川斉樹(なりたつ1797-1826)の所用。非常に保存状態が良く素晴らしい。この九曜紋にまつわるエピソードを一つ。1747年江戸城内にて、細川...細川家の至宝~後期~

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